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3.憧れと苦味
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「木崎課長、格好いいですよね」
取引先へと向かう電車の中、百瀬がつり革を掴んだまま笑顔を向けてくる。自分よりも背が高いので、軽く見上げる形になった。
「厳しいなと思うこともあるんですけど。それ以上に自分に厳しいので。課長がそこまでやるならこっちもやるしかないなって」
百瀬は俺の二つ下、入社二年目の後輩だが、企画一課からの異動なので仕事に関しては先輩とも言える。驕ったところは全くなく『津島さんの役に立てるように頑張ろう』と心の中までよくできたやつだった。
「入社してからずっと海外勤務で、ロンドン、シンガポール、アリゾナ……一年以上同じところにいたことがないって聞きました」
百瀬は屈託なく笑い、憧れを浮かべる。頭上には『木崎課長すごいな。憧れるな』の文字が並ぶ。
「自動運転に使われている技術を玩具に応用させたのも木崎課長ですし、うちの会社に目を付けたのも木崎課長じゃないかって噂ですし。今回のことも……本当にすごいですよね」
「そうだな」
目の前の窓が春の色に染まる。川に沿って並んだ桜は満開を過ぎていたが、完全に散ってはいない。
――春になったらさ、お花見しよう。
懐かしい声が蘇り、そっと顔を背けた。
「お待たせしました」
ゲームグッズ制作会社、ファンゲーム日本支社の応接室で、ポロシャツにチノパンというカジュアルな格好の男性――中村さんと向かい合う。年はあまり変わらないはずだが、肩書きは日本支社長だ。
「もうすぐですね」
事前に渡していた資料を手に取り、中村さんが声を弾ませる。
――楽しみだな。
期待が表情にも吹き出しにも表れている。
隣の百瀬も気合い十分で話し出す。
「ええ、前回よりもさらにいいものにしようとメンバーも張り切っています」
ファンゲームには、月末に予定しているイベント――新作ゲームの試遊やグッズの物販をメインにしたゲームイベント――に参加してもらうことになっている。
「御社がイベントに初めて参加されるとあって、期待の声があがっていますよ」
手にしていたタブレットを中村さんへ向ける。『ファンゲームだ』『ここで買えるの?』『絶対行く』『○○のグッズかな』とSNS上に並ぶ言葉は好意的なものばかりだ。
「来週には詳細を発表しますから、ますます盛り上がるでしょうね」
「嬉しいですが、緊張もしますね。できるなら期待以上になりたいですし」
ファンゲームは五年前にアリゾナ州で設立された小さな会社だ。様々なゲームのオフィシャルグッズを企画・製作し、自社サイトのみで販売している。全行程を自社で行うため数量は少ないが、ゲームの世界を写し取った高いクオリティが評判を呼んでいる。
「木崎さんにもよろしくお伝えください」
この四月に日本支社ができるまで、ファンゲームとやり取りをしていたのは木崎だった。どうやって口説き落としたのかはわからないが、中村さんの声には信頼が滲み出ている。
「――引き続きよろしくお願いします」
グッズの製作状況や搬入スケジュールの確認を終え、席を立つ。出口へと向かいかけたとき、中村さんの頭上に吹き出しが浮かんだ。
――今、聞いておこうかな。
「疑問点などありましたら、遠慮なく仰ってくださいね」
そう付け加えれば、中村さんは笑顔を保ったまま、視線だけを強める。
「では……今回のイベントですが、うちでなければならない理由は何かありますか」
「そうですね、まず」
笑顔を作り、予め用意していた言葉を口にする。精巧な造りや数量を絞った希少性。資料やネットから拾ったファンゲームを表す言葉を並べていく。
「そして、何より……」
中村さんが求める言葉を最後に持ってこようと、頭上へと視線を向ける。
――誰に聞いても同じだな。
――俺は誰が書いても同じものなんていらない。
瞬間、中村さんの浮かべた言葉が、木崎の言葉と重なった。間違えただろうか、と一瞬で膨らんだ不安に喉を圧迫される。すると
