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第一章 少年時代
2 平和な日々⑤~お泊り会
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中学二年の冬、遼真の家に馨が泊まりに来た。お泊り自体はよくあることだが、今回は少し事情が違う。町内会の慰安旅行と仕事の出張が被ったせいで、両家とも大人が出払ってしまったのだ。だから正真正銘二人きりのお泊り会になる。
「りょーま、来たで」
「いらっしゃい。早いねゃ」
「だって楽しみで、じっとしていれんで」
馨は重そうなリュックを背負っている。
「荷物多ない? なに持ってきたが?」
「そがなん決まっちゅう、お菓子じゃ」
そう言って、茶の間の床にばら撒いた。スナック菓子にポテトチップスに、ビスケットやチョコレートまで、色々な種類のお菓子がリュックに詰まっていた。
「おかあが持たいてくれたが。りょーまと一緒に食え言うちょった」
お菓子を食べながらゲームをして遊んだ。テレビゲームは持っていないので、人生ゲームや野球盤といったアナログゲームで遊んだ。その後家の中でかくれんぼをし、庭に出てキャッチボールをした。冬毛でまるまる太った野生のタヌキを見つけて山の中まで追いかけたが、途中で見失ってしまった。
遊び疲れた頃、突然馨の腹の虫が鳴く。
「ごはんにしよか」
母が作り置きしてくれたカレーを温めて食べた。デザートにりんごを剥く。遼真は果物ナイフをテーブルに持っていって手際よく皮を剥いた。すると馨は目を丸くして、感心したような声を上げる。
「へぇえ、まっことすごいのう、りょーまは」
「ほうかえ。馨ちゃんかてそのうち家庭科で習うろう」
「うさぎは? うさぎ、できるが?」
「うさぎは、ちっくと難しいのう。今度練習しておくき、できるようになったら見せちゃろう」
りんごを食べ、みかんも食べた。みかんを食べながらビデオを再生した。外国のアニメ映画で、昔テレビで放送した時に録画したものだと思われる。台詞を暗記するほど何度も見ているのに、時々時間がある時に見たくなる。
「お茶飲むかえ?」
遼真が訊いても馨はビデオに夢中で返事をしないが、お茶を淹れて湯呑を出すと当然のように受け取って口をつけた。
ビデオの終わる時間を見計らって、遼真は風呂を沸かした。掃除は母がしておいてくれたので、湯加減を見てお湯を張るだけである。
ビデオを見終わったらさっさと片付けて風呂に入る。昔ながらのタイル貼りの浴室にステンレスの浴槽、これが遼真の家の風呂である。床が冷たいので簀子(すのこ)を敷いて凌いでいる。浴槽は広くはないが、少年二人が肩まで浸かる程度の余裕はある。
子供用の泡風呂入浴剤を入れ、泡をたくさん作って遊んだ。お湯を掻き混ぜるともこもこの泡ができるので、それだけで十分楽しい。泡に埋もれたり、泡を頭に乗せたり、息を吹きかければシャボン玉が作れたりする。浴室中が泡だらけになった。
騒ぎすぎて暑くなった。窓を開けると凍てついた空気が入ってきて火照った体を冷やす。窓を全開にしても外には畑があるだけで、その向こうには森林が広がっている。
「雪が降っちゅう」
白い息を吐いて馨が言う。
「雪じゃ。りょーま」
「泡とちゃうが?」
「ううん、雪じゃ。うっすら積もっちゅう」
「風邪引くき、ちゃんとあったまり」
百まで数えて風呂を上がった。湯上りに白湯を飲み、炬燵に潜ってもう一本ビデオを見た。レンタルビデオ店にて中古で売られていたビデオテープだ。時刻が十一時を過ぎると、炬燵に潜ったまま馨はうとうとと舟を漕ぎ始める。遼真は父母の寝室の押し入れに仕舞ってある来客用の布団を引っ張り出し、自分の部屋に運んだ。
「馨ちゃん、もう寝よ。布団敷いたき」
揺すり起こそうとするが、馨は愚図って炬燵の中に引っ込んでしまう。
「まだ寝とうない」
「じゃけど、眠いろう」
「眠うない」
