54 / 64
国王と、護衛騎士の回想
護衛騎士ヘンリー・ブラッドの悲嘆 4
しおりを挟む運命の日まであと2週間と迫ったところで、エドガーとマリに真実を伝えた。
何か方法はないのかと問われたが、全ては今更な話だ。
何か言いたげなマリとエドガーをそのままに、残り少なくなった旅程を進めていく。
その間、ヘンリーは国を見て回って幸せそうに微笑むシルベチカを見守り続けた。
そうして運命の日の前日、彼らは月への門を護る教会へとたどり着いた。
荘厳な白い建物の中心に、その月へと通じる聖なる門はあった。
どこまでも青い空が見える、中庭と言っても差し支えないその場所には、小さな花が咲き乱れ美しい小鳥が囀っていて、荘厳と言うよりはのどかな空間だった。
門があったのは、その和やかな空間にあった小さな泉の真ん中だった。
後ろに建物があるわけではなく、ただ異質なほど白い大きな扉だけがそこにぽつんとある不思議な空間だった。
その日の空はどこまでも、雲一つない青空だった。
短いまま、少しだけ伸びた髪を揺らしながら教会が用意した、真っ白な礼装に着替えたシルベチカがそこに立っていた。
すらりとしたシルエットの礼装を着たシルベチカは、ヘンリーの記憶に残る少女ではなく、17歳の大人の階段を上りつつある女性で、いずれ王太子妃となるにふさわしい美しさをそなえた淑女だった。
あぁ、これが永久に失われるのか。
ヘンリーはそう思うと、やるせなさと無力感に押しつぶされそうになる。
今、この瞬間。
あの小さな手をとって、攫って逃げ出せればどんなにいいだろう。
力も権利も、シルベチカを救う手立てを何も持っていないヘンリーにできる事ではなかったけれど、そうできたらいいのにと願うことを止められない。
堪えるために握りしめた手に爪が食い込んで、血が滲む。
それに気が付いたシルベチカが、慈愛に満ちた表情で微笑んだかと思うとヘンリーの手をとった。
「ヘンリー様は、そうやってすぐ傷を作るのね」
「……」
「もう駄目ですよ、私が治せるのはこれが最期なのですから」
シルベチカの声が震えて聞こえた。
それでも泣かずに、優しく微笑む少女以上に強い者の存在を、ヘンリーは知らない。
耐えろ、耐えろ、耐えろ。
せめて、彼女が門をくぐるまで耐えろと、ヘンリーは自分の心に言って聞かせる。
「……シルベチカ……。最期に、私に何かしてほしいことはありますか?」
「してほしいこと?」
そう問われたシルベチカは、少しだけ思案する。
思い悩む顔を見るのも、これが最期だと思うとヘンリーの目から涙が零れそうだった。
「……ヘンリー様は昔から、私が迷子になっても必ず迎えに来てくれましたよね」
「はい、お嬢様の騎士でしたから」
「それなら……、もし嫌じゃなければ……、勤めを終えた私を迎えに来てくれる?」
それはとてもささやかな願いだった。
贄となった者は、魂も心も、魔力も何もかも溶かされて、輪廻の輪にも戻れずに世界に溶けると聞かされていた。
ただひとつ、還されるのは空っぽになって、朽ちることもなくなった聖遺物となった体だけだ。
「……っ、必ず。必ず迎えに来ますっ」
「ありがとう……ヘンリー様。ヘンリー様が迎えに来てくれるなら、安心して逝けるわ」
そう言うと、シルベチカの手がヘンリーからするりと離れた。
迷うことなく、まっすぐに彼女が門へと向かうと、それを待っていたかのように、固く閉ざされていた門が静かに音もなく開いていく。
門の向こう側からは、優しい光であふれていた。
あぁ、あれが月の世界の光なのかとすんなりと納得できるほど優しい世界の光に見えた。
「さようなら、マリ様、エドガー様。……ヘンリー様。さようならっ」
シルベチカは一度だけ振り返って、無邪気に笑って手を振った。
また明日、会えるとでも言えるような別れの挨拶だった。
シルベチカが門をくぐった瞬間、門は淡く光を放ち、それから静かに閉じられた。
後には何も残っていない。
ただ、穏やかな空間が広がっていただけだった。
ヘンリーはそれを見届けて、ようやくの想いで両膝をついて泣いた。
ただただ、最愛の主を想って、声をあげて泣きじゃくったその様子はどの記録に残る事もなかった。
無表情な騎士は、その後城へと戻ると、「忠誠を、もう王へと向けることができない私は、騎士として失格です」と言って、騎士の座を辞することを王へと告げた。
王は、最後に「王命として、迎えに行ってくれ」とだけ命じると、騎士がその職を辞することを許した。
58
お気に入りに追加
784
あなたにおすすめの小説

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化

あなたへの恋心を消し去りました
鍋
恋愛
私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。
私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。
今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。
彼は心は自由でいたい言っていた。
その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。
友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。
だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。
※このお話はハッピーエンドではありません。
※短いお話でサクサクと進めたいと思います。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
私達、政略結婚ですから。
黎
恋愛
オルヒデーエは、来月ザイデルバスト王子との結婚を控えていた。しかし2年前に王宮に来て以来、王子とはろくに会わず話もしない。一方で1年前現れたレディ・トゥルペは、王子に指輪を贈られ、二人きりで会ってもいる。王子に自分達の関係性を問いただすも「政略結婚だが」と知らん顔、レディ・トゥルペも、オルヒデーエに向かって「政略結婚ですから」としたり顔。半年前からは、レディ・トゥルペに数々の嫌がらせをしたという噂まで流れていた。
それが罪状として読み上げられる中、オルヒデーエは王子との数少ない思い出を振り返り、その処断を待つ。

夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる