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第9話
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どれくらい走ったのか、俺自身にも解らない。
夢中で走ったから、俺が走り抜けた場所に居合わせてしまった人達を、多少驚かせてしまったかもしれない。
悲鳴にも似た歓喜の咆吼は、ずいぶん前に途切れてしまっていたけれど。
でも俺には、その声を追う事が出来た。
それは初めて彼と出逢った夜、俺に向かって上げられた悲鳴と同じものだった。
この世界のどこにいたって、どんなに離れていたって、俺には彼を見つけだす事が出来る。
たどり着いた小綺麗なマンションの前で、俺は静かに目を閉じた。
彼の気配が濃厚に漂っている。
俺は地面を蹴ると、三階のベランダに足をかけ、それから彼が居る筈の六階のベランダへと身体を移した。
窓の中は真っ暗だったが、暗闇に安堵する俺にとっては、むしろ都合がいいくらいだ。
サッシの鍵など、手をかざす事で簡単に外れた。
室内に足を踏み込むと、彼の気配はますます強くなった。
それと同時に耳に聞こえた、荒い息と呻くような声。
獣じみた呼吸に不審を抱きつつも、俺は、その声に導かれ、足を運んだ。
扉が半分開いたままの、寝室と思わしき部屋。
このフロアの中で、唯一生物の気配がしているその部屋に足を踏み入れ、俺は息を呑んだ。
部屋中に散乱しているこの汚物はなんなのだろうか?
冷えて固まりかけているけれど、ヌルリとした独特の感触。
俺にはあまりにも馴染み深い、錆びたようなこの匂い。
部屋の有様は、まるで血液でいっぱいに満たした特大の風船を、景気良く破裂させたかのようだった。
その風船に該当する人間の残骸は、見る影もなくベトベトになってしまったセミダブルサイズのベッドの上にかろうじて見えた。
そのバラバラな元・人間の屍の上に、馬乗りになっている人影。
俺はその人物にそっと近寄ろうとして、床に広がっている血だまりにうっかり足を滑らせた。
よろめいた拍子に、電気スタンドを倒して転がしてしまう。
ハッとなった時には、ベッドの上に蹲っていた影が俺に向かって躍りかかっていた。
あまりに敏捷な動きに、そのまま尖った爪の餌食になりそうになったが、辛うじて攻撃を避けた。
俺を引き裂き損ねて振り返った人物は、闇の中でもハッキリ判る程、双眸が金色に光っている。
それは、まごうことなき俺の最愛の彼だった。
威嚇するかのように剥き出した牙は血に濡れていて、端正な顔に凶暴な獣の表情を浮かべた彼は、まるっきり映画に出てくる狼男みたいな様子だったが。
ありがたい事に、野暮ったく顔中毛を生やしていたり、シリから尻尾を垂らしたりはしていなかった。
返り血に染まったシャツが引き裂かれていて、胸元まではだけていたが、その肌はやはり白く滑らかなままだ。
ただ構えた両手の爪だけが人間離れした鋭利な形に変形していて。
そして動きもまた、獣じみた敏捷なものになっていた。
彼は俺を敵と判断したらしく、金色の瞳にますますギラギラとした光を浮かべ、低い唸り声を上げた。
何があったのか解らない。
彼が何者なのかも解らない。
でもどうすればいいのかは解っていた。
俺が隙を見せた途端、間髪入れずに襲いかかってきた彼。
それが、罠だと気づきもしないで。
俺は彼の一撃を余裕でかわして、みぞおちに拳を打ち込んだ。
崩れ落ちる身体を支え、しっかりと抱え上げてから、俺は改めて室内を見回してみる。
掴んだ状況は、もう既に人間なのかも判らない程グチャグチャになっているベッドの上の残骸が、どうやらシラトリ氏らしいという事だけだった。
