君と泳ぐ空

hamapito

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「藤倉っ!ちょっと!」
 朝練が終わって、教室へと向かっている途中で、安田が俺の腕を掴んできた。そして、そのまま俺を廊下の端に連れて行く。
 安田のバカ力に敵うとは思っていないので、俺は素直に安田に引っぱられていった。
「何だよ。もう予鈴鳴るぞ」
「何でも協力するって言ってたよな?」
「え、あぁ、豊田のこと……」
 安田が俺の口をその大きな手で塞いできたため、俺は最後まで言葉を発せずに飲み込んだ。辺りをキョロキョロと窺っていた安田が、小さく息を吐いてから、俺を睨みつけた。
「誰かに聞かれたら、どうするんだよ」
 安田のいつもとは違う低い声に、俺は小さく首を動かして謝った。口を塞がれているので、これしか出来ない。
 俺の表情に納得したのか、安田が手を離した。俺は新鮮な空気をこれでもかと吸い込む。
「それで?何をすればいいわけ?」
 俺の視線に安田は少しだけ、顔を赤くして俯いた。その様子に俺も姿勢を正して、真剣な顔を作る。
「今日、宿泊研修の班決めるらしいからさ、それで……」
「わかった。協力してやるよ」
 安田の言葉を最後まで聞かずに、俺は教室の方へと足を踏み出す。
「え、ちょ、藤倉??」
 安田の戸惑った声が背中から追いかけてきたけど、俺は構わず早足で廊下を進む。
 俺は笑いそうになるのを必死で堪えていた。なんだよ、頬染めて俯くなんてキャラかよ。安田には悪いが、ちょっと意外過ぎて面白い。
 俺の後を追いかけてきた安田が教室に駆け込むのと同時にチャイムが鳴った。

 新入生の親睦を深めることを目的とした宿泊研修は、毎年六月頭に二泊三日の日程で行われている。内容はバーベキューに肝試し、トレッキングと、生徒にとっては楽しみしかないような行事だ。宿泊研修中は基本的に班行動になるため、宿泊研修で同じ班になるとカップルになりやすいという噂がある。安田のように同じクラスに好きな人がいる場合、この班決めは重要だった。
「四人から六人くらいで班作れー。班決まったら、先生のとこに報告に来るように。記入用紙渡すから、それにメンバーを書いて提出。それから、リーダーも一人決めるように」
 なんとも適当な担任の声で、教室の中が一気にざわめき出した。
 みんな思い思いにグループで固まり始める。
 入学してから一ヶ月ちょいしか経っていないけれど、自然と仲のいいグループは出来ているので、あとは人数に合わせてくっついたり離れたりをして調整するだけだ。
 ま、その調整が一番大変なんだよな。特に恋愛が絡むと。
「安田、行くか?」
「お、おぅ」
 こんなのは早い者勝ちだ。一緒の班になりたい奴が決まっているなら、とりあえず先に声をかけなくては。安田が想いを寄せている豊田はただでさえ人気者なのだから。
「豊田!」
 俺は豊田の席に向かいながら、声をかけた。教室の至るところから視線を、それも主に男子の視線を感じるけど、そんなの気にしている場合ではない。先手必勝なのだから。そして、これは安田のためだ。自分のためではないからこそ、堂々といけるというものでもある。
 隣の安田は「よ!」と小さく手を挙げただけで、完全に会話を俺に投げている。
「もう班決まっちゃった?」
「ううん、まだだけど」
「じゃあ、俺たちと組まない?俺たちまだ二人なんだよね」
「私は構わないけど……双葉ふたばはそれでもいい?」
 豊田が隣に立つ川上かわかみ双葉ふたばに視線を向けた。俺は川上と話したことはなかったが、入学当初に行われたテストで学年一位だった川上は、授業の度に先生たちが指名するので、俺も自然とその名前を覚えていた。
 川上は豊田と並ぶとその低い身長と少し窺うように顔を俯かせて見上げる姿が小動物か何かのようで、余計に小さく見えた。クラスの中でもあまり目立たない静かな女子。休み時間も一人で本を読んでいることが多く、正直、俺や安田のような騒がしい男子は苦手そうに見える。豊田と一緒にいるというのも、意外だった。あまり一緒にいる姿を見たことはない気がしたか、仲良かったのか?
真子まこがいいなら、私もいいよ」
 大きな眼鏡をちょっと直しながら、小さな声で川上が言った。豊田のことを下の名前で呼ぶのも、なんだか新鮮で聞き慣れない。
「じゃあ、よろしく」
「よろしく」
「俺、とりあえず先生のとこ行ってくるわ」
 その俺の言葉に、一瞬、隣の安田が救いの視線を投げかけてきた気がしたけれど、俺は気付かなかったことにして、安田をその場に残して教卓に向かった。
 ここまで協力したら、あとは自分でなんとかしろよな。ちらっと視線だけで振り返ると、安田がちゃんと豊田と川上に話しかけていた。俺は心の中で小さくガッツポーズをしてから、視線を戻した。