「気遣いですよね」
俺の言葉を引き継ぐように百瀬が言った。
「気遣いですか?」
「ええ、御社の商品すべてかはわかりませんが、中の部品にまで模様が入っていますよね」
「そうですが。解体されたのですか?」
「すみません。イベント内でおもちゃの修理スペースを設けることになったので、その勉強の一環で……。御社はきっと直すことを想定されていらっしゃいますよね。見えないところにまで気遣いを忘れないのは、永く使ってもらうためですよね。そういう姿勢を弊社も見習いたくて。なので、えっと、御社でなければならない理由は、そういう」
話すことに夢中だった百瀬が着地点を見失うと、中村さんが引き取る。
「ありがとうございます。御社が主催するイベントに参加できて光栄です」
頭上には『百瀬さんが担当でよかった』と浮かんでいた。
エレベーターの扉が閉まり、百瀬が「緊張したあ」と大きく息を吐き出す。
「津島さんは全然緊張してなかったですよね」
「……百瀬と一緒だったからかな」
「だったら嬉しいです! 自分なんて毎回緊張しちゃってますけど。それでも津島さんのお役に立てているなら嬉しいです」
――異動してきたばかりなのにすごいな。
口にする言葉も、頭に浮かべる言葉も、素直な感嘆と憧れに満ちている。
俺は見えるから緊張しないし、見えるから失敗せずにきた。一を教えてもらえれば十分で、足りないところは心を読んで対応すればいい。商談も同じ。相手の心を読み、相手の望むものを用意すればいい。そう思っていた。
一階に到着し、百瀬は「津島さんと一緒で心強いです」と笑顔を見せる。俺は曖昧に笑うことしかできない。心が読める俺よりも、百瀬の方が相手を見ている気がしてならなかった。
はあ、と小さくはないため息を休憩室に溶かし、紙コップを手に取る。頭の中では数分前のやり取りが再生されていた。
――百瀬は席を外しておりますが、津島がおりますのでお繋ぎしますね。
電話を取った社員へと視線を向ける。浮かんだ吹き出しには『ファンゲームの中村さん』と出ている。なんだろう、と保留になるのを待ったが、聞こえたのは「そうですか。わかりました」という声だった。受話器の置かれたタイミングで声をかける。
「電話、どこからですか」
「ファンゲームの中村さんだったんだけど、百瀬さんと話したかったみたいで……」
「そうなんですね。僕から伝えておきます」
いつも以上に柔らかく微笑めば、わずかに強張っていた相手の顔が安堵に緩む。
――どうして津島さんじゃダメなのかな。
見えた吹き出しを視界から外し、百瀬宛てのメモを書く。ちょうどフロアに入ってきたのが見えたので「休憩室にいるから」と渡し、入れ替わるように出た。
――百瀬さん、お願いします。
――百瀬さん、いらっしゃいますか。
この一か月、何度と聞いた言葉だ。電話では吹き出しは見えない。相手が何を思って百瀬を指名するのか、ハッキリとはわからない。わからないからこそ「どうして自分ではないのか」という疑問は残り続ける。
週一回提出している企画も未だに通ったことはない。結果が出せなくても焦る時期ではないのかもしれない。周りと違って俺にとっては初めての業務でスタートラインが違う。でも、それでも、俺はずっとうまくやってきたのだ。心を読んで、間違えないよう先回りして。一人でもちゃんとやってきた、のに。
――木崎課長すごいな。憧れるな。
「……ほんと、すごいよな」
俺と違って。吐き出すことすらできない言葉を流し込む。コーヒーはまだ熱く、ピリリと舌に痺れが残った。少しずつ自分で確かめながら飲むしかない。冷めてしまっても飲んでくれる誰かは、もう隣にいない。
――朝陽って周りのことよく見てるよな。
木崎はよく俺に言っていた。心が読めるのだから見えて当然。当時の俺は「そうかな」と適当に答えていた。けど、今になって思う。俺は本当に「見て」いたのだろうか、と。心を読むことはしていたけれど、それは本当に相手を「見て」いたことになるのだろうか。
「……戻るか」
