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第7話
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ゴタゴタしたものの、ツアーを無事にやり過ごし、多聞は短い休暇の後にアルバム制作に入った。
レコーディングスタジオには、最近好んで連れているバックバンドのメンバーを揃え、比較的機嫌の良い状態で仕事は進んでいた。
「よぅ、ショーゴ。良く来てくれたな、嬉しいよ」
スタジオに入ってきた痩せ型の男に、嬉しそうな笑顔を向ける。
ベーシストである松原章吾は、古株の馴染みでもあった。
「まーな。また以前みたいな仕事だったら、断るつもりだったけど、今回はオマエのアルバムだってゆーからさ」
「この間の仕事、そんなに悪かったかぁ? 手伝って貰った女のコのシングル、売れたじゃん。ショーゴのところにだって、それなりに美味しいモノが回ってったと思うけど?」
多聞の言葉に、松原は顔をしかめて見せた。
「金の問題じゃねェんだよ。そりゃあ、俺だって金が欲しくないとは言わねェ。でも、それ以前に俺は音楽を作りてェの。食いっぱぐれたって、あんなカオと鼻声だけが売りのゴミみたいな歌手の後ろで演りたかねェのさ」
「おいおいショーゴ、オマエまだ解ってねェの? 重要なのは俺やショーゴの名前なんだぜ? あんな小娘、どんなにプッシュしたって、バックに名前が無けりゃ売れねェんだし。ゴミがダイヤに変わるかどーかは、全部俺達のチカラなんだっつーのに。…でもま、そんなコト今更どーでも良いや。どーせこの手の話題じゃ、俺とショーゴは平行線なんだし、元はといえば、そこで衝突したから一緒にやってけなくなったんだしさ」
「ああ、そうだ」
一つ溜息をついて、松原は肩から自分の楽器を降ろした。
多聞の事は、嫌いではない。
むしろその音才や、ギタリストとしての技術は、真面目に尊敬すらしている。
しかし松原は多聞という人間の人格については、最低の評価を下していた。
この音楽業界に君臨した多聞は、今や、自分より格下だと評価した人間に対しては、容赦なく尊大な専制君主と成り果てている。
多聞は松原のベーシストとしての手腕を高く買ってくれているから、松原自身を無碍に扱うような事はしない。
だから、頼まれればこうして仕事を手伝う事もある。
けれど、多聞の横暴さを端で見聞きし続けていると、一緒にいる事が耐え難いほど不快になってしまう。
もしもそういうものが自分に向けられたら、長年の腐れ縁も友情も、キレイサッパリ掻き消えてしまう事だろう…。
そんな事を頭の隅で考えながら、松原はチューニングの傍ら、渡された楽譜のチェックを始めた。
「今回、結構ノッててさ。パパッて詞が書けちゃったんだけど。悪くないだろ?」
脇に立ち、朗らかにそう言った多聞を上目遣い見やり、松原は幾つかのコードを押さえる。
「確かに、悪かねェ、な」
「なんだい、引っかかる言い方するね」
「引っかかるつーか…。オマエの書く詞ってさ、いつもそれなりにイッちゃってるって、解っちゃいるんだけど…」
「ヒデー言いようだな」
不満そうに口を尖らせる相手に、松原はベースから手を離し、改めてきちんと多聞を見上げた。
「今回の曲、どれにもこれにも『天使』って歌詞だらけじゃん。言葉のエッセンスなんて次元を超えて、こりゃもう乱用って感じだぜ」
「でも、他の誰もそんなコト言わなかったぜー」
益々不満な顔をする多聞に、松原は何とも言えない表情になる。
今、このスタジオに集まっている人間で、多聞に進言できる者などいない。
もっと正確に言えば、多聞に向かって歯に衣着せぬ発言をする松原という人間を、快く思ってない者までいるのである。
ただ、中傷であれ提案であれ、それを多聞に進言出来ないので、松原を排除する事も出来はしないのだが。
「…ま、オマエのアルバムだし、オマエが仕切ってるんだし、オマエが気にならないなら俺には関係ないけどな」
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、ショーゴちゃん。そーゆー言い方はないだろー? 俺は別に、人の意見が聞けないよーな、器の小っこい人間じゃないんだぜ?」
多聞の台詞に、松原は一瞬なにも言えなくなったが、とりあえず気を取り直して楽譜を手に取った。
「俺が言うまでもないと思うが、『天使』って単語が今ココにある紙面の中に5箇所もあるんだぜ? 今回仕上げてきた歌詞全部数えたら、一体何カ所入ってると思う?」
「う…ん、言われてみりゃあ、そーかもしんないケド…」
