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4.告白
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高校入学から一か月ほど経った連休明け。
美晴が告白された。美晴が誰かに告白されるのは見慣れた光景なので、驚くようなことではないのだけど。今回は相手が相手で、場所も場所だった。
美晴に告白してきたのはひとつ上のサッカー部の西園寺先輩。入学して一か月の、部活にも委員会にも所属していない私でも名前まで知っている。とても有名なひとだった。見た目がいいのはもちろんのこと、サッカー部ではエースで、勉強もできる。性格はよく知らないけれど、彼が廊下を歩けば周りの女子たちが息を止めて見つめるくらいにモテモテだった。女子のざわめきを掻き消すほどの魅力。おしゃべり好きの女の子たちを、目に焼き付けることに、わずかな言葉を拾うことに集中させてしまうのだから、本当にすごい。父親が大きな病院を経営していて、いずれは医者になるのだということまで情報は広がっていた。
話だけ、存在だけ知っている、関わることのないひと。私も美晴もきっとそんな認識でしかなかった。
「渡辺美晴さん、だよね?」
お昼休み、私たちはもはや指定席となった中庭のテーブルにいた。「お腹空いたね」「今日のおかずなんだろう」そんな会話をしながらお弁当を広げていたときだ。ふっと影が落ちてきて、静かな声がかけられた。
「……そうですけど」
美晴が眉を寄せても、西園寺先輩はまったく動じることなく「話があるんだけど。時間あるかな?」と会話を繋げた。にっこりと崩れない笑顔は美しかったけれど、私にはちょっと近寄りがたい空気を感じてこわかった。疑問形にしている言葉すら、「あるよね」と断定的な言葉に聞こえてしまう。
「……」
美晴はじっと西園寺先輩の顔を見つめ、どう答えるべきか考えているみたいだった。
話しかけられて嬉しい、という表情ではない。邪魔をされて不機嫌なカオ。けれど、素直に追い返していいものか悩んでいる、そんな感じだ。相手が西園寺先輩でなければ「今からお昼なので」とあっさり断っていたに違いない。
柔らかな春の風が、緑の爽やかな香りが消えていく。ピリピリとした空気を肌で感じ、私は立ち上がることもできず、そっと視線だけを動かした。気づけば、中庭を取り囲むあちこち(廊下や校舎の窓)から視線を向けられていた。みんな静かにこの会話の行方を見守っている。いや、楽しんでいる? なんだか嫌な感じだな、と包みを広げただけのお弁当箱へと視線を戻す。隣に並んでいる美晴のお弁当箱も蓋を外されることなく置かれたままだ。
「……あの」
すっと小さく息を吸う音がして、美晴が口を開く。
「申し訳ないのですが、これからお昼を食べるところなので」
いつもよりはだいぶ穏やかに言葉を選び、にっこりと微笑みまで付けて美晴が言った。
「そう。じゃあ、このまま聞いてよ」
「え」
まさかそんな返しがくるとは思っていなかったのだろう、美晴がわずかに言葉を飲み込んだ、その隙を西園寺先輩は逃さなかった。素早く向かい側の席に座ると、美晴をまっすぐ見つめたまま言った。
「渡辺さん、僕と付き合ってよ」
もともと静かだった空気がさらにもう一段階、静けさを増した、そんな気がした。
声は決して大きくはなかったけれど、向けられる視線が西園寺先輩の告白を聞いていたことを示している。美晴の返事を聞こうと意識を向けられているのを肌で感じる。
こんなに多くのひとたちに見られていても、隣に私がいても構わず告白をしてきた西園寺先輩。きっと自分が振られることはないという自信があるのだろう。そうでなければ、こんな状況で告白なんてしないはずだ。「付き合う」以外の返事を許さない空気。振るなんてありえない。言葉なんてなくても向けられている視線だけで伝わってくる。
美晴はじっと西園寺先輩を正面から見つめたまま黙っている。
「……美晴」
そっと小さく名前を呼ぶと、美晴は、はあ、と大きなため息とともにゆっくり瞼を閉じた。
たった一回の瞬きが何秒にも何分にも感じられるほどに静かな時間だった。
「渡辺さん?」
西園寺先輩が声をかけると、美晴は大きな目をパチッと開き、まっすぐ声を響かせた。
「ごめんなさい。わたし、好きな人いるので。先輩とは付き合えません」
ざわり、と中庭を包んでいた空気が動く。西園寺先輩は向けられた言葉を飲み込めていないのか、作った笑顔ごと固まっている。
「千映、ごめんね。お腹空いたよね? 早く食べよう」
美晴が私を振り返る。
「千映のお弁当なんだった?」
