花影のさくら

月神茜

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仲良くなるには、まずは自己紹介から

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少女の一言で青年も大蛇だいじゃも戦意を削がれ、とりあえず話をしよう、ということになった。なんせ少女が、興味津々で青年を質問攻めにしたからである。
青年は大蛇だいじゃと向かい合って座っていた。伸ばしっぱなしで切ったこともなさそうな明るい茶色の髪と瞳の少女は、キラキラした目で青年の目の前に立ち、少し飛び跳ねながらキャッキャとはしゃいでいる。


「ねぇお兄ちゃん!おなまえなんていうの?」
「……紅蓮ぐれん
「ぐれん?」
「そう、紅蓮」
「おじいちゃん!お兄ちゃんのおなまえ、ぐれん、っていうんだって!」
「聞いてた聞いてた。目の前で聞いてた」


大蛇だいじゃは紅蓮への警戒を一切解いていないのだが、少女が完全に紅蓮に懐いてしまっていて、警戒しては少女に警戒を削がれる、警戒しては少女に警戒を削がれる、をずっと繰り返している。


「あのね!さくらはね、さくらってなまえだよ!」
「……さくら」
「そう!さくら!」
「……漢字は?そのままひらがなで書くのか?」
「……???わ、わかんない……かんじ?」


眉をハの字にして少女が大蛇だいじゃを振り返る。ムスッとした顔で大蛇だいじゃが渋々返答した。
 

「難しい漢字の櫻だ。この子を拾ったのが桜の綺麗な時期だったからな」
「……拾った?」
「ああ」
「…………」


お前に話す気は無い。とでも言いたげに、大蛇だいじゃがふい、とそっぽを向いてしまったので、紅蓮は再び櫻に向き直った。頭上に疑問符が浮いた表情かおをしているが、目線が合うとまた楽しそうに笑って質問攻めが再開された。


「お兄ちゃんなんさい?」
「……だいたい、15」
「おぉ~、お兄ちゃんだぁ」
「……櫻は?」


これもまた、大蛇だいじゃに。


「大体9つかそのくらいだ。拾ってから6年になる」
「9歳か……」


その割には細くて小柄だ。しっかりと意思疎通ができる程度には言葉は知っているようだが、まだまだ拙い。そしてなにより、来ている服が気がかりだった。


「その服……どうしたんだ?」


少女が来ているのは、大きさの全く合っていない着物だった。土や泥などで汚れてはいるが、どう見ても、真っ白な死に装束だった。……合わせは正しいが。


「これ?あのね、おじいちゃんがもってきてくれたんだよ」
「…………」
「……………………………………はぁ。そんなことよりお前、何をしにここに来た?」


大蛇だいじゃの不機嫌そうな声で真面目な話をしているのだと察したのか、櫻が口を閉ざして紅蓮の服の裾を掴む。ずっと彼女だけが立っているので、櫻の顔を覗き込みながら紅蓮は「座ったら?」と声をかけた。
すると櫻はぱあぁ!と表情を綻ばせて、嬉々として紅蓮の胡坐の上に座った。まさかそこに座るとは思っていなかったので紅蓮も驚いたが、本人が嬉しそうに紅蓮の見上げてくるので、『まぁいいや』と大蛇だいじゃの質問に答えることにした。


「俺は獣狩ししがりを生業にしていて、この山には今日初めて来た。山に入った途端に雨に降られて、雨宿りができる場所を探していて、この洞窟を見つけたんだ」
「このあめだもんねぇ!おそとあぶないよ!」
「うん、だから偶然見つけたこの洞窟に入ったんだ。櫻や大蛇だいじゃ殿の根城だなんて知らなくて」


そこまで言うと、大蛇だいじゃが尻尾をビクッ!と立たせたのち、タシンタシン!と地面をたたき始めた。


「き、気持ちの悪い呼び方をするなわっぱ!」
「……じゃあジイさん」
「ジイさん!?!?」
「櫻が“おじいちゃん”って呼んでるから」
「!!!おじいちゃんはね、さくらのおじいちゃんなんだよ!」
「そうだな、櫻」
「ちょっと待て、わっぱわたしのことは……あー、そうだな……敬意をこめて……大蛇おろち殿!大蛇おろち殿と呼べ!」
「……なぁ櫻。櫻のおじいちゃんを、俺は何て呼んだらいいと思う?」
「???おじいちゃんじゃあ、だめなの?」
「おじいちゃんを“おじいちゃん”って呼んでいいのは櫻だけだよ。だから俺は、『おじいちゃん』とおんなじ意味の『ジイさん』って呼んだらどうかなって思うんだけど、どう思う?」


