Serendipity

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 暗闇の中を、俺は闇雲に走っていた。
 後ろから、追いかけてくる。
 姿は見えないが、ハッキリとした足音が………どんどん、どんどん、近づいてくるのが解る。
 恐ろしさに足が竦みそうになりながら、俺は必死に走り続けた。
 追いかけてくるモノの正体は、見えないから判らない。
 振り返るなんて出来る訳もなく、自分の足に躓き蹌踉めきながら走った。
 両手を振り、両足を無理矢理動かして………。
 でも、必死になればなるほど俺の速度は落ちるばかりで。
 それもその筈、俺の手足はまるっきり小学校に就学したばっかりのガキのように細く、身体そのものも全くガキに戻っていて、どんなに頑張った所で速度もそんなに上がる事はなく、呼吸も直ぐに上がってきてしまっているからだ。
 ヒタヒタと近づいてくる足音は、明らかに大人の物で。
 いつの間にか俺の頭の中では、後ろから追いかけてくる物は「躾棒」を手にしたC雄になっていた。
 俺は悲鳴を上げながら、泣き叫び、助けを求めながら走る。
 両手を目一杯伸ばして、暗闇の向こうに灯りが見えてくる事を祈りながら。
 躓いて転び、恐怖に囚われた俺はもう再び立ち上がる事も出来ずに、後ろに振り返る。
 笑ったC雄が、ゆっくりとやってきて。
 右手に持った麺棒を振り上げる。
 俺は泣き叫びながら、這いずるように後退り転がりまわり最後の最後にはムダだと判っていても助けを求めて手を伸ばしていた。
 背後で、麺棒が振り下ろされる音がして、俺は悲鳴を上げる。

「うあっ!」

 俺は、ベッドの上で跳ね起きていた。
 冷や汗をびっしょり掻いていて、背中には未だに恐怖の名残の悪寒が残っている。
 久しぶりに、あの夢を見た。
 寮に入ったばかりの頃に、よく見た夢だ。
 額の汗を拭おうとして手を動かしかけ、俺は自分の指が彼の指と絡み合っている事に気付いた。
 悪夢にうなされて、思わず手を握ってしまったのだろうか?
 それにしても、指と指を交互に絡み合わせるように手を握る…なんて、寝ぼけて出来るモンだろうか?
 無意識のうちに堅く握っていた指を解き、ベッドサイドに手錠で繋がっている彼の手を放す。
 ずっとそうして繋がれていた所為だろう、彼の指先はまるで死人のように冷たく冷え切っていた。
 というか。
 素っ裸のまま繋がれた彼の身体を抱いて、ベッドの上にただ横たわっていたから、俺の身体もいい加減冷え切っているし、汚れたままにしてあったからなんとなくどこもかしこも不快感を醸している。
 俺はベッドを降りるとバスルームに向かい、熱いシャワーで全身を洗い流した。
 それからタオルを絞って彼の身体を清め、それから最後にオモチャの手錠の鍵を探してきてベッドサイド側を外した。
 彼の両手を手錠で繋ぎ、一つはサイドテーブルに放り出す。
 冷え切った彼の両手を自分の胸に押し当て、彼の痩せた身体を両腕に抱いて、部屋の灯りを消した。
 そんな風に俺がウロウロしたり身体を弄り回したりしても、乱暴に陵辱されて疲れ果てているのか彼は目を覚ます気配も見せない。
 毛布にくるまって彼の冷たい指先と、ハチミツのような匂いを感じながら、俺はもう一度目を閉じた。
 俺一人で、彼をずっとここに閉じこめておく事なんて、多分不可能だ。
 ガキだった俺を半ば監禁して、大人二人で虐待していたA子とC雄達とは条件も状況も違っている。
 腕に抱いている息づかいと鼓動を感じながら、俺は泣きそうになっていた。
 A子もC雄も、俺に対しての執着なんてさほどのものもなかっただろう。
 アイツらが俺を手放さなかった理由は、単に換えになる弱者がいなかった……程度の理由に過ぎない。
 でも、今の俺にとって、東雲サンは唯一で絶対の他の誰でも変わりになんて成り得ないヒトだ。
 しかし、数年に渡って俺の自由を奪い続けたアイツらは、それこそもっと「上手く」やれば警察だの児童相談所だのに踏み込まれ、俺を取り上げられた挙げ句に犯罪者として告発される事もなかったはずだ。
 全ては、ヤツらのずさんな性質がボロを出すきっかけになったに過ぎない。
 だが、コレだけ必死になっているはずの俺はどうだ?
 週末の休みがあけて勤務先に彼が出勤しなかったら、その時点でまわりが不審に思うだろう。
 真面目でマメな性格の東雲サンが、無断欠勤などする訳もないのだから。
 そして東雲サン自身が、俺から逃れようとする事も間違いのない事実で。
 この、全てが俺にとって不利な状況下では、どんなに欲していても彼をこの腕に閉じこめておく事なんて出来はしないのだ。
 それが判っているから、俺はもう無性に悔しいやら悲しいやら彼の身体をやたらめったら抱きしめて、ひたすら泣きそうになるのを堪えているのが精一杯だったのだ。
 そうして俺がぎゅうぎゅうと抱きしめているのが苦しいのか、彼の身体が微かに身じろぐ。
 そのまま目を覚ますのかと強張った俺に、彼はまるで恋人に寄り添うように身を寄せてきた。
 ビックリして、俺は一瞬戸惑ったけれど。
 考えてみたら、それは単に身体が冷え切ってしまっている彼は、無意識のうちに湯で温めてきた俺の体温を求めてきているだけだって事に気が付いた。
 それでも。
 こうして寄り添って貰えた事が、無性に嬉しくて。
 俺は毛布を整え直して彼をこれ以上冷えさせないように、大事に大事に包み込む。
 この一瞬が、永遠に続く事を願いながら。
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