腕時計を確認すれば、十分ほど経っている。紙コップの中身は半分以上残っていた。備え付けの蓋を取ろうと振り返ったタイミングで、ガラス扉が開く。
「――佐藤さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です。休憩は終わりですか?」
佐藤さんがプラスチックの蓋を差し出してくれる。
「ありがとうございます。ええ、そろそろ戻ろうかと」
視線の向き、消えた湯気、テーブルから離れた位置。きっと些細なひとつひとつを繋ぎ合わせ、戻るところだとわかったのだろう。周りがよく見えるからこそ、細やかに気を遣ってしまう。佐藤さんは自分とよく似ている気がしたけれど……違う。見えるものしか見ていない俺とは全然違った。
「さっきちょうど木崎課長に用事があって伺ったのですが、みなさんお忙しそうですね」
「……総務は変わりないですか?」
「津島さんがいなくて大変ですよ」
「そんな」
「本当に。津島さんが見えないところでも気を遣ってくださっていたのが、よくわかりました」
視線が繋がると同時、ふわりと文字が並ぶ。
――今度こそ、自分から言わないと。
「あの」
「津島さん」
佐藤さんの声が別の声に重なった。
振り返ると、百瀬が扉を開けていた。
「すみません、確認をお願いしたいことが」
言葉は申し訳なさそうに響くが、向けられた視線は鋭い。表情も固い気がする。トラブルだろうか、と頭上を確かめる。
――なんで。
何に対する疑問なのかはわからないが、このタイミングで呼ばれたことに安堵し、コーヒーとは違う苦味が生まれる。「お先に失礼しますね」と佐藤さんに声をかけ、吹き出しを見ないように休憩室を出た。
「何を話してたんですか」
「何って、たいしたことは何も」
「そう、ですか」
珍しく言葉を探しているような空気を感じ、隣へと並ぶ。
「百瀬? どうかした?」
視線を向けるが、前を向いたままの百瀬と目を合わせることはできない。
「どうもしないですよ。お腹空いたなとは思ってますけど」
百瀬が足を速めたので、再び背中しか見えなくなる。吹き出しを確認する隙はなかった。
だから、これは気のせいだ。声色の変化も耳の先が赤く見えるのも、きっと……。
取引先へと向かう電車の中、百瀬がつり革を掴んだまま笑顔を向けてくる。自分よりも背が高いので、軽く見上げる形になった。
「厳しいなと思うこともあるんですけど。それ以上に自分に厳しいので。課長がそこまでやるならこっちもやるしかないなって」
百瀬は俺の二つ下、入社二年目の後輩だが、企画一課からの異動なので仕事に関しては先輩とも言える。驕ったところは全くなく『津島さんの役に立てるように頑張ろう』と心の中までよくできたやつだった。
「入社してからずっと海外勤務で、ロンドン、シンガポール、アリゾナ……一年以上同じところにいたことがないって聞きました」
百瀬は屈託なく笑い、憧れを浮かべる。頭上には『木崎課長すごいな。憧れるな』の文字が並ぶ。
「自動運転に使われている技術を玩具に応用させたのも木崎課長ですし、うちの会社に目を付けたのも木崎課長じゃないかって噂ですし。今回のことも……本当にすごいですよね」
「そうだな」
目の前の窓が春の色に染まる。川に沿って並んだ桜は満開を過ぎていたが、完全に散ってはいない。
――春になったらさ、お花見しよう。
懐かしい声が蘇り、そっと顔を背けた。
「お待たせしました」
ゲームグッズ制作会社、ファンゲーム日本支社の応接室で、ポロシャツにチノパンというカジュアルな格好の男性――中村さんと向かい合う。年はあまり変わらないはずだが、肩書きは日本支社長だ。
「もうすぐですね」
事前に渡していた資料を手に取り、中村さんが声を弾ませる。
――楽しみだな。
期待が表情にも吹き出しにも表れている。
隣の百瀬も気合い十分で話し出す。
「ええ、前回よりもさらにいいものにしようとメンバーも張り切っています」
ファンゲームには、月末に予定しているイベント――新作ゲームの試遊やグッズの物販をメインにしたゲームイベント――に参加してもらうことになっている。
