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獣人の国

Ep.3 酒と花/(1)

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「良かったら今晩一緒に飲まないか?」
 異性からそう言った誘いを受けるのは、これが初めてではない。今までの人生で何度も聞いた言葉だ。
 正直、ちょっと嫌気がさしていた。

 この仲間たちと仲良くやっていきたい気持ちはある。一緒に旅をするには、皆気持ちのいい者たちだ。
 しかし『特別な関係』になるのは遠慮したいし、それでいざこざが起こるのも好ましくない。

「すまないが他をあたってくれ」
 そう言うと、アッシュは少しきょとんとしたような表情をみせてから、軽く笑った。
「そうか残念だな。お前とは酒の話が合いそうだと思ったんだが」
 あっさりと引き下がる様子に、ちょっと拍子抜けした。

 どうやら自分の見た目は世間の嗜好しこうに合致しているらしく、それを目当てで声を掛けて来る者も少なくはない。サムは至っては何かにつけて、自分に「美人だ」と世辞を言う。
 てっきり、そういったたぐいの意図なのだろうと思ったのだが……

 まあ、声をかけてきたアッシュの方も自分から見てもかなり眉目みめは良い。世間的にはモテる方のはずだ。
 自分なんかに声をかけなくても相手はいくらでもいるだろう、そう思った。

 酒が美味いという評判の店に行くと、カウンターでアッシュが一人で飲んでいた。
 向こうはこちらに気付いてない様子だったので、えて声は掛けずに離れた場所に席を取る。酒や料理は美味かったが、下心満載の声かけや、酔った勢いで絡んでくる者たちに閉口へいこうした。

 それなりに酒も味わったし、適当に切り上げて宿に戻る事にした。帰り際に見るとアッシュはまだ飲んでいて隣に誰かを座らせている。
 ほら、やっぱり相手はいくらでもいるじゃあないか。その背中を横目で眺めて店を後にした。


 次の町でも、夜に酒場に行くとアッシュが一人で飲んでいた。
 自分を見かけて軽く手を挙げて見せたが、でもそれだけだった。一瞬、また誘われるのではないかと心で身構えた自分に、また拍子が抜けた。

 しばらくしてアッシュの様子を見ると、どうやら好まない相手に声をかけられているらしく、適度にあしらえば良いのにそうも出来ないらしい。短くは無い時間をかけてようやく相手が引き下がると、ほっとした顔をしているのが見えた。

 自分のところにも言い寄ってくるヤツが居て、正直うざったい。少し冷たく言ってはみたが、なかなか引き下がらない。強い口調で断ると、やっと一人になることが出来た。
 やれやれと思いアッシュの方をみると、また別の人が隣にいて苦い顔をしている。その様子を見て、以前に店を出る時に見た光景を思い出した。
 そういえばあの時、アッシュはどんな顔をしていたんだろうか。自分はそこまでは見ていなかった。


 どうにもアッシュとは店の好みが合うらしい。その次の町では自分の方が先に店に居た。
 ドアの軽いベルの音と共に店内の空気が変わったのに気付き、わずかに視線を向けると、アッシュが入って来たところだった。
 相変わらずモテるようだ。さっそく手をとられて連れて行かれそうになっている。ここの人たちは大分積極的らしく、自分もああして入店すぐに両側から腕をとられていた。

 アッシュが明らかに困惑の表情を浮かべている。

 放ってはおけず、咄嗟とっさに「アッシュ」と声をかけ、手を軽く振った。
 アッシュは自分に気付くと、すぐにああという表情になり、「失礼」と手をとっていた相手に声をかけて逃げ出してきた。
 「失礼」なんて、あんな相手にわざわざ言わなくていいのに。一瞬やきもきとした気持ちが沸いた。

「やあ、メル」
 心からほっとしたように、自分の名を呼ぶ。後ろに「助かったよ」の言葉が隠れているのだろうが、何故かそれとは違う感覚が自分の中にあった。

「一人で楽しんでいた所を邪魔してすまない。格好がつかないから半時はんときばかりここで一緒に飲ませてほしい」
 こっそり告げられた言葉に「そんな気を使わなくていいのに」と思う自分がいる。
「何を飲む? ここは色んな酒が揃ってるからなかなかに選び甲斐がある」
 えて返事はせずに酒を勧めると、アッシュの表情が優しく緩んだ。

 美味い酒と料理に、程良く話が弾んだ。
 互いに酒好きで、色々な地方の酒と料理の話は飽きが来ない。その流れで、その地方でどんな魔獣と戦ったか、どんな依頼を受けたか。またその依頼の後に飲んだ酒が美味かったとか、また酒の話に戻る。
 ともすれば行ったことのない地方には、こんな酒があるらしいとか、こんな料理が美味いらしいとか。

 自分はあまり話を得意とするタイプではないはずだったのだが、アッシュは自らの話をしつつ上手くこちらにふって引き出してくれる。今までの自分を思うと、今晩は驚くほど饒舌じょうぜつだろう。

 アッシュは適度な距離感で接してくれる。下心なんて微塵みじんも見えない。最初にしていた心配も杞憂きゆうだったとわかった。
 しかも二人でいると、余計なわずらわしさが近寄っても来ない。純粋に酒と料理と会話を味わえる時間を過ごす事が出来た。

 半時なんてあっという間だ。
「ああ、居過ぎてしまったな。メル、ありがとう」
 じゃあと言いかけた雰囲気にわざと被せて、「アッシュ」と声をかけた。
「次は何を飲む?」
 それを聞いて、一瞬アッシュの表情が止まった。そして、少し悪戯いたずらげに目を細めた。
ら、メルが選んでくれないか?」
 ……そう言う意味か。これは掛け言葉だ。

 『良かった』ので、アッシュの為に酒を選んだ。改めて乾杯をすると、アッシュはその酒を一口飲んでとても美味そうな顔をした。

 そういえば一人で飲んでる時に名を呼ばれて、嫌な気分にならなかったのは今日が初めてだった。こんなに楽しく沢山話をしているのも。
 そして、こうして誰かの酒を自分が選ぶのも初めてだった事に気付いた。

 慣れない心の高揚こうようを、どうしたらいいかわからずに少しだけ戸惑っていた。
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