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第29話
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その駅名に、はっきりとしたアテがあった訳ではない。
無意識…とまでは行かないが、聞こえた駅名にただ身体が反応した…と表現するのが1番正しいように思う。
火照る身体に半ば意識を奪われ、どしゃ降りの街中を自分がどこに向かって歩いているのか?
その目的地に気付いた時、柊一は戸惑いと同時に己に対する憤りを覚えていた。
目の前にあるのは、見た事のあるアパートの扉。
小洒落た作りのさして明るくもない常夜灯に照らし出されたその扉は、紛れもない神巫の部屋への入り口だった。
確かに自分は、押し切られるような形で神巫と特別な付き合いをしている。
その状況を第三者に対して秘していても、事実までも否定している訳ではなく、実際特別な交際をしていると柊一自身も認めるところだ。
だが柊一は、神巫の申し出を全面的に了承したつもりは全く無かった。
自分と神巫の繋がりは、単に「やや病気じみた」自分の性癖に神巫を「付き合わせている」だけに過ぎないし、それを神巫がどう受け取っていたとしてもやはり「他人の手を煩わせている」事に他ならない。
それはつまり、柊一の意識の中では自分と神巫との付き合いは神巫が言うところの「恋人」等と呼べるようなものではなく、ひたすら神巫に「迷惑なしわ寄せを引き受けさせている」という捉え方しか出来ないのだ。
柊一は実のところ驚くほど「常識的」な思考をしており、それ故に自分の性別があやふやな事が認められず、自身を徹底的に「男性」だと思う事でこれまでやってきた。
そんな柊一にとって神巫は紛れもなく「同性」であって、そして思考が「常識」に寄り添う事に固執している柊一にしてみれば「同性同士の恋人関係」など理解の範疇にある訳もないのである。
特別な交際をしているという自覚はあるが、その「特別」は先に述べたような物であって、決して甘やかな感情が伴うような「恋愛関係」とは全く別の付き合いなのだ。
しかし今、身体的に困窮し切羽詰まった自分は、明らかに神巫を便利に使おうとしている。
一瞬の戸惑いの後、柊一は意を決して踵を返した。
今、ここで、この扉をノックしてしまったら。
咄嗟の事とはいえ多聞を殴ってまで振り払った意味を失い、己のアイデンティティまでも崩れそうな気がした。
しかし………。
「東雲サンッ!」
扉に背を向けて踏み出した柊一の背中に、神巫の声が掛かる。
偶然にも、神巫が扉を開けて部屋から出てきたのだ。
「あんまり遅いから駅に迎えに行こうかと思ったンですけど…、良かった! 電車止まったりしたのかと思いましたよ」
「いや、今日はもう遅いし。ちょっと顔出したら帰るつもりで…」
「なに言ってンですか………」
いつもの人懐こい笑みを浮かべたまま歩みを進めた神巫は、柊一の異様な風体に気付いて目を見開いた。
「ちょ………っ、東雲サン一体どうしたンすか? ズブ濡れじゃないですか!」
「大したこと無いって」
「なに言ってンですか! 傘はどうしたんです? とにかく中入って!」
「なんでもないって、別に平気だから」
怒ったような顔で、神巫は有無を言わせない勢いで手を引いてくる。
「平気じゃありませんよ! 早く入って! あ、まさか明日出勤する気なンすか?」
「いや、明日は休みだよ…」
「ならなんにも問題無いでしょう。ほら、駄々をこねないで」
断る理由を見つけられないまま、柊一は強引にその身を扉の中に引き込まれてしまった。
いっそ、明日は出勤するつもりだと答えてしまえば良かったかと思うが、そう言ったところでこの格好では気配りの神巫が見逃してくれる訳もない。
そうして中に柊一を連れ込んだ神巫は、バスルームから数枚のバスタオルを抱えてくるとそこに黙って立っている柊一の身体にタオルを当ててきた。
神巫の筋張った手が水滴を拭おうと触れてくる度に、身体の奥の熾火が燃え上がろうとするのを感じる。
「風呂沸いてますから、入ってください」
「構わなくていいって」
思わず乱暴に神巫の手を振り払ってから、柊一はハッとなる。
柊一の異変に、聡い神巫はすぐにも気付いた。
「もしかして、かなり切羽詰まってます?」
「違うッ!」
「とりあえず身体温めましょう? そのままじゃ、風邪をひいちゃいますよ」
微かに笑った神巫は、柊一の身体を抱き寄せるとやんわりと口唇を重ね合わせてくる。
一瞬、先程の多聞の事を考えた。
神巫の行為を許しているのに多聞を拒絶した理由が、自分にあるのだろうか?
