4 / 15
第4話
しおりを挟む
二人は、宿場町に戻って茶屋の二階に上がった。
どうしても説明を求める広尾を前に、柊一はただ黙ってそこに座っているばかりで、何も言わない。
形だけで頼んだ酒が運ばれ、女中が下がるのを待って広尾が口を切った。
「教えてください、どうして仇討ちになんて出立したんですか? アナタは…先代に恩も感じていなければ、對敬すらしてはいない筈なのに」
「俺の意思など、あの家では無いも同然だ。…そんな事、文明だとて百も承知だろう」
吐き捨てるように言って、柊一は乱暴な仕草で湯飲みに酒を注ぐとそのまま口に運ぶ。
広尾が知っている柊一は、決して酒など口にはしなかったのに。
そんな柊一の様子を、広尾は酷く痛ましい思いで見つめていた。
柊一の家は、街でも有名な大きな道場である。
広尾は、その道場の門弟であった。
家の格式から言えば広尾の方が身分が上になるが、道場という場所と年齢そして道場主の息子という立場から、二人の力関係は柊一の方が上のような状態になっている。
幼少の頃より道場に通っていた広尾にとって、柊一は肉親よりもある意味特別な存在だった。
子供の頃は、己が長男であった広尾には、年が近く自分よりも聡明な柊一は頼りがいのある兄のような存在だったのだが。
柊一との長い付き合いのウチに、奇妙な別の感情を抱くようになった。
それは、柊一を守ってやりたいという、少し考えてみるとひどく傲慢な、それでいてあまりにも当然のような気もする感情だった。
道場の中にあって、柊一はとても微妙な立場にあった。
柊一は、…広尾が問いかけた言葉通りに、この仇討ちにそれほど乗り気ではなかった筈だ。
なぜなら柊一は、父親に対して對敬の念も愛情も感じていなかったから。
柊一の家が構える道場は柊一の曾祖父が作り上げた物で、柊一の父は世に良くあるこれと言った才能もないままに、ただ「嫡男」と言うだけで跡を継いだ凡庸な男だった。
そして、そうした「三代目」にありがちな俗な人間でもあった。
その時の欲望のまま慰めに女を抱き、幾許かの金を与えては追い払うような事を繰り返す。
しかも、それが安易に許される立場にもあった。
だが、そうした「乱行」を続けているにも関わらず子供が出来なかったところを見ると、彼の身体にはどこか欠陥があったのかもしれない。
もちろん、本妻に子は居なかった。
柊一の母は、柊一の家に勤めていた女中に過ぎなかった。
だが、色白で器量の良かった彼女が、主人の色眼鏡に映らない訳もなく。
もしもそこで柊一を身籠もる事がなければ、他の女達と同じように幾許かの金を与えられて暇を出されただろう。
柊一の家にとって、嫡男は喉から手が出る程に切望されていた。
これは広尾知る由もない事であったが、生まれ落ちた時に性別が曖昧だったにも関わらず、嫡男として迎え入れられてしまう程に一族は跡継ぎを欲していた。
嫡男を生んだ女として柊一の母は父の妾となり、生涯の生活を保障された。
しかし柊一の母は、夫を愛して子を孕んだ訳でなく。
むしろ、己の一生を歪めた相手として憎んでさえいた。
そして彼女は、自分が腹を痛めて生んだ筈であろう息子を愛する事までも、拒んだ。
己の欲望にしか、興味のない父親。
嫡男を産めなかった妻として家の中での立場を失った本妻は、柊一を疎ましくさえ思っていた。
そして柊一の家の者は「嫡男」として柊一を家に引き留めておきながら、「妾腹の子供」としてどこか彼を蔑んでいた。
広い屋敷の中に、柊一の居場所は無かった。
しかし、それは道場にあっても同じだった。
道場主の息子であり嫡男でもあった柊一は次代の師範になるべく、幼少の頃より大人達に混じっての稽古を受けていた。
勘が鋭く身のこなしも敏捷であった柊一は、広尾がようやく竹刀を持って格好が付くような年頃になった頃には、既に大人と互角に渡り合えるほどの実力を身につけていた。
道場内でもっとも実力を持っていたのは師範代である中師であったが、その中師でさえ時には押され気味になる。
少し目端の利く門徒達の間では、凡庸な父である師範では既に太刀打ち出来ないとまで噂されていた。
しかしその才能こそが、柊一を孤独へと追いやる理由に他ならなかった。
同じ年頃の少年達は力が互角に合ってこそ競い合い、その中に互いの信頼関係を築き上げる。
誰と向き合っても決して負け知らずの柊一を相手に、心を開く相手は皆無だった。
その中にあってひたすらその強さに憧れた広尾だけが、柊一の少ない友人の一人だったのだ。
強さに對敬の念を抱き、憧れて柊一に歩み寄った広尾だったが。
その強さをまとった柊一が、実は誰よりも孤独に苛まれているという事実に感情を一転させたのだ。
だが広尾もまた嫡男として、己の勤めがあった。
しかも子供に過ぎなかった広尾は、柊一に対する複雑な感情を全てに置いて優先できる程の権利も、まだ与えられていなかった。
己の双肩にかかる義務によって、広尾は否応なしに一時、道場から離れていなければならない事情が出来てしまった。
そうして広尾が道場を離れている間の、そんな状況の中で柊一の父が亡くなった。
道場に通う子弟達に招かれてしたたかに酔った夜道の途中、強盗に襲われていた男を助けようとして切られた。
というのが、表向きの経緯だった。
だがそれは、賞金首を追っていた男を賊と見間違え、酔っていた事もあって賞金稼ぎに絡んだ挙げ句に切り捨てられた。
というのが、真実だったらしい。
抜刀もしないうちにあっさり殺されたという事実も、大道場の主の面子が立たない為に隠蔽された。
