イルン幻想譚

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ep.1:剣闘士の男

7:湖の攻防(1)

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「時間だ、起きたまえ!」

 突然響いたアークの声に、床で寝ていたファルサーはビックリして飛び起きた。

「え………ええっ?」
「準備をしたまえ。食事はそこに用意してある。身支度が整ったら出発する」
「あ、……はい!」

 身支度だの出発だのと言っているが、アークの身なりも様子も昨晩と大差ない。
 どういうつもりでそう言っているのかも分からないまま、ファルサーは用意されていたくだんのパンとスープを慌てて口に詰め込んだ。
 もちろんアークは、特別何かを口にした様子もなく、ファルサーの身支度が整え終わるのを見届けもせずに、スタスタと扉の向こうに出て行ってしまう。

「あの、戸締まりは?」
「必要無い」
「なぜ?」
「君は本当に、質問の多い男だな。私が必要無いと言ったら、必要無い」
「はあ…」

 高圧的と言うか高飛車と言うか、とにかくアークの態度は一貫して権高く、取り付く島が無い。
 岩肌が剥き出しの傾斜が厳しい山道を、アークはなんの苦もなくスタスタ歩いてくだって行く。
 剣闘士グラディエーターの質素な装備しか身に付けていないファルサーは、足元はサンダルを履いているが、悪路を上り下りするのに苦労している。
 一方アークは、足全部を包むような黒い革製の靴を履いているようだが、それだとて特別登山に向いているとは言い難いだろう。
 その様子から、アークの身体能力の優秀さを垣間見たような気がした。

 麓の町には、まだが昇り始める前の、薄っすらと朝もやの掛かった頃に到着した。
 当然、町のものは皆まだ寝静まっていて、湖までの道のりで人に会うことも無い。
 アークは黙々と町を突っ切り、湖畔の波打ち際まで真っ直ぐに突き進んだ。
 そして波打ち際で立ち止まると、スッと屈んで水面の端に手を触れる。
 パキパキと奇妙な音がすると思った時には、その音は大音響に変わっていて、湖面が見る間に銀盤へと変化した。

「早くこちらに来たまえ」

 驚いている暇もなく、ファルサーは慌ててアークのそばに駆け寄った。

「これから、湖面を一気に駆け抜ける。君はせいぜい自分の命を守りたまえ」
「どういう意味です?」
「君は、此処に妖魔モンスターが棲んでいることを知らんのか?」
「知りません。僕が湖を渡るために船を探していたら、町の人があなたの所に行くように教えてくれただけなので」
「湖には、下等な妖魔モンスターが大量に巣食っている。今は湖面が凍っているので数はかなり抑えられるが、それでも割って襲いかかってくる。襲撃が始まったら、自分の命は自分で守ってくれたまえ。移動はソリを使うが、振り落とされたら回収は出来ない。解ったかね?」
「解りました」

 ファルサーが頷くと、不意に頬を冷たい風がよぎる。
 気付いた時には、氷で出来たソリに乗って、湖面の上を滑りだしていた。

るぞ!」

 アークが叫ぶのとほぼ同時に、メキメキと不気味な音を立てて湖面の氷に亀裂が走る。
 氷を割って飛び出して来たのは、魚ともヒトとも解らない、全身がウロコに覆われた妖魔モンスターだった。
 それらがソリに襲いかかってくる…と思った瞬間に、いきなりソリの進行方向が変わる。

「うわっ!」

 ファルサーは思わず、自分よりずっと小柄なアークの肩に掴まっていた。

「振り落とされるなと、言ってあるだろう!」
「まだ、落ちてませんよ!」

 次々と現れる妖魔モンスター達を、アークは絶妙なソリの操作で避けた。
 だが敵は圧倒的な数に任せて行く手を阻み、時にソリにしがみついてくる。
 ファルサーは利き手の左にグラディウスを構えると、ソリのフチを掴んで這い登り、踊りかかってきた妖魔モンスターをまず一匹、殴打した。
 ファルサーの持つ武器は、量産型のグラディウスだ。
 軍の放出品を大量に仕入れ、剣闘士グラディエーター達に行き渡らせた武器の一つで、この旅に出る時に渡された。
 奴隷のファルサーに私物などなく、試合で使っていた剣もあくまで "貸与品" ではあったが、それでも戦績が良ければより上物の武器や防具を渡される。
 つまり、この旅に出る時に渡された剣と防具は、それまでファルサーが使っていた物よりも数段劣る装備なのだ。
 試合で勝つために、より攻撃を鋭くするための手入れ方法なども学んできたが、今まで支給されていた手入れのための道具は、旅に出る前に取り上げられてしまった。
 有り合わせの物と知識でできるだけの手入れはしてきたが、正直さほどの切れ味は期待出来ない。
 剣の重量におのれの力と振り回す勢いを加えた打撃、それに刃物の形で加えられたもうわけ程度の斬撃によって、相手にダメージを与えることができる。
 当たりどころが良ければ一撃で屠れるが、そんなことは稀だ。
 だが、一撃を見舞われ怯んだところに、致命傷の二撃目を送れば問題は無い。
 二匹、三匹と相手にした辺りでコツが掴めてきた。
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