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第1話
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店の扉の開閉音に向けた視線が、そのままそこで止まってしまった。
色白の肌に、目を引く美貌。
そして、場違いなほどビジネス然としたファッション。
でも、身につけているスーツもタイも、提げているバッグや靴まで、いかにもビジネスマンです! ってカタチをしながらも、さりげなく高価なブランド品だと解る。
しかし、それらの品々を全く自然に着こなしている様子も、扉から入ってきた時の猫を彷彿させるしなやかな身のこなしも、場にいる面々の目線を釘付けにするカリスマ性があった。
だがこのベッピンが店内を見回した目線には、このテの店に初めて足を運んだ戸惑いがありありしている。
ドコの雑誌を頼りに来たのか知らないが、こんなウブい美人なんて、俺にとっちゃカモがネギと金無垢の鍋まで抱えてやってきたようなものだった。
「よかったら、ここへどうぞ」
所在なげな相手に、すかさず笑顔を向けて、自分の隣の席へ招き寄せる。
実に大人っぽい、落ち着いた雰囲気の美人だ。
だが俺の勧めるままカウンターのスツールに腰を降ろしながらも、なんとなく定まらない視線が、この場に対する彼の不慣れさを俺に確信させた。
周囲の常連達は、善人だが小市民で排他的だから、新入りにはなかなか馴染まない。
興味の視線を向けられても決して目を合わせてくれない連中に囲まれては、新参の客がジゴロの下心に気付く余地もない。
この店の常連どもは俺の事を「ウブい子羊を毒牙にかけるアコギな野郎」なんて言ってるが、そんなコトを言ってる自分達こそが、実は俺の仕事の一番のサポーターなのだから、皮肉なモンだ。
隣に座ったベッピンさんも、よそよそしい周囲の空気に押されて、次第に俺の笑顔のみを頼る様子になっていた。
「土曜の夜に一人っきりだなんて、どうしたの? カレシとケンカでもした?」
「別に。そんな相手は、最初からいないから…」
目線で頼むと、マスターは肩をすくめつつも、美人の前に特製のカクテルを寄越してくれた。
「まだ注文してないが…?」
「コレは俺の奢り。ねぇ名前教えてよ。俺はここの常連でハルカって言うんだ」
「あ…、えと…、俺は柊一だ」
「柊一サン、ここらは初めてでしょ? 俺は柊一サンみたいな美人なら、一度見れば絶対忘れないからね」
言いながら、さりげなく身体を寄せて、俺は柊一サンの腰に手を回した。
柊一サンはやや驚いたように俺の顔を見たが、店内を見回せば、ボックス席では辺りを憚る事もなく熱心に睦み合っているカップルもいるくらいで、並んで座っている者が相手の腰を抱くぐらい、どうという事もないのが解ったのだろう。
抗うような様子は、すぐに消えた。
でも、どうやらこういう事にも全く為れてないらしく、伏せた睫毛は躊躇と混乱に微かに震え、蒼白くすら見える肌がほんのりと赤く染まっている。
そんなしおらしい様子に、俺はかなりの期待を抱きかけたが、慌ててココロの中にブレーキを掛ける。
なんたって先日まで付き合っていたパトロンも、見栄はかなり俺の好みに叶っていたからだ。
色白で細面のルックスも、ちょっと強気な眼差しも、結構イイ線いってたし。
持ち物もやっぱり金の掛かったブランド品だったけど、実は経済的には無理して保っているファッションだった。
もちろんそんなだから、俺の実入りも少なかった。
だが、そんなコトは大して珍しい事じゃない。
そう言う場合は、数人のパトロンを掴むのがこの商売のコツだが、しかし件のパトロンは実はとんでもないヤキモチ焼きだった。
俺が商売に身を入れると、邪魔をするのに血道を上げるようなタイプで、オマケに甘えん坊のM気質だから、それこそ半日に1度の電話と1時間に1回のメールを欠かかすと、被害妄想激しくなじってくる。
ベッドを共にしても旨味はほとんど無くて、件のM気質故にそうした行為をねだってくるのに、ちょっと加減を間違えるとすぐに拗ねて泣かれたりするのにも、ほとほとうんざりした。
だから、手持ちの軍資金が無くなった…と聴かされた時は、ある意味さっぱりしたぐらいだ。
しかし向こうはそれで終わりにする気など無く、俺にビジネス抜きで付き合って欲しいと申し出てきた。
