悪役令嬢シルベチカの献身

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近衛騎士と、子爵令嬢の回想

子爵令嬢マーガレット・ウェライアの追憶 4

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「子爵令嬢でしかない私が、殿下の婚約者だなんて! 無理です!」という、マーガレットの当然の訴えは、シルベチカににこやかに無視され、マーガレットの困惑とは裏腹に、その日からどうしてだかシルベチカ直々の勉強が始まった。

 子爵令嬢である自分には必要ないものだと理解していたが、公爵令嬢であるシルベチカから請われてしまったら、断ることなどできやしないのが貴族社会である。
 とはいうものの、勉強会自体は当初マーガレットが思っていたよりも楽しいものだった。

 基本は王国史からはじまり、現在の隣国の基本情報などを面白おかしく解説したり、授業の内容の復習から、その一歩先行く話。
 お茶会をしながら、基本的なマナーの確認をされ、完璧だとべた褒めされたかと思えば「隣国ではね、このお茶をこういう風に回して飲むんですって。国によってマナーが異なるとはいえ、最初聞いた時、そんな違いがあるのねって楽しくなってしまって、思わず笑ってしまったの。そうしたら先生にとても怒られてしまったわ」と、にこにこと小さな情報と共に思い出を語り、釣られて笑ってしまうマーガレットを見て、シルベチカは更に微笑む始末だった。

 どうして王太子と婚約解消したいのか、マーガレットが何度聞いてもシルベチカは教えてくれなかった。

「いつか、時が来たら必ずお話ししますわ」

 そう言って微笑まれてしまったら、マーガレットはそれ以上聞くことができない。
 いつもシルベチカに付き添っている護衛騎士、ヘンリー・ブラッド卿と侍女アマリアも、「シルベチカ様のご命令ですので」と教えてくれない。
 けれど、それをどうしても知りたいと思うようになるよりも早く、マーガレットにとってその時間は宝物のような大切な時間になってしまった。

 この時間が壊れるくらいなら、知らないままでいても構わない。
 そう、思うほど大切な時間になってしまったのは、シルベチカが、マーガレットを友人として慈しんでくれたからに違いなかった。

 今もなお、表では高慢で傲慢な悪役令嬢としてシルベチカは振舞っている。
 きっと、今、マーガレットの目の前にいるシルベチカは、生徒はおろか王太子だって知らないシルベチカだ。
 おこがましくも、そんなシルベチカを独占したいという子供特有の独占欲が生まれる反面、他の生徒たちがひそひそとよくない噂を流すのを、マーガレットは黙って見ていることしかできない。
 それがシルベチカの望みだと言うことをしっていても、マーガレットの心は張り裂けそうなくらい苦しかった。

 勉強が始まってから半年ほどたって、シルベチカは言った。

「マーガレット様、私、明日から心を鬼にして、貴女様を虐めます!」

 決死の覚悟と言った表情でそう言われ、マーガレットは「はぁ」としか言えなかった。
 シルベチカが「あ、怪我とかしてしまったら仰ってくださいね! すぐに治しますから!」と慌てた顔でつけ足すから余計である。
 マーガレットとお茶をしている時のシルベチカは、些細な傷も許してくれないほど過保護だった。
 本の端っこで少しばかり指を切った時には、泣き出しそうな顔で絶句した後、至高ともいえるマスティアート家伝統の治癒魔法をかけて癒してくれたのは記憶に新しい。
 一般的に使われている治癒魔法と、マスティアート家の治癒魔法は、厳密に言うと少し違うらしく、そこから12公爵家の特異性の話を聞いてしまって話が逸れたのだが、シルベチカはどうやら、人が傷つくことがどうしても嫌いらしい。