この汚物を一目で元・シラトリ氏だと判断出来るのは、超人である俺くらいのものだ。
ここまでバラバラにされてしまっていたら、腕のイイ検死官ですら相当手こずる事だろう。
なぜならこの残骸は、人間としてのパーツの大半を食われてしまっていて、残っている部分の方が少ないくらいだった。
俺が推測したこの場の状況は、こんなようなものだ。
つまり……忘年会という酒宴の席で彼を酔わせたシラトリ氏は、邪な欲望を満たす為に、彼を自宅に連れ帰ったのだろう。
そしてベッドルームに連れ込む事には成功したものの、本来の姿を取り戻した彼に食われてしまった…といったところか。
俺にとっては不快な邪魔者でしかなかったシラトリ氏だが、彼の目論見が外れてしまった事については同情を禁じざる得ない。
なぜって、彼が人間じゃなかったなんて、この俺ですら気づいていなかったのだから。
俺の超能力でも彼を見抜く事が出来なかったのは、つまり彼が俺の餌ではなく、俺の同類だったからなのだ。
彼が本来の姿を取り戻した理由は解らない。
でもきっかけなんてのは、どうせつまらない事なんだ。
それに俺にはそんな理由なんてどうでも良い。
彼が俺の同胞であったという、その事実だけで充分だった。
俺は彼を抱え、早々に部屋を出た。
どちらにしろ彼をこのままにしておけない。
本来の姿に戻った彼が再び理性を取り戻した時、この現場にいたら混乱の度が増すだけだ。
それに他の人間にこの現場を発見されれば、彼は間違いなく殺人犯として人間の法に裁かれてしまうだろうし、またこんな精神状態のままで他人に発見されたとしたら、それこそいきなり射殺されるような事になるかもしれない。
人間なんて、自分以外の生き物に対しては全く乱暴な生き物なのだから。
しかしそんな事もまた、どうでもいい。
俺に言わせれば、こんな結果を招いた非は絶対にシラトリ氏の方にあって、奴の死もこの惨状にも大した意味はないのだから。
師走の冷えた空気が一層凍てついていたのは、いつのまにか雨が降っていたからだった。
ベランダに出て通りを見下ろすと、急な水滴に見舞われて、慌てたような人々が、てんでに屋根の下に避難しているのが見える。
でも半裸の、しかも全身に返り血を浴びている彼を人目に晒しながら、屋根の下を選んで帰る事はさすがに出来なかったので…。
俺は濡れながら大事な人を抱えて、民家の屋根伝いに闇を抜け、ねぐらへと帰ったのだった。
夢中で走ったから、俺が走り抜けた場所に居合わせてしまった人達を、多少驚かせてしまったかもしれない。
悲鳴にも似た歓喜の咆吼は、ずいぶん前に途切れてしまっていたけれど。
でも俺には、その声を追う事が出来た。
それは初めて彼と出逢った夜、俺に向かって上げられた悲鳴と同じものだった。
この世界のどこにいたって、どんなに離れていたって、俺には彼を見つけだす事が出来る。
たどり着いた小綺麗なマンションの前で、俺は静かに目を閉じた。
彼の気配が濃厚に漂っている。
俺は地面を蹴ると、三階のベランダに足をかけ、それから彼が居る筈の六階のベランダへと身体を移した。
窓の中は真っ暗だったが、暗闇に安堵する俺にとっては、むしろ都合がいいくらいだ。
サッシの鍵など、手をかざす事で簡単に外れた。
室内に足を踏み込むと、彼の気配はますます強くなった。
それと同時に耳に聞こえた、荒い息と呻くような声。
獣じみた呼吸に不審を抱きつつも、俺は、その声に導かれ、足を運んだ。
扉が半分開いたままの、寝室と思わしき部屋。
このフロアの中で、唯一生物の気配がしているその部屋に足を踏み入れ、俺は息を呑んだ。
部屋中に散乱しているこの汚物はなんなのだろうか?
冷えて固まりかけているけれど、ヌルリとした独特の感触。
俺にはあまりにも馴染み深い、錆びたようなこの匂い。
部屋の有様は、まるで血液でいっぱいに満たした特大の風船を、景気良く破裂させたかのようだった。
その風船に該当する人間の残骸は、見る影もなくベトベトになってしまったセミダブルサイズのベッドの上にかろうじて見えた。
そのバラバラな元・人間の屍の上に、馬乗りになっている人影。
俺はその人物にそっと近寄ろうとして、床に広がっている血だまりにうっかり足を滑らせた。
よろめいた拍子に、電気スタンドを倒して転がしてしまう。
ハッとなった時には、ベッドの上に蹲っていた影が俺に向かって躍りかかっていた。
あまりに敏捷な動きに、そのまま尖った爪の餌食になりそうになったが、辛うじて攻撃を避けた。
俺を引き裂き損ねて振り返った人物は、闇の中でもハッキリ判る程、双眸が金色に光っている。
それは、まごうことなき俺の最愛の彼だった。
威嚇するかのように剥き出した牙は血に濡れていて、端正な顔に凶暴な獣の表情を浮かべた彼は、まるっきり映画に出てくる狼男みたいな様子だったが。
ありがたい事に、野暮ったく顔中毛を生やしていたり、シリから尻尾を垂らしたりはしていなかった。
返り血に染まったシャツが引き裂かれていて、胸元まではだけていたが、その肌はやはり白く滑らかなままだ。
ただ構えた両手の爪だけが人間離れした鋭利な形に変形していて。
そして動きもまた、獣じみた敏捷なものになっていた。
彼は俺を敵と判断したらしく、金色の瞳にますますギラギラとした光を浮かべ、低い唸り声を上げた。
何があったのか解らない。
彼が何者なのかも解らない。
でもどうすればいいのかは解っていた。
俺が隙を見せた途端、間髪入れずに襲いかかってきた彼。
それが、罠だと気づきもしないで。
俺は彼の一撃を余裕でかわして、みぞおちに拳を打ち込んだ。
崩れ落ちる身体を支え、しっかりと抱え上げてから、俺は改めて室内を見回してみる。
掴んだ状況は、もう既に人間なのかも判らない程グチャグチャになっているベッドの上の残骸が、どうやらシラトリ氏らしいという事だけだった。
この汚物を一目で元・シラトリ氏だと判断出来るのは、超人である俺くらいのものだ。
ここまでバラバラにされてしまっていたら、腕のイイ検死官ですら相当手こずる事だろう。
なぜならこの残骸は、人間としてのパーツの大半を食われてしまっていて、残っている部分の方が少ないくらいだった。
俺が推測したこの場の状況は、こんなようなものだ。
つまり……忘年会という酒宴の席で彼を酔わせたシラトリ氏は、邪な欲望を満たす為に、彼を自宅に連れ帰ったのだろう。
そしてベッドルームに連れ込む事には成功したものの、本来の姿を取り戻した彼に食われてしまった…といったところか。
俺にとっては不快な邪魔者でしかなかったシラトリ氏だが、彼の目論見が外れてしまった事については同情を禁じざる得ない。
なぜって、彼が人間じゃなかったなんて、この俺ですら気づいていなかったのだから。
俺の超能力でも彼を見抜く事が出来なかったのは、つまり彼が俺の餌ではなく、俺の同類だったからなのだ。
彼が本来の姿を取り戻した理由は解らない。
でもきっかけなんてのは、どうせつまらない事なんだ。
それに俺にはそんな理由なんてどうでも良い。
彼が俺の同胞であったという、その事実だけで充分だった。
俺は彼を抱え、早々に部屋を出た。
どちらにしろ彼をこのままにしておけない。
本来の姿に戻った彼が再び理性を取り戻した時、この現場にいたら混乱の度が増すだけだ。
それに他の人間にこの現場を発見されれば、彼は間違いなく殺人犯として人間の法に裁かれてしまうだろうし、またこんな精神状態のままで他人に発見されたとしたら、それこそいきなり射殺されるような事になるかもしれない。
人間なんて、自分以外の生き物に対しては全く乱暴な生き物なのだから。
しかしそんな事もまた、どうでもいい。
俺に言わせれば、こんな結果を招いた非は絶対にシラトリ氏の方にあって、奴の死もこの惨状にも大した意味はないのだから。
師走の冷えた空気が一層凍てついていたのは、いつのまにか雨が降っていたからだった。
ベランダに出て通りを見下ろすと、急な水滴に見舞われて、慌てたような人々が、てんでに屋根の下に避難しているのが見える。
でも半裸の、しかも全身に返り血を浴びている彼を人目に晒しながら、屋根の下を選んで帰る事はさすがに出来なかったので…。
俺は濡れながら大事な人を抱えて、民家の屋根伝いに闇を抜け、ねぐらへと帰ったのだった。
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