悪役令嬢シルベチカの献身

salt

文字の大きさ
上 下
60 / 64
そして僕らは絶望した

そして僕らは絶望した 3

しおりを挟む


 25歳になったユリウスは、毎年運命の日の次の日にある場所へと向かう。
 王宮に隣接する教会の地下深く、代々の王族を弔う墓所の程近くにある、歴代の聖人、聖女を弔い、聖遺物を保管する精霊廟と呼ばれる場所だ。
 王ですら、容易に開けることのできないその精霊廟の前には昨日供えられたのであろう、美しく華やかな花で満たされていた。

 ユリウスは、その手に小さな青い花のブーケを携えていた。
 昔、彼女の名の由来だと聞いた青い小さな花だ。
 バラや百合のように豪奢ではない、どちらかというと野に咲く花だけれど大好きなのだと言っていたその花を、ユリウスはたくさんの花の中に紛れるようにして供えると、精霊廟の固く閉ざされた扉に手を添えて目をつぶる。

 ユリウスの初恋の少女は、ユリウスが真実を知って4年以上経った今も、あの頃のままの姿でこの冷たい扉の向こう側で朽ちる事無く眠っている。
 ユリウスは、その姿を生涯一度としてみることは叶わなかった。


 ユリウスがそのことを知ったのは、真実を知って幾許かしてからだった。
 初恋を自覚してからだったかのようにも思うが、記憶は定かではない。

 ただ、単純に、シルベチカに会いたかった。

 けれどもユリウスは、シルベチカに会うことは叶わなかった。
 シルベチカの遺骸は、その時すでにこの精霊廟の奥に安置されてしまっていたからだ。

 狂った頭で事情を問いただせば、シルベチカの体は月の門をくぐった段階で息を止め、朽ちることも老いることもなく、精霊神の物である聖遺物となるという。

 命あった者は、聖遺物となった瞬間に精霊神の宝物となり、聖遺物は古くからこの精霊廟で厳重に保管するのが決まりだ。
 先代の贄の遺骸も、この精霊廟で保管されていると聞くが、ユリウスには定かではない。
 確かに言えることはシルベチカはこの扉の奥で眠っていて、特殊な精霊魔法のかかったこの扉は、王ですら開けることはできないという事実だった。

 当時、一目だけでもと願ったユリウスに、無情にも教会の神官は言った。

『この扉は、どんなに望んでもその時でなければ開くことはありません』

 精霊廟は、要するにこの国にある精霊神の持ち物を保管する、宝物庫のようなものだ。
 開閉には精霊神の意思が介入し、精霊神が開閉を望まない以外に決して開くことはないのだと言う。

 それを聞いた時のユリウスの絶望は計り知れなかった。
 あの再会が、最後のチャンスだったなんて、思うわけがない。

 せめて顔を見て、謝りたかった。
 どうして教えてくれなかったのだと詰りたかったし、
 初恋の少女に、愛してると伝えたかった。

 全て今更だと理解していたけれど、そうしたかった。

 救われたかったのだと思う。
 この後悔から。

 だがそれは、到底許されない話だ。
 シルベチカを、
 今更自覚した最愛を、
 あれだけ傷つけて、最後までその健気な心を切り刻んで、泥をぶつけたユリウスが、救われていいわけがない。

 真実を知った今だからこそ、ユリウスはウィステリアの憎悪を理解できる。

 真実を知ってから今までの間、誰も彼もユリウスを責めなかった。
 娘を失ったマスティアート公爵ですら、ユリウスの所業を「娘が望んだことですから」と許そうとした。
 その度に、ユリウスの心臓に鷲掴まれたような痛みが走る。
 許されたい自分と、許されるわけがないと願う自分が、自身の心を引き裂こうとしているのだろう。
 いっそ、そのまま引き裂かれて死んでいたら楽になれただろうと思う苦しみだ。
 ユリウスは、それが自身に課せられた罰なのだと自覚していた。

 彼には、シルベチカを思い出すよすがさえなかった。
 何も知らない愚かな自分が、シルベチカの国外追放が決まったあの日、彼女との思い出の品を全て処分してしまったからだ。
 幼かった彼女が、ユリウスを想ってはじめて刺繍してくれたと言うハンカチーフも、こっそりと訪れた街で見つけた、王族に手渡すには安物な、それでも不思議と味のある彫り細工のブローチも、全て、自らが魔法で起こした青い炎の中にくべて、灰になるまで燃やしてしまった。