ここに着いた瞬間から仕切り直すかのように、告白も周りの視線もなかったことにするかのように、美晴はいつもと同じように私に話しかけ、お弁当箱の蓋を開けた。
「え、えっと」
私はどうするのが正解なのかわからず、そっとテンプルに触れる。フレームの端に映った美晴の手は箸を握ったまま小さく震えていた。
お昼休みのあとから増えた視線もざわめきも美晴は知らないふりを通した。休み時間は私にだけ話しかけ、自分の席にいるときは窓の外を見つめる。放課後になると同時に美晴は何かから逃げるように私の手を握って歩き出した。校門からの坂道を下る間、駅で電車を待つ間、座席に座って揺られてる間も美晴は西園寺先輩の名前ひとつ出さなかった。
最寄り駅に着き、改札を抜けたところで足を止める。同じ中学校に通っていたけれど、私たちの家は駅を挟んでいるので、使っている出口が異なる。朝は待ち合わせ場所になる改札口が、放課後は「また明日」と声をかけ合う場所に変わる。
――本当にこのまま分かれていいのだろうか。
「美晴」
数歩先で止まった背中。美晴が顔を振り返らせる。
「うん?」
呼び止めたのは私なのに。言葉は続かなかった。美晴が必死に中学のときのことを思い出さないようにしているのがわかるのに。痛いほど伝わってくるのに。何を言えばいいのかわからない。「大丈夫?」と聞くことだけならできる。できるけど「大丈夫だよ」と返ってきて終わってしまう気がする。美晴が本当に話したいことを私は聞けないから。美晴もきっとそれをわかっていて言わないのだろう。
「……また、明日ね」
「それさっきも言ったよ」
ふふ、とようやく美晴の柔らかな表情が見られて少しだけホッとする。
「千映。また明日ね」
「うん」
柔らかな髪が人混みに見えなくなってから方向を変える。見上げた空はまだ明るい。日が暮れるまでは時間がある。中学のときよりも早く家に着いてしまいそうだ。家に帰っても母はまだ帰っていないだろう。急いで片付けないといけない課題もない。昼間の熱をゆっくりと手放していく空気を吸い込み、いつもとは違う道へと足を向ける。なんとなくまっすぐ帰る気にはなれなかった。
眼鏡を新調したのに。前よりもはっきりと見えるようになったのに。私には自分がどうしたいのか、何を求めているのかわからない。まるで迷子にでもなったような苦しさの中にいた。お祭りの中で手を離してしまったあの日と同じ気持ち。このままではいけないことだけはわかるのに。ぐるぐると膨らむ不安に浸かっている。
美晴が告白された。美晴が誰かに告白されるのは見慣れた光景なので、驚くようなことではないのだけど。今回は相手が相手で、場所も場所だった。
美晴に告白してきたのはひとつ上のサッカー部の西園寺先輩。入学して一か月の、部活にも委員会にも所属していない私でも名前まで知っている。とても有名なひとだった。見た目がいいのはもちろんのこと、サッカー部ではエースで、勉強もできる。性格はよく知らないけれど、彼が廊下を歩けば周りの女子たちが息を止めて見つめるくらいにモテモテだった。女子のざわめきを掻き消すほどの魅力。おしゃべり好きの女の子たちを、目に焼き付けることに、わずかな言葉を拾うことに集中させてしまうのだから、本当にすごい。父親が大きな病院を経営していて、いずれは医者になるのだということまで情報は広がっていた。
話だけ、存在だけ知っている、関わることのないひと。私も美晴もきっとそんな認識でしかなかった。
「渡辺美晴さん、だよね?」
お昼休み、私たちはもはや指定席となった中庭のテーブルにいた。「お腹空いたね」「今日のおかずなんだろう」そんな会話をしながらお弁当を広げていたときだ。ふっと影が落ちてきて、静かな声がかけられた。
「……そうですけど」
美晴が眉を寄せても、西園寺先輩はまったく動じることなく「話があるんだけど。時間あるかな?」と会話を繋げた。にっこりと崩れない笑顔は美しかったけれど、私にはちょっと近寄りがたい空気を感じてこわかった。疑問形にしている言葉すら、「あるよね」と断定的な言葉に聞こえてしまう。
「……」
美晴はじっと西園寺先輩の顔を見つめ、どう答えるべきか考えているみたいだった。
話しかけられて嬉しい、という表情ではない。邪魔をされて不機嫌なカオ。けれど、素直に追い返していいものか悩んでいる、そんな感じだ。相手が西園寺先輩でなければ「今からお昼なので」とあっさり断っていたに違いない。
柔らかな春の風が、緑の爽やかな香りが消えていく。ピリピリとした空気を肌で感じ、私は立ち上がることもできず、そっと視線だけを動かした。気づけば、中庭を取り囲むあちこち(廊下や校舎の窓)から視線を向けられていた。みんな静かにこの会話の行方を見守っている。いや、楽しんでいる? なんだか嫌な感じだな、と包みを広げただけのお弁当箱へと視線を戻す。隣に並んでいる美晴のお弁当箱も蓋を外されることなく置かれたままだ。
