魔都の一角龍

あべし

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第一章

"一角龍"来たる

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男は、誰一人通らない雪道を歩いている。緩やかに、しかし鋭い乾いた風が体を突く。
先程「誰一人通らない」と作者は書いたが、こう言った方が正しいだろう。「誰一人"見えない"」。男は目の前に一人、自らの歩みを止めんとする別の人の姿を認めたのである。派手な中華服に山高帽、まるでどこにでもいる中国人の首から上だけを英国映画のチャップリンに挿げ替えたような男だ。
彼はさっきまで一人で歩いていた男に呼びかけた。
「おい」

「何だ?」

声をかけられた一方は答える。

「あんた旅行者かい?名前は?」

チャップリンもどきは問う。

「チェンワン。イェン・チェンワンだ」

「ほぉ~、チェンワンねぇ…どこまで行くんだい?」

「魔都へ」

「魔都…上海かぁ! ほーぅ…その訛りから察するにあんた、遠いとこからきたっぽいねー」
チェンワンと名乗る男の装いは、白の中山服に黒の長ズボンと、ぺらぺらした靴。巻いているベルトの横からは鮮やかな赤の帯が垂れ下がっており、長く伸ばした髪は後ろで筆のように結んでいる。足がかりだろうか、漆を塗ったような黒い杖を持っている。
彼は
「では失礼する」
と立ち去ろうとする。しかしチャップリンは

「おーっと待ったぁ!あんた、どーやらあそこにおっ立てた看板見てないようだなあ」

と止める。

「看板…何の話だ?」

「じゃあ教えてやる。お気の毒だがタダで通すわけにゃいかねー。魔都へ行くってんなら払ってもらうぜ?」

チェンワンは何のことかと首を傾げた。するとチャップリンもどきの男は彼の胸ぐらをぐわしと掴み、
「とぼけてんじゃねーぞテメー…金だよ金…ショバ代200ゥ払えっつってんだよコラァ!!」
と鬼の形相で声を荒げた。チェンワンはといえば
「200…悪いが財布にはわずかしか無い。」
と未だ冷静である。
そのチェンワンにチャップリン先生は

「金が足りませんすいませんでしたってか?ヘッ、じゃあその有り金全部寄越しな。何ならそのお高そうな杖ももらってやっても良いぜ。」

「断る。杖も金もやらん。通らせてもらう。」

「待ちな」
チャップリンもどきはチェンワンの杖を持ち止めようとする。チェンワンはチッと舌を打ち、勢いよく杖を引き抜いた。その時、真一文字に光が走った。彼が引き抜いた"それ"は杖ではなかった。剣であった。彼は美しく輝く刀身をえせ喜劇王の首元に向けた。向けられた当の本人は少し狼狽したが、彼の体の右横から伸びた風に靡く袖を一眼見るなり、余裕の笑みを顔に貼り付けた。

「ほぉ~、テメェ片腕かい?引剥ぎにでも一本取られちまったのか?ハハハハッ!そんなんで剣なんて持っても宝の持ち腐れだぜ?ほれ、売りな。高値になりそうだしよ」
と言い終わる前にチェンワンは素早く剣の柄をチャップリンの胴に叩きつけた。叩きつけられた方は
「がァァ…いってえ…じゃねぇ…かコラァ!」
と苦しそうであった。さらに
「もう許さねえ!おい野郎ども!!」とまた声を荒げた。
すると、先程まで彼ら二人しかいなかったのが、木陰から、木の上から、一人また一人と人の姿が。賊である。リーダー格らしいチャップリンは彼らに呼びかける。

「さんざこのシー様をナメやがって!野郎ども!あの片腕野郎を片付けちまえ!!」

賊たちは刀や斧やらを振り回し、一斉にチェンワンに襲いかかる。チェンワンはひるむそぶりも見せず彼らに真っ直ぐ、刀身を鋭い眼光とともに向けた。
賊が彼の間合いに入った瞬間、彼は横一文字に剣を振るった。敵はジリリと後ずさりするが、数人はそのまま斬りかかってくる。ふりかかる刀を避け、胴を蹴り吹っ飛ばす。続けて剣と足で数多の刃をむんずと受け止め、薙ぎ払う。さらにもう一撃と剣を振り、敵の横腹に、腿にかまいたちの如く斬撃を浴びせていく。
まだこの"一角龍" の無双劇は終わらない。木の上から飛びかかる敵の姿を認め、勢いよく飛び蹴りを浴びせ大勢の敵目掛けて吹き飛ばす! そして背後にいた敵の一太刀をヒョイと跳躍で避け、ちょうど胴が自分の足の下に来た瞬間、踵落としを喰らわした。
その時チェンワンは、遠くに逃げようとする人影を見た。山高帽のチャップリン…もとい、チンピラのボス・シーだ。チェンワンは落とした剣の鞘を蹴り飛ばす。すると鞘は回転しシーを目掛け飛んでいく。そしてそれはシーの後頭部にぶつかった。彼はヘナヘナと倒れた。チェンワンは間髪入れず剣を突きつける。さっきまでの威勢はどこへやら、シーは情けない声で
「アヒィィーッ!お助けーッ!!もうしません…もうしませんから命だけはーッ!」
と嘆願する。チェンワンはそんな彼をむんずと掴み、片手だけでチンピラたちのもとへ放り投げる。
それを見ていたチンピラたちは狼狽し
「シーの兄貴ィーッ!」

「バ…バケモンだ!」

「退くぞーッ」
と気絶したシーを抱えて、そそくさと逃げてしまった。
やれやれ、とため息をつきながらチェンワンは鞘を拾い上げる。剣をそれに収め、町へつながる一筋の道を歩いていくのだった。
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