 その灰すらも風にさらわれ、手元には残っていない。
 故に、最早シルベチカとの思い出はユリウスの記憶に残るものだけだった。

 それすらも、年々失われていっている。

 最初にシルベチカの声を忘れた。
 どんな声音で、どんな心を込めて自分を呼んでいたのか思い出せない。

 次にシルベチカの笑顔を忘れた。
 耐えるような、泣き出しそうなあの表情で苦しそうに自分を見つめるシルベチカを思い出せたらまだいい方で、夢の中に現れるシルベチカの表情は、なぜだかいつだって判然としなかった。

 柔らかな髪を撫でる感触は、どんなものだったかすら思い出せない。
 かろうじて思い出せるのは、ガラスの棺で少年のような姿で眠るシルベチカだが、それすらも曖昧だ。
 ただ、あの日彼女に触れた時のひんやりとした冷たさの絶望だけ、やけに生々しく残っていた。

 だからユリウスは1年に1度だけ、シルベチカが月へと門をくぐったにこの精霊廟の前に訪れる。
 もうそこしか、彼女を感じられる場所がユリウスにはなかった。

 本来、ここは王族以外がおいそれと近づける場所ではない。
 それでも、彼女の命日とされる日だけ、真実を知る者にのみだが彼女を弔うことを許したのは、国王の恩情だろう。
 国外追放されたと言うことになってるシルベチカは、ここに眠っているという事実を公表されていない。それでもその日だけは、この精霊廟の前で彼女を知る者たちが彼女を偲んでいると聞く。

 だが、ユリウスは命日にこの場所に行かなかった。
 行けるわけがない。
 どんな顔で、彼女を慕う者たちに会えばいいと言うのだろう。
 彼女の名誉は、未だ地に落ちたままだと言うのに。

 真実を知ったユリウスは、すぐに彼女の名誉の回復を願ったが、それすらも国王に「シルベチカが望んだことだ」と一蹴されてしまった。
 故に、追放されてから6年経った今でも、シルベチカは悪役令嬢のままだ。
 巷では、マーガレットとのユリウスの恋物語を題材にした芝居まであるようで、そこでもシルベチカの役回りを持つ令嬢の役は、真実の愛を引き裂こうとする悪女として登場していると聞く。

 何を馬鹿なと、ユリウスは思った。
 真実、マーガレットと真実の愛で惹かれあったとしても、シルベチカがいなければマーガレットは、王太子の婚約者にはなれなかったといっても過言ではない。

 あれ以来、マーガレットは彼女なりに自分の側にいてくれるが、ぎくしゃくとした違和感があるままだ。
 あの頃、確かに感じていた恋情は消えない。
 マーガレットを愛しく思う気持ちは変わらない。
 だがしかし、何も気が付かず、最愛を傷つけた手で、マーガレットに触れることがどうしてもできなかった。
 シルベチカが認め、育て上げたマーガレットと言う花は王太子とは名ばかりの愚か者が、触れていい花ではない。

 その花と、半年後に婚姻することが決まっているが、ユリウスはそもそも、自分が王太子であることに疑問を感じていた。
 健気に咲く花を手折る事しかできなかった自分が、王太子として、ゆくゆくは国王としてこの国を治めていけるのかと。

 現状、国王の子はユリウスだけだ。
 正当なる直系の王位継承者はユリウスしかいないが、王族の血を引く親類がいないわけではない。
 今まで帝王学の教育を受けていないにせよ、今の愚かなだけのユリウスからすればよほどマシだろう。
 少なくとも、何も知らずに手のひらで踊る愚者ではないはずだと、勝手にそう思う。

「王太子を退いて、死んでしまえば君に会えるだろうか」
「……逃げるつもりか、ユリウス」

 ぽつりとつぶやいたその言葉をかき消したのは、真実を知ったあの日からずっと、顔を合わせていないウィステリアだった。


しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?

シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。 ……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

きっと彼女は側妃にならない。

豆狸
恋愛
答えは出ない。出てもどうしようもない。 ただひとつわかっているのは、きっと彼女は側妃にならない。 そしてパブロ以外のだれかと幸せになるのだ。

私達、政略結婚ですから。

恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。 それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

処理中です...