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そして僕らは絶望した
そして僕らは絶望した 4
しおりを挟む「……どうして」
「毎年お前が、運命の日の次の日にここにいるとマーガレット様から聞いた」
そう言って、ウィステリアは手に持っていた大輪の白い百合の花束を精霊廟の前に供えて片膝をついた。
胸に手を当てて、そっと目を細めて祈る姿は騎士のようにも見えた。
こうして見ると、幼い頃はよく似た兄妹だったが、成長してみれば顔立ちに面影を残す程度であまり似ていないなとユリウスはぼんやり思った。
青い髪と、真白に金の揺らめく瞳だけは同じだったはずなのに、領地で精力的に働いてる影響か日に焼けて少し色あせたように見えたのが、どうしてだか悲しかった。
祈りを終えたウィステリアは、慈愛に満ちた瞳を固く閉じた扉に向けて、それからとても同じように見えない憎悪を灯らせながらユリウスを睨み付ける。
「もう一度聞く、逃げるつもりかユリウス」
「っ……」
「死んで逃げたところでシルベチカには会えないぞ。……あの子は、精霊の国にはいない」
「……あぁ、そうだったな」
シルベチカは、体だけ残して魂も魔力も、心さえも消えてしまった。
生まれ変わる事もなく、精霊の贄になったと聞かされていたはずなのに、どうして声に出してしまったのかと思う。
だがそれ以上に、ウィステリアが今日ここにいるという事実が信じられなかった。
合わせる顔が無くて避けていたユリウスならいざ知らず、ウィステリアはユリウスを、何も気が付かずにシルベチカを傷つけ続けた自分を、心の底から殺したいほど憎んでいたはずだ。
あれ以来、日々のほとんどを領地で過ごし、王都には殆ど現れない。
そんなユリウスが、自分がいると知って今日、この日に、ここに来るわけがない。
2人の間に気まずい沈黙が流れる。
何を話していいか分からなくて、ユリウスは俯くことしかできなかった。
「逃げるなんて許さない。許さないからなユーリ」
かつて、そう呼ぶこと許した愛称を呼ばれ、ユリウスはハッとする。
顔をあげればウィステリアが、かつて彼の妹がしていたような、何かを耐えるような表情で自分を見ていた。
記憶の中のシルベチカが重なるような気がして、やはり2人は兄妹なのだと泣きたくなった。
「お前が、この国が、俺の妹の心をズタズタに引き裂いて殺したことを、俺は許さない。一生涯、最期の時を迎えたその後も、この魂が残る限りこの憎悪を忘れない。お前の事を一生、許さないから、だからっ……頼むから逃げないでくれ」
そう言って、ウィステリアはボロボロと真白の瞳から涙をこぼし、ユリウスにつかみかかった。
一生許さないと、憎悪を告げるその口で、逃げるなと懇願する矛盾。
けれど、その矛盾する思いを、おそらくユリウスは誰よりも理解できる。
「逃げるなんて許さない」
「……あぁ」
「お前が殺したんだ」
「……そうだ」
「っ……違う、お前が殺したんじゃない」
「違わない。俺が最期まで傷つけて殺した」
「違うっ、分かってるんだ。これはさすがに八つ当たりだと……」
「……ウィリィ」
「仕方がなかった、他に方法が無かった、ユーリに告げず逝くことが、シルベチカの望みだったからっ…………お前に当たるのは間違っていると分かっているんだ」
「っ、ウィリィ」
「だけど俺はこの憎悪を止められない。お前が……、ユーリが気が付いて、シルベチカを止めてくれたなら、シルベチカは今でも俺達の隣で笑っていたんじゃないかって、夢想してやまないんだ……。だって、あいつは……シルベチカは、お前に引き留められたくなくてお前に言うなと願ったんだから」
「……は?」
情けない声が口から出た。
その真実を、ユリウスは今の今まで知らなかった。
嘘だと思った。
真実、それがシルベチカの本心であるなら、ユリウスはこの悲劇を回避できるだけの力を持っていたことになるかもしれない。
いや、持っていたのだ。
突きつけられた時、15歳だったシルベチカがした固い決意。
その決意をただ一人、突き崩せるだけの力を持ったのは、彼女が恋い慕っていたユリウスだけだ。
どうして、自分は気が付かなかったのだろう。
気がついていたら、こんな悲劇にきっとなっていなかった。