「……あの」
すっと小さく息を吸う音がして、美晴が口を開く。
「申し訳ないのですが、これからお昼を食べるところなので」
いつもよりはだいぶ穏やかに言葉を選び、にっこりと微笑みまで付けて美晴が言った。
「そう。じゃあ、このまま聞いてよ」
「え」
まさかそんな返しがくるとは思っていなかったのだろう、美晴がわずかに言葉を飲み込んだ、その隙を西園寺先輩は逃さなかった。素早く向かい側の席に座ると、美晴をまっすぐ見つめたまま言った。
「渡辺さん、僕と付き合ってよ」
もともと静かだった空気がさらにもう一段階、静けさを増した、そんな気がした。
声は決して大きくはなかったけれど、向けられる視線が西園寺先輩の告白を聞いていたことを示している。美晴の返事を聞こうと意識を向けられているのを肌で感じる。
こんなに多くのひとたちに見られていても、隣に私がいても構わず告白をしてきた西園寺先輩。きっと自分が振られることはないという自信があるのだろう。そうでなければ、こんな状況で告白なんてしないはずだ。「付き合う」以外の返事を許さない空気。振るなんてありえない。言葉なんてなくても向けられている視線だけで伝わってくる。
美晴はじっと西園寺先輩を正面から見つめたまま黙っている。
「……美晴」
そっと小さく名前を呼ぶと、美晴は、はあ、と大きなため息とともにゆっくり瞼を閉じた。
たった一回の瞬きが何秒にも何分にも感じられるほどに静かな時間だった。
「渡辺さん?」
西園寺先輩が声をかけると、美晴は大きな目をパチッと開き、まっすぐ声を響かせた。
「ごめんなさい。わたし、好きな人いるので。先輩とは付き合えません」
ざわり、と中庭を包んでいた空気が動く。西園寺先輩は向けられた言葉を飲み込めていないのか、作った笑顔ごと固まっている。
「千映、ごめんね。お腹空いたよね? 早く食べよう」
美晴が私を振り返る。
「千映のお弁当なんだった?」
ここに着いた瞬間から仕切り直すかのように、告白も周りの視線もなかったことにするかのように、美晴はいつもと同じように私に話しかけ、お弁当箱の蓋を開けた。
「え、えっと」
私はどうするのが正解なのかわからず、そっとテンプルに触れる。フレームの端に映った美晴の手は箸を握ったまま小さく震えていた。
お昼休みのあとから増えた視線もざわめきも美晴は知らないふりを通した。休み時間は私にだけ話しかけ、自分の席にいるときは窓の外を見つめる。放課後になると同時に美晴は何かから逃げるように私の手を握って歩き出した。校門からの坂道を下る間、駅で電車を待つ間、座席に座って揺られてる間も美晴は西園寺先輩の名前ひとつ出さなかった。
最寄り駅に着き、改札を抜けたところで足を止める。同じ中学校に通っていたけれど、私たちの家は駅を挟んでいるので、使っている出口が異なる。朝は待ち合わせ場所になる改札口が、放課後は「また明日」と声をかけ合う場所に変わる。
――本当にこのまま分かれていいのだろうか。
「美晴」
数歩先で止まった背中。美晴が顔を振り返らせる。
「うん?」
呼び止めたのは私なのに。言葉は続かなかった。美晴が必死に中学のときのことを思い出さないようにしているのがわかるのに。痛いほど伝わってくるのに。何を言えばいいのかわからない。「大丈夫?」と聞くことだけならできる。できるけど「大丈夫だよ」と返ってきて終わってしまう気がする。美晴が本当に話したいことを私は聞けないから。美晴もきっとそれをわかっていて言わないのだろう。
「……また、明日ね」
「それさっきも言ったよ」
ふふ、とようやく美晴の柔らかな表情が見られて少しだけホッとする。
「千映。また明日ね」
「うん」
柔らかな髪が人混みに見えなくなってから方向を変える。見上げた空はまだ明るい。日が暮れるまでは時間がある。中学のときよりも早く家に着いてしまいそうだ。家に帰っても母はまだ帰っていないだろう。急いで片付けないといけない課題もない。昼間の熱をゆっくりと手放していく空気を吸い込み、いつもとは違う道へと足を向ける。なんとなくまっすぐ帰る気にはなれなかった。
眼鏡を新調したのに。前よりもはっきりと見えるようになったのに。私には自分がどうしたいのか、何を求めているのかわからない。まるで迷子にでもなったような苦しさの中にいた。お祭りの中で手を離してしまったあの日と同じ気持ち。このままではいけないことだけはわかるのに。ぐるぐると膨らむ不安に浸かっている。
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