「御社がイベントに初めて参加されるとあって、期待の声があがっていますよ」
手にしていたタブレットを中村さんへ向ける。『ファンゲームだ』『ここで買えるの?』『絶対行く』『○○のグッズかな』とSNS上に並ぶ言葉は好意的なものばかりだ。
「来週には詳細を発表しますから、ますます盛り上がるでしょうね」
「嬉しいですが、緊張もしますね。できるなら期待以上になりたいですし」
ファンゲームは五年前にアリゾナ州で設立された小さな会社だ。様々なゲームのオフィシャルグッズを企画・製作し、自社サイトのみで販売している。全行程を自社で行うため数量は少ないが、ゲームの世界を写し取った高いクオリティが評判を呼んでいる。
「木崎さんにもよろしくお伝えください」
この四月に日本支社ができるまで、ファンゲームとやり取りをしていたのは木崎だった。どうやって口説き落としたのかはわからないが、中村さんの声には信頼が滲み出ている。
「――引き続きよろしくお願いします」
グッズの製作状況や搬入スケジュールの確認を終え、席を立つ。出口へと向かいかけたとき、中村さんの頭上に吹き出しが浮かんだ。
――今、聞いておこうかな。
「疑問点などありましたら、遠慮なく仰ってくださいね」
そう付け加えれば、中村さんは笑顔を保ったまま、視線だけを強める。
「では……今回のイベントですが、うちでなければならない理由は何かありますか」
「そうですね、まず」
笑顔を作り、予め用意していた言葉を口にする。精巧な造りや数量を絞った希少性。資料やネットから拾ったファンゲームを表す言葉を並べていく。
「そして、何より……」
中村さんが求める言葉を最後に持ってこようと、頭上へと視線を向ける。
――誰に聞いても同じだな。
――俺は誰が書いても同じものなんていらない。
瞬間、中村さんの浮かべた言葉が、木崎の言葉と重なった。間違えただろうか、と一瞬で膨らんだ不安に喉を圧迫される。すると
「気遣いですよね」
俺の言葉を引き継ぐように百瀬が言った。
「気遣いですか?」
「ええ、御社の商品すべてかはわかりませんが、中の部品にまで模様が入っていますよね」
「そうですが。解体されたのですか?」
「すみません。イベント内でおもちゃの修理スペースを設けることになったので、その勉強の一環で……。御社はきっと直すことを想定されていらっしゃいますよね。見えないところにまで気遣いを忘れないのは、永く使ってもらうためですよね。そういう姿勢を弊社も見習いたくて。なので、えっと、御社でなければならない理由は、そういう」
話すことに夢中だった百瀬が着地点を見失うと、中村さんが引き取る。
「ありがとうございます。御社が主催するイベントに参加できて光栄です」
頭上には『百瀬さんが担当でよかった』と浮かんでいた。
エレベーターの扉が閉まり、百瀬が「緊張したあ」と大きく息を吐き出す。
「津島さんは全然緊張してなかったですよね」
「……百瀬と一緒だったからかな」
「だったら嬉しいです! 自分なんて毎回緊張しちゃってますけど。それでも津島さんのお役に立てているなら嬉しいです」
――異動してきたばかりなのにすごいな。
口にする言葉も、頭に浮かべる言葉も、素直な感嘆と憧れに満ちている。
俺は見えるから緊張しないし、見えるから失敗せずにきた。一を教えてもらえれば十分で、足りないところは心を読んで対応すればいい。商談も同じ。相手の心を読み、相手の望むものを用意すればいい。そう思っていた。
一階に到着し、百瀬は「津島さんと一緒で心強いです」と笑顔を見せる。俺は曖昧に笑うことしかできない。心が読める俺よりも、百瀬の方が相手を見ている気がしてならなかった。
はあ、と小さくはないため息を休憩室に溶かし、紙コップを手に取る。頭の中では数分前のやり取りが再生されていた。
――百瀬は席を外しておりますが、津島がおりますのでお繋ぎしますね。
電話を取った社員へと視線を向ける。浮かんだ吹き出しには『ファンゲームの中村さん』と出ている。なんだろう、と保留になるのを待ったが、聞こえたのは「そうですか。わかりました」という声だった。受話器の置かれたタイミングで声をかける。