「眠いろう。目ぇ閉じゆうよ」
「やぁじゃ。まだりょーまと遊ぶが」
「明日早起きして遊んじゃるき、今日はもう寝よ」
「明日ぁ? 明日、なにして遊ぶ?」
「うーん、縄跳びとかどうじゃ。後ろはやぶさできるようになったがやろう。馨ちゃんの跳ぶとこ、僕にも見せとうせ」
「縄跳びかぁ、えいにゃあ」
「ほいたら早う寝んと」
遼真に引っ張られ、馨はようやく立ち上がった。
長い縁側の突き当たりに遼真の部屋はある。南側の日当たりのいい部屋を与えてもらっている。本棚と学習机しかないシンプルな部屋だが、今夜は二枚の布団が敷かれているため普段よりも狭く見える。
障子を開けて早速、馨は布団に頭から飛び込む。せっかく来客用の布団を手前に敷いておいたにも関わらず、それを無視して遼真の布団に潜り込んだ。
「馨ちゃん、そっちは僕の布団じゃ。馨ちゃんがはこっちじゃ」
「えいよぉ、一緒に寝とうせ」
「ほがな甘ったれたこと言うて。こないだは、もう子供やないき一緒に寝ん言うちょったのに」
「今日だけえいやか。雪も降っちゅうき、一人で寝るがはきっと寒いぜよ。一緒に寝とうせ、りょーま」
確かに、古い日本家屋のため冬は寒い。断熱材なんて入っていないし、気密性が低くて隙間風が入る。その分夏は涼しいのだが。
「まぁ、えいけんど」
灯りを消して、遼真も馨の隣に潜り込んだ。湯たんぽを入れておいたので既に温かい。
「こういてオレンジの電気見ゆうと、眠うなりよる気がする」
「ほうかえ。馨ちゃん、ずっと眠そうやったけんど」
「ううん。あの電気が、眠れー眠れー言うてくるがじゃ。やき眠うなる」
馨は天井に手を伸ばしたが、寒くなって引っ込めた。横向きになって頭まで布団に潜り、遼真に寄り添う。
「どういたが? 寒いがかえ?」
「ちゃう」
「じゃあ」
寄り添うだけでなく、馨は遼真の腕をぎゅっと抱き込む。
「やっぱり寒いがじゃ」
「ほいたら、もっとくっつきや」
「うん。りょーまぁ、ぎゅっとしとうせ」
「ぎゅっとしゆうよ」
「もっとじゃ。離れんで。寒いき」
「うん。馨ちゃんはぬくいにゃあ」
狭い布団の中で身を寄せ合い、肩を抱き合い、足を絡め合わせた。
「ほれ、こういたらぬくいぜよ」
「ん……ぬくい」
「眠れそうかえ?」
「もうちくとしたら寝れる」
二人分の呼気のせいで、毛布が少し湿っぽくなる。雪のせいか季節のせいか、家の外からは全くと言っていいほど音がしない。山ごと死んでしまったみたいにしんと静かで、獣の声も鳥の声も虫の声もしない。まるで世界に二人きり取り残されたみたいだった。さっき見た映画の中の世界なら、きっともう助からないだろう。世界が一方的に閉じていく。
「りょーま、来年は受験じゃのう」
「高校受験のことかえ? そがぁに気負うほどのことやないよ」
「別に心配しちゅうがやない。りょーまならきっと、どこの学校にだって行けるぜよ。わしと違うて頭がえいき。……けんど、来年の今頃はきっと、こがな風にはしていれんがやろうち思うて……」
「何じゃあ、馨ちゃん、寂しいがか? そがな心配せんでも、ずうっと勉強漬けっちゅうわけやないき」
「寂しいらぁて言いやせんけんど……変わるもんは変わるろう。ほれに高校生は忙しいき、わしとはあんまり遊んでくれんようになるろう。りょーまばっかりいっつもいっつも先に大きゅうなってずるいちや。わしはいっつも、後から追いかけるばっかりやのに……」
馨の声は尻すぼみになっていく。拗ねたようにぽそりと呟く。
「ずるいちや」
「大丈夫じゃて。高校は通える範囲で選ぶき、休みの日は今まで通り遊べるぜよ。心配しなや。ずっとここにおるきに」
「……大人になっても、一緒に秘密基地作ってくれるが?」
「作っちゃるよ。馨ちゃんが飽きるまで付き合うちゃる」
「約束ぜよ」
「約束じゃ。やき、今日はもう寝ぇ」
「約束ぜよ。おいていったら許さん」
「置いて行かんよ。明日また、遊ぼうにゃあ」