「リーダーどうする?」
 先生から用紙を受け取って、みんなのところに戻った俺は切り出した。
「やっぱ、ジャンケンか?」
 安田が言いながら、シャツの袖を捲っている。
「そうだね、そうしようか」
 豊田が表情を変えずに静かに答え、川上を振り返った。
「あ、あの、私……」
 川上は恥ずかしそうに小さく胸の前で手を挙げていた。
「え?」
 川上の小さな声を聞き逃さない様にと三人の距離が近くなる。
 三人の視線を受けて、川上は顔を少しだけ赤くした。
「私、やるよ。三人とも部活で忙しいでしょ?放課後に集まりあるだろうし。私の部活、そこまで厳しくないから」
 そこまで一息に早口でしゃべった川上は三人の顔を窺う様に眼鏡の奥の瞳をキョロキョロとさせている。
「え、本当にいいの?」
 豊田が心配そうな声で確認する。
「うん」
 申し訳なさそうに見つめる豊田に応える様に川上が笑った。
「双葉がいいなら……ありがとう」
 豊田も川上に笑いかけた。
 俺と安田は顔を一瞬だけ見合わせ、そして小さく息を吐く。
「ありがとう、川上。助かるわ」
「マジ感謝!」
「そんなにたいしたことじゃないから」
 川上が小さく首を振って、恥ずかしそうに笑った。
 その川上の表情に、俺はなぜか、ひかりを思い出してしまった。
 ひかりはハキハキと明るく誰にでも物怖じせずにしゃべるけれど、ときどき恥ずかしそうに小さく笑うことがあった。
 今まで気付かなかったけれど、川上は少しひかりに似ていた。それは、髪の長さだったり、肌の白さだったり、大きな瞳だったり……そんな外見的なものだけでなく、ふとした表情がとてもよく似ていた。
 俺はそれ以上、川上を見ているのが怖くなり、手元の用紙に記入を始めた。

「安田たち、班決まったの?」
 いつもは自転車通学の香川がめずらしく電車で帰るからと、一緒に校門を出たところで聞いてきた。
「男子は俺ら二人で、女子が川上と豊田」
 安田が何でもない顔を装って、答える。俺からすれば、嬉しさを必死で隠そうとして隠しきれていないのが丸わかりだけど。
「マジ?うわぁ、ずるいなぁ」
「仕方ないだろ、同じクラスなんだから」
「いや、お前、絶対狙っただろ?」
「偶然だよ、偶然!な、藤倉!」
 安田の顔がもうどうしようもなくニヤけているのを確認した俺は、ちょっといじわるしたくなった。
「さぁ、どうかな」
「藤倉!」
「ほら、やっぱり、狙ったんだろ!」
「ちげぇって。藤倉が、どうしてもって」
「おい。俺を巻き込むなよ」
「何?何?藤倉の好きな奴って、もしかして?」
 ちょっとした、いじわる心を出したのがいけなかったのか、話の矛先が完全に俺に向いてしまった。
「だから、違うって。俺、今は誰とも付き合う気ないし」
「まじで?」
「なんで?」
 夏に向かっていく春の柔らかな夜風の音と、安田と香川の声が重なる。
「いや、だから、……俺は、今は野球に専念するんだよ」
「うわ、嘘っぽいなぁ」
「そんな嘘に騙されるかよ」
「嘘じゃないって。俺、今は野球でいっぱいいっぱいだから、そういう心の余裕ないの」
 困った俺は二人よりも早く足を進めた。背中から二人の会話が聞こえてくる。
「こういう奴に限って、女子から告白とかされるんだぜ」
「それで、いつの間にか彼女作ってさ、あっさり俺たちのこと置いていくんだよな」
「だから、ないって、今は」
 思わず振り返った俺に、外灯の弱い光の中、二人の冷ややかな視線が向けられた。
「今、ね」
「今、か」
「だから……」
「藤倉さ、中学のときは彼女いたの?」
 さらに言葉を続けようとした俺を遮って、香川が聞いてきた。
「!」
 俺が思わず言葉に詰まると、二人の目が光った。
「いたな!」
「いたな!」
 二人に同時に追求されて、俺は勢いに押された。
「いたよ!でも、もう別れたから」
「そっかぁ。藤倉、彼女いたことあるのかぁ」
 安田が遠くを見ながら、寂しそうに呟く。その声はぼやけたように明るい夜空に静かに吸い込まれる。
「いや、だから、別れたって」
 そんな安田の表情に俺の声も小さくなった。
「やっぱ、告白されたのか?」
「なんて言われた?」
 遠くを見ていたはずの二人が瞳を輝かせて、顔を向けてきた。
「もう別れたんだから、関係ないだろ」
「いいや、今後の俺たちのためにも教えてくれ」
「教えろよ」
「……!」
 二人の追求に耐えきれなくなった俺は、何も言わず、二人に背を向けると、駅への道を勢いよく駆け出した。
「俺、急ぐから!じゃあな!」
 ちっとも説得力のない言い訳を残して、俺は振り返ることなく走る。突然の俺の逃亡に二人はあっけにとられたようで、追いかけてはこなかった。その代わり、安田の大きな声が俺の背中にぶつかる。
「じゃー、明日楽しみにしてるから!」
 俺はそんな安田の声を聞かなかったことにして、加速した。
 思わずホームまでの階段もダッシュした俺は、いつもよりも早い電車に滑り込めた。閉まったドアに体を保たせて、息を整える。こんなに走ったのは、いつぶりだろう。じんわりと汗ばむ体にシャツが張り付いて気持ち悪かった。俺はシャツの袖を捲りながら、電車の外の風景に目を移した。そして、いつもより明るく見える夜の空へ視線を向ける。
 今日はやけに月が大きく見えるな。