 普段、高慢モードの振る舞いで令嬢を叩いたりしてることを指摘すれば「一応、怪我をしないように叩きながら治癒をかけてるのよ。それでも怯えさせてしまってるから、私はとてもひどいことをしてしまってるのに変わりはないのだけれど」などと言う。
 侍女のアマリアが言うには、シルベチカの治癒魔法には副産物で健康になれる特典があるらしい。
 不眠であればぐっすり眠れ、疲労は回復し、肩こり・腰痛が治って、体に蓄積する毒素がすっかり抜けてしまうらしい。

 けれども、貴族の御令嬢が他者から危害を加えられたというショックは拭うことができないから、やっぱり自分は悪役令嬢なのだと、シルベチカは目に見えて落ち込んで見せた。

「シルベチカ様、どうしてそこまでして悪役令嬢であることにこだわるのですか? 私を王太子殿下の婚約者にしたいという理由もそうです。私は子爵令嬢です。決して殿下の婚約者にはなれません。教えてくださいシルベチカ様。私はこれ以上シルベチカ様が悪者のようにみんなから言われるのが耐えられないのです」

 マーガレットがそう言うと、シルベチカは耐えるように眉根を寄せた。
 泣き出しそうなその顔で、酷く言いづらそうに声音を震わせながら、シルベチカは言葉を紡いだ。

「マーガレット様、あなたは……殿下と婚約……いいえ、結婚できます。手を尽くして、最高の後ろ盾をいくつも用意しましたから。それに……言ったでしょう? 私は、恋に落ちる音を聞いたと。私が聞いた音は2つ。貴女が恋に落ちた音と、殿下が恋に落ちた音です。……私は、私が退いた後に殿下の隣に並ぶ方は、殿下を真実、愛してくださる方がいいと思っただけです」

 シルベチカに困ったように笑われて、マーガレットは絶句した。
 王太子が自分に恋をしていると聞いて、俄かには信じられなかった。そしてそれ以上に、たったそれだけのことで自分が悪者になって、王太子の婚約者を辞そうとしているシルベチカのことが信じられなかった。

「そんな……たったそれだけのことで?」
「たったそれだけではないわ。大事なことです。私とユリウス様は政略上の婚約ですから」
「貴族の、……いえ王族の結婚ですよ! 政略以上に大切なことなんてありません!」
「ふふ、マーガレット様より私の方がロマンチストなようですね」
「茶化さないでください、だって……だって、シルベチカ様は殿下の事を、私よりもずっと愛していらっしゃるじゃないですか!」


 マーガレットは思わずそう言ってしまった。
 言葉にしてしまえば、確かなものになって、自分が絶対に勝てないと分かってしまうと理解していたが、言わずにはいられなかった。

 マーガレットから見て、シルベチカは王太子の事を深く愛していた。
 王太子の話をするとき、シルベチカは決してマーガレットに対して自分のほうが王太子を知っているとか、昔の王太子はこうだったとか、そういう言い方はしなかった。
 王太子の婚約者として、7歳の時からずっと側にいたはずなのに、どうしてだかずっと淡々とした声音で話すのだ。

 いや、分かっている。
 理解している。
 マーガレットの気持ちを慮ってのことなのだと、はっきりと理解しているのだ。

 それでも、こらえきれない愛しさが、いつだってシルベチカの優しい眼差しからこぼれていた。

 マーガレットはただ単純に、それをシルベチカの愛だと思った。
 だからこそ、どうして婚約の解消を望んでいるのか分からなかった。

 シルベチカは、そんなマーガレットの言葉を受け取ると諦めたように目を伏せて、かすかな声音で言った。

「私は、殿下の婚約者ですが、結婚することはできないのです」と。

「なぜ? 何故ですか!? シルベチカ様ほど、素晴らしい淑女はこの国を探したってシルベチカ様以外いないのに!」

 マーガレットがそう尋ねれば、シルベチカは力なく微笑んだ。

「……ありがとうございます。マーガレット様。でもできないのです」
「っ、だから! どうして?」
「……できないんですよ、……だって」




「殿下と結婚できる頃、私は……もうこの体を動かすことはできないのですから」


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