この時、それは紛れもなく遼真の本心だった。本当に、心からの言葉だった。永遠に別れが来ないと本気で思っていたわけではないが、その時はもっとずっと後になってやってくると信じていた。その来たるべき遠いいつかの日までは、望ましい明日が常に与えられ続けるものと信じていた。
「りょーま、来たで」
「いらっしゃい。早いねゃ」
「だって楽しみで、じっとしていれんで」
馨は重そうなリュックを背負っている。
「荷物多ない? なに持ってきたが?」
「そがなん決まっちゅう、お菓子じゃ」
そう言って、茶の間の床にばら撒いた。スナック菓子にポテトチップスに、ビスケットやチョコレートまで、色々な種類のお菓子がリュックに詰まっていた。
「おかあが持たいてくれたが。りょーまと一緒に食え言うちょった」
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遊び疲れた頃、突然馨の腹の虫が鳴く。
「ごはんにしよか」
母が作り置きしてくれたカレーを温めて食べた。デザートにりんごを剥く。遼真は果物ナイフをテーブルに持っていって手際よく皮を剥いた。すると馨は目を丸くして、感心したような声を上げる。
「へぇえ、まっことすごいのう、りょーまは」
「ほうかえ。馨ちゃんかてそのうち家庭科で習うろう」
「うさぎは? うさぎ、できるが?」
「うさぎは、ちっくと難しいのう。今度練習しておくき、できるようになったら見せちゃろう」
りんごを食べ、みかんも食べた。みかんを食べながらビデオを再生した。外国のアニメ映画で、昔テレビで放送した時に録画したものだと思われる。台詞を暗記するほど何度も見ているのに、時々時間がある時に見たくなる。
「お茶飲むかえ?」
遼真が訊いても馨はビデオに夢中で返事をしないが、お茶を淹れて湯呑を出すと当然のように受け取って口をつけた。
ビデオの終わる時間を見計らって、遼真は風呂を沸かした。掃除は母がしておいてくれたので、湯加減を見てお湯を張るだけである。
ビデオを見終わったらさっさと片付けて風呂に入る。昔ながらのタイル貼りの浴室にステンレスの浴槽、これが遼真の家の風呂である。床が冷たいので簀子(すのこ)を敷いて凌いでいる。浴槽は広くはないが、少年二人が肩まで浸かる程度の余裕はある。
子供用の泡風呂入浴剤を入れ、泡をたくさん作って遊んだ。お湯を掻き混ぜるともこもこの泡ができるので、それだけで十分楽しい。泡に埋もれたり、泡を頭に乗せたり、息を吹きかければシャボン玉が作れたりする。浴室中が泡だらけになった。
騒ぎすぎて暑くなった。窓を開けると凍てついた空気が入ってきて火照った体を冷やす。窓を全開にしても外には畑があるだけで、その向こうには森林が広がっている。
「雪が降っちゅう」
白い息を吐いて馨が言う。
「雪じゃ。りょーま」
「泡とちゃうが?」
「ううん、雪じゃ。うっすら積もっちゅう」
「風邪引くき、ちゃんとあったまり」
百まで数えて風呂を上がった。湯上りに白湯を飲み、炬燵に潜ってもう一本ビデオを見た。レンタルビデオ店にて中古で売られていたビデオテープだ。時刻が十一時を過ぎると、炬燵に潜ったまま馨はうとうとと舟を漕ぎ始める。遼真は父母の寝室の押し入れに仕舞ってある来客用の布団を引っ張り出し、自分の部屋に運んだ。
「馨ちゃん、もう寝よ。布団敷いたき」
揺すり起こそうとするが、馨は愚図って炬燵の中に引っ込んでしまう。
「まだ寝とうない」
「じゃけど、眠いろう」
「眠うない」
「眠いろう。目ぇ閉じゆうよ」
「やぁじゃ。まだりょーまと遊ぶが」
「明日早起きして遊んじゃるき、今日はもう寝よ」
「明日ぁ? 明日、なにして遊ぶ?」
「うーん、縄跳びとかどうじゃ。後ろはやぶさできるようになったがやろう。馨ちゃんの跳ぶとこ、僕にも見せとうせ」
「縄跳びかぁ、えいにゃあ」
「ほいたら早う寝んと」
遼真に引っ張られ、馨はようやく立ち上がった。