     ◇

 いつもは暗い夜の空が少しだけ明るい。外灯がなくても浮かび上がる二つの影はその輪郭を不安定に揺らす。靴の裏で鳴る落ち葉の重なる音さえ気づけない俺の耳に、その声は不思議なほどはっきりと届いた。
「大ちゃん、おめでとう」
「!……ありがと」
 ひかりにそう小さく答えながらも、俺の心臓はまだドキドキしていた。
 心だけまだ、あの試合に置いて来てしまった様で、俺の体はなんだかフワフワとしていて、歩いている実感さえもあまり感じなかった。
 俺は学校から駅までのいつもの帰り道をいつもの様にひかりと二人で歩いていた。いつからか、俺たちはほかの部活仲間から離れて、大通りではない二人だけの帰り道を通る様になっていた。そもそもはひかりを家まで送るためにその道を通っていたのだけど、いつの間にかそれは当たり前になってしまっていて、ひかりが「送って」と言わなくても、自然と二人でその道を帰る様になっていた。
「大ちゃん、心ここにあらず」
「え、あ、ごめん」
 俺の頭の中では試合中の記憶が何度も繰り返し流れていて、ひかりが立ち止まったことに気付かなかった。ボールが指先から離れていく感触も、大きな弧を描いてリングに吸い込まれていく光景も、体中が記憶していた。
 振り返った俺にひかりは小さく首を振ると、笑って言った。
「大ちゃん!すごく、すごく嬉しいってことだね」
「ひかり……」
 ひかりは俺に笑顔を向けていたかと思うと、突然、俺に背を向けた。
「ひかり?」
 俺が思わず、ひかりの肩に手を触れると、ひかりの肩が小さく震えていた。
「え、どうした?ひかり?」
 俺がひかりの顔を覗き込むと、ひかりは声を殺して、小さく泣いていた。
「ごめん。悲しいわけじゃなくて、嬉しくて」
 ドクンッ。
 俺は自分でも聞いたことがないくらい大きく自分の心臓の音を感じた。
「大ちゃんがすごい頑張ってたの、私、知ってるから、それで……」
 ドクンッ。
 もう一度大きく鳴った心臓の音に突き動かされる様に、俺はひかりを抱きしめた。
 それは、衝動のようなもので、頭で考えるよりも先に体が動いてしまった、そんな感じだった。
「だいちゃん」
 ひかりの小さな声が耳元で聞こえた。
「好きだ」
 もう、言わずにはいられなかった。二人の関係がどんなふうに変わってしまうのかなんて、分からなかったけれど。俺の気持ちは、もう、どうしようもなくひかりに向かって溢れてしまっていた。そのことに気付かないフリなんて、もう、できそうもなかった。
「うん、だいちゃん、私も好きだよ……」
 ひかりの声は少しだけ涙がかっていて、俺はまたどうしようもなく、ひかりへの気持ちが溢れ出すのを感じた。俺は少しだけ腕の力を強くした。
 冷たい夜風が吹き抜けて、黄色く色づいた銀杏の葉が足元で舞っていた。

