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第四部:ビリー

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「ただいまー」

 扉を開く音と同時に、元気のいい少女の声が響く。続いて軽快な足音が聞こえ、声に似合った可愛らしい少女がリビングに駆け込んできた。

「リズ、悪いけど早く手伝いにきてちょうだい」

 かけられた母親の声に、少女はキッチンを伺い見るように覗き込んだ。

「あら、パパったらどうしたの? そんなエプロン姿で」

 あたふたと駆け回る父親に、少女はさもおかしいと言った声で訊ねた。

「お客様が見えているんだよ。ちゃんと挨拶したかい?」
「えっ、お客様!? あ、こんばんわ」

 言われてエリザベスは、ソファに腰を下ろしているウィリアムに気づき、慌てて挨拶をする。

「あ、あ、あ、ど、どーも、こんばんわ」

 ウィリアムはまるで、操り人形の如くピョンとソファから立ち上がると、少女に応えた。

「ウフフ、面白い。パパのお知り合い?」
「はいっ、本日付けでハリーマクミラン主任の元にまいりました。ウィリアム・ワイラーですっ」

 無意味に敬礼をしているウィリアムに、エリザベスはクスクス笑いを押さえ切れない様子である。

「私は娘のエリザベス。あ、この時間ならお夕飯を家で食べるのね。後でゆっくりお話しましょう。私、カバンをおいてこなくちゃ」

 緩やかなウェーヴを描く金髪をフワリとなびかせ、エリザベスはリビングを抜けて自室へと走り去る。先程よりも、もっと顔を赤らめて、ウィリアムはエリザベスの背中を目で追った。

「子供相手に、なに赤くなってるの」

 不意に声をかけられ、ウィリアムは振り向いた。リビングと玄関へ通じる廊下の入口に、若い男が立っている。

「キミみたいにイイ男なら、年相応の女の子がよりどりみどりでしょうに」

 上着を脱いでウィリアムの向かい側にあるソファの背もたれに置き、その隣に自分も腰を下ろす。脱いだ上着は黒。ズボンも黒。サスペンダーも細いリボンタイも黒。Yシャツは白で、これに黒い帽子をかぶれば、まるでウェスタン映画に出てくる牧師になれそうだとウィリアムは思った。

「アンタ、誰?」

 この家の今までの登場人物とは、はっきりと何かが違う目の前の男に、ウィリアムは不審を隠しもせずに尋ねた。

「こりゃあ失礼。僕はこの家の居候。リサの弟のロイです。以後お見知りおきを」

 スッと右手を差し出し、ニッコリと笑んで見せた彼の顔は、先程同じ表情をしたリサとは正反対の印象をウィリアムに抱かせた。すなわち『悪魔の微笑み』である。
 白い肌。肩まである艶やかな漆黒の髪。薄いけれどもピンク色の唇。まるで、少女のような容貌の整った顔立ち。しかしその、一見穏やかな彼の顔を『悪魔』的に見せているのは、のぞき込むと背筋が凍りそうなほど冷たい、ペイルグリーンの瞳だった。

「ずいぶんと失礼な男だな」

 ウィリアムはムッとした顔のままじっとロイを見据える。

「何かご機嫌を損ねるような事をしたかな?」
「普通、握手を求める時は、手袋ぐらい外すもんだろ」
「ああ、そう? それなら外そうか」

 ロイは右の手袋を外し、改めて手を差し出した。

「ナメてんのか、アンタは」
「今度は何が気に入らないの?」
「何で片方なんだよ。だいたい、室内でわざわざ手袋するか? それとも、どこぞの映画の主人公気取りかよ?」
「…別に、気取ってる訳じゃないんだけどね。あんまり人目に晒したく無い理由があるんだよ。でもキミがどうしても気になるって言うのなら、外すけどさ。見るときっと後悔すると思うよ」
「何だって俺がアンタの手を見て後悔なんかするって言うんだ。とにかくそいつを外さなくっちゃ、俺は手なんか握らない。両手とも、ちゃんと外せよな」
「やれやれ、子供みたいなコト言って…」
「何だって!? アンタ一体いくつだか知らないが、俺とそう変わりゃしないだろ。子供扱いすんな」

 ロイは黙って肩を竦めた。

「なんだよ」
「いえいえ、なんでも」

 首を左右に振り、ロイは左手の手袋に手を掛ける。

「ホントに外していいんだね?」
「しつこいなっ」

 噛みつきそうな勢いのウィリアムに、ロイは再び肩を竦め、やれやれと言った表情で手袋を外して見せた。

「はい、これでいいかいビリー・ザ・キッド」
「…っ!」

 差し出された両の掌を見つめ、ウィリアムは硬直している。否、ウィリアムの視線は、ロイの左手に釘付けになっているのだ。その人工的に造られた、光を弾くクリスタルガラスの掌に…。

「ビリー、すまん。ようやく手が空いたから…」

 キッチンから開放されたハリーがリビングに戻り、その場の光景に仰天した。

「ちょっ、ちょっとロイ、なにしてるんだよっ!」
「何って、こちらの坊やが手袋を外せって言うからさ。僕は一応、断わったんだけどね」
「ビリー、おいビリー。ああ~、もう。ロイ、初対面の人間にそれをするなって言ってるじゃないか」
「ムリヤリ外させたのはそっちの坊やだよ。まあ初対面の人間は大抵同じ事を言うけどね。それでも毎回、僕は親切に『この手は見ると気持ちが悪くなりますよ』って言ってやってるんだぜ」

 言っている事とは裏腹に、ロイは意地の悪い笑みを浮かべている。

「その態度に問題があるんだよ。とにかくその手、リサに見つかる前にしまって、しまって」

 偏光クリスタルガラスの左手が、蛍光灯の光を弾きながら、乾いた音を立てて動く。手袋を被せてしまえば、それはまるで何事もないように、人の手のフリをしているのだ。

「主、主任っ。こ、こいつは一体なんなんですかぁ!」

 不気味な物が視界から去り、固まっていたウィリアムが正気を取り戻した。ワナワナと震えながらロイを指さし、ようやく言葉を絞り出す。

「ん~と、だから。ウチの家族だよ。リサの弟で、リズにとってはお兄さんみたいなモンで、僕にとってもは息子みたいなモンで…」
「そーそー。その上たぶんキミよか人生経験豊富だと思うよ。時間的にも精神的にもね」

 ロイの意地の悪い笑顔に対し、ウィリアムは言いたいセリフが大量に頭の中を駆け抜けていったが、結局引き釣った顔のまま、何一つ言えなかった。
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