3カ月早まったからと、運命の日までの日々を追放という名の旅をして過ごし、その間ずっと幼い頃のように楽しげに笑っていたと、共に旅したというエドガーに聞いた。
自分がいなくなったあと、好きな人と幸せになってほしいからマーガレットに教育を施し、婚約を解消されて当然だと思わせるために悪役令嬢として振舞っていたのだと、彼女の侍女だったアマリアに聞いた。
誰よりも優しく、淑女としてどうあるべきか教えてもらったとマーガレットから聞いた。
傷つくだけ傷ついて、それでもシルベチカは笑いながら、手を振って門をくぐったと、見届けたヘンリーという彼女の護衛騎士だった男に聞いた。
そうして国王に……父に、この国の誰よりも王太子妃に、娘にしたかったと聞いた。
引き止められる手を持ったのは自分だけだった。
その事実に、ユリウスは涙を止められない。
嗚咽をこぼしながら、それでも耐えるユリウスに、ウィステリアは少し悩んだ後、大切そうに一つの封筒を胸ポケットから差し出した。
少し古いその封筒は王の封蝋で閉じられていて、ユリウスは涙をこぼしながらも眉根を寄せる。
「……これは」
「王から預かった、ユーリへの手紙だ。……シルベチカが遺した、最期の」
そう聞いて、ユリウスは手紙を勢いよく手に取った。
真実を全て、知られてしまった時にと国王がシルベチカに書かせたそれは、ユリウスが真実を知ったその翌日、シルベチカとの別れを済ませたウィステリアの手に国王から渡ったという。
『然るべき時が来たと思ったら、渡してやってくれ』
そう、王に言われて預かったウィステリアだったが、本当は生涯渡すつもりはなかったと言う。
そもそも必要がないと、シルベチカは言ったと聞いた。
シルベチカの中で、この真実は永遠に閉ざされたままの真実だったからだろう。
ウィステリアの気が変わった理由は、今のユリウスには分からない。
けれど、もたらされたそれは今のユリウスにとって、シルベチカとの最後の縁だった。
震える手で、封を丁寧に開ける。
中に入っていた便箋はたった1枚だった。
書いてあるのは恨み言だろうか。
自惚れているわけではないが、「お慕いしております」と書かれていたらどうしようかと、そんな馬鹿げたこと思いながら、その小さな便箋を広げ、ユリウスは目を見張る。
“ 立派な王様になってください ”
手紙に書かれていたのは、たった一言。
それだけだった。
恨み言も、恋心も書かれていなかった。
あるのはただの祈りで、純然たる願いだ。
愛だと思った。
どこまでも深い、聖女の献身的な愛だと思った。
「シルベチカ」と、ユリウスは彼女の名を呼ぶ。
何もかもが手遅れで、今更な話だ。
それでもユリウスは、確かにシルベチカに愛されていた。
シルベチカはユリウスを恨んでいない。
恨むわけがない。
何度も何度も、ユリウスはシルベチカの名を呼んで、声をあげて泣いた。
困惑するウィステリアに手紙を見せて、2人そろって泣き喚いた。
「あぁ、ユーリ。俺の妹は、本当に……いい子だっただろう」
泣きながらそんなことを言うウィステリアに、ユリウスは何度も首を縦に振る。
そこにいたのは、かつて親友だった等身大の少年のような2人だった。
「ウィリィ……、ウィリィ」
「なんだよユーリ」
「頼みがある」
「……はっ? 俺がお前の頼みを聞くとでも……」
「俺を、生涯許さないでくれ」
「……っはぁ?」
「許しはいらない、この罪も、後悔も、忘れない。絶対に忘れない。全部抱えて、生きて、あがいて、俺は、シルベチカのこの願いを叶えて、立派な王になるからっ、だから…」
「俺を許さないでっ」と、ユリウスは何度もつかえながら、ウィステリアに懇願する。
それを聞いてウィステリアが、ユリウスの懇願を聞かないわけがない。
何故ならユリウスは、今もずっとウィステリアの親友で、最愛の妹が恋い慕い、傷つかぬようにと守った唯一なのだから。
「あぁ、……あぁ。言っただろう、俺はお前を生涯許さないと。一生苦しめ、苦しみながら王になって、シルベチカの最後の願いを叶えろっ! お前が愚王になったその時は、俺が……俺がお前の首を刎ねてやるからっ……」
その言葉を聞いて、ユリウスは安心したように頷く。
それが2人の、最初で最後の誓いだった。
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