幼馴染を追いかけて

小貝川リン子

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第八章 再びの春

3 温泉①

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 さて、猫を預かってくれたお礼にと、旅行券を貰ってしまった。ので、連休は温泉旅行に出かけることになった。

 朝から快晴で、この時期らしい汗ばむ陽気だった。まずは新宿まで出て、ロマンスカーに乗る。馨が食べたそうにしているのを察して、遼真が車内販売のカップアイスを買ってくれた。二人で分け合いながら食べていると、車内が急にざわつく。

「富士山だ」

 先に遼真が気づいて、窓の外を指さす。青天に富士の雪化粧が映えていた。
 箱根湯本から登山鉄道に乗り換えると、一段とローカル線の風情が漂う。短い列車がとことこ走り、いくつものトンネルを抜け、渓谷に架かる鉄橋を渡り、スイッチバックで急勾配を登る。終点の強羅でケーブルカーに乗り換え、さらに急斜面を登っていく。早雲山からはロープウェイに乗り、新緑の山々を見下ろして悠々と空を飛ぶ。

 峠を越えるとがらりと景色が変わる。これが俗に言う地獄谷。岩ばかりの荒涼とした大地に濛々と噴煙が湧き上がり、鼠一匹住めそうにない。ロープウェイのガラスに顔を近付けて谷底を見下ろすと滑り落ちそうで足が竦み、二人して震え上がった。下手なアトラクションよりも断然迫力がある。

 ロープウェイを降りるとそこは整備された観光地で、二人も例に漏れず名物の黒たまごを買い、ついでにご当地ソフトクリームも試してみた。雄大な富士山と迫力満点の噴煙という抜群の景観を前にして食べたせいか、格別に美味しく感じた。

 大涌谷から再びロープウェイに乗って山間を走り、港から海賊船に乗って芦ノ湖を遊覧する。乗り込むなり、馨は真っ先に屋上の展望デッキまで駆け上がる。遼真も後を追いかける。船首に立つとちょうど鳥になったような気分になれ、最近見た映画の真似をして二人ではしゃいだ。馨の結んだ長い髪が風にそよそよ靡いた。

 船は風を切って穏やかな湖を進む。波はきらきらと陽光を弾く。空はすっきりと澄み渡り、初夏の爽やかな風が頬を撫でる。白い富士山と鮮やかな新緑、そして湖の青が見事に調和して、絶景を作り上げていた。

 下船し、港に近い神社へ参拝した。朱い鳥居が湖上に浮かぶように建っており、船からもよく見ることができた。一応おみくじを引いてみると、二人とも吉であった。縁結びのお守りが何種類か頒布されていたが、必要ないので貰わなかった。名物だという五色餅は柔らかくて美味だった。

 そろそろ観光は終わりにし、いよいよ宿へと向かう。この辺りでも有名な老舗温泉旅館らしい。今回の旅行のメインである。ロビーからして高級感が漂っていたが、部屋に着いてみて馨は一層驚いた。興奮気味にバルコニーへと駆けていく。

「りょーま! りょーま、見てみぃ、部屋に風呂が!」
「僕が予約したんだから、知ってるよ」
「あ、ほうか……おまん、知っちょったならもっと早う言いや。こがぁな豪勢なホテルやち思わざった。こがな変な恰好で来てもうて、わし、おかしゅうないか?」
「けどその服、持ってる中で一番新しいでしょ。それに、館内では浴衣でいいんだよ。はい、馨ちゃんの分」

 浴衣と帯を手渡された。遼真は既に浴衣に着替えている。馨も真似をして浴衣を着てみる。初めてなので手間取った。帯が上手く結べない。

「りょーまぁ」
「はいはい」

 遼真が背中に回り、蝶々結びをしてくれる。

「難しいなら、前で縛ってから回せばいいんだよ」
「けど、どうせりょーまがやってくれるき」
「またそうやって甘えて」

 浴衣に着替えたら早速温泉へ。てっきり部屋の露天風呂に入るのかと思っていた馨は拍子抜けしたが、遼真曰くまずは大きいお風呂に入らなきゃ始まらないらしい。

 確かに大浴場は良い。脱衣所が広く、洗い場は多く、湯船も大きかった。早い時間だったせいもあり、ほぼ貸切状態である。人の目がないのをいいことに、お湯をばしゃばしゃ掛け合ったり泳いだりして遊んだ。もちろんサウナと水風呂の往復もした。

 少々疲れた頃に露天風呂へ移動する。坪庭付きの広い岩風呂で、屋根のあるところとないところがあった。青空を見ながら泳いだらさぞ気持ちいいだろうが、ちらほら先客がいたので我慢する。

「やっぱり大きいお風呂はいいね。風が気持ちいい」
「おまんとこがなとこへ来るがは、前に銭湯行って以来かのう」
「行ったねぇ、銭湯。懐かしいや。あの頃はまだ……」

 何か言いかけてからはっとして、遼真は笑った。

「どういたがよ」
「いや、ちょっと思い出して。背中に文字書いて遊んだの、覚えてる?」
「そがなことしたか?」
「したよ。馨ちゃんが僕の背中に字を書いたんだ。最初僕の名前書いて、すぐに当てちゃったから二回戦もして……ほんとに覚えてない?」

 馨が首を横に振ると、遼真は残念そうな顔をした。しかし、馨も本当は覚えている。二回目に何を書こうとしたのか、書きかけてなぜ途中でやめてしまったのか、よく覚えている。しかしそれを認めるのは恥ずかしいし少し癪であったから、忘れたふりをする。

「そういえばあの時はクリップで髪留めてたけど、今日は違うね。お団子かわいい」

 遼真は頬を緩め、馨の纏め髪をつんつん触る。

「クリップ最近使わんき、持ってくるがぁ忘れた」
「馨ちゃん、案外器用だよね。朝だってささっと結んでるし」
「案外は余計じゃ」
「ごめんごめん。けど、お団子ほんとにかわいいよ。また今度やってほしいな」
「……ま、気が向いたらしちゃってもえいけんど」

 結構な長湯をして、風呂を上がった。馨の髪は遼真が乾かしてくれ、丁寧に櫛も入れてくれた。部屋へ戻る前に休憩処へ寄り、お茶を飲んで涼む。それから館内をぶらぶらし、土産処を見て回り、中庭の和風庭園を散歩した。そんなことをしている間に夜になる。

 夕食は一品ずつ料理が運ばれてくる会席料理だった。食前酒、前菜に始まり、刺身、天ぷら、和牛のしゃぶしゃぶ、最後に水菓子。旨いものをたらふく食べて飲んで大満足の馨は、部屋に戻るなり布団に飛び込んだ。食事の間に敷かれていたらしい布団は、白くてふかふかで気持ちよかった。

「馨ちゃん、もう寝ちゃうの?」

 遼真は座椅子に座ってテレビをつける。浴衣のままで胡坐を掻くと、際どいところが見えそうでぎりぎり見えない。

「部屋のお風呂入らんの?」
「んー……腹いっぱいやき、ちっくと休む。おまん一人で入りやぁ。後から行くきに」

 などと言いつつ、あっという間に寝た。
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