「帰ろう」
 俺がひかりの体を離すと、ひかりは恥ずかしそうに小さく俯いて、「うん」と小さな声で頷いた。
 俺がひかりの家の方向へと体を向けたときだった。
「大ちゃん!」
 ひかりがはっきりと俺を呼んだ。
 そして、右手を差し出して笑った。
「手、つなごう」
 そう言って笑ったひかりの顔を俺は一生忘れないと思う。
 月明かりに照らされたひかりの頬が赤かったことも、涙の跡が残っていたことも、差し出された小さな手がとても冷たくて、柔らかかったことも、きっと、忘れない。俺は心に刻み込む様にそう強く、強く思った。
 きっと、このとき、手をつないだ瞬間から、俺たちの関係は明確に変わったのだと思う。
 中学一年の秋の終わり、俺たちは、同級生でも、友達でもなくて、恋人になった。

     ◇

「豊田?」
 電車を下りて、階段へと続くホームの先に視線を向けたときだった。ちょうど一つ前の車両のドアから下りてくる見知った姿を見つけた。豊田は閉じたばかりの扉に向かって小さく手を振っていた。その相手までは見えなかったが、普段とは違う豊田の柔らかな表情に、俺は思わず足を止めてしまった。
「!……藤倉くん」
 立ち止まっていた俺に気づいた豊田は、少しだけ目を見開き驚いたようだったが、すぐにいつもの感情があまり読み取れない顔へと戻った。
「あー、豊田の家ってこっちだっけ?」
「ううん、違うよ」
 俺と豊田は階段へと流れる人波に飲み込まれながらも歩き出した。幸い、二人とも背は高い方なので、見失うことはなかった。
「どっか用事?」
「そう。岸記念病院ってわかる?」
「あぁ、北口にある病院だろ」
「そう。そこに行きたくて」
 病院……豊田、どっか悪いのか?それとも、お見舞い?聞きたい気もするけど、そういうことって気軽に聞いちゃいけないような……俺がどうしようかと思案していると、その空気を察したのか、豊田が俺を見上げて、小さく呆れた様に笑って言った。
「そこで父が働いているの」
「あ、そうなんだ」
 俺は普段あまり見られない、豊田の笑った表情に、少しだけ気が緩んだ。安田が聞いたら、うらやましがるだろうな。
 階段を上り、改札を抜けたところで、豊田が「じゃあね」と俺に小さく手を振って背中を見せた。俺の家は南口なので、俺も同じ様に反対に背を向けようとして、思わず足が止まる。駅員室の横に張られたポスターに目が留まった。
「豊田!」
 豊田が二、三歩先で振り返る。
 俺は豊田に追いつくと、豊田の顔ではなく、北口から覗く空を見て言った。
「やっぱ、送るわ。あっち結構暗いから」
「え、いいよ。そんなに遠くないはずだし」
「そんなに遠くはないけど、そこまで近くもないって言うか、」
 安田、怒るかなぁ。でも、ここで一人にして何かあったら、そっちの方が問題だし。俺はさきほど目に留まったポスターを思い出し、安田はむしろ感謝するか、と思い直した。
「まぁ、ありがたいけど……でも、急にどうして?」
「あー、いや、アレが目に入っちゃって」
 俺は視線をポスターに向けた。豊田が俺の視線の先を追う。
「痴漢注意……」
 ポスターから視線を戻した豊田が俺を見上げて、笑った。それは、さきほどの呆れた様な笑いではなく、少し照れたような、おそらく安田が惚れたであろう、かわいい表情だった。
「藤倉くん、優しいね」
「別に。フツーだろ」
 俺は豊田の視線から逃げる様に顔を背けて歩き出した。俺は自分の顔を豊田に見られない様に少し顎を上げた。こういう時、自分の身長が高くてよかったと思う。豊田のことをかわいい、なんて、うっかり思ってしまった俺は、心の中で安田に謝った。別にかわいいって思っただけで好きになったわけではないけれど、なんとなく、この状況が後ろめたくなったのだ。ここは、安田に何か豊田情報を渡すことで、後ろめたさを消しておくか。
「そういえば、豊田と川上って前から仲良いの?」
「そうだけど。なんで?」
「あ、いや、二人が一緒にいるところ、あんまり見たことなかったから」
 美人で背も高い豊田はクラスの中でも目立っている。それに対して、川上は成績の面では有名だが、基本的には大人しくてあまり目立つようなタイプではなかった。
「そう?確かに、私も双葉もグループ行動が苦手だから、一人でいることの方が多いけど……」
 豊田がそこで言葉を切って、俺の顔をまっすぐ見つめてきた。あまり感情が読み取れない、静かなまなざしだった。
「たぶん、それって『私たちが』じゃなくて、『藤倉くんの問題』だと思うよ」
「え……?」
 豊田はすっと俺から視線を外すと、何事もなかった様に前を向いて歩き出した。俺はどう言ったらいいのか分からず、豊田の半歩後ろを静かについていく。
 北口のバスロータリーを抜け、大通りを渡ると、住宅街が広がっている。岸記念病院は住宅街を越えた、わりと大きい児童公園のそばにある。駅から徒歩十分ほどの距離で、日中は人通りも多く、公園から子どもの声が絶えない明るい場所にあるが、夜になると人通りは少なくなり、とても静かな場所になる。人のいない広い公園には遊具や茂みの影ができ、その暗さが少し不気味に感じる。
「……いつもこの時間に通るの?」
 俺は公園を横目に見ながら、先ほどの会話を忘れたフリをして、豊田に話しかけた。
「ううん、初めて」
 豊田もいつもと変わらない静かな声で答えた。そのことに俺は少しホッとした。俺は豊田の隣に並んで、会話を続ける。
「あー、そっか。ここ、昼間は明るくていいけど、夜は人もあんまり通らないからなぁ」
「夜に、じゃなくて、行くのが初めてなの」
「え?」
 俺が隣を歩く豊田を振り返ると、豊田は俺の顔を見上げていた。
「最近なの。父がここで働き出したの。前は都内の大学病院だったから」
「あ、そうなんだ」
「うん。だから、ちょっと助かっちゃった」
 街灯が俺の影を豊田の顔に落とした。
「こんなに暗いとは思わなかったから……藤倉くんに会えてよかったよ」
 そう言った豊田の顔はよく見えなかった。けれど、少しだけ、いつもの静かな声ではない様な気がした。
 公園を通り過ぎると、岸記念病院の看板が目に入った。夜遅くまで診療を受付けているため、入口からは明るい光が漏れていた。
「じゃあ、ここで」
 俺が入口の前で立ち止まると、豊田はしっかりと俺に視線を合わせてから、「ありがとう。また明日ね」と手を振って、病院の中に入っていった。
 家までの道を歩きながら、俺は先ほど豊田に言われた言葉を考えていた。『藤倉くんの問題』ってどういう意味だろう?鈍感ってこと?あまり周りが見えてないってこと?いや、もっと何か根本的なことを言われている気がするけど……。