だが俺にしてみれば、先方を好ましく思う部分はギリギリで顔だけ…ってな状況だったので、出資が出ている間は仕事に徹してちやほやしてやったが、縁の切れ目が訪れてしまったので申し出は丁重にお断りした。
だが、先方は俺の丁重なお断りを簡単には受け入れてくれず、散々俺の商売の邪魔をしてくれたあげくに、最後の最後は「このクソヤロウ!」と言う、捨て台詞を叫びながら俺の左頬を拳でブン殴ってくれた。
まさかそんな事をされるなんて予期していなかった俺は、バッチリど真ん中のストレートを喰らったのだ。
当たり前だが、どんなにほっそりとしていたって、相手は成人男子だ。
渾身の一撃はそれなりの破壊力を持って、俺の身体を吹っ飛ばした。
全く、打ち所…というのはオソロシイモノで、自分でもどうやったらそんなコトが出来るのか? と不思議に思うのだが、吹っ飛ばされて転んだ拍子に、俺は左腕と肋骨を骨折して入院せざるをえなくなってしまったのだ。
当たり前だが、こんな商売をやっている俺に、貯金なんてある訳が無い。
もちろん、保険だって掛けてない。
入院費で有り金をほとんど使い果たし、ついでに借金まで出来てしまった。
そんなワケで、俺はこのベッピンさんに対してもちょっと警戒していたのだが。
腰骨から太腿へ、軽くなぞるように手を動かしただけで、困惑したように身を強張らせている。
その初々しい様子がまた、なんともそそってくれて、楽しい。
「もしかして、初めて?」
「べ…別に…そんな事は……」
慌てて強がる様子が、ますますもって可愛らしい。
「隠さなくても、いいよ。恥ずかしい事じゃない」
「本当に、隠してなんか……っ」
意固地になる柊一サンに微笑みかけて、俺は口唇が耳朶に触れそうなほど近づくと、低く囁いた。
「そんなに、緊張してたら判っちゃうよ?」
ぎゅうっと全身に力が込められて、俯いた彼が瞼を閉じているのが見える。
そんなぎこちない様子がますます好ましく見えて、気付けば俺はもう警戒する事などすっかり放棄して、目の前のベッピンさんにワクワクしていた。
「この店、出ない? ここは人目が多すぎて、くつろげないからさ」
腰に回していた腕を解いて、俺は彼の顎に手を掛けるとそっとこちらに向かせる。
戸惑っている瞳がゆらゆらと揺れて、それからほとんど判らないほどちいさく首が上下に揺れた。
色白の肌に、目を引く美貌。
そして、場違いなほどビジネス然としたファッション。
でも、身につけているスーツもタイも、提げているバッグや靴まで、いかにもビジネスマンです! ってカタチをしながらも、さりげなく高価なブランド品だと解る。
しかし、それらの品々を全く自然に着こなしている様子も、扉から入ってきた時の猫を彷彿させるしなやかな身のこなしも、場にいる面々の目線を釘付けにするカリスマ性があった。
だがこのベッピンが店内を見回した目線には、このテの店に初めて足を運んだ戸惑いがありありしている。
ドコの雑誌を頼りに来たのか知らないが、こんなウブい美人なんて、俺にとっちゃカモがネギと金無垢の鍋まで抱えてやってきたようなものだった。
「よかったら、ここへどうぞ」
所在なげな相手に、すかさず笑顔を向けて、自分の隣の席へ招き寄せる。
実に大人っぽい、落ち着いた雰囲気の美人だ。
だが俺の勧めるままカウンターのスツールに腰を降ろしながらも、なんとなく定まらない視線が、この場に対する彼の不慣れさを俺に確信させた。
周囲の常連達は、善人だが小市民で排他的だから、新入りにはなかなか馴染まない。
興味の視線を向けられても決して目を合わせてくれない連中に囲まれては、新参の客がジゴロの下心に気付く余地もない。
この店の常連どもは俺の事を「ウブい子羊を毒牙にかけるアコギな野郎」なんて言ってるが、そんなコトを言ってる自分達こそが、実は俺の仕事の一番のサポーターなのだから、皮肉なモンだ。
隣に座ったベッピンさんも、よそよそしい周囲の空気に押されて、次第に俺の笑顔のみを頼る様子になっていた。
「土曜の夜に一人っきりだなんて、どうしたの? カレシとケンカでもした?」
「別に。そんな相手は、最初からいないから…」
目線で頼むと、マスターは肩をすくめつつも、美人の前に特製のカクテルを寄越してくれた。
「まだ注文してないが…?」
「コレは俺の奢り。ねぇ名前教えてよ。俺はここの常連でハルカって言うんだ」
「あ…、えと…、俺は柊一だ」
