メビウスのトンネル

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第18話

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 ツアーも終盤に入って、公演の数も残すところあと僅かになってきた頃。
 リハーサルを済ませて携帯をチェックすると、多聞氏からメールが入っていた。
 多聞氏とのやりとりは、実のところさほど頻繁という訳でもない。
 雑談のフリをして日常で言葉を交わせば大体の情報交換は終わるし、基本的に交換しなければならない情報そのものがそんなに大量にある訳でもないからだ。
 だが、今日のメールはいつもの「お知らせメール」とは違う、「呼び出しメール」だった。
 珍しい事もあると思いながらも、わざわざ呼びだしてきたと言う事はなにがしかの重要な理由があるだろうから、俺はリハと本番の間のフリータイムに指定されたスタバに足を運んだ。

「どうしたんですか?」
「ちょっと、事件があってね」

 多聞氏に勧められて席に座った途端に、多聞氏が身を乗り出してくる。

「事件…?」
「今日、ずっとジャックを見かけてないでしょ?」
「ええ、気になってたんですけど……」
「ホテルの椿の部屋に監禁されてるよ」

 思いがけないというか、来るべき時が来たというか、とにかく衝撃的だけれどさほど驚きもしない言葉を聞いて、俺はちょっと顔をしかめる。

「どういう理由で?」
「端的に言えば、キミとの個人的接触が椿に発覚した…ってコト?」
「それならなんで、俺に直に言わないんでしょうね?」
「そりゃ、まずは柊一を問いただして、事実を把握してからキミに……ってコトじゃないのかな?」
「なるほど……。とすると、呼び出しがある…と?」
「多分、今日の公演が終わった後じゃないかな?」
「相応の覚悟をしておけ…ってコトですか?」
「椿がどう出てくるか解らないけど、ある程度の情報は知っておいた方がイイと思ってね。リハーサルが始まる前に俺は椿に呼ばれたンだけど…」

 多聞氏が言うには、椿は「自分はリハーサルがあるから」と言って部屋を後にしたのだが、そこにはどうやら昨夜一晩中陵辱されたと思わしき柊一が、ベッドに手足を縛り付けられて放置されていた…と言うのだ。

「あの~、それって椿サンが直に手を下して……?」
「ハルカは、中野クンのコトを知ってる?」
「ああ、椿サンにクラックだかスピードだかを回してもらっていて、最後はヤリ過ぎて逝っちゃった俺の前任ギタリストですよね?」
「うん、そうなんだけど。………中野はね、別にクスリをやりすぎて命を落としたワケじゃないよ」
「えっ?」

 多聞氏は、真面目な顔で俺をジイッと見つめてきた。

「椿は最初、単に自分がクスリで遊ぶのに仲間が欲しかったから、それで中野を誘ったんだ。中野はどっちかっていうとお人好しのバカだったから、椿の誘いに興味半分で手を出した。でも、あんなモノは一度手を出してしまうと後はなかなか抜けられるモンじゃない。特に中野みたいなタイプはね」

 中野氏は結局、そのままズルズルと椿のワルイアソビ仲間になったワケだが、元々そういうユルイタイプの人間だったから自分でクスリを入手するルートを開拓するようなマメさはなく、椿から融通されるモノで楽しんでいたらしい。
 だが、本人がそのつもりが無くても結局あんなモノを続けていれば中毒を起こす。
 結局クスリを融通してくれる椿の言いなりになるようになり、いわば椿の下僕となってしまったのだと多聞氏は言った。
 自分の言いなりになる下僕相手にならば、椿も柊一の秘密を打ち明ける。
 というか、柊一をいたぶる為の手段として、中野氏に柊一を陵辱するように命じたのだ。
 もちろんそれまでの過去に、柊一が同性にセックスを強要された事なんて無かった。
 それどころか、祖母と二人暮らしが長く、社会人になって祖母を亡くした後はいっぱいいっぱいの生活を送ってきた柊一は、異性とのそうした関係も全く無かったらしい。

「でもしばらくそんな事を繰り返していたら、中野がすっかり柊一に執心してしまったんだ。…ハルカには理解不能なコトかもしれないけど…ね」
「なんとなく、判らなくもないですよ。柊一サンのあの状況を見て、なにも感じないヤツの方が理解出来ませんし」

