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本編
1プロローグ
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「────さま、アイリスお嬢さま」
少しだけ大きな優しい声が聞こえ、柔らかな陽射しの中で瞼を開いた。
「お嬢さま、おはようございます。起きられますか?」
「……おはようエマ。もう少ししたら起き上がるわ」
エマは幼い頃からの専属メイドで、誰よりもアイリスの体調のことを理解してくれている。
亜麻色の髪に蜂蜜のような瞳をした優しい女性だ。
「畏まりました。……旦那さまからお嬢さまにお話があるとの伝言を預かっております。急ぎではないが後ほどダイニングルームでお食事を、とのことです」
「……嫌な予感しかしないわね」
露骨に怪訝な表情を浮かべると、エマは少し困ったように微笑んだ。
というのもアイリスの父親は「忙しいから」が口癖で、小さい頃からあまり良い思い出はないのだ。
ただ、仕方ないということもわかっている。
何せこの国を担う重要な人物であり、限られた人物しか入れない王城に頻繁に出入りしているのだから。
それにこんな自分を投げ出さず家に置いていてくれるだけで、貴族の中ではこの上なく優しい父親なのであろう。
まだこの柔らかなベッドに沈んでいたいが、そんな父親の時間を奪うわけにはいかない。
ゆっくりと身体を起こすとエマがそっと背中を支えてくれる。
「ありがとう。身支度を手伝ってくれる?」
「勿論でございます」
この重い身体で身支度をするとなると、一人では多くの時間を費やしてしまうが、エマの手助けで「少々のんびりすぎる人」程度で終わる。
「エマ、いつも本当にありがとうね」
「礼は不要です。私はお嬢さまのメイドですから」
「……これからもお礼は言わせてもらうわよ」
二人で微笑み合った後、ダイニングルームへと向かった。
「お父さま、遅くなってごめんなさい」
「かまわん。そこに座りなさい」
目線で促された席へと座ると、数々の食事が運ばれてくる。
「……申し訳ないのですが、何度も申し上げましたようにこの量を私は食べられないのです。用意してくださるのは大変有り難いですが、食材が勿体ないので減らしていただきたいです」
普段は面と向かって口答えはしないのだが、毎度のこととなるとさすがに言わざるを得なかった。
「……わかった、すまんな」
「ありがとうございます」
ただでさえ食が細いのに、気まずい空気の中で口に運ぶのが酷く苦痛に感じる。
「お前のメイドに伝えたように、話があってな」
いつも冷静沈着な父が些か言いにくそうにしているのを見て、想定していたよりも悪い話かと怯えてしまう。
「実は、お前に縁談が来ているのだ」
「……私に、ですか?お姉さまではなく?」
父の言葉に衝撃を受けつつ、なんとか返した言葉だった。
言ってしまえば出来損ないで地味な私とは違い、姉は文武両道な上に華やかな容姿をしていて、まさに才色兼備だ。
それに何より私は持病により横になっていることも多いため、妻として夫を補佐する力がなさすぎる。
「アイリスへの縁談で間違いない」
力強い返答だがひたすら困惑する。
「私は妻として何も出来ません。お姉さまや他のご令嬢のように学園に通ったり、何かを成し遂げることも、日常生活ですらエマに助けてもらってばかりで……。周りにも私の病弱さは知れ渡っているので、わざわざそんな女を妻にしたいと申し入れる方などいらっしゃらないのではと……」
父は少しだけ困ったように表情を変えたが、長年娘として生きてきた私にしか分からない変化なのだろう。
「あまり気負うな、これは政略結婚だ。相手に尽くさずとも婚姻だけすれば良い。相手はあの百戦練磨の騎士イザーク様だ。彼の父上はこの国の武を担うアンスリウム家と、智を担う我がブロッサム家が一つとなれば、大きく有利となると考えたのであろう」
「……分かりましたわ。顔合わせはいつ頃なのでしょうか?」
「イザークさまはとてもお忙しいため、顔合わせなしでにアンスリウム家へと入ることになる」
「では、その日はいつでしょう?」
「出来るだけ早くということで、一週間後だ」
「そんなに急なのですか!?」
思わず声も令嬢らしからぬ大きさになってしまった。
それに対し、父は少し視線を下げながら頷いたのだった。
あの話の後はもちろん食事が喉を通ることなどなく、父も仕事のため解散となった。
今はエマが気を遣って淹れてくれた果実の紅茶で、気分をなんとか落ち着かせようとしている。
「お嬢さま、やはりご結婚はご不安ですか?」
いつも以上に優しい声音で問いかけてくるエマを見ると、蜂蜜のような瞳が揺れていた。
「……そうね、とても不安。でも政略結婚だとしても、こんな身体の私を受け入れてくださるなんて、そんな有り難い殿方はいないわ。貴族の御方だし、普通ならば健康を第一条件にするはずよ。まあ、結婚後もイザーク様が切り捨てようと思えば、いつでも切り捨てられてしまうのだけれど……」
「まだお会いもしていないのですから、あまり悲観的にならないでくださいませ。私ももちろんお嬢様とご一緒にアンスリウム家に行きますから」
「……そうね、ありがとうエマ」
私が微笑むとエマも安心したように表情が和らいだ。
ここまで不安に思う理由は、自分が原因のことだけではない。
エマにも話した通り、こんな有り難いお話はないのだ。
けれど貴族の世界において、愛されない妻はいつでも立場が危ういもの。
相手はあの無慈悲と皆が言うイザークさまだなんて……きっと愛してくださることなんてないのでしょう。
……いえ、悲観的になるのはここまでよ。
この世に生を受けたからには必ず生き抜いてみせましょう!