「電話、どこからですか」
「ファンゲームの中村さんだったんだけど、百瀬さんと話したかったみたいで……」
「そうなんですね。僕から伝えておきます」
いつも以上に柔らかく微笑めば、わずかに強張っていた相手の顔が安堵に緩む。
――どうして津島さんじゃダメなのかな。
見えた吹き出しを視界から外し、百瀬宛てのメモを書く。ちょうどフロアに入ってきたのが見えたので「休憩室にいるから」と渡し、入れ替わるように出た。
――百瀬さん、お願いします。
――百瀬さん、いらっしゃいますか。
この一か月、何度と聞いた言葉だ。電話では吹き出しは見えない。相手が何を思って百瀬を指名するのか、ハッキリとはわからない。わからないからこそ「どうして自分ではないのか」という疑問は残り続ける。
週一回提出している企画も未だに通ったことはない。結果が出せなくても焦る時期ではないのかもしれない。周りと違って俺にとっては初めての業務でスタートラインが違う。でも、それでも、俺はずっとうまくやってきたのだ。心を読んで、間違えないよう先回りして。一人でもちゃんとやってきた、のに。
――木崎課長すごいな。憧れるな。
「……ほんと、すごいよな」
俺と違って。吐き出すことすらできない言葉を流し込む。コーヒーはまだ熱く、ピリリと舌に痺れが残った。少しずつ自分で確かめながら飲むしかない。冷めてしまっても飲んでくれる誰かは、もう隣にいない。
――朝陽って周りのことよく見てるよな。
木崎はよく俺に言っていた。心が読めるのだから見えて当然。当時の俺は「そうかな」と適当に答えていた。けど、今になって思う。俺は本当に「見て」いたのだろうか、と。心を読むことはしていたけれど、それは本当に相手を「見て」いたことになるのだろうか。
「……戻るか」
腕時計を確認すれば、十分ほど経っている。紙コップの中身は半分以上残っていた。備え付けの蓋を取ろうと振り返ったタイミングで、ガラス扉が開く。
「――佐藤さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です。休憩は終わりですか?」
佐藤さんがプラスチックの蓋を差し出してくれる。
「ありがとうございます。ええ、そろそろ戻ろうかと」
視線の向き、消えた湯気、テーブルから離れた位置。きっと些細なひとつひとつを繋ぎ合わせ、戻るところだとわかったのだろう。周りがよく見えるからこそ、細やかに気を遣ってしまう。佐藤さんは自分とよく似ている気がしたけれど……違う。見えるものしか見ていない俺とは全然違った。
「さっきちょうど木崎課長に用事があって伺ったのですが、みなさんお忙しそうですね」
「……総務は変わりないですか?」
「津島さんがいなくて大変ですよ」
「そんな」
「本当に。津島さんが見えないところでも気を遣ってくださっていたのが、よくわかりました」
視線が繋がると同時、ふわりと文字が並ぶ。
――今度こそ、自分から言わないと。
「あの」
「津島さん」
佐藤さんの声が別の声に重なった。
振り返ると、百瀬が扉を開けていた。
「すみません、確認をお願いしたいことが」
言葉は申し訳なさそうに響くが、向けられた視線は鋭い。表情も固い気がする。トラブルだろうか、と頭上を確かめる。
――なんで。
何に対する疑問なのかはわからないが、このタイミングで呼ばれたことに安堵し、コーヒーとは違う苦味が生まれる。「お先に失礼しますね」と佐藤さんに声をかけ、吹き出しを見ないように休憩室を出た。
「何を話してたんですか」
「何って、たいしたことは何も」
「そう、ですか」
珍しく言葉を探しているような空気を感じ、隣へと並ぶ。
「百瀬? どうかした?」
視線を向けるが、前を向いたままの百瀬と目を合わせることはできない。
「どうもしないですよ。お腹空いたなとは思ってますけど」
百瀬が足を速めたので、再び背中しか見えなくなる。吹き出しを確認する隙はなかった。
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