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第二部:ハリー

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 暗闇の中に背の高い男が立っている。
 ロイが手を振ると男は笑って手招きをした。
 『またか』
ロイは心の中で溜息をついた。
 これが夢である事は判り切っている。
 しかし、夢の中のロイは何も知らずにその男││アレックス││の方へと歩み寄って行く。
 『やめろ』
次のシーンは判っている。判っているからこそ見たくないのだ。
 しかしロイは足を止めない。笑って手を振っている男の方へ、すいよせられる様に進んでいく。
 『やめろー!』
足もとにアレックスの体がある。赤く染まった白いシャツ、そしてあまりにも生々しい見開かれた瞳…。
 彼の死体を前に、絶叫している自分がいる。
 言葉にならないなにかを喚き、彼の死体に縋り付く自分。
 そして、目が覚める。

「………」

 ロイは、身体を起こした。
 毎夜の如く見続ける夢。現実と非現実とが混じりあい、心を攻め苛む。
 ロイはズルズルとベッドから這い下りて、キッチンへ赴くと、冷蔵庫を開けて氷を取り出し、グラスに投げこんだ。
 そしてバーボンのボトルを取り出し、氷の入っているグラスに注ぎ込む。
 毎晩の悪夢は睡眠不足を誘発し、それを解決させる為にアルコールを飲む。
 そうして、夢も見ない程に泥酔でもしなければ、悪夢から逃れる術が無いのだ。
 ロイはグラスを持ってベッドへと戻っていった。




 アレックス・グレイスが町外れの廃工場で遺体で発見されてから、三年の歳月が流れた。
 任務で潜入していた彼の死は、当然の事ながら普通の殺人事件とは違うレベルの捜査が行われたが、犯人は結局判らず無為の時間が流れた。
 そうした場合、組織の方も自身の安全を図る為に代わりの犯人などを仕立て上げてくるものだが、なぜかこの件に限ってはそれもなかった。
 当時、なぜか急に姿を消したナンバー2の穴を埋める為に、組織内でかなりの混乱をきたしたが、警察側は信用の於ける情報提供者を欠いていてその隙をつけず、結局どちらも元のにらみ合いと鼬ごっこを繰り返す形に納まってしまった。
 ハリーの娘││エリザベス││は、三才になっていた。

「パパ、お帰りなさい」

 帰宅をしたハリーを一番に出迎えるのは、最近保育園に通い始めた幼い娘の笑顔である。

「ただいまリズ。いい子にしていたかい?」

 少女を抱き上げ、ハリーが娘の頬にキスを一つ送ると、娘も嬉しそうにハリーの頬にキスを返してくる。

「お帰りなさい、早かったのね」

 娘を降ろし、リビングで上着を脱いでいるハリーを、今度はリサが出迎えた。

「うん、明日から少し込み入った仕事をするから、今日はもう休んでおけって言われてね」

 妻とキスを交わして、ハリーは上着をソファの背もたれに掛けた。

「リズが持っていくの」

 放り出された上着を片付けようとしたリサに、エリザベスが纏いつくようにしてそれを奪い取る。母親の真似をして、洋服ダンスとじゃれている娘の姿を眺め、ハリーは微笑んだ。

「何かあったの?」
「…えっ!? なんで…」

 ソファに腰を降ろしたハリーの前に、リサがコーヒーを置いた。
 リサの瞳は、まるでディズニーのアニメーション映画に出てくるキャラクターの様にクルクルと動く。いたずらっ子の様であり、真実を見透かすレーダーの様でもあった。

「不安そうだわ」
「…ちょっと、ね。疲れてるだけだよ」

 湯気を立てているコーヒーに口をつけ、リサから視線を逸らす。
 夕方、主任警部に呼び出されたハリーに、下された命令は三年前のアレックスに下りた物と同じ内容だった。
 アレックスの死後、ナンバー2を欠いた組織はずいぶんと活動を控えていた。
 それ故、逆に警察側も組織の尻尾を掴めずにいたのだが、最近になってほとぼりが冷めた事も手伝い、再び動き始めたのだと言う。
 なりを潜めていた分、やはり組織の基盤もかなり縮小せざるを得ず、それを取り返す為にもこれからは一気に力を伸ばし始めるに違いない。
 警察としてはそれに乗じて、逆に組織を完全に根絶やしにするという方針が決まったのだ。
 三年前、アレックスの死は立証できず、組織がおとなしくなった事でこの一件から手を引かざるを得なかった悔しさを、ハリーは忘れていない。
 だから、今回の任務が自分の所にきた事を神に感謝した程だ。
 必ずアレックスの仇をとってみせる。
 それは、犯人を見つける事と、組織を壊滅させる事が出来て、初めて成就した事になると、ハリーは心の中で決めていた。
 しかし…。
 リサと、アレックスの話はしたくなかった。
 勿論それは、アレックスの死の話題と限定はされているが、とにかくそれに類する事は、出来るだけ口にしたくなかった。
 その話になると、リサは、とても悲しい顔をするから…。
 話をした時だけではない。
 やはり、たった一人の肉親をあんな不幸な形で失ったリサのショックは計りしれず、ハリーのいない時に一人で泣いているのではないかと不安になる。
 アレックスと同じ任務につくという事は、暫く家を空けるという事になる。
 それは、確かに不安もあるけれど。
 それでも、やはり未解決のままでおく方がアレックスの為にも、リサの為にも良くはないと思うから。

「しばらく…、帰って来れない日の方が多くなると思う…」

 つぶやきにも似たハリーの言葉に、リサは微かに不安そうな表情をしたけれど、それはすぐにいつもの笑みに変わった。

「私、あなたが思っている程、弱い女じゃないつもりよ」
「えっ?」
「兄さんと暮らしていた頃は、殆ど一人暮らしに近いような生活をしていたんですもの。大丈夫」

 リサの言葉に、ハリーが何かを問いかけようとした時、ハリーの膝にエリザベスが手を掛けた。

「あのね。リズは今日、パパの顔を描いたの。見てっ」

 差し出された画用紙には、極彩色のクレヨンで人の顔とおぼしき物が描かれている。
 画用紙を受け取り、ハリーはエリザベスにやんわりとした笑みを向けた。

「上手に描けてるね、リズ。じゃあお食事が終わったら、今度はパパがリズを描いてあげようか?」
「うんっ!」

 嬉しそうに笑って、自作の絵を片付けに行くエリザベスを見送り、ハリーはリサに向き直った。

「ゴメンよ、リサ。俺はいつでも、キミに心配をかける事しか出来ないね。本当は、守るべき立場の筈なのに…」
「リズもいるもの。私は大丈夫よ、ハリー」

 妻の笑みにハリーも笑みを返し、何も伝えられないもどかしさに微かに胸が痛んだ。
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