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第二章 邂逅
1 街角①
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二年ぶりに、遼真は日本の土を踏んだ。海外での研修と勤務を終えて、戻ってきたのである。今後数年は国内の本省に勤めることになる。一切予定のない暇な休日はしばらくぶりで、遼真は揚々と街を散策した。東京は広く、まだまだ知らない場所も多い。電車やバスの車窓からではなく実際に自分の足で歩いて観察してみれば、いくらでも新たな発見がある。
一本曲がり角を間違えて知らない通りに入った。寂れた下町という風情で、建物も道路も何もかもが何となくくすんで見え、何とも言えず酸っぱい臭いが漂う。宗教団体の立て看板、謎の貼り紙、卑猥な落書き、異様に安い自動販売機が目に付く。アーケード商店街はことごとくシャッターが閉まっていて、段ボールを引きずる老人とすれ違う。
どうもおかしい。ここは本当に東京か。異界にでも紛れ込んだような感じだ。しかしこれはこれで悪くない。もう少し歩いてみよう。と思っていた、その時である。遼真の背後を誰かが通った。ふと懐かしい気持ちに駆られて振り返る。その人は遼真には目もくれずにたらたらと肩を怒らせて歩く。
腰まで伸びた赤い髪。一切の手入れがなされておらず、まるで野犬の毛並みのようにぼさぼさに乱れていて、歩く度にばさばさと左右に揺れる。遼真はその姿に一瞬見惚れた後、弾かれたように飛び出してその腕を掴んだ。
掴むと同時に力いっぱい振り払われる。その人はかなりガラが悪く、いきなり何ですかと西国訛りのイントネーションで言った。遼真を見ても眉間に寄った皺は消えない。目付きは鋭く、まるでこの世の何もかもを恨んでいるかのようだった。しかし遼真はその顔を見て確信する。
「……馨ちゃん?」
すると彼は大きく目を開いて遼真を見た。しかしすぐに鋭い顔付きに戻り、手に持っていたワンカップ酒を遼真の顔面にぶち撒ける。
「おまんなんぞ知らん! はよ去(い)ね!」
遼真が怯んだ隙に、その人は小走りで立ち去った。
前髪からぽたぽたと日本酒が垂れる。目に入って痛い。顔ももちろん、服まで濡れてべたべたする。遼真はどうしようもなく立ち尽くした。
「はっはぁ。兄ちゃん、いいカッコじゃないか」
道端に座っていたホームレス風の男が笑った。
「そう見えますか」
「見える見える。いい男が台無しだ」
「おじいさん、さっきの人のこと知ってます?」
「さぁ。どうだかね」
男がシケモクに爪楊枝を刺して吸っているのを見、遼真はコンビニで煙草を一箱買って渡した。
「いいの? なんか悪いね」
「さっきの人のこと、知ってるんですか」
「まぁ、時々見かけるね。ここ、昼間はよく通るよ。打ちに行くんだろ」
「打つ? っいうのはパチンコのことですか」
「そーよ。丸一日同じ台で粘ってさァ……」
男はライターをカチカチ鳴らすが、なかなか炎が安定せず煙草に火がつかない。遼真は先ほど煙草と一緒に買ってきたライターを渡した。
「おお、兄ちゃん案外気が利くねぇ」
「どこに住んでるとかわかります?」
「まぁよく知らないが、一応どっか借りてんだろう。この辺りで段ボール敷いて寝てるのは見たことねぇよ」
「パチンコ屋さんは、この先真っ直ぐですか」
「真っ直ぐ行くとトルコ風呂があるから、それを通り抜けて右の方に行くと見えるよ。結構デカい建物だ」
「はぁ、トルコ風呂……」
「俺も金がありゃ毎日だって通うんだけどね、何しろこれなもんで……」
遼真は男性にお礼を言って、教えてもらったパチンコ店へ急いだ。しかし彼には会えなかった。
*
