花影のさくら

月神茜

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孫娘とおじいちゃん

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おじいちゃんが、いない。
夕食の席にも、来なかった。


────ねぇ、どこに行っちゃったの?おじいちゃん。


夜の診療所。
櫻の身体のために、胃に負担のかからない重湯と具なしの味噌汁、それから薬を飲んで、例に漏れず少し吐いてしまって。それから。
着物から浴衣に着替えて、用意されていた部屋に向かった櫻の目の前には、櫻の身体を横に4、5人並べたような大きさの分厚い布──布団──が、新緑色の地面──畳──の上に置いてあった。部屋の障子を開いてくれた楓に、櫻は視線を向ける。


「あ、の……?」
「ここは今日から、櫻ちゃんが自由に使っていい『部屋』よ。夜眠るときにはここを使ってね」


そう言いながら、楓は櫻の背中を押し室内に入るよう促す。楓が一番上の布を半分くらいに折り、「ここに横になって」と言う。一番上の布の下にはまだ白い布──敷布団──があって、その布もまた随分と厚かった。櫻は恐る恐るその分厚いに布に足をのせる。


「……!?」


固い地面しか馴染みが無い櫻には、足元が柔らかいという感覚に違和感しかない。体重をかけると少しだけ足が沈み込んで、けれど安定する。ほんの少し沈み込む以外には、歩く分には問題ない程度。


「この『布団』の上に横になって『枕』に頭をのせてみて」
「ふとん」
「そう、この敷いてある布が布団」
「まくら?」
「これ」


ぽんぽん、と軽く叩いて楓が示したのは、足元にあった四角い塊だった。おとなしく布団に座り、枕を触ってみる。中には木の実の種や砂利のような、小さくて丸いものがたくさん入っているようだ。砂利を踏みしめたときのように、ザッという音がして、櫻の手を止めた。布団同様、力を加えると一瞬沈み込むのにすぐに止まるのだ。
『頭をのせる』という楓の言葉に従って、そこに頭をのせてみる。やはり音がして、そしてすぐに櫻の頭を支えた。


「どう?」
「やわらかい、です」
「ならよかった。掛けるわね」


そう言って、半分に折っていた布を櫻の上に掛ける。柔らかくて軽くて、紅蓮が持ってきてくれた毛布ほどではないけれど、これも温かかった。


「今日はこのままお休みなさい。明日の朝も紅蓮くんと一緒にご飯を食べましょう」
「……あ、の。おじいちゃんは……?」
「嗚呼、大蛇おろち殿ね。紅蓮くんがさっき探しに行ってくれたから、それまで起きていればいいわ。でも横になったままで、ね」
「……は、はい」


それじゃあ、おやすみなさい。そう言って楓は出て行った。布団の二回りほど大きな部屋。障子からはうっすらと月明りが室内を照らしていて、暗い部屋の中がぼんやりと見える。櫻は柔らかい布団の中でもぞもぞと動きながら、落ち着く体制を探してみる。固い地面に毛布で眠っていたから、身体を支えている場所が柔らかいのに慣れない。


「…………」


こんなに長時間、大蛇おろちと一緒にいないのは初めてで怖くなる。
──どこに行ったの?
──なんでいないの?
──何かしちゃった?
──何か言っちゃった?
──嫌われちゃった?
頭の中をよくない考えが駆け巡る。

紅蓮が長期間出掛けてしまうのとは、わけが違う。
紅蓮はもともと山の人間ではなくて、櫻のためにわざわざ山を訪れてくれている。
けれど大蛇おろちは、いままで当たり前に隣にいて、危ないときは止めてくれて、駄目な時は叱ってくれて、櫻が起きている限り常にそばにいた。常に常に、一緒だった。

櫻は、ではあれどではなかったから。

だから、今。
今この瞬間の、が、すごく寂しくて、酷く切なくて、とても怖い。


──帰ってきて、おじいちゃん。


櫻がそう思った、その、瞬間とき


「櫻、いるかい」


障子の向こうから、大蛇おろちの声がした。


「おじいちゃん!?帰ってきたの!?」
「ああ」
「どこ行ってたの?探しに行けなくてごめんね?お兄ちゃんが見つけてくれたの?お兄ちゃんは?」
「紅蓮は──今日はもう遅いから眠るそうだ。自分の家に帰った」
「そっか……もう夜だもんね」
「ああ」