どうしても説明を求める広尾を前に、柊一はただ黙ってそこに座っているばかりで、何も言わない。
形だけで頼んだ酒が運ばれ、女中が下がるのを待って広尾が口を切った。
「教えてください、どうして仇討ちになんて出立したんですか? アナタは…先代に恩も感じていなければ、對敬すらしてはいない筈なのに」
「俺の意思など、あの家では無いも同然だ。…そんな事、文明だとて百も承知だろう」
吐き捨てるように言って、柊一は乱暴な仕草で湯飲みに酒を注ぐとそのまま口に運ぶ。
広尾が知っている柊一は、決して酒など口にはしなかったのに。
そんな柊一の様子を、広尾は酷く痛ましい思いで見つめていた。
柊一の家は、街でも有名な大きな道場である。
広尾は、その道場の門弟であった。
家の格式から言えば広尾の方が身分が上になるが、道場という場所と年齢そして道場主の息子という立場から、二人の力関係は柊一の方が上のような状態になっている。
幼少の頃より道場に通っていた広尾にとって、柊一は肉親よりもある意味特別な存在だった。
子供の頃は、己が長男であった広尾には、年が近く自分よりも聡明な柊一は頼りがいのある兄のような存在だったのだが。
柊一との長い付き合いのウチに、奇妙な別の感情を抱くようになった。
それは、柊一を守ってやりたいという、少し考えてみるとひどく傲慢な、それでいてあまりにも当然のような気もする感情だった。
道場の中にあって、柊一はとても微妙な立場にあった。
柊一は、…広尾が問いかけた言葉通りに、この仇討ちにそれほど乗り気ではなかった筈だ。
なぜなら柊一は、父親に対して對敬の念も愛情も感じていなかったから。
柊一の家が構える道場は柊一の曾祖父が作り上げた物で、柊一の父は世に良くあるこれと言った才能もないままに、ただ「嫡男」と言うだけで跡を継いだ凡庸な男だった。
そして、そうした「三代目」にありがちな俗な人間でもあった。
その時の欲望のまま慰めに女を抱き、幾許かの金を与えては追い払うような事を繰り返す。
しかも、それが安易に許される立場にもあった。
だが、そうした「乱行」を続けているにも関わらず子供が出来なかったところを見ると、彼の身体にはどこか欠陥があったのかもしれない。
もちろん、本妻に子は居なかった。
柊一の母は、柊一の家に勤めていた女中に過ぎなかった。
だが、色白で器量の良かった彼女が、主人の色眼鏡に映らない訳もなく。
もしもそこで柊一を身籠もる事がなければ、他の女達と同じように幾許かの金を与えられて暇を出されただろう。
柊一の家にとって、嫡男は喉から手が出る程に切望されていた。
これは広尾知る由もない事であったが、生まれ落ちた時に性別が曖昧だったにも関わらず、嫡男として迎え入れられてしまう程に一族は跡継ぎを欲していた。
嫡男を生んだ女として柊一の母は父の妾となり、生涯の生活を保障された。
しかし柊一の母は、夫を愛して子を孕んだ訳でなく。
むしろ、己の一生を歪めた相手として憎んでさえいた。
そして彼女は、自分が腹を痛めて生んだ筈であろう息子を愛する事までも、拒んだ。
己の欲望にしか、興味のない父親。
嫡男を産めなかった妻として家の中での立場を失った本妻は、柊一を疎ましくさえ思っていた。
そして柊一の家の者は「嫡男」として柊一を家に引き留めておきながら、「妾腹の子供」としてどこか彼を蔑んでいた。
広い屋敷の中に、柊一の居場所は無かった。
しかし、それは道場にあっても同じだった。
道場主の息子であり嫡男でもあった柊一は次代の師範になるべく、幼少の頃より大人達に混じっての稽古を受けていた。
勘が鋭く身のこなしも敏捷であった柊一は、広尾がようやく竹刀を持って格好が付くような年頃になった頃には、既に大人と互角に渡り合えるほどの実力を身につけていた。
道場内でもっとも実力を持っていたのは師範代である中師であったが、その中師でさえ時には押され気味になる。
少し目端の利く門徒達の間では、凡庸な父である師範では既に太刀打ち出来ないとまで噂されていた。
しかしその才能こそが、柊一を孤独へと追いやる理由に他ならなかった。
同じ年頃の少年達は力が互角に合ってこそ競い合い、その中に互いの信頼関係を築き上げる。
誰と向き合っても決して負け知らずの柊一を相手に、心を開く相手は皆無だった。
その中にあってひたすらその強さに憧れた広尾だけが、柊一の少ない友人の一人だったのだ。
強さに對敬の念を抱き、憧れて柊一に歩み寄った広尾だったが。
その強さをまとった柊一が、実は誰よりも孤独に苛まれているという事実に感情を一転させたのだ。
だが広尾もまた嫡男として、己の勤めがあった。
しかも子供に過ぎなかった広尾は、柊一に対する複雑な感情を全てに置いて優先できる程の権利も、まだ与えられていなかった。
己の双肩にかかる義務によって、広尾は否応なしに一時、道場から離れていなければならない事情が出来てしまった。
そうして広尾が道場を離れている間の、そんな状況の中で柊一の父が亡くなった。
道場に通う子弟達に招かれてしたたかに酔った夜道の途中、強盗に襲われていた男を助けようとして切られた。
というのが、表向きの経緯だった。
だがそれは、賞金首を追っていた男を賊と見間違え、酔っていた事もあって賞金稼ぎに絡んだ挙げ句に切り捨てられた。
というのが、真実だったらしい。
抜刀もしないうちにあっさり殺されたという事実も、大道場の主の面子が立たない為に隠蔽された。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる