Serendipity

RU

文字の大きさ
上 下
8 / 25

8

しおりを挟む
 夕方になって、東雲氏は帰ってきた。
 それまで俺が何をしていたかというと、何もしていない。
 ただ、昼間東雲氏から貰ったマンガ雑誌を試す眇めつ眺めていた。
 元は東雲氏の物とはいえ、俺が譲り受けてコレが俺の「所有物」だと思うと、それだけで楽しかったからだ。

「コラ、こんな暗い部屋でマンガ読むな」

 帰ってきた東雲氏は、寝そべってマンガ雑誌を眺めていた俺を笑顔で窘めて、部屋の明かりを灯す。

「夕食はハンバーグにしようと思うんだ。好きか?」
「え? あ、はい。好きッス」
「そうか、良かった」

 そう言って、東雲氏はまた穏やかに微笑んでみせる。
 ハッキリ言って寮棟と事務棟の間にある「見えない隔たり」によって、顔を見知ってはいるものの俺は東雲氏と懇意にしていた訳でない。
 東雲氏は事務棟の総務課でなにがしかの肩書きがついている役職の人間だが、その役職とてさほど上の方という訳でもなく、下から数えて2番目とか3番目に当たるような程度の物だ。
 寮棟への連絡事項を伝えるのもその役職の仕事の一つで、俺が東雲氏の顔と名前を知っているのは何か連絡事項があると東雲氏が寮棟に顔を出したから……なんである。
 つまり、俺の知っている東雲氏は仕事をしている事務員の顔であって、日常ではこんなに頻繁に笑みを浮かべるあたりの柔らかい人物だなんて想像もしなかった。
 だいたい東雲氏は、あんなショボくれた児童相談所で事務員なんかやってるのがおかしいぐらいの二枚目で、黙って真面目な顔をしているとちょっと取っつきが悪いぐらいなのに。
 屈託なく笑った瞬間は、まるっきり子供みたいな表情をするので面食らってしまう。
 こうした場合、なにを話したらいいかも判らずに黙り込む俺に対して、夕食の支度をしながら東雲氏は次々に言葉を掛けてくれる。

「今日は神巫にとっては寮を出た記念日だから、夕食の後に食べようと思ってケーキを買ってきたんだ。まだ神巫の好みが解らなかったから、ショートケーキにしたんだが。いちご好きか?」
「ええ? ケーキ?」

 出来上がった焼きたてのハンバーグをテーブルに運ぶ東雲氏は、俺の反応を楽しんでいるみたいに嬉しそうな顔で頷いてみせる。
 寮生活における食事は、大人側の基本理念は「平等」であったけれど、しかし無秩序な子供の中にあって「平等」が保たれる事は稀である。
 全ての場所に大人の目が行き届く事もないから、強者が弱者から物を取り上げるのは容易だった。
 特に食べる物に関しては、その辺りの戦いは熾烈を極める。
 寮生達には、小遣いなど支給されない。
 菓子の類はおやつの時間に配られる市販の個別包装された駄菓子の類が精々で、生菓子などは滅多に口に出来なかったから、そういった物が出された日の争奪戦はいつにも増してヒートアップするのだ。
 東雲氏の手製であるハンバーグは、寮で出されたそれとは比較にならないほど美味かったし、食後に氏が冷蔵庫から取りだした紙箱の中にはきらびやかなケーキが数個並んでいてますます俺は驚いてしまった。

「バカだな、神巫。コレがつまり自由って事だし、箱の中のケーキを食ってみて美味いか不味いか気に入るか入らないかを判断するのが、選択の自由なんだぞ? オマエはつまり、そういった物を全部捨てようとしてたんだ。解るか?」
「はい」

 と、答えた物の。
 その時の俺は、物珍しい生菓子の甘美な味わいに夢中で、東雲氏の言葉の意味など理解するに及んではいなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

カーマン・ライン

マン太
BL
 辺境の惑星にある整備工場で働くソル。  ある日、その整備工場に所属不明の戦闘機が不時着する。乗っていたのは美しい容姿の青年、アレク。彼の戦闘機の修理が終わるまで共に過ごすことに。  そこから、二人の運命が動き出す。 ※余り濃い絡みはありません(多分)。 ※宇宙を舞台にしていますが、スター○レック、スター・○ォーズ等は大好きでも、正直、詳しくありません。  雰囲気だけでも伝われば…と思っております。その辺の突っ込みはご容赦を。 ※エブリスタ、小説家になろうにも掲載しております。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

生意気な少年は男の遊び道具にされる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

処理中です...