 なんとなくどころか、あんな魅力的なヒトを抱いていたら、そりゃあ自分のモノにしたくなるだろう。
 だが、そこで中野氏はとんだヘマをやった。
 というのも、前述の通りお人好しの傾向があった中野氏は、椿が柊一を虐待している様子からてっきり椿は柊一を嫌っていると勘違いしたのだ。
 そこで中野氏は椿に柊一の譲渡を要求したのだが、椿がそれに応じる訳もなく。
 結局そこで、椿と中野氏は完全に決別してしまった。
 しかし、椿と決別したからと言って柊一への執心が消えた訳でもない中野氏は、今度は椿に向かって恐喝紛いの態度に出たのだ。
 つまり要求に応じて貰えないなら、腹いせに「覚醒剤不法所持」のネタを、新聞や週刊誌に売る…と椿に向かって言った…らしい。
 それに対する椿の答えは、中野氏を覚醒剤中毒で殺してしまう…というモノだったと、多聞氏は言うのである。

「だって、………それって殺人じゃないですか?」
「いいや、中野の死は一種の自殺なんだよ」
「どういう意味です?」
「中野が昏睡状態に陥った時、呼ばれたのは俺なんだけど。中野の死んだ状況からは、事故死という判断しか下せないのさ。簡単に言うなら中野は、薬の量を間違えて自分に投与して、自らの命を縮めた……いわば過失致死ってヤツになるんだよ」
「無理矢理注射された可能性は?」
「身体に暴行の痕は一切無かった。それどころか、最後に注射した針の角度は明らかに自分で射したとしか考えられないものだったからね」
「でも、多聞サンはそれを椿の所為だと思ってるんでしょう?」
「あのテのクスリは、量を間違えると即座に命に関わるからね。渡す時に使用量を偽っておけば、使った時に殺人が自動的に実行されるだろう?」
「でも、決別した相手から、そうそう簡単にクスリ受け取りますか?」
「椿が商談を受け入れるとか言って、仲直りの印にクスリを進呈するとか言われたら、中野は騙されたと思うな。実際、悪いヤツじゃなかったし、本当にお人好しだったからね。ある意味、あんまりお人好しだったから柊一をなんとかしてやろうとしたのかもしれないけど」

 まあ、あんな一筋縄ではいかないだろう椿を相手に、真っ向から話を持っていくなんて一番ヤバイ手段に訴える程度の楽天家ならば、そう言う事も有り得るかもしれないが。

「でもね、中野の一件で椿はクスリを渡す事によって、自分の言いなりになる下僕を作るってコトを覚えちゃったんだ。今もスタッフの中に、何人かそういう手合いが混ざっているから。俺の部屋にハルカが柊一を連れてきた時とか、直ぐに椿に情報が伝わったのはそういうカラクリになってるからさ」
「文字通り、鼻薬嗅がされてるワケですか」
「オマケにそっちの連中は、中野のコトを確信はなくても椿が殺したと思っているし。椿もまた中野の時のコトを踏まえて、そっちの連中には深入りさせないようにセーブしてる」
「そんでもって、そういった連中を自由自在に使ってる…ってワケですか……」

 椿は、時々に女を抱いているらしいので、どうやら性癖は異性愛者らしく、柊一を性的虐待する際には下僕と化した男達を使っているらしい。
 そして昨夜は、柊一を尋問する為にそういう連中を集めてスピードのパーティーを開き、クスリでイイ感じにハイになっている男達が代わる代わる柊一にリンチ紛いの輪姦をした。
 だが、椿は柊一を嬲りモノにしているが、手放す気も殺す気もない。
 だから早朝に多聞氏を呼びつけて、柊一の治療に当たらせた…というワケなのだ。
 こうなって初めて、俺は多聞氏の言わんとしていた「大変」の意味を理解したような気がした。

 とどのつまり、多聞氏は椿の暴君っぷりを制御する事なんて、全くしちゃくれない。
 人道的に、その柊一の状況を見て見ぬフリをしている多聞氏…と見るとまるっきり悪者のように見えるが、しかし多聞氏が椿に協力的な態度に出る事によって、椿の本当の暴走を抑える役目になっているのだ。
 つまり、もし多聞氏が人道的立場から椿を窘めたり柊一を庇うような発言や行動に出たら、椿は直ぐにも多聞氏を遠ざけるだろう。
 そして新たに、自分の意のままに動く医者を捜し始める。
 だがそんな調子のイイモノがそうそう見つかる訳もなく、最終的には常套手段である覚醒剤を使って医者を抱き込むだろう。
 だが、クスリをばらまく範囲が広がると言うコトは、管理が行き届かなくなるという結果を招く。
 やがてクスリの効果が切れて、のべつまくなしに自力調達に走る者も出てくるだろう。
 そうなれば後はもうどんどん悪い方向へ事態は転がり、椿自身は破滅して終わる。
 もちろん、椿が一人で自爆して終わるならそれに越した事はないが、破滅までのプロセスに巻き込まれて一緒に破滅させられる人間の数は、今の比では無い。
 そしてそのリストの筆頭に、必ず柊一の名前があるだろう。
 椿の暴走が、少なくとも椿自身の計算の中で治まっているウチは、事態としてはマシと見るべきなのだ。
 その為には、多聞氏は何があっても椿に荷担している立場を変える訳にはいかない。

「それで、柊一サンの様子はどうなんです?」
「予告もなくアレを見せられたら、かなりたまげると思うな」
「その状態の部屋に俺を呼び出しそう……ってコトは、つまり、そういう姿を見せる事で、俺がどれくらいたまげるかを計ろうとしている…と?」
「うん。ハルカが中野みたいに、自分から柊一を取り上げようとしている…と危惧してるみたいだね」
「で、多聞サンが俺をわざわざ呼び出したのは、その際に特別なにか取るべき行動があるから…なんでしょう?」
「特別な行動…って言うか。早い話が、中野みたいに椿に向かって柊一を要求しちゃマズイってコトを、確認しておこうと思って」
「でも、それじゃあ柊一サンがあんまり可哀想じゃないですか?」
「それはそうだし、そこが一番難しい問題なんだけどね。でも、今の椿はまだ柊一に対して半端じゃない執着をしている。椿と柊一をそれぞれ自立させて切り離させるのが最終目的だけど、今はまだ機は熟していない。椿にはまだまだ油断して貰ってないと、こっちの準備は万全じゃないから」
「なんか、多聞サンには算段があるんですか?」
「まぁ、無くもないよ。でも、ツアーが終わって東京に戻ってからじゃないと手の打ちようがないから、今はまだ困るんだ。だからその為に、ハルカは椿にとってさほど危険人物じゃないって思わせておかなくちゃならない。でも、同時に柊一にはハルカが自分の味方だって思わせておく必要がある。一方的に椿だけを自立させても意味がないんだから」

 凶暴な下心を満載している俺とは違って、多聞氏は友人としての真心から二人の自立を祈っているらしい。
 全く、あんな自分勝手で横暴な椿相手に、ここまで親身になれる多聞氏に俺はひたすら呆れるばかりだが、しかしこのヒトが居なくちゃ俺の計画だって頓挫してしまう。

「つまり、今夜呼び出しを受けた時に椿サンに疑いを持たれるような事もなく、なおかつ柊一サンにも疑惑をもたれないようにしろ…と?」
「うん」
「メチャクチャ言ってません?」
「どっちかの関心が完全に相手から逸れてないと、結局は元の木阿弥になってしまうし。そうなったら、今度は今よりももっと切り離すのが難しくなっちゃうから。チャンスは1度で、タイミングを逸するワケにはいかないよ。その為にも、今夜は正念場の一つだと思う」

 他人事だと思って、簡単に言ってくれるよ。
 とはいえ、ここで椿にムダに勘ぐられるのは面倒な事も確かだ。
 手を引く気は更々無いが、だが命を落とすつもり無い。

「解りました。…ところで、医者の立場から見て柊一サンの様子はどんな感じなんですか?」
「俺としては、明日にでも柊一を東京に帰した方が良い…って、椿には言ってある。命に関わるほど重傷って程でもないけど、今の椿の様子からするとつまらない事でつっかかりそうなんでね。椿も…アレは多分ハルカを牽制してのコトだと思うけど、帰す事には賛成している。だから、ぶっちゃけ今晩失敗すると、ハルカの名誉挽回は難しくなるかもなぁ」
「なんか、望む望まざるに関係なく、背水の陣を強制された感じ…」
「とにかく、よろしく頼むよ。コレを乗り越えたら、事態はずいぶん変わってくると思うから」

 他に返事のしようもなく、俺は多聞氏の言葉にやれやれと頷いたのだった。
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