君のためなら親でも殺す

小貝川リン子

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18 疑念

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 八割方省いて、稀一郎は語り終えました。

「親父の遺言通り家に火をつけて、それきり故郷には帰ってない」
「お前、なかなかに危ないやつだったんだな」
「だから言いたくなかったんだ。嫌いになったか?一緒に住むのやめる?」
「別に……」

 煎餅布団の上、向かい合うように座っています。薄い唇に煙草を挟んだ朔之介は、口にたっぷり含んだ苦甘い煙を、長い溜め息と一緒に吐き出します。

「だからあの時も、馬鹿みたいに冷静だったんだな。おれの……親父をやった時さ」
「いや、あの……そうですね」

 稀一郎はバツの悪そうに苦笑しました。

「そりゃ、悪かったと思ってないでもないけど、他に方法が思いつかなくて……それにあいつ本当に最悪だったからさ。いや、でも、やっぱり殺すのはよくないよねぇ。仮にもお前の保護者だったわけだし……俺のせいでお前は苦労を強いられてるわけだし。昔はあんな立派な屋敷に住んでたのに、今じゃ細民長屋だもんなぁ」

「別に責めているわけじゃない。お前を責めたいと思ったこともない。おれはお前に感謝してるんだぜ。お前がいなかったら、おれは一生あのまま、惨めに生きていく羽目になってたんだからな。飼殺しもいいとこだ。あんなもん、おれはただの……」

 目眩がして、ぞっと血の気が引きます。その後に胃の持ち上がる感覚があって、朔之介は一旦口をつぐみます。深呼吸してから大きく舌打ちをし、また口を開きました。

「あのクソ野郎の話なんざ金輪際したくねぇが、とにかくおれとお前は同類だから安心しろ。血を分けた者を手にかけたという意味で」

 どういう意味だと問う稀一郎を制して朔之介は続けます。

「これ以上この話をさせるな。食ったもの全部ぶちまけさせる気か?……もう、今日は仕舞いだ。おれもあいつらみたいにはなりたくないからな」

 吸いさしを灰皿に押し付ける仕草を見て、稀一郎はすかさず朔之介の肩を掴みました。

「待てよ。今から行くのか?」
「決まってるだろ。金曜の夜は稼ぎ時なんだよ」

 稀一郎は目に見えて消沈します。それからもじもじと口を開きました。

「きょ、今日は家にいろよ。お休みにしなよ」
「なんでだ。どうせ寝ないなら意味ねぇだろ」
「そんな寂しいこと言うなよ。ね、その、何もしないけど一緒に寝たいんだよ。添い寝だけしたい、みたいな……だめ?」

 狙ってやっているのか無意識か、稀一郎が整った顔でぐいぐい迫ってくるので、朔之介の心は揺らぎます。

「恥ずかしいことを白状するようだけどさ、俺、お前の匂いがたまらなく好きなんだ。髪の毛とかうなじとか、甘いのと脂が混じったみたいな匂いがしてすごく安心するし、よく眠れるんだ。お前の布団に潜り込んでたのもそのためで……」

 朔之介は稀一郎から目を逸らし、好きにしろよと呟きました。稀一郎はぱっと顔を輝かせ、飼い馴らされた大型犬のように体をすり寄せて喜びました。

「このまま寝ちゃう?あったかいし、すぐ眠れそう」

 布団の中で横になって、稀一郎は朔之介を抱きしめます。腹と背中をぴったり重ねて、稀一郎は朔之介の髪に顔を埋めました。嬉しそうにくすくす笑います。

「お前の髪の毛、やわやわしててくすぐったい」
「嫌なら離れろ」
「全然嫌じゃねぇもん。かわいくて好きだよ」

 稀一郎のすっきりと通った鼻のその先端が、朔之介の首筋を優しく撫でます。それだけで朔之介の心臓は速足になります。

「稀一郎」
「なぁに」

 返ってくる声は穏やかそのもの。背中から伝う心音も全く正常です。本当に何もせず添い寝だけで満足する男がこの世に存在したとは、朔之介にとっては思いもよらないことです。朔之介が誘えばどんな男も目の色を変えて襲ってきたのに、稀一郎のことだけはどう扱えばいいのかわかりません。

「……おい」

 ふと、朔之介は息を詰めました。首筋から背中にかけてぞわっときて、全身の皮膚が泡立ちます。稀一郎が襟足の産毛ごと食んだのでした。かさついた唇が肌に触れ、しかし舌は出てきません。ただ表面を滑るようになぞるだけです。

 焦れた朔之介が呼びかけても返事はなく、規則正しい呼吸音が聞こえるだけです。眠ってしまったらしいのでした。時折ぬるい吐息が耳たぶをくすぐります。眠っていても、稀一郎は朔之介を強く抱きしめます。泣きたくなるくらいに胸の奥が切なくて、朔之介はきつく目を瞑りました。

 さて、それでも相変わらず、物理的にすれ違い気味の生活が続いていました。朔之介は日付の変わる前に帰宅するよう努めていますが、朝帰りすることがなくなったわけではありません。

 ある時、客の男に尋ねたことがあります。
「愛していると言いながら体の関係を持たないことなんてあるだろうか」

 朔之介は口にくわえていたものを綺麗に舐め取って掃除した後、出し抜けにそう言ったのでした。そんなつもりは全くなかったのに、考えていたことが口をついてしまったのです。朔之介を見下ろして、男は当然困惑します。

「おれはずっと、愛ってのは性行為と同義だと思っていたんです。でもどうも、世の中はおれの思うほど単純にはできていないらしくて……」

 朔之介にとって稀一郎の行動は不可解でした。性交渉が持てない理由を、稀一郎は断片的に話してはくれましたが、それでも何だか納得いかないという気がするのでした。納得はいかないけれど、嫌がる相手に無理やりさせる趣味もないので、大人しく添い寝をするだけに留まっています。

「愛があろうとなかろうと行為はできますが、愛しているのなら必ず、抱きたくなるものでしょう?おれはずっと、そうやってきたんです」
「……何のことを言ってるのかよくわからんが、性交の伴わない愛も当然あるだろう。親子や家族間のそれは性に依らない。友人同士のものもそうだ」

 朔之介は腑に落ちない様子で、わずかにうつむきました。萎びた陰茎が、男の股間にだらんと垂れています。

「しかしなんだって俺にそんなことを聞くんだ?他に適役がいるだろうに」
「……あなたが適役だと思ったからですよ。おれはあなたの思うよりもずうっと狭い世間で生きてるんだ」

 夜のお友達しかいないのか?と男がからかいますが、真実その通りでした。朔之介は金銭授受や肉体関係の伴わない人間関係をほとんど知りません。

「もう遅いし泊まっていこうか」

 男はにこにこと手招きをします。朔之介は黙って体を寄せ、肌を重ねました。
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