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第31話

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 次に目を開けた時に見えたのは、キラキラした天国でもなければ、真っ暗な地獄でもなく。
 灰色の壁とシミの付いた天井が見える部屋の中で、消毒薬のニオイがプンプンするベッドに寝かされていた。

「いっっってぇ!」

 なにがなんだか良く解らないで、身体を起こそうとした瞬間に、まるで腹を刺された(?)ような激痛が走る。

「絶対安静だ、動くんじゃない」

 聞き覚えのある声にそちらに振り返り、やっぱりそれが間違いなく柊一サンだと解った瞬間、俺はやっぱりココは天国なんじゃないかと思って、もう一回飛び起きそうになった。

「いて~!」
「だから、動いたら駄目だと言ってるだろう」

 スッと伸ばされた腕が俺の肩を掴み、ベッドに身体を横たわらせる。
 柊一サンは、掛布とんを直してくれてから、改めて俺の顔を覗き込んだ。

「絶対安静だと言われたが、傷はさほど深くないらしい。静かにしていれば命に別状ないそうだ」
「柊一サン! なんで柊一サンがココに?」
「残業から帰ってきたら、マンションの前でハルカが倒れていた」

 さっきまではすぐにも柊一サンに謝りたいと思ってたのに、いざそれが出来る状態になったら、セリフが全然思い浮かばない。

「ハルカ」

 改まった調子で声を掛けられて、俺もまた改めて柊一サンに顔を向けた。

「あの時は悪かったな」
「え? あの時……って?」
「俺は、ハルカに酷い事を言いそうだ…とか言ったけど。出て行け…とかって、充分酷い言い様だったと思うし。それ以前に、あんな風に暴力を奮ったりした事も申し訳なかったと思ってる」

 真っ直ぐ俺を見て、真剣に謝罪する柊一サンに、俺は狼狽えた。
 直ぐにもベッドから飛び起きて、土下座でもなんでもしたい気分だって言うのに。
 身体を起こす事もままならない自分が、モノスゴクもどかしかった。

「ちょ………、なんで柊一サンが俺に謝るんだよ? 謝らなきゃイケナイのは、俺の方だよ! あんな手紙を作ったりして、柊一サンをメチャメチャ傷つけて……。本当に、ごめんなさい………」
「確かに、ハルカのやろうとしていた事は間違った事だ。だけどそれは、ハルカが俺の事を本当に心配してくれていたからだって……、一人になって考えて、解ったんだ。…ハルカが、金で奉仕をしてくれる以上に、俺に親身になってくれていた事を知っていた。だけど、自分の事ばっかりが精一杯で、本当の意味でハルカがどれぐらい俺に親身になってくれているか、解っていなかった」

 すうっと伸ばされた手が、俺の額に触れて、髪を撫でる。
 誰より俺を魅了する端正な顔が、間近に寄せられて、綺麗な瞳がジイッと見つめてきて、俺の顔を映している。

「柊一………サン……」

 言いかけた言葉は、柊一サンの薄い口唇に吸い取られた。

「ハルカの命に別状が無くて、良かった。ハルカに謝る前に、ハルカが居なくなったら、俺は人生の後悔の数をまた増やしてしまうところだったから」
「じゃあ、柊一サン、俺の事を許してくれるの?」
「許すもなにも、ハルカは最初からずっと、俺の事だけを考えてくれていただけだろう? 高価な腕時計や、携帯電話を俺のマンションに置きっぱなしにしたりして……。ただビジネスライクに俺に付き合っていただけなら、取り戻す為に手を講じるだろう? ハルカが取りに来ない理由を考えていたら、今までずっとハルカが俺に気を遣ってくれていた事ばかりを思い出したよ」

 柊一サンの優しい眼差しに見つめられたら、なんだか俺はモノスゴク気恥ずかしくなって来てしまった。
 ジゴロで鳴らして、散々パトロン達を泣かせてきた俺が、たった一人のシロウト相手に、まるでガキみたいに………。

「いやだな、柊一サン。そんなの、ジゴロの手口に決まってるでしょ」

 とにかく焦って狼狽えた末に、俺は心にもない事を口にする。
 だけど柊一サンは、そんな俺の意地っ張りを見抜いているみたいに、優しい顔で微笑んでいた。

「軽口叩いてくれるぐらいなら、安心だ。でも、聞けばあの加害者はただの通り魔じゃなくて、ハルカに怨恨があるらしいじゃないか? ちゃんと向こうに謝って、もう二度と路上で刺されるような事が無いように気をつけるんだぞ」

 慌てて言い繕おうとした時、扉にノックの音がした。
 柊一サンは身体を起こして、返事をしながら扉を開ける。
 そしてしばらくそこで話をしてから、扉を閉じて戻ってきた。

「看護師さんが、俺はそろそろ帰ってくれってさ」
「ええっ、柊一サン、帰っちゃうの?」
「バカ、そんな心細そうな顔をするな。いい大人のクセに。おとなしくしていれば、1週間ぐらいで退院になるから、ちゃんと治療に専念するんだぞ。俺も、仕事帰りに出来るだけ寄るようにするから」
「はぁい」

 身支度を調えた後、柊一サンは俺の頭に手を乗せて、ぽんぽんと軽く叩いてから部屋を出て行った。

 モノスゴイ偶然のなせる技で、俺は奇跡的に柊一サンとの再会(?)を果たし、しばらくはその浮かれ気分を満喫していたが。
 麻酔から覚めたばかりでは、さほど眠くもならず、どうやら柊一サンが手配してくれたらしい病室はありがたい個室で、人の気配を感じる事はない。
 オマケに自力で起き上がる事も出来ない…とあっては、後はただ天井を眺めている他にする事はなかった。
 柊一サンが俺の元に戻ってくれたのは、確かにモノスゴク嬉しかったし、それはもう諸手を挙げて大喜びするような一大ニュース…だったけれど。
 だけどその反面で、俺は考えてしまったのだ。
 あんな風に、一方的に俺が悪い状況でさえ、柊一サンは自分の非を認めて、俺に謝罪をしてくれた。
 柊一サンを失った時に、俺は生まれて初めて酷い喪失感と挫折感、それに絶望感を味わった。
 柊一サンに出逢う前、俺がコドランに別れを切り出した時に、コドランに殴られて入院した。
 あの時は、ココとは比べものにならない大部屋だったけれど、似たような病院の天井を眺めて、ずうっとコドランの無礼に対して腹を立てていたけど。
 でも、今は。
 柊一サンに言われた事も堪えたけど、俺はようやく、自分が殴られたり刺されたりした本当の意味に気がついたのだ。
 俺は正義のつもりで、多聞氏にブラックメールを送ろうとした。
 だけど本当は、柊一サンに大事に想って貰えるアイツが羨ましかっただけなんだ。
 そんなのは、正義なんかじゃない。
 俺はただ、自分に都合良く正義という言葉を振り回していただけで、ただの私怨だったんだ。
 それと同じように。
 俺は俺の都合だけで、コドランを切り捨てた。
 そんな風にされれば、誰だって腹を立てる。
 俺は自分自身で「社会のダニ」なんて自嘲気味に名乗っていたけど、本当のところ自分がどれくらいクズかなんて、全然自覚してなかったんだ。
 腹が立つけど、全くグチ金の言う通り、俺は自分の愚かさで柊一サンを失い、そして路上で腹を刺された。
 だけどグチ金は、一つだけ間違っていた。
 柊一サンはグチ金に口説かれたりはしないし、あまつさえ俺を許してさえくれた。
 もしここで悔い改めなかったら、俺はダニやクズ以下のロクデナシだ。
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