長い縁側の突き当たりに遼真の部屋はある。南側の日当たりのいい部屋を与えてもらっている。本棚と学習机しかないシンプルな部屋だが、今夜は二枚の布団が敷かれているため普段よりも狭く見える。
障子を開けて早速、馨は布団に頭から飛び込む。せっかく来客用の布団を手前に敷いておいたにも関わらず、それを無視して遼真の布団に潜り込んだ。
「馨ちゃん、そっちは僕の布団じゃ。馨ちゃんがはこっちじゃ」
「えいよぉ、一緒に寝とうせ」
「ほがな甘ったれたこと言うて。こないだは、もう子供やないき一緒に寝ん言うちょったのに」
「今日だけえいやか。雪も降っちゅうき、一人で寝るがはきっと寒いぜよ。一緒に寝とうせ、りょーま」
確かに、古い日本家屋のため冬は寒い。断熱材なんて入っていないし、気密性が低くて隙間風が入る。その分夏は涼しいのだが。
「まぁ、えいけんど」
灯りを消して、遼真も馨の隣に潜り込んだ。湯たんぽを入れておいたので既に温かい。
「こういてオレンジの電気見ゆうと、眠うなりよる気がする」
「ほうかえ。馨ちゃん、ずっと眠そうやったけんど」
「ううん。あの電気が、眠れー眠れー言うてくるがじゃ。やき眠うなる」
馨は天井に手を伸ばしたが、寒くなって引っ込めた。横向きになって頭まで布団に潜り、遼真に寄り添う。
「どういたが? 寒いがかえ?」
「ちゃう」
「じゃあ」
寄り添うだけでなく、馨は遼真の腕をぎゅっと抱き込む。
「やっぱり寒いがじゃ」
「ほいたら、もっとくっつきや」
「うん。りょーまぁ、ぎゅっとしとうせ」
「ぎゅっとしゆうよ」
「もっとじゃ。離れんで。寒いき」
「うん。馨ちゃんはぬくいにゃあ」
狭い布団の中で身を寄せ合い、肩を抱き合い、足を絡め合わせた。
「ほれ、こういたらぬくいぜよ」
「ん……ぬくい」
「眠れそうかえ?」
「もうちくとしたら寝れる」
二人分の呼気のせいで、毛布が少し湿っぽくなる。雪のせいか季節のせいか、家の外からは全くと言っていいほど音がしない。山ごと死んでしまったみたいにしんと静かで、獣の声も鳥の声も虫の声もしない。まるで世界に二人きり取り残されたみたいだった。さっき見た映画の中の世界なら、きっともう助からないだろう。世界が一方的に閉じていく。
「りょーま、来年は受験じゃのう」
「高校受験のことかえ? そがぁに気負うほどのことやないよ」
「別に心配しちゅうがやない。りょーまならきっと、どこの学校にだって行けるぜよ。わしと違うて頭がえいき。……けんど、来年の今頃はきっと、こがな風にはしていれんがやろうち思うて……」
「何じゃあ、馨ちゃん、寂しいがか? そがな心配せんでも、ずうっと勉強漬けっちゅうわけやないき」
「寂しいらぁて言いやせんけんど……変わるもんは変わるろう。ほれに高校生は忙しいき、わしとはあんまり遊んでくれんようになるろう。りょーまばっかりいっつもいっつも先に大きゅうなってずるいちや。わしはいっつも、後から追いかけるばっかりやのに……」
馨の声は尻すぼみになっていく。拗ねたようにぽそりと呟く。
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「大丈夫じゃて。高校は通える範囲で選ぶき、休みの日は今まで通り遊べるぜよ。心配しなや。ずっとここにおるきに」
「……大人になっても、一緒に秘密基地作ってくれるが?」
「作っちゃるよ。馨ちゃんが飽きるまで付き合うちゃる」
「約束ぜよ」
「約束じゃ。やき、今日はもう寝ぇ」
「約束ぜよ。おいていったら許さん」
「置いて行かんよ。明日また、遊ぼうにゃあ」
この時、それは紛れもなく遼真の本心だった。本当に、心からの言葉だった。永遠に別れが来ないと本気で思っていたわけではないが、その時はもっとずっと後になってやってくると信じていた。その来たるべき遠いいつかの日までは、望ましい明日が常に与えられ続けるものと信じていた。
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