「…どうしたの? 柊一サン」
口唇を離した神巫が、怪訝な顔でこちらを見つめてくる。
「なにが?」
「気持ちが集中してないみたいな感じがしたから」
「ふざけるな。こんな事に集中なんか出来るか」
「えぇ~? それはヒドイなぁ!」
少し困ったように笑って、神巫はもう一度口唇を重ね合わせてくる。
無意識…とまでは行かないが、聞こえた駅名にただ身体が反応した…と表現するのが1番正しいように思う。
火照る身体に半ば意識を奪われ、どしゃ降りの街中を自分がどこに向かって歩いているのか?
その目的地に気付いた時、柊一は戸惑いと同時に己に対する憤りを覚えていた。
目の前にあるのは、見た事のあるアパートの扉。
小洒落た作りのさして明るくもない常夜灯に照らし出されたその扉は、紛れもない神巫の部屋への入り口だった。
確かに自分は、押し切られるような形で神巫と特別な付き合いをしている。
その状況を第三者に対して秘していても、事実までも否定している訳ではなく、実際特別な交際をしていると柊一自身も認めるところだ。
だが柊一は、神巫の申し出を全面的に了承したつもりは全く無かった。
自分と神巫の繋がりは、単に「やや病気じみた」自分の性癖に神巫を「付き合わせている」だけに過ぎないし、それを神巫がどう受け取っていたとしてもやはり「他人の手を煩わせている」事に他ならない。
それはつまり、柊一の意識の中では自分と神巫との付き合いは神巫が言うところの「恋人」等と呼べるようなものではなく、ひたすら神巫に「迷惑なしわ寄せを引き受けさせている」という捉え方しか出来ないのだ。
柊一は実のところ驚くほど「常識的」な思考をしており、それ故に自分の性別があやふやな事が認められず、自身を徹底的に「男性」だと思う事でこれまでやってきた。
そんな柊一にとって神巫は紛れもなく「同性」であって、そして思考が「常識」に寄り添う事に固執している柊一にしてみれば「同性同士の恋人関係」など理解の範疇にある訳もないのである。
特別な交際をしているという自覚はあるが、その「特別」は先に述べたような物であって、決して甘やかな感情が伴うような「恋愛関係」とは全く別の付き合いなのだ。
しかし今、身体的に困窮し切羽詰まった自分は、明らかに神巫を便利に使おうとしている。
一瞬の戸惑いの後、柊一は意を決して踵を返した。
今、ここで、この扉をノックしてしまったら。
咄嗟の事とはいえ多聞を殴ってまで振り払った意味を失い、己のアイデンティティまでも崩れそうな気がした。
しかし………。
「東雲サンッ!」
扉に背を向けて踏み出した柊一の背中に、神巫の声が掛かる。
偶然にも、神巫が扉を開けて部屋から出てきたのだ。
「あんまり遅いから駅に迎えに行こうかと思ったンですけど…、良かった! 電車止まったりしたのかと思いましたよ」
「いや、今日はもう遅いし。ちょっと顔出したら帰るつもりで…」
「なに言ってンですか………」
いつもの人懐こい笑みを浮かべたまま歩みを進めた神巫は、柊一の異様な風体に気付いて目を見開いた。
「ちょ………っ、東雲サン一体どうしたンすか? ズブ濡れじゃないですか!」
「大したこと無いって」
「なに言ってンですか! 傘はどうしたんです? とにかく中入って!」
「なんでもないって、別に平気だから」
怒ったような顔で、神巫は有無を言わせない勢いで手を引いてくる。
「平気じゃありませんよ! 早く入って! あ、まさか明日出勤する気なンすか?」
「いや、明日は休みだよ…」
「ならなんにも問題無いでしょう。ほら、駄々をこねないで」
断る理由を見つけられないまま、柊一は強引にその身を扉の中に引き込まれてしまった。
いっそ、明日は出勤するつもりだと答えてしまえば良かったかと思うが、そう言ったところでこの格好では気配りの神巫が見逃してくれる訳もない。
そうして中に柊一を連れ込んだ神巫は、バスルームから数枚のバスタオルを抱えてくるとそこに黙って立っている柊一の身体にタオルを当ててきた。
神巫の筋張った手が水滴を拭おうと触れてくる度に、身体の奥の熾火が燃え上がろうとするのを感じる。
「風呂沸いてますから、入ってください」
「構わなくていいって」
思わず乱暴に神巫の手を振り払ってから、柊一はハッとなる。
柊一の異変に、聡い神巫はすぐにも気付いた。
「もしかして、かなり切羽詰まってます?」
「違うッ!」
「とりあえず身体温めましょう? そのままじゃ、風邪をひいちゃいますよ」
微かに笑った神巫は、柊一の身体を抱き寄せるとやんわりと口唇を重ね合わせてくる。
一瞬、先程の多聞の事を考えた。
神巫の行為を許しているのに多聞を拒絶した理由が、自分にあるのだろうか?
「…どうしたの? 柊一サン」
口唇を離した神巫が、怪訝な顔でこちらを見つめてくる。
「なにが?」
「気持ちが集中してないみたいな感じがしたから」
「ふざけるな。こんな事に集中なんか出来るか」
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