Black/White

RU

文字の大きさ
上 下
41 / 89
第三部:エリザベス

1

しおりを挟む
 夜明け間近の空は、昇り来る太陽の光で白く光っている。
 早朝のマクミラン邸は、まだ静寂に包まれていた。
 ぼんやりとした薄暗がりの室内で、ロイは身じろぎもせずに窓の外を見つめている。

「そんな格好で寒くないの?」

 部屋に入ってきたリサが、立ち尽くしているロイに声をかけた。
 夜明け前に起き出した彼が、こうして窓の外を見つめているのは既に日課になっており、その彼の様子をリサが見に来るのも、またいつもの事だった。

「……………」

 振り返りもせずにじっと窓の向こうを見つめているロイに、リサはガウンをかけてやる。
 そうして世話をしてやるリサの表情は、母親のそれだった。
 初めてロイに逢ったのは、二年前の事になる。
 あの時には、この少年を引き取る事になるなどとは、予想も出来なかったが。
 リサは、窓の外を見つめ続けている少年の横顔を見た。
 なにも映していない瞳で、遥かを見つめているもの寂しげな表情。
 その顔を見る度に、癒しきれないロイの傷を思って、リサは辛い気持ちになるのだった。

「リサ、またかい?」

 自分の隣から伴侶が居ない事に気付いて起き出したハリーが、部屋の扉越しに顔を出す。

「ごめんなさい、起こしちゃった?」
「ん? いや、もう時間だからね」

 室内に足を踏み入れ、ハリーはリサの側に立った。

「毎朝、この部屋までご苦労だね。いっそ、隣にでも寝かすかい?」

 ロイの寝室は、マクミラン邸の裏庭に面した一番奥の部屋を使っている。
 その部屋は、元々アレックスが使用していた部屋だった。
 ハリーとリサが結婚する折り、どちらもアパート住まいだった事から双方で資金を集めて住宅街に家を買った。
 妹の為にと自身の積み立てを出してくれた兄に、マクミラン夫婦は同居を申し出、屋敷の中に少し離れた部屋があった事から、アレックスもそれを許諾したのである。
 アレックスの殉職と共に主を失った部屋は、それ以後使用していなかったのだが、ロイを引き取った折りに他に空き部屋が無く、その離れにも近い奥の部屋があてがわれた。

「別に、そんなに気を使わないで。私が勝手に、心配をしているだけだから」
「キミの睡眠時間が減ってる事を、心配するなって言われても、それはキミにロイの心配をするなって言うくらい、無理な相談だと思わない?」
「…そうね。ごめんなさい…」

 ロイのベッドを整えてから、リサは再びロイの側に歩み寄った。

「ねェ、ハリー。彼は一体、何を見ているのかしら?」

 問われて、ハリーもまたロイの側へと歩み寄る。

「見て…、いるのかな…」

 ロイの目線を追うように窓の外に目をやったハリーが、ポツリと呟く。
 そのまま、同じように窓の外を見つめ続ける夫の顔を、リサは怪訝な顔で覗き込んだ。

「ハリー?」
「あ、ゴメン」

 妻の視線に気付いて、ハリーは気まずそうな笑みを浮かべる。

「何かを見てるって言うよりね、…僕には、誰かを待ってるみたいに見えたんだ」
「そう言われれば、そう見えない事もないけど…。でもそうだとしたら、いったい何を待っているのかしら?」

 妻の疑問にハリーは答えなかった。思いついた事はあったが、それを口に出す事が出来なかったのである。

「ところで、エリザベスはロイとうまくやっているの?」
「えっ?」

 唐突な夫の質問に、リサは一瞬戸惑った。

「そう…ね。とてもうまくやっていると思うわ。私の気の所為かもしれないけど、ロイはリズにとても関心があるみたいなの。リズはリズで、等身大のお人形を相手にしているような感じらしくて、とても懐いているわ」

 リサの言う通り、エリザベスは、格好の遊び相手が出来たとばかりに、ロイから離れる事はほとんど無く、義務教育が始まっても、家に帰れば友達よりもロイと共にいる事の方が多かった。