翌週は忙しくて散歩どころではなく、遼真が次にこの土地を訪れたのは二週間後のことだった。馨と思しき者と――遼真は彼が馨だと確信しているが――出会った商店街で朝から張り込んでみたものの、一向にそれらしい人物は現れない。ホームレスなのかそうでないのかよくわからない高齢男性達が集まって酒盛りをしているだけである。
「よぉ兄ちゃん、あれからどうだい」
前回情報を与えてくれた男が遼真に声をかける。この間は気づかなかったが、この男前歯が欠けている。
「いやぁ、全然ダメですよ。パチンコ屋に行ったんですけど、会えませんでした」
「何だい兄ちゃん、誰か探してんの」
別の男が言う。遼真は答える。
「ええ。こう、髪が長くて、背がこのくらいで」
このくらい、と遼真は自身の顎の下辺りを手で示す。
「いやいや、さすがにもう少しデカいよ。兄ちゃんの頭の半分くらいはあったよ」
「えー、じゃあ、このくらいの背で」
遼真は今度は自身の目線辺りに合わせて示す。
「とにかく髪が長くて、日焼けしたみたいに茶っぽい髪で……」
「何だいそれ、女か?」
「いや、男なんですけど」
「訛りがキツかったな。どこの人? 大阪?」
「ええ、まぁ」
「そいつなら前に会ったことあるよ。チンチロで遊んだんだ。もちろん俺が勝ったけど」
「賭け事?」
「そう。大した額じゃないけどね。単なる暇潰しだよ。あの時は暇だったんだ。あいつ、一人で暇そうに道端でビール飲んでて、だから俺が誘ってやったのさ。ギャンブルは好きみたいなこと言ってたな」
酒のコップが空になっているのを見、遼真は近くのコンビニまで一走りしてパック酒を買ってきた。
「いいの? 悪いねぇ」
「いえいえ。どうぞ、皆さんも」
遼真が注いでやると、男達はうまそうに酒を飲んだ。
「な? この兄ちゃん、案外気が利くだろう」
「それで、その人とはどこに行けば会えますか? 心当たりとかありますか」
「月曜日は朝からパチ並んでんじゃないか?」
「やっぱり競馬場じゃないのか。三連単で全額スったとか言ってたぞ」
「教会はどうだ? 毎週炊き出ししてるだろ」
「それなら公園でも飯もらえるぞ」
「でも公園で寝泊まりしてるのは見たことねぇな」
「どこで寝てるんだろうな。川か?」
信用に足るかどうかいまいち怪しい情報を得て、その日は終わった。遼真も彼らと共にいくらか酒を飲んだ。
一本曲がり角を間違えて知らない通りに入った。寂れた下町という風情で、建物も道路も何もかもが何となくくすんで見え、何とも言えず酸っぱい臭いが漂う。宗教団体の立て看板、謎の貼り紙、卑猥な落書き、異様に安い自動販売機が目に付く。アーケード商店街はことごとくシャッターが閉まっていて、段ボールを引きずる老人とすれ違う。
どうもおかしい。ここは本当に東京か。異界にでも紛れ込んだような感じだ。しかしこれはこれで悪くない。もう少し歩いてみよう。と思っていた、その時である。遼真の背後を誰かが通った。ふと懐かしい気持ちに駆られて振り返る。その人は遼真には目もくれずにたらたらと肩を怒らせて歩く。
腰まで伸びた赤い髪。一切の手入れがなされておらず、まるで野犬の毛並みのようにぼさぼさに乱れていて、歩く度にばさばさと左右に揺れる。遼真はその姿に一瞬見惚れた後、弾かれたように飛び出してその腕を掴んだ。
掴むと同時に力いっぱい振り払われる。その人はかなりガラが悪く、いきなり何ですかと西国訛りのイントネーションで言った。遼真を見ても眉間に寄った皺は消えない。目付きは鋭く、まるでこの世の何もかもを恨んでいるかのようだった。しかし遼真はその顔を見て確信する。
「……馨ちゃん?」
すると彼は大きく目を開いて遼真を見た。しかしすぐに鋭い顔付きに戻り、手に持っていたワンカップ酒を遼真の顔面にぶち撒ける。
「おまんなんぞ知らん! はよ去(い)ね!」
遼真が怯んだ隙に、その人は小走りで立ち去った。
