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ドワーフの国へ

Ep.7 髪が乾くまで/シアン(2)

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 足取りはしっかりしているが、浴びせられた酒のせいか珍しく少し顔が上気している。放ってはおけない。
 部屋まで付き添うと、悪いな、と申し訳なさそうに謝られた。

 水を飲ませようと部屋に置いてあった水差しを手に取ったが、中の水はすっかりぬるまっている。
 宿の台所を借りて水を入れ替え氷を足し、部屋に戻るとアッシュがいなかった。
 風呂場から水を使う音がする。ああ、体を洗っているのか。
 見ると、椅子の上に服が脱ぎ捨てられている。酒を吸い込んでいる服は早めに洗わないと、そう思い手にとった。

 服にまだ残っている温もりに、一瞬で心の音が跳ね上がった。

 頭の中をぐるぐると回る何かを振り払うように頭を振り、服を抱えて自分の部屋に向かう。
 服についた酒の匂いの後ろに隠れているアッシュの匂いがわかってしまう、自分の執着がこんな時には恨めしい。
 余計な事を考えるな、そう自分に言い聞かせながら風呂場で服をすすいだ。染み込んだ酒はすぐには落ちない。ひとまず石鹸せっけん水につけてアッシュの部屋に戻った。

 アッシュはすでに風呂場から出てきていて、椅子に浅く座って水を飲んでいた。
「水を替えてくれたんだな。ありがとう」
 自分の姿を認めると、そう言って軽く首を傾げるように笑った。
 が、その部屋着姿がいつもより無防備で…… 息を呑んだ…… さっきいさめたはずの何かがまた自分の内から湧いてくる。

「髪、乾かしてやるよ」
 なんともない風を装って、アッシュの後ろに回る。
「もう遅いから休んだ方がいいんじゃないか? このくらいは自分で出来る」
「いや、やらせてくれ。俺がやりたいんだ」
 そう言うと、アッシュは一瞬だけ考えて、少し横に向けていた顔を黙って前に向けた。いつもの、髪を任せてくれる時の姿勢だ。

 受け取ったタオルを手にし、長い黒髪を包むようにして水気を吸わせる。髪を持ち上げた時にちらりと見える襟首も、いつもより艶っぽく見えてしまう。
 一度は諦めた貴重な時間をこうして取り戻せた事は、とても嬉しいのだが、どうにも心と体が落ち着かない。

 アッシュの髪に残っていたのか、首を伝って流れた水に、ふと目を留めてしまった。そのまま水滴は体の前側に落ち、大きめに開いたシャツの襟もとから、さらに奥にある深い谷間にまで吸い込まれていった。
 その水滴が見えなくなるまで、目を離す事が出来なかった。そして、そこから視線を動かせなくなった。

 次の瞬間、全身の血が沸騰したかと思った。
 やばいやばいやばいいや大丈夫ばれてないそうじゃない何見てんだやっぱり大きいな知ってたけどってちがうだろでも触りたい揉みたいあの谷間に顔をうずめたいきっといい匂いする柔らかい舐めたいまて何考えてるんだ俺はだめだ止まらないだめだまてやめろやめろおちつけ俺!!

 多分…… ギリギリで耐えた。

 急に手を止めた事が気になったらしい。
 アッシュに「どうしたんだ?」と不思議そうに問われた時、俺はしゃがみ込んで両手で顔を覆っていた。

 嗟咄とっさにシャツを脱いで、顔をらせたまま手を伸ばした。
「……っ、俺ので悪いけど、これで胸元隠してくれ。……目のやり場に困るっ……」
 口に出すと尚恥ずかしく、気まずくなる…… 耳まで熱くなっているのがわかる。出来ればこっちを見ないでほしい。
 服を持っていた手が軽くなり、アッシュが受け取ったのがわかった。

 「……すまん。ちょっと待ってくれ……」
 息を整えようと深呼吸をする。
 だがそれに逆らうように、心の音はまだうるさいくらいに響いてる。下半身のたぎりはどうにも収まりそうにもない。

 そっとアッシュの方を見ると、渡したシャツを抱え込むように抱き締めて、胸元を隠していた。それを見て、少しだけシャツに嫉妬した。

 まだあまり落ち着いていないが、アッシュの後ろ側にいれば、赤い顔も下半身の膨らみも見られる事はないだろう。ずっと待たせている訳にはいかない。
 もう一度深く呼吸して、アッシュの髪を乾かしに戻った。

 髪を乾かす間、どうにも気持ちの置き場がなく、何故だが話掛ける事が出来なかった。いつもなら彼女に軽口を叩いてみせている癖に。
「ほら、乾いたぜ」
 いつものふうを装って、そう声を掛ける。が、
「いつも……ありがとうな……」
 返ってきた言葉は、彼女にしてはやけにしおらしいような気弱な様子で。その言い方に、さっきの様子がバレたのではないかと、もしくは俺は何かしでかしてしまったのかと、すぅと頭が冷えた。

「そう言ってもらえるのは……嬉しいけど…… どうかしたんですか? アシュリーさん……」
 先程とは違う気持ちの所在しょざいなさを感じながら、声をかける。
「いや…… いつも、申し訳ないなと、そう思っている。今日もルイとアレクの所に行ってたんだろう?」
「アレクに、魔力の調節が難しいから教えてほしいって……」
「私は……自分の事は自分で出来るから……」
 !! なんでそんな事を言うんだ。そんな遠慮は要らないんだ。俺がしたくてやっているのに。
「……俺は、やりたくてやっているんです。だから……」

 そっと、手が伸びてきて、頬に触れた……
「あ……」
 その手が、俺の頬を包む。温かく、柔らかく、優しく……
 俺を見つめるその目が、その深紅の瞳がすげえ綺麗で……

 ……でも悲しげで……

「本当は……」
 その唇が次の言葉の形になって止まった。
 でもまるで何かを振り落とす様に、少し視線をらせ、いつもの顔に戻った彼女は、
「あ…… いや、すまない…… やはり少し酔っているのかもしれない」
 そう言って手を離して、また胸元のシャツを抱え込んだ。

 正直、俺は混乱していた。
 今のは…… いったい何だったんだ?
 俺はどうすればいいんだ?


 しばらくすると、すぅという息の音が聞こえてきた。
「アシュリーさん……?」
 俺のシャツを抱え込んだまま、うつむいている彼女の顔を覗き込むと、すっかり目をつむって…… 眠ってしまったようだった。

 張っていた気が緩んで、大きく……息を吐いた。まだ胸には動悸の余韻が痛いほどに響いている。

 彼女はこうして、こんな夜中に俺と二人きりだというのに、気にもせずに眠ってしまう。
 俺の事を信用してくれているからだ。でも同時に、俺を意識してはいないからだろう……
 信用してもらえて嬉しい気持ちよりも、切ない気持ちが勝ってしまうのは、あの頃よりも彼女を好きになってしまっているからだ。その気持ちを割り切りたくはないからだ。

 彼女を抱きかかえてベッドに運ぶ。
 俺のシャツは、まだその腕に抱かれたままで。ああ、そんな風に俺の事も受け止めてもらえたらいいのに……

 その唇に……口づけたい気持ちを抑えて、そっと頭を撫でた。

 なあ。
 この旅が終わったら、少しは彼女に釣り合う男になれたと思ってもいいかな。
 もう一度彼女の顔を見て、好きだって言ってもいいかな。
 柄じゃあないけど、愛してるって言ってみてもいいかな。
 俺の気持ちが伝わるまで、ずっと抱きしめてもいいかな。
 俺、やっぱり彼女と居たいよ。
 ずっと、ずっと……
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