少しだけ大きな優しい声が聞こえ、柔らかな陽射しの中で瞼を開いた。
「お嬢さま、おはようございます。起きられますか?」
「……おはようエマ。もう少ししたら起き上がるわ」
エマは幼い頃からの専属メイドで、誰よりもアイリスの体調のことを理解してくれている。
亜麻色の髪に蜂蜜のような瞳をした優しい女性だ。
「畏まりました。……旦那さまからお嬢さまにお話があるとの伝言を預かっております。急ぎではないが後ほどダイニングルームでお食事を、とのことです」
「……嫌な予感しかしないわね」
露骨に怪訝な表情を浮かべると、エマは少し困ったように微笑んだ。
というのもアイリスの父親は「忙しいから」が口癖で、小さい頃からあまり良い思い出はないのだ。
ただ、仕方ないということもわかっている。
何せこの国を担う重要な人物であり、限られた人物しか入れない王城に頻繁に出入りしているのだから。
それにこんな自分を投げ出さず家に置いていてくれるだけで、貴族の中ではこの上なく優しい父親なのであろう。
まだこの柔らかなベッドに沈んでいたいが、そんな父親の時間を奪うわけにはいかない。
ゆっくりと身体を起こすとエマがそっと背中を支えてくれる。
「ありがとう。身支度を手伝ってくれる?」
「勿論でございます」
この重い身体で身支度をするとなると、一人では多くの時間を費やしてしまうが、エマの手助けで「少々のんびりすぎる人」程度で終わる。
「エマ、いつも本当にありがとうね」
「礼は不要です。私はお嬢さまのメイドですから」
「……これからもお礼は言わせてもらうわよ」
二人で微笑み合った後、ダイニングルームへと向かった。
「お父さま、遅くなってごめんなさい」
「かまわん。そこに座りなさい」
目線で促された席へと座ると、数々の食事が運ばれてくる。
「……申し訳ないのですが、何度も申し上げましたようにこの量を私は食べられないのです。用意してくださるのは大変有り難いですが、食材が勿体ないので減らしていただきたいです」
普段は面と向かって口答えはしないのだが、毎度のこととなるとさすがに言わざるを得なかった。
「……わかった、すまんな」
「ありがとうございます」
ただでさえ食が細いのに、気まずい空気の中で口に運ぶのが酷く苦痛に感じる。
「お前のメイドに伝えたように、話があってな」
いつも冷静沈着な父が些か言いにくそうにしているのを見て、想定していたよりも悪い話かと怯えてしまう。
「実は、お前に縁談が来ているのだ」
「……私に、ですか?お姉さまではなく?」
父の言葉に衝撃を受けつつ、なんとか返した言葉だった。
言ってしまえば出来損ないで地味な私とは違い、姉は文武両道な上に華やかな容姿をしていて、まさに才色兼備だ。
それに何より私は持病により横になっていることも多いため、妻として夫を補佐する力がなさすぎる。
「アイリスへの縁談で間違いない」
力強い返答だがひたすら困惑する。
「私は妻として何も出来ません。お姉さまや他のご令嬢のように学園に通ったり、何かを成し遂げることも、日常生活ですらエマに助けてもらってばかりで……。周りにも私の病弱さは知れ渡っているので、わざわざそんな女を妻にしたいと申し入れる方などいらっしゃらないのではと……」
父は少しだけ困ったように表情を変えたが、長年娘として生きてきた私にしか分からない変化なのだろう。
「あまり気負うな、これは政略結婚だ。相手に尽くさずとも婚姻だけすれば良い。相手はあの百戦練磨の騎士イザーク様だ。彼の父上はこの国の武を担うアンスリウム家と、智を担う我がブロッサム家が一つとなれば、大きく有利となると考えたのであろう」
「……分かりましたわ。顔合わせはいつ頃なのでしょうか?」
「イザークさまはとてもお忙しいため、顔合わせなしでにアンスリウム家へと入ることになる」
「では、その日はいつでしょう?」
「出来るだけ早くということで、一週間後だ」
「そんなに急なのですか!?」
思わず声も令嬢らしからぬ大きさになってしまった。
それに対し、父は少し視線を下げながら頷いたのだった。
あの話の後はもちろん食事が喉を通ることなどなく、父も仕事のため解散となった。
今はエマが気を遣って淹れてくれた果実の紅茶で、気分をなんとか落ち着かせようとしている。
「お嬢さま、やはりご結婚はご不安ですか?」
いつも以上に優しい声音で問いかけてくるエマを見ると、蜂蜜のような瞳が揺れていた。
「……そうね、とても不安。でも政略結婚だとしても、こんな身体の私を受け入れてくださるなんて、そんな有り難い殿方はいないわ。貴族の御方だし、普通ならば健康を第一条件にするはずよ。まあ、結婚後もイザーク様が切り捨てようと思えば、いつでも切り捨てられてしまうのだけれど……」
「まだお会いもしていないのですから、あまり悲観的にならないでくださいませ。私ももちろんお嬢様とご一緒にアンスリウム家に行きますから」
「……そうね、ありがとうエマ」
私が微笑むとエマも安心したように表情が和らいだ。
ここまで不安に思う理由は、自分が原因のことだけではない。
エマにも話した通り、こんな有り難いお話はないのだ。
けれど貴族の世界において、愛されない妻はいつでも立場が危ういもの。
相手はあの無慈悲と皆が言うイザークさまだなんて……きっと愛してくださることなんてないのでしょう。
……いえ、悲観的になるのはここまでよ。
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