元の鞘に収まれない!

小貝川リン子

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16 猜疑③ ※

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 週末、普段より早い時間に桐葉のマンションへ向かった。オートロックの暗証番号は割れているから、桐葉の部屋の前までなら俺は自由に出入りできる。チャイムを鳴らすと足音が走ってきてドアが開き、部屋着姿の桐葉が覗いた。
 
「まずエントランスで呼び鈴鳴らせっていつも言ってんだろ」
「いいじゃんいいじゃん。俺が来るの知ってて待ってたんだろ?」
 
 図々しく室内に上がる。時刻は七時前である。桐葉の部屋にはテレビがなく、代わりにCDプレイヤーが延々と音楽を流しているのだった。俺たちが生まれる前に流行ったような古い曲が多いのだが、音楽の傾向としてはほとんど統一性がない。実家にあったCDをそのまま持ってきただけらしい。
 桐葉は部