理由は完全にこじつけだ。なんとなく、紅蓮が『おじいちゃん』という言葉を言うのが気恥ずかしいだけ。


「おじいちゃんは、えっと、『ジイさん』?って、よばれるのイヤなの?」
「うぐ……嫌、では、ない、が……」
「お兄ちゃん、おじいちゃんのこと『ジイさん』ってよびたいんだって」
「…………」
「おじいちゃん、だめかなぁ」
「駄目、……じゃ、ない、です……」
「だってよ、お兄ちゃん!!」


何やらとてつもなく悪いことをした気分だが、とりあえず紅蓮が『ジイさん』と呼ぶ許可はもらえた。人前ではきちんと『大蛇おろち殿』と呼ぶことにするから、と心の中で謝りつつ、紅蓮は櫻の頭を撫でた。協力に感謝。


「ありがとう、ジイさん」
「…………わたしでも殺しに来たんじゃないのか」
「……いいや、違う。ここよりもっと北の山で『凶悪な魔猪まちょが出たから狩ってほしい』って頼まれたんだ」
「まちょ?」
「わるーい猪」
「いのしし?ぷぅじいちゃん?」
「ぷぅじいちゃん?って、誰?」
「ぷぅじいちゃんはね、おっきいいのししのおじいちゃんだよ!」


────うん、情報が増えてないな。


助けを求めて大蛇おろちを見ると、ジトー、とした目で大蛇おろちが櫻を見ていた。


「……いや、彼奴きゃつではないな。猪であることに変わりはないが、彼奴は温厚だし自身の身体の大きさをわかっているから人里には降りん。……はるか西方の国から猪の群れが来たと聞く。おそらくは連中だろう。櫻がぷぅじいちゃんと呼ぶ猪は……そうだな、わっぱ、お主の背丈の3倍はある。対して西方から来た群れは普通の猪のひと回り大きいくらいの群れだ」
「……うん、情報ありがとう、ジイさん。おかげでジイさんの知り合いを間違って狩らずにすんだよ」


初めてまともに大蛇おろちと会話をした気がして、紅蓮は少し嬉しくなった。櫻が大事で警戒していたようだが、自分を狩りに来たわけではないとわかって、警戒を緩めてくれたのかもしれない。
よかったよかった、と思っている紅蓮に、櫻がまた質問を投げかける。
 

「ねぇねぇお兄ちゃん!ししがりってどんなおしごとなの?」
「え、っと……いろんな村の人からの依頼で、生活に害がある獣を狩って、代わりに報酬を貰う仕事……だな」
「???」
「説明が下手だなわっぱ
「いや、その……うまい言葉が見つからなくて……」


紅蓮の代わりに大蛇おろちがかみ砕いて説明した。その説明を聞いたとたんに、櫻が焦った顔で紅蓮の顔を覗き込む。


「やまのみんな、わるいことするところされちゃうの!?」
「いや、みんなじゃないよ。人間が作った食べ物を勝手に食べたり、人間が食べられなくしちゃったりした獣だけ狩るんだ」
「……ぷぅじいちゃんたちは、そんなことしないよ?」
「うん、しない人たちは殺さないよ」
「おじいちゃんも?」
「おじいちゃんも殺さない。悪ーいことしなければね」
「!!おじいちゃん!悪いことしちゃだめだからね!」


櫻が慌てた様子で大蛇おろちを振り返る。大蛇おろちは呆れた様子で呟いた。


わたしは櫻を拾ってからこの山から下りていないし、食べ物にも困っていない。気が付いたら山のあるじだったし」
「山のあるじって気が付いたらなるものなのか……?」
「先代からあるじ『秋の山に行きたいから、最年長のお前に山のあるじの座は譲るから。後はヨロシク!別に何かするわけじゃないから気にすんな!』って押し付けられた」
「山のあるじの座って、そんなに軽いのか……?」


当然、紅蓮は山の事情に詳しくない。人間が村の長を決める時だって一悶着があるものだが、山の主となるとそんなにあっさりと決まってしまうものなのだろうか?