「柊一サン、ここらは初めてでしょ? 俺は柊一サンみたいな美人なら、一度見れば絶対忘れないからね」
言いながら、さりげなく身体を寄せて、俺は柊一サンの腰に手を回した。
柊一サンはやや驚いたように俺の顔を見たが、店内を見回せば、ボックス席では辺りを憚る事もなく熱心に睦み合っているカップルもいるくらいで、並んで座っている者が相手の腰を抱くぐらい、どうという事もないのが解ったのだろう。
抗うような様子は、すぐに消えた。
でも、どうやらこういう事にも全く為れてないらしく、伏せた睫毛は躊躇と混乱に微かに震え、蒼白くすら見える肌がほんのりと赤く染まっている。
そんなしおらしい様子に、俺はかなりの期待を抱きかけたが、慌ててココロの中にブレーキを掛ける。
なんたって先日まで付き合っていたパトロンも、見栄はかなり俺の好みに叶っていたからだ。
色白で細面のルックスも、ちょっと強気な眼差しも、結構イイ線いってたし。
持ち物もやっぱり金の掛かったブランド品だったけど、実は経済的には無理して保っているファッションだった。
もちろんそんなだから、俺の実入りも少なかった。
だが、そんなコトは大して珍しい事じゃない。
そう言う場合は、数人のパトロンを掴むのがこの商売のコツだが、しかし件のパトロンは実はとんでもないヤキモチ焼きだった。
俺が商売に身を入れると、邪魔をするのに血道を上げるようなタイプで、オマケに甘えん坊のM気質だから、それこそ半日に1度の電話と1時間に1回のメールを欠かかすと、被害妄想激しくなじってくる。
ベッドを共にしても旨味はほとんど無くて、件のM気質故にそうした行為をねだってくるのに、ちょっと加減を間違えるとすぐに拗ねて泣かれたりするのにも、ほとほとうんざりした。
だから、手持ちの軍資金が無くなった…と聴かされた時は、ある意味さっぱりしたぐらいだ。
しかし向こうはそれで終わりにする気など無く、俺にビジネス抜きで付き合って欲しいと申し出てきた。
だが俺にしてみれば、先方を好ましく思う部分はギリギリで顔だけ…ってな状況だったので、出資が出ている間は仕事に徹してちやほやしてやったが、縁の切れ目が訪れてしまったので申し出は丁重にお断りした。
だが、先方は俺の丁重なお断りを簡単には受け入れてくれず、散々俺の商売の邪魔をしてくれたあげくに、最後の最後は「このクソヤロウ!」と言う、捨て台詞を叫びながら俺の左頬を拳でブン殴ってくれた。
まさかそんな事をされるなんて予期していなかった俺は、バッチリど真ん中のストレートを喰らったのだ。
当たり前だが、どんなにほっそりとしていたって、相手は成人男子だ。
渾身の一撃はそれなりの破壊力を持って、俺の身体を吹っ飛ばした。
全く、打ち所…というのはオソロシイモノで、自分でもどうやったらそんなコトが出来るのか? と不思議に思うのだが、吹っ飛ばされて転んだ拍子に、俺は左腕と肋骨を骨折して入院せざるをえなくなってしまったのだ。
当たり前だが、こんな商売をやっている俺に、貯金なんてある訳が無い。
もちろん、保険だって掛けてない。
入院費で有り金をほとんど使い果たし、ついでに借金まで出来てしまった。
そんなワケで、俺はこのベッピンさんに対してもちょっと警戒していたのだが。
腰骨から太腿へ、軽くなぞるように手を動かしただけで、困惑したように身を強張らせている。
その初々しい様子がまた、なんともそそってくれて、楽しい。
「もしかして、初めて?」
「べ…別に…そんな事は……」
慌てて強がる様子が、ますますもって可愛らしい。
「隠さなくても、いいよ。恥ずかしい事じゃない」
「本当に、隠してなんか……っ」
意固地になる柊一サンに微笑みかけて、俺は口唇が耳朶に触れそうなほど近づくと、低く囁いた。
「そんなに、緊張してたら判っちゃうよ?」
ぎゅうっと全身に力が込められて、俯いた彼が瞼を閉じているのが見える。
そんなぎこちない様子がますます好ましく見えて、気付けば俺はもう警戒する事などすっかり放棄して、目の前のベッピンさんにワクワクしていた。
「この店、出ない? ここは人目が多すぎて、くつろげないからさ」
腰に回していた腕を解いて、俺は彼の顎に手を掛けるとそっとこちらに向かせる。
戸惑っている瞳がゆらゆらと揺れて、それからほとんど判らないほどちいさく首が上下に揺れた。
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