量子的な彼女

からした火南

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第03話 量子デコヒーレンス

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 僕の彼女は、量子的だ。
 量子的と言っても量子のような振舞いを見せるという訳ではなくて、彼女は粒子でありまた波でもあるという意味ではないし、ましてや彼女の存在位置は確率でしか表すことができないという意味でもない。
 いや、気まぐれな彼女の性格を考えればそういった解釈もあながち間違いではないのだけれど、単に理系女子をこじらせた彼女が、何かにつけ量子論にこじ付けた話題を振ってくる……そういった意味で量子的なのだ。
「量子デコヒーレンスって知ってる?」
 ほら、今朝も開口一番これである。待ち合わせ場所に遅れて現れた彼女は、挨拶をすっ飛ばしていきなり量子論の話を始めた。
「外的要因との干渉によって、量子としての動きが失われること……だっけ?」
 僕たちは、肩を並べて通学路を歩き始めた。
 今日が七月七日だから、付き合い始めてもうすぐ一ヶ月になる。恋人になって日が浅い二人は、手は握れどキスすらまだしていない清い関係なのだ。量子論なんかじゃなくて、もっと高校生らしい話題で距離を縮めたい。
 彼女の悪戯っぽい性格を可愛いと感じてしまうし、それに容姿も僕好みだ。それにおっぱいだって大きくて、歩くたびにたゆんと揺れる。波の性質を持つのは、何も量子ばかりではない……って、僕は朝っぱらから、何を言ってるんだ!? でも仕方ないじゃないか。僕だってエッチなことに興味津々のお年頃なのだ。

「で、量子デコヒーレンスがどうしたって?」
「なにか実例を挙げて、説明できる?」
「そうだなぁ、例えば二重スリット実験。電子ガンとスクリーンの間に二本のスリットがある板をおいて、電子を一個づつ放つ……だっけ?」
 並んで歩く彼女の表情を、ちらりと盗み見る。
「心配しなくても合ってるわよ。電子の粒が一個づつ放たれているにも関わらず、スリットを通り抜けた先のスクリーンには干渉縞が描かれるわ。つまり、波としての性質を示すの」
 粒子なのに波の性質とか……これだから量子論ってのは理解しがたい。
「えーっと、それで何だっけ。電子がどちらのスリットを通るか観測する装置を置くと、途端に干渉縞が現れなくなるんだっけか」
「そうね。観測することによって波としての振る舞いがなくなり、粒子のように振る舞いだすわ。右のスリットを通った状態と、左のスリットを通った状態が重ね合わされて干渉を起こしていたのに、観測することで粒子の状態に収縮する……量子論の主流を占める、コペンハーゲン解釈よ」
「何回聞いても、状態の重ね合わせとか収縮って理解できないな」
「多世界解釈ってのもあるけどね。右のスリットを通った世界と、左のスリットのを通った世界に分かれて重なり合ってるの。右を通った世界に居る観測者は電子が右のスリットを通ったと観測し、左を通った世界にいる観測者は電子が左のスリットを通ったと観測する……この解釈だと、収縮は起こらないわよ?」
 やめてくれ。これ以上ややこしい話は、勘弁してほしい。

「ところでうちの制服、スカートの左右にスリットが入ってるの気づいてた?」
 気づいてるも何も、そのスリットからチラリと覗く太ももを観ることが、僕の無常の喜びなのだ……なんてことは、彼女には言わない。
「あ、そうなんだ。スリット入ってたんだね。キヅカナカッタナー」
「この二本のスリットを光が通り抜けると、干渉縞を描いて縞パンになるわ」
「え? 縞……なに!?」
「縞パンよ。知ってるでしょ、シマシマ柄のパンツ」
「パンツ!?」
「そう、パンツ」
 立ち止まって、彼女の顔を覗き込む。
「でも、どちらのスリットから光が入るか観測すると干渉縞は描かれずに、単色パンツに収縮するわ」
「は、はぁ……」
「それでね、面白そうだから試してみようと思ったの」
「え? 試すって……」
 思わず、彼女の下半身を見遣る。膝上まで詰めた制服のスカートから、長い脚がスラリと伸びている。その下は縞パン? それとも単色パンツ!? いやいや、ちょっと待って。あらゆる可能性が重なり合っているとするなら、穿いてないって可能性もあるんじゃないの?
「観測することによって光は波としての振る舞いがなくなって、単色パンツに収縮するはずよ」
 そんなの、観測するまでもなく確定してる……なんて、野暮なことは言わない。この場合、観測者って僕じゃないか。スカートの中を覗くチャンスを、つぶす訳がない!
「か、観測するの……僕だよね?」
 喉を鳴らして、生唾を飲み込む。
「観測……したいの?」
 人通りのない路地に入り、彼女は背中を向けたままスカートの端をつまむ。
 キスもしたこと無いのに、パンツ見せてくれるとかどんな女神様だよ。パンツ見れるじゃん。パンツ! パンツ!
「準備はいいかしら?」
 そう言うと彼女は頬を赤く染めながら、つまんだスカートの端を少しづつ上げ始める。
 太ももが露《あら》わになり、紺色の生地が見える。理系女子はみんな白を穿くものだと思っていたけど、紺とはまた大人っぽい。少しづつ露わになる下着に、僕の気分も最高潮に……って、あれ? パンツにしては、ゴツくない!?
「あの、それ、何を穿いてるの?」
「何って、体操着?」
「体操着……だと!?」
「だって今日の一時間目の数学、明日の体育と入れ替えになったし……」

 希望がなくなると絶望する必要もなくなる、そう言ったのはセネカだっただろうか。逆説的に考えれば、絶望している僕にはまだ、希望が残されているのだろうか。かつて無いほどの絶望……期待が大きかった分、落胆も大きい。元通りに下ろされたスカートの向こう側、虚数世界をただ見つめる。
 けれども落ち込んでる場合じゃない。考えろ、考えるんだ! 事象は確定した。しかし再びスカートが下ろされた今、縞パンと単色パンツと忌々しい体操着の三者は、再び共存しているんじゃないのか? もう一度観測すれば、別の事象が確定するんじゃないのか?
 それとも、一度確定した事象はくつがえらないのか? だったら確定前まで、観測する前まで戻してくれ! やり直しを要求する!!
「パンツ見せてくれよ!!」
 僕の魂の叫びが、晴れ渡る朝の空に響き渡った。
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