長い、長い沈黙。
大蛇おろちは障子の向こうから話すだけで、こちらに来てくれない。


「……おじいちゃん、お部屋、入らないの?開けようか?」
「いや、このままでいい」
「……???なんで?」
「……………………」


また、沈黙。
なんで大蛇おろちが黙るのかわからないから、櫻も返事のしようがない。
何時間か、何分か、何秒か。櫻にはわからないくらい、周りが静かになって。


「…………櫻」


大蛇おろちのか細く震えた声が、沈黙を破った。


────おじいちゃんのそんな声、聞いたことない。


「……なぁに?」


障子越しで大蛇おろちの表情が見えないから、不安になる。


「櫻は、じいちゃんのこと、好きかい?」
「うん、好きだよ?どうしたの?」


一瞬の間も開けずに、答える。嫌いになる理由なんて、今までの人生で一つたりとも無い。


「……櫻を、傷つけたのに?」
「おじいちゃんから傷つけられたこと、無いよ?ねぇ、どうしたの?」
「お前の身体に合わないものを、散々食べさせた。食事すら満足にできなくさせてしまった。──辛かっただろう。痛かっただろう。苦しかっただろう。なのに私は、お前からそれらを訴える言葉さえ奪ってしまった」
「……ごめんな、櫻。こんなじいちゃんで、ごめんな……お前を不幸にしてしまって、ごめんなぁ……!」
「おじいちゃん!!!」


知らなかった。知らなかった。
そんな風に、私に罪悪感を抱いていたの?


「私、おじいちゃんに拾われてから、不幸だと思ったことなんて一度もないよ!」


────そんな風に自分を嫌わないで。


「だっておじいちゃんは私を拾ってくれた!拾って、育てて、守って、大事にして、そばにいて、愛してくれたでしょ!そんなにいろんなものを貰って、私のどこが不幸なの?こんなに恵まれて幸せな女の子、世界中探したって滅多にいないよ!」


────ねぇ目を逸らさないで。私自身の言葉から、私自身の感情おもいから、逃げないで。


「おじいちゃん。私、おじいちゃんのこと、ずっとずーっと大好きだよ」
「…………………………………………」


障子の向こうで、吐息を詰めるような嗚咽が聞こえる。泣いているのだろうか、苦しいのだろうか、櫻にはまだわからない。


「…………おじいちゃん?」
「……、……っ、ぅ……そう、かい」
「うん」
「そうかい」
「うん」


もそりと布団から抜け出して、障子の前にぺたりと座り込んでみる。
 

「……ねぇ、おじいちゃん」
「うん?」
「あのね」
「……うん」
「今日、久し振りに一緒に寝たいなぁ」


2人で暮らしていたあの洞窟に紅蓮がやってきてから、人肌が心地いいのか、紅蓮がいる時は紅蓮の隣で眠っていた櫻だったけれど。
 

「……………………まったく…………櫻は」


涙声だけれど、その声は笑っていて。
 

「お前は、ずーっと、お子様だなぁ」
「当たり前でしょー?私まだまだ子供だもん」
「16歳なのにまだ子供でいいのか?」
「おじいちゃんと一緒に寝たいから子供でいいの!」


躊躇いなく障子を開けて、その隙間からするりと入ってきた大蛇おろちをギュッと抱きしめる。


「おじいちゃん」
「んー?」
「えっへへ、おじーいちゃん」
「なんだよ櫻」
「あ、その言い方なんかお兄ちゃんっぽい!」
「うげ、それはなんか嫌だ……」
「えぇ~?なぁんで?」
「聞くな聞くな、早く寝なさい」
「えー、ねむくない!」
「嘘つけ、この時間にはいつも寝ているだろう」
「今日は特別だもん!」


柔らかな布団の上に、大蛇おろちが乗って、櫻がその隣にゴロンと横になる。大蛇おろちの体にまた抱きついて、ニコニコしながら目を閉じる。

可愛くて仕方がない孫娘の寝顔を見つめながら、大蛇おろちは閉められた障子の向こうに視線を向ける。


────廊下の奥に、まだ紅蓮がいるんだが。


今日のところは、この場所は譲ってやれん。
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