「基本は先代主が指名するんだが、わたしが選ばれたのは山の最年長だったからだ。もちろん先代を除いて」
「……おじいちゃん、すっごくながいきなんだよ」
「……ちなみに年齢は?」
「1500から数えるのが面倒になって辞めた」
「…………すみませんでした、大蛇おろち殿」
「別に構わん。何と呼ばれようがわたしわたしであることに変わりはないのだからな」


さすが1500歳を超える山のあるじ。言うことが格好いい。
 

「…………お前、このあたりの生まれではないのか。山のあるじが私だということは、このあたりの村の人間は知っているはずだが」
「……そうなのか?……俺は【春の山】近くの村の出身だよ。この山には初めて入った」
「……ふん、だからか。何の躊躇いもなくこの山に入ったのは」
「…………???どういうこと?」


大蛇おろちが尻尾を左右に振りながら、落ち着いた声色で説明する。

 
「このあたりは【冬の神】の神域だ。それを知っている村の人間は足を踏み入れないし、この山の獣を狩ることは禁じられている」
「…………やべ。入っちゃダメだったのか、この山」
「人間が勝手に禁じているだけで、別に入ったからと言って呪われるわけでも、罰として喰われるというわけでもない」
 

紅蓮は気まずそうに視線を逸らした。初めて足を踏み入れた山で方向感覚が狂い、さらには雨で体力を奪われて闇雲に歩き回ってしまったから、その手の決まり事を失念していた。


────そもそも、【冬の山】の近くを通ることになるとわかった時点で、気を付けていればよかったんだ。


これだから師匠に、未だに詰めが甘いと怒られるのだ。


「お兄ちゃん」
「うん?」
「【春の山】ってどこ?」
「えーっと……」


この国には、【四季の神様】が御座おわす【四季の山】というものがある。
【春の神】は命を揺すり起こし、【夏の神】は命を輝かせ、【秋の神】は命を吸い取り、【冬の神】は命を眠らせる。それぞれの山のお社に祀られた【四季の神様】が、国中に季節を届け巡らせる。
【春の山】は東に、【夏の山】は南に、【秋の山】は西に、【冬の山】は北に。それぞれの社から季節を届けるのが神々のお役目。ただそれぞれの神がその社に存在するだけでいい。それだけで、絶えることなく季節は巡る。

そして紅蓮が今居るこの山は、【冬の山】。【冬の神】を祀るお社がある神聖な山。【四季の山】では、その山に住む獣を狩ることも、人が足を踏み入れることも禁じられている。社守やしろもりの一族を除いては。

社守やしろもりの一族とは、文字通り【四季の神様】を祀るお社を守り、管理する一族のことだ。彼らのみが神域への侵入を許されている。しかし彼らは、自らが社守やしろもりの一族だと名乗ってはならず、社から出る用事があるときには必ず奉紙ほうしの面を被る必要がある。
 
そして紅蓮が生まれ育ったのが【春の山】だ。正確には、【春の山】の麓にある、この国唯一の獣狩ししがりの村。その村で紅蓮は育った。【北の山】からは、険しい山の中を歩くと1週間程度で到着する距離だ。遠回りにはなるが街道を使って進めば3週間ほどで着くため、大多数はこちらを選ぶ。山道や野宿に慣れている獣狩ししがりは、一刻も早く目的の獣を狩るため近道を選ぶので、紅蓮も例に漏れず、山の中を歩いてきた。その結果、見事に道に迷ったわけだが。


「ここからもっと東にある、きれいな場所だよ。梅とか桜とか、あとは桃だな。春の時期になるといろんな花が咲いて華やかになる」
「へぇぇ~!このあたりもね、おはないっぱいさくんだよ」
「そうだな、今年はもう時期が過ぎたが、桜は見事だ」
「そうなんだ」


このあたりの話題になったので、ふと洞窟の入り口を振り返った紅蓮の目に、雨脚の弱まった外の景色が入ってきた。


「あ、雨脚が弱くなってきた」
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