「あのさ、オマエまた若い女の子のプロデュースするって話じゃんか。そのコ、そんなに可愛いのか?」
「別に…、フツーの女の子だぜ。なんでそんなこと急に…」
「また、ベッドに呼んだのかよ?」
「なんだよショーゴ、とーとつに説教か?」
多聞がムッとした顔をしてみせるのに構わず、松原は思った事を口に出した。
「そーじゃねェよ。でもさ、言いたかないけど、オマエの書く詞って、よーするにオマエの日記じゃん。オマエの周りの現実が、そのまま歌詞になって出て来ちゃうだろ。こー天使天使並べ立ててるってコトは、今オマエが『天使』に見えるようなオンナと付き合ってるとしか思えねェからさ」
言葉を濁せば通じないのだから、持って回った言い方をして余計な時間を掛けるだけ無駄な事だ。
「それって、俺の作詞能力をバカにしてんの?」
「いーや。歌詞なんてモンは、オマエに限らず、多かれ少なかれ書いたヤツの日記だ。ってーのが俺の持論なの」
「なんか、ムカつくなぁ」
「そんなこたぁどーでもいーんだよ。それで? タクミちゃんとの離婚も成立していないウチから、もう新しいオンナこさえたのか?」
「ちぇ…。なんだよ、ショーゴまで巧実の味方かよ…」
ふてくされてそっぽを向く多聞の横顔を見て、思わず大きな溜息が出る。
「子供か、オマエは! 話を逸らすなよ。それとももうこの話は止めて、詞もこのまま使うのか? 言っとくが、俺はこのままでも一向構わねェんだし、後の連中は最初から文句もねェんだろ?」
「別に、…今はつきあってるコなんていないケド…」
話題を打ち切りたくないらしく、多聞はモニョモニョと口ごもっている。
「ケド、なんだよ?」
「実は…さぁ、夢の中に天使が出て来るんだよ」
「なにそれ? 女学生かオマエは」
「茶化すなよ。マジで夢占いとかに行こうかと思ってるくらいなんだから。たださ、見も知らねェヤツにいきなりこんなコト相談するのも、不味いんじゃねェかと思って…。なぁショーゴ、奢るから、つきあってくんないかな。俺、この話は酒でも飲みながらじゃないと話せそうになくてさぁ…」
”ハァーッ” と、自分でも驚くほど露骨な溜息が、松原の口から転がり出てきてしまった。
多聞の『相談事』なんて、きっとまた『自分勝手な繰り言』を聞かされるだけだろう。
天使の夢だなんて、バカバカしいにも程がある!
なのに、それが解っていても結局付き合ってしまう自分にも、かなり呆れていたので、松原は肩を竦め、ぶっきらぼうに「ああ」と一言、頷き返しただけだった。
レコーディングスタジオには、最近好んで連れているバックバンドのメンバーを揃え、比較的機嫌の良い状態で仕事は進んでいた。
「よぅ、ショーゴ。良く来てくれたな、嬉しいよ」
スタジオに入ってきた痩せ型の男に、嬉しそうな笑顔を向ける。
ベーシストである松原章吾は、古株の馴染みでもあった。
「まーな。また以前みたいな仕事だったら、断るつもりだったけど、今回はオマエのアルバムだってゆーからさ」
「この間の仕事、そんなに悪かったかぁ? 手伝って貰った女のコのシングル、売れたじゃん。ショーゴのところにだって、それなりに美味しいモノが回ってったと思うけど?」
多聞の言葉に、松原は顔をしかめて見せた。
「金の問題じゃねェんだよ。そりゃあ、俺だって金が欲しくないとは言わねェ。でも、それ以前に俺は音楽を作りてェの。食いっぱぐれたって、あんなカオと鼻声だけが売りのゴミみたいな歌手の後ろで演りたかねェのさ」
「おいおいショーゴ、オマエまだ解ってねェの? 重要なのは俺やショーゴの名前なんだぜ? あんな小娘、どんなにプッシュしたって、バックに名前が無けりゃ売れねェんだし。ゴミがダイヤに変わるかどーかは、全部俺達のチカラなんだっつーのに。…でもま、そんなコト今更どーでも良いや。どーせこの手の話題じゃ、俺とショーゴは平行線なんだし、元はといえば、そこで衝突したから一緒にやってけなくなったんだしさ」
「ああ、そうだ」
一つ溜息をついて、松原は肩から自分の楽器を降ろした。
多聞の事は、嫌いではない。
むしろその音才や、ギタリストとしての技術は、真面目に尊敬すらしている。
しかし松原は多聞という人間の人格については、最低の評価を下していた。
この音楽業界に君臨した多聞は、今や、自分より格下だと評価した人間に対しては、容赦なく尊大な専制君主と成り果てている。
多聞は松原のベーシストとしての手腕を高く買ってくれているから、松原自身を無碍に扱うような事はしない。
だから、頼まれればこうして仕事を手伝う事もある。
けれど、多聞の横暴さを端で見聞きし続けていると、一緒にいる事が耐え難いほど不快になってしまう。
もしもそういうものが自分に向けられたら、長年の腐れ縁も友情も、キレイサッパリ掻き消えてしまう事だろう…。