「でも、なぜ急にそんな事を訊くの?」
「う…ん。最近ね、あの娘の口からロイの名前が出ない日がないからさ。パパより、ロイの方がお気に入りみたいだ」
「それは仕方がないわよ。ずっと一緒に居るんですもの。二人の仲が良いのは、とても言い事だと思わない? 私だって、とても助かっているのよ」

 喜ばしい事を報告した筈なのに、夫の顔はなにか曇った表情をしている。

「どうしたの?」
「ん? いや、なんでも無いよ」

 ハリーは取り繕うように笑みを浮かべ、妻に抱かせてしまった不安を打ち消すように首を横に振った。
 自分の持っている感情は、あまりに現状を否定してしまうから。
 それをわざわざ妻に告げて、彼女までこの憂鬱の波に飲まれて欲しくない。
 もしもロイがこのまま元に戻る事なく、その一生を終えていくのだとしたら、今自分が持っている不安はただの取り越し苦労に終わるだけだ。
 以前の、氷の瞳を持った少年の真実の姿を、リサは知らない。
 あのロイが、自分達の申し出を甘受するかどうかは、ハリーには判らなかった。
 つまり、もしロイが記憶を取り戻した時に、一人で生きる道を選んだら…。
 それは、無邪気に懐いてしまったエリザベスを、ひどく傷つける結果になるのではないか…?
家族を思うハリーにとって、現状はあまりに不安が多く、憂鬱だった。

「…ところでジョナサンは、なんか言っていたかい? 行って来たんだろう、昨日」
「相変わらずよ。記憶と一緒に戻るとは言っているんだけど、それがどうしたら戻るかになると、お手上げですって」
「そう、やっぱり…」

 小さく嘆息した夫の顔を、リサは複雑な面持ちで見つめていた。
 ハリーが、現在の『子供そのもの』なロイを、今一つ受け入れていない事は知っている。
 初めて逢った時の強烈なイメージが、拭えていないらしいのだ。

「あなたは気に入らないみたいだけど、私は今のロイが好きだわ」

 ギクリと強張ったような表情をする夫に、リサは続けた。

「人には、思い出したくない事ってあると思うの。それを、綺麗に記憶から無くしていられるんですもの。羨ましいぐらいだとは、思わない?」
「…それは、違うよ。それで幸せかどうかなんて、他人じゃ解らないと僕は思う。傍から見るととても幸せそうな人が実はそうじゃ無く、犯罪に走ってしまうようなケースは結構あるんだ」
「それじゃあロイが、不幸だって言うの? 今」
「そんな事は言ってないよ。ただ、ロイが今までどんな人生を歩んできたかなんて、誰にも解らないだろう? その中でどんな風に考えて、どんな風に感じたかなんて、僕らがいくら考えたって解りっこ無いんだ。だから…」

 リサは子供のように唇を噛んで、少し恨みがましい瞳を向けてくる。

「記憶を取り戻せば、兄さんの事も思い出すのよ。この子、兄さんの事で自分を責めて、死のうとまでしていたのよ。可哀相じゃない、まだ、子供なのに…」
「それはそうだけど、でもすべてを受け止めて、もう一度前に進もうと出来ない人間は、結局同じ道を選んでしまうんだよ。それに、先輩とロイの間にあった事は、それこそ本当に当事者でない僕らには解らない。あの事件で、ロイがなにを感じて、どう傷ついたのかさえ、本当の所はなにも解らないんだからね。でもそれでくじけてしまうようなら、この先だってやってはいけないよ。とても冷たいようだけれど、現実だ」

 ジッと見上げてくるリサの瞳から、ハリーもまた目を逸らさなかった。
 二人の会話を聞いているのかいないのか、ロイは窓の外を見つめたまま、ただ静かに佇んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