前髪からぽたぽたと日本酒が垂れる。目に入って痛い。顔ももちろん、服まで濡れてべたべたする。遼真はどうしようもなく立ち尽くした。
「はっはぁ。兄ちゃん、いいカッコじゃないか」
道端に座っていたホームレス風の男が笑った。
「そう見えますか」
「見える見える。いい男が台無しだ」
「おじいさん、さっきの人のこと知ってます?」
「さぁ。どうだかね」
男がシケモクに爪楊枝を刺して吸っているのを見、遼真はコンビニで煙草を一箱買って渡した。
「いいの? なんか悪いね」
「さっきの人のこと、知ってるんですか」
「まぁ、時々見かけるね。ここ、昼間はよく通るよ。打ちに行くんだろ」
「打つ? っいうのはパチンコのことですか」
「そーよ。丸一日同じ台で粘ってさァ……」
男はライターをカチカチ鳴らすが、なかなか炎が安定せず煙草に火がつかない。遼真は先ほど煙草と一緒に買ってきたライターを渡した。
「おお、兄ちゃん案外気が利くねぇ」
「どこに住んでるとかわかります?」
「まぁよく知らないが、一応どっか借りてんだろう。この辺りで段ボール敷いて寝てるのは見たことねぇよ」
「パチンコ屋さんは、この先真っ直ぐですか」
「真っ直ぐ行くとトルコ風呂があるから、それを通り抜けて右の方に行くと見えるよ。結構デカい建物だ」
「はぁ、トルコ風呂……」
「俺も金がありゃ毎日だって通うんだけどね、何しろこれなもんで……」
遼真は男性にお礼を言って、教えてもらったパチンコ店へ急いだ。しかし彼には会えなかった。
*
翌週は忙しくて散歩どころではなく、遼真が次にこの土地を訪れたのは二週間後のことだった。馨と思しき者と――遼真は彼が馨だと確信しているが――出会った商店街で朝から張り込んでみたものの、一向にそれらしい人物は現れない。ホームレスなのかそうでないのかよくわからない高齢男性達が集まって酒盛りをしているだけである。
「よぉ兄ちゃん、あれからどうだい」
前回情報を与えてくれた男が遼真に声をかける。この間は気づかなかったが、この男前歯が欠けている。
「いやぁ、全然ダメですよ。パチンコ屋に行ったんですけど、会えませんでした」
「何だい兄ちゃん、誰か探してんの」
別の男が言う。遼真は答える。
「ええ。こう、髪が長くて、背がこのくらいで」
このくらい、と遼真は自身の顎の下辺りを手で示す。
「いやいや、さすがにもう少しデカいよ。兄ちゃんの頭の半分くらいはあったよ」
「えー、じゃあ、このくらいの背で」
遼真は今度は自身の目線辺りに合わせて示す。
「とにかく髪が長くて、日焼けしたみたいに茶っぽい髪で……」
「何だいそれ、女か?」
「いや、男なんですけど」
「訛りがキツかったな。どこの人? 大阪?」
「ええ、まぁ」
「そいつなら前に会ったことあるよ。チンチロで遊んだんだ。もちろん俺が勝ったけど」
「賭け事?」
「そう。大した額じゃないけどね。単なる暇潰しだよ。あの時は暇だったんだ。あいつ、一人で暇そうに道端でビール飲んでて、だから俺が誘ってやったのさ。ギャンブルは好きみたいなこと言ってたな」
酒のコップが空になっているのを見、遼真は近くのコンビニまで一走りしてパック酒を買ってきた。
「いいの? 悪いねぇ」
「いえいえ。どうぞ、皆さんも」
遼真が注いでやると、男達はうまそうに酒を飲んだ。
「な? この兄ちゃん、案外気が利くだろう」
「それで、その人とはどこに行けば会えますか? 心当たりとかありますか」
「月曜日は朝からパチ並んでんじゃないか?」
「やっぱり競馬場じゃないのか。三連単で全額スったとか言ってたぞ」
「教会はどうだ? 毎週炊き出ししてるだろ」
「それなら公園でも飯もらえるぞ」
「でも公園で寝泊まりしてるのは見たことねぇな」
「どこで寝てるんだろうな。川か?」
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