そんな事を頭の隅で考えながら、松原はチューニングの傍ら、渡された楽譜のチェックを始めた。
「今回、結構ノッててさ。パパッて詞が書けちゃったんだけど。悪くないだろ?」
脇に立ち、朗らかにそう言った多聞を上目遣い見やり、松原は幾つかのコードを押さえる。
「確かに、悪かねェ、な」
「なんだい、引っかかる言い方するね」
「引っかかるつーか…。オマエの書く詞ってさ、いつもそれなりにイッちゃってるって、解っちゃいるんだけど…」
「ヒデー言いようだな」
不満そうに口を尖らせる相手に、松原はベースから手を離し、改めてきちんと多聞を見上げた。
「今回の曲、どれにもこれにも『天使』って歌詞だらけじゃん。言葉のエッセンスなんて次元を超えて、こりゃもう乱用って感じだぜ」
「でも、他の誰もそんなコト言わなかったぜー」
益々不満な顔をする多聞に、松原は何とも言えない表情になる。
今、このスタジオに集まっている人間で、多聞に進言できる者などいない。
もっと正確に言えば、多聞に向かって歯に衣着せぬ発言をする松原という人間を、快く思ってない者までいるのである。
ただ、中傷であれ提案であれ、それを多聞に進言出来ないので、松原を排除する事も出来はしないのだが。
「…ま、オマエのアルバムだし、オマエが仕切ってるんだし、オマエが気にならないなら俺には関係ないけどな」
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、ショーゴちゃん。そーゆー言い方はないだろー? 俺は別に、人の意見が聞けないよーな、器の小っこい人間じゃないんだぜ?」
多聞の台詞に、松原は一瞬なにも言えなくなったが、とりあえず気を取り直して楽譜を手に取った。
「俺が言うまでもないと思うが、『天使』って単語が今ココにある紙面の中に5箇所もあるんだぜ? 今回仕上げてきた歌詞全部数えたら、一体何カ所入ってると思う?」
「う…ん、言われてみりゃあ、そーかもしんないケド…」
「あのさ、オマエまた若い女の子のプロデュースするって話じゃんか。そのコ、そんなに可愛いのか?」
「別に…、フツーの女の子だぜ。なんでそんなこと急に…」
「また、ベッドに呼んだのかよ?」
「なんだよショーゴ、とーとつに説教か?」
多聞がムッとした顔をしてみせるのに構わず、松原は思った事を口に出した。
「そーじゃねェよ。でもさ、言いたかないけど、オマエの書く詞って、よーするにオマエの日記じゃん。オマエの周りの現実が、そのまま歌詞になって出て来ちゃうだろ。こー天使天使並べ立ててるってコトは、今オマエが『天使』に見えるようなオンナと付き合ってるとしか思えねェからさ」
言葉を濁せば通じないのだから、持って回った言い方をして余計な時間を掛けるだけ無駄な事だ。
「それって、俺の作詞能力をバカにしてんの?」
「いーや。歌詞なんてモンは、オマエに限らず、多かれ少なかれ書いたヤツの日記だ。ってーのが俺の持論なの」
「なんか、ムカつくなぁ」
「そんなこたぁどーでもいーんだよ。それで? タクミちゃんとの離婚も成立していないウチから、もう新しいオンナこさえたのか?」
「ちぇ…。なんだよ、ショーゴまで巧実の味方かよ…」
ふてくされてそっぽを向く多聞の横顔を見て、思わず大きな溜息が出る。
「子供か、オマエは! 話を逸らすなよ。それとももうこの話は止めて、詞もこのまま使うのか? 言っとくが、俺はこのままでも一向構わねェんだし、後の連中は最初から文句もねェんだろ?」
「別に、…今はつきあってるコなんていないケド…」
話題を打ち切りたくないらしく、多聞はモニョモニョと口ごもっている。
「ケド、なんだよ?」
「実は…さぁ、夢の中に天使が出て来るんだよ」
「なにそれ? 女学生かオマエは」
「茶化すなよ。マジで夢占いとかに行こうかと思ってるくらいなんだから。たださ、見も知らねェヤツにいきなりこんなコト相談するのも、不味いんじゃねェかと思って…。なぁショーゴ、奢るから、つきあってくんないかな。俺、この話は酒でも飲みながらじゃないと話せそうになくてさぁ…」
”ハァーッ” と、自分でも驚くほど露骨な溜息が、松原の口から転がり出てきてしまった。
多聞の『相談事』なんて、きっとまた『自分勝手な繰り言』を聞かされるだけだろう。
天使の夢だなんて、バカバカしいにも程がある!
なのに、それが解っていても結局付き合ってしまう自分にも、かなり呆れていたので、松原は肩を竦め、ぶっきらぼうに「ああ」と一言、頷き返しただけだった。
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