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当然ですね
しおりを挟む「お前……馬鹿か!」
レイゾンは叫ぶように言って立ち上がると、すぐさま白羽の手首を掴む。そのまま外の水辺へ連れ出そうとして——何かを思い出したように舌打ちする。
直後、
「あっ——」
白羽の身体がふわりと浮く。レイゾンの腕に抱き上げられたのだ。
「レ……」
不躾に身体に触れられ、真っ赤になって狼狽える白羽をよそに、レイゾンは白羽を軽々と抱えたまま庭への窓を蹴り開け外へ出ると、普段なら白羽が水浴びに使っている水盤へ足を向ける。
レイゾンは自身の衣が濡れるのにも構わずその端へ腰を下ろすと、白羽に指を冷やすように促した。だが彼の腕に抱えられているからか、水まで手が届かない。
「……と、届きません……」
不安定な体勢になりながらも水面へ手を伸ばすが、もう少しというところで届かない。レイゾンが、ふん、と鼻を鳴らした。
「もっと頑張れ。早く冷やさなきゃ意味がないだろう」
「やってます! ですが、もう少し水に近づけてくださらないと……」
「っ……文句の多いやつだな。なら落としてやろうか?」
揶揄うようなその言い方は、白羽のことなどどうとでもできる、と言わんばかりだ。確かに、レイゾンと比べれば遥かに細く華奢な白羽のことなど、彼は片手でどうとでもできるだろう。先刻、有無を言わさず楽々と抱え上げたように。
だがそんな扱いを受けて気分がいいわけがない。
「っ——」
白羽は「落とすなら落とせばいい」とばかりに、レイゾンの腕の中で無理やり身体を伸ばし、手を伸ばし、水に触れようとする。レイゾンが慌てたように白羽の身体を抱え直した。
「おい! 本当に落ちるぞ」
「わたしだって、早く冷やしたいのです。抱えていられないなら、好きになさってください。落ちたところで濡れるだけですし、少し痛いだけです」
「お前な……」
レイゾンは顔を歪めて何か言いかけたが、なにも言わなかった。
代わりに、白羽が水に触れやすいように抱え直してくれた。
彼の膝の上に乗るような格好だ。ようやっと、指が水に触れる。触れたところが冷える感覚に、白羽はほっと息をついた。
「しばらく浸けておけ」
すぐ側から、レイゾンの声が届く。
「お前の軽い身体なんか、俺が『抱えていられない』わけがないだろうが……」
そして彼は文句のようにブツブツと呟く。レイゾンの対抗心に、白羽は思わず小さく笑った。
そうしていると、レイゾンは器用に自身の衣をさぐり、符を一枚取り出す。なにをするのかと思っていると、それを水に浸した。途端、水盤の水がますます冷たくなった。何某かの魔術が込められていたようだ。
「……手足は、騏驥の命だぞ」
彼自身も水面に触れ、その冷たさを確かめながら、レイゾンは言った。
低い、怒っているような声だった。
「注意力散漫にも程がある。……馬鹿が」
「…………申し訳ありません……」
白羽は、言い返したい気持ちをグッと堪えて、謝った。
「馬鹿」なんて言われたのはいつ以来だろう? おそらく、まだ踊り子だった頃に聞いたのが最後だ。城に来てからは、そんな下品な、直接的な罵倒はされたことがなかった。
(なのにこの方は……)
二度も。
…………二度も!!
(…………)
憤りが込み上げるが、しかし確かに白羽が馬鹿なのだったから仕方がない。レイゾンのことを気にしすぎるあまり、当然しなければならない注意を忘れていた。
それに、レイゾンの怒りは闇雲に怒っているのではなく——怒ると言うよりもむしろ「叱る」というような雰囲気だった。言葉遣いは荒いが、こちらの身体を本当に気遣ってくれているような。
「…………」
白羽は、水の中の指先に神経を集中してみる。
火傷したと言っても、ほんの少し触れただけだ。触れたか触れなかったかわからないほど。だから今はもうさほど違和感はない。
だが。
一歩間違えれば大変なことになっていた。騏驥の手足——指先は特に気を使わなければならない場所で、少し爪を削り過ぎたことが原因で走れなくなり、そのまま引退——処分された者もいると聞く。
もし、二度と走れない火傷を負っていたら……。
想像すると背筋が冷たくなる。
——廃用。しかも何とも間の抜けた理由での廃用だ。そんな理由で廃用になり——処分されることになったら、たとえティエンと再会できるとしても合わせる顔がない。
「……お前、もしかしてドジか?」
すると不意に。レイゾンがポツリと零すように言った。
白羽は、しばらくは彼がなんのことを言っているのかわからなかった。独り言にしては声が大きいなと思っていたぐらいで、もうそろそろ冷やすのを止めていいだろうかと、その頃合いを考えていた。
しかし数秒後——。
「!? も、もしかして私のことを言ったのですか?」
まさか、と思いつつ尋ね返す。
身を捩って勢いよく振り返ると、レイゾンの顔が思っていたよりも近くにあり、一瞬、戸惑ってしまう。レイゾンも驚いたようだ。いつもは鋭い黒灰色の双眸が、今は心なしか丸くなっている。
間近から見つめ合い、どちらの動きも言葉も止まった途端、白羽は今の自分の状態を改めて理解する。
そして——混乱した。
どうしてこんな男に——騎士とは言え決して心を許しているわけでもない男に、自分の身体を自由にさせているのか!
馬の姿の時ならともかく、今は人の姿だ。
なのにどうして自分の身体は、彼の身体と、こんなに近いのか(しかも薄着なのに!)。そもそもどうして抱えられているのか。
布ごしに伝わってくる、彼の腕、胸、その強さや逞しさ、温かさ……。
それらを改めて感じれば感じるほど、白羽はますます混乱する。
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