千早さんと滝川さん

秋月真鳥
ライト文芸
私、千早(ちはや)と滝川(たきがわ)さんは、ネットを通じて知り合った親友。 毎晩、通話して、ノンアルコール飲料で飲み会をする、アラサー女子だ。 ある日、私は書店でタロットカードを買う。 それから、他人の守護獣が見えるようになったり、タロットカードを介して守護獣と話ができるようになったりしてしまう。 「スピリチュアルなんて信じてないのに!」 そう言いつつも、私と滝川さんのちょっと不思議な日々が始まる。 参考文献:『78枚のカードで占う、いちばんていねいなタロット』著者:LUA(日本文芸社) タロットカードを介して守護獣と会話する、ちょっと不思議なアラサー女子物語。

どうせなら日々のごはんは貴女と一緒に

江戸川ばた散歩
ライト文芸
ギタリストの兄貴を持ってしまった「普通の」もしくは「いい子ちゃん」OLの美咲は実家に居る頃には常に長男の肩を持つ両親にもやもやしながら一人暮らしをしている。 そんな彼女の近所に住む「サラダ」嬢は一緒にごはんをしたり、カフェ作りの夢などを話し合ったりする友達である。 ただ美咲には悪癖があった。 自由奔放な暮らしをしている兄の、男女問わない「元恋人」達が、気がつくと自分を頼ってきてしまうのだ。 サラダはそれが気に食わない。 ある時その状況にとうとう耐えきれなくなった美咲の中で何かが決壊する。それをサラダは抱き留める。 二人の夢に突き進んで行こうとするが、今度はサラダが事故に遭う。そこで決めたことは。 改行・話分割・タイトル変更しました。

【完結】マーガレット・アン・バルクレーの涙

高城蓉理
ライト文芸
~僕が好きになった彼女は次元を超えた天才だった~ ●下呂温泉街に住む普通の高校生【荒巻恒星】は、若干16歳で英国の大学を卒業し医師免許を保有する同い年の天才少女【御坂麻愛】と期限限定で一緒に暮らすことになる。 麻愛の出生の秘密、近親恋愛、未成年者と大人の禁断の恋など、複雑な事情に巻き込まれながら、恒星自身も自分のあり方や進路、次元が違うステージに生きる麻愛への恋心に悩むことになる。 愛の形の在り方を模索する高校生の青春ラブロマンスです。 ●姉妹作→ニュートンの忘れ物 ●illustration いーりす様

カナリアン彼女と僕の二次元的時間

ゆりえる
ライト文芸
二次元オタクの僕の前に現れた沢本涼夏は、誰もが振り返るような美少女。 やっと付き合えるようになったのは良かったけど、彼女は、分厚い取扱説明書が必要なほど、デリケート過ぎる特性を持っていた。

それでも日は昇る

阿部梅吉
ライト文芸
目つきが悪く、高校に入ってから友人もできずに本ばかり読んですごしていた「日向」はある日、クラスの優等生にとある原稿用紙を渡される。それは同年代の「鈴木」が書いた、一冊の小説だった。物語を読むとは何か、物語を書くとは何か、物語とは何か、全ての物語が好きな人に捧げる文芸部エンタメ小説。

瑞稀の季節

compo
ライト文芸
瑞稀は歩く 1人歩く 後ろから女子高生が車でついてくるけど

心を焦がし愛し愛され

しらかわからし
ライト文芸
合コンで出会った二人。 歩んできた人生は全く違っていた。 共通の接点の無さから互いに興味を持ち始めた。 瑛太は杏奈の強さと時折見せる優しさの紙一重な部分に興味を持ち魅力を感じた。 杏奈は瑛太の学童の指導員という仕事で、他人の子供に対し、愛情を込めて真摯に向かっている姿に興味を持ち好きになっていった。 ヘタレな男を人生経験豊富な女性が司令塔となって自他共に幸せに導く物語です。 この物語は以前に公開させて頂きましたが、題名は一部変更し、内容は一部改稿しましたので、再度公開いたします。

猫スタ募集中!(=^・・^=)

五十鈴りく
ライト文芸
僕には動物と話せるという特技がある。この特技をいかして、猫カフェをオープンすることにした。というわけで、一緒に働いてくれる猫スタッフを募集すると、噂を聞きつけた猫たちが僕のもとにやってくる。僕はそんな猫たちからここへ来た経緯を聞くのだけれど―― ※小説家になろう様にも掲載させて頂いております。

処理中です...