「ただいま」
 俺が玄関に入ると、ちょうどひかりが二階から階段を下りてきた。
「おかえりなさい」
「おぅ」
 俺はひかりの横をすり抜けて、自分の部屋に向かおうと階段に足をかけた。頭の中では豊田の言葉がまだグルグル回っている。
「あの背の高い女の子、誰?」
「え?」
 小さなひかりの声が背中から聞こえて、俺は振り返った。
「ショートカットの……同じ学校の子?」
「あ、あぁ、豊田か。野球部のマネージャーだけど」
「ふーん。付き合ってるの?」
「は?ないない。てか、なんで?」
「駅で見たから」
 ひかりが俺の顔を窺う様に見上げている。それは、どこか不満そうな、いや、不安そうな……寂しそうな表情に見えた。俺の心は一気にざわついた。
「あぁ、たまたま一緒になっただけで、北口のほうに用があるって言うから、ちょっと送っただけっていうか、」
 ざわついてしまった心のままに、俺はなぜか、そう事細かにひかりに説明してしまっていた。なんで、ひかりにこんな言い訳みたいなこと言っているのか、自分でもよく分からなかった。
「ふっ、」
 そんな俺の様子にひかりが小さく笑った。
「変な大ちゃん。私、そこまで聞いてないのに」
 ひかりの緩んだ表情に、俺の心のざわつきがゆっくりと収まっていく。
「それもそうだよな」
「大ちゃん、何かやましいことでもあるんじゃないの?」
 ひかりが今度は完全に俺をからかう表情をする。ひかりがこういう表情かおをするときは、逃げるしかない。言葉でひかりに敵わないことは学習済みである。
「ないって。俺、部屋行くから」
 ひかりに背を向けて階段を上り始めた俺に、ひかりの声が追いかけてきた。
「あー、逃げた。あやしいなぁ」
 その声は、もう俺をざわつかせる様なものではなくなっていた。そのことに、俺はホッとして、同時に少しだけ寂しく思った。

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