荒木探偵事務所

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事件簿1:俺と荒木とマッドサイエンティスト

34.意外に意気投合するのかもしれない

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「今回の必要経費ですが…」

 目の前の水神氏は、それでも以前よりははるかに好意的と思われる態度で立ち上がった。
 あのクセのある笑顔は変わらないが、少なくとも部屋に入って一分で追い返されるような事はもう無い。
 霧島は、水神コンツェルン会長室にいる。
 あの後チェロキーで現場を離れた三人は、這々のていで町まで降りた。
 場所が場所だけに、消防車はなかなか現場に辿り着けず、おかげで道を知っている三人のチェロキーは誰にも見られずに道に出る事が出来たのだ。
 それから霧島と荒木の持っている小銭を全部かき集めて水神氏に連絡を取り、なんとか帰ってくる事が出来たのだ。

「旅費と、失った物品の補填、それと治療費。あと礼金を含めて、諸々こちらの金額で納得してもらえると理想的…なんですけどね」

 差し出された明細を見て、霧島は頷いた。
 水神氏との交渉に、相棒を置いてきて正解だと今更ながら思う。

「では、月末までに振り込みするよう、手配しておきましょう」

 水神がインターフォンで秘書にその意志を伝えると、明日までには手続きをするという答えが返ってきた。

「無郎クンは、元気ですか?」

 戻ってきた翌日には、あの頑丈そうな男達を従えた秘書がやってきて、無郎は水神氏の元へ連れ戻されてしまった。
 火事場から逃げ出す車の中のみならず、帰りの行程でもずっと霧島の手を握り続けていた無郎だったが、秘書の迎えにイヤとは言えず、名残惜しそうに車の窓からこちらを見ていた。

「先週から家庭教師をつけました。…この報告書を書いたのは貴方ですか?」
「そうです」
「では貴方は、教授の研究がなにか、お解りなのですね」
「オワカリ…どころか、ちょくで見た上、本人に説明までされちゃいましたから」
「では、無郎が何者かもご存じ」
「…何がおっしゃりたいんです?」

 霧島は不機嫌な顔で水神を見た。
 水神はデスクを離れると、霧島の向かい側のソファに腰を下ろす。

「私は片腕が欲しかったんですよ。私に忠実な、それでいて優秀な、ね」

 水神の顔は、先ほどまでのクセのある笑みではない、もっと悪魔的な笑みに縁取られている。
 それは、ある意味で有郎の、あの狂気染みた笑みに似ているような気がした。

「高見沢氏と知り合ったのは、まだ彼が学会を追放される前の頃です。彼の研究に資金を出し、出来上がった完成品をもらい受ける約束をしたのですが…」
「その前に、逃げられた…と?」
「いえ、アナログな通信方法ですが、教授からの連絡は途切れる事はありませんでした。彼にとって、完成品よりも研究資金の方が大事だったらしく、納期までには必ず引き渡す…と、約束してくれていましたし」

 霧島の脳裏に、無郎に拒絶された後の、有郎の様子が思い浮かぶ。
 そういえば、あの時になぜ人見は有郎を止めに来たのだろう?

「しかし教授は、奇妙なメッセージを最後に、連絡が取れなくなった」
「どんな?」
「あなたの報告書を見て、意味がようやく解りました。教授は、自分自身のコピーに命を狙われている事に気付き、保護を求めてこようとしていたんです」
「ああ、なるほど」
「一度は諦めかけた無郎を、あなた方が私の手元に届けてくれた時は、その幸運に歓喜しました。二度と手放すまいと思いましたが…、無郎にも意志がある事を、思い知らされただけでしたね」

 水神は首をすくめ、今度は叱られた子供のような顔をして見せる。

「しかし、今度の一件で無郎は私の元へ戻ってきました。これからゆっくり学ばせて片腕になってもらいますよ」
「それは解るが、なぜ俺にそんな話を…?」
「簡単な事です。無郎は貴方を好いている。貴方は無郎の秘密を知っている。そして貴方は、事情さえ話せば、私に害をなす人間にはなりえない。私はこれ以上無郎に嫌われる訳にはいかないのでね」
「なるほど」

 霧島は頷くとソファから立ち上がった。

「さすがにその年でその地位についてるだけあるね。さてと、俺はそろそろおいとまする。坊ちゃん、じゃない無郎クンによろしく」
「ああ、霧島さん」

 出ようとした霧島を、水神が引き留めた。

「一つだけ、お伝えしておきたい事が…。あの屋敷の現場検証の件ですが…」
「何か、ありましたか?」
「いえ…、貴方のおっしゃっていたような人物の死体は見つかりませんでした」
「そうですか…」

 有郎の生死を確かめる術を失い、霧島は少し憂鬱に表情を曇らせた。
 それを察したのか、はたまた無郎に危害を加えるかもしれない存在の生死が不明な事に、不安を覚えたのか判らないが、水神氏も表情を曇らせている。

「それと、あの火事とあの屋敷の事は、こちらで全て処理しています。今後そちらになんらかの迷惑が掛かる事はありませんし、そちらも一切他言無用でお願いします」
「解ってるさ。こっちもあんまり思い出したくないしね」

 霧島の言葉に、水神氏も笑った。

「では、ごきげんよう」

 水神氏がインターフォンに手を伸ばすと、以前とは打って変わって好意的な態度で秘書が扉を開けた。礼儀正しく頭を下げる秘書に送られ、霧島は水神のオフィスを後にした。
 エレベーターで地下の駐車場まで降りると、乗ってきた車の傍に人影がある。

「タッキオちゃ~ん!」
「げっ、荒木…」

 ベッドで惰眠を貪っていたので、そっと抜け出してきた。
 もちろん、行き先も告げていない。
 そのはずなのに、この男の嗅覚はどうなっているのか、ニコニコしながら霧島に手を振っている。

「ヒドイよタキオちゃん。一人でインテリ美人とお話しに行くなんてさ。その上コネコちゃんとも会ってたんじゃないのぉ?」
「バァカ、あのメフィストフェレスがそうそう箱入りに会わしてくれる訳ないだろーが」
「どっちにしたってズルイよ。あ~、その上クッキーまでご馳走になったろー。イ~イ匂いさせてェ。僕にも味あわせてちょ~だい」

 いつものように唇を突き出しグイグイと顔を寄せて来たので、霧島もまたいつものように無碍にして、荒木の胸を突いた。

「いっ!」
「?」

 いつもならば懲りもせず、更にひっついてくる荒木が、不意に胸を抑えてその場に蹲る。

「おい、どうした?」
「わ、かんない…、痛くて、苦し…」
「おい、荒木!」

 脂汗をかき、そのままバタリと地面に倒れた荒木に、霧島は狼狽えた。

「しっかりしろ、今医者に連れてってやるからなァ~!」

 狼狽のあまり、救急車を呼ぶと言う発想すらすっぽ抜け、霧島は四駆に荒木を放り込むと、慌てて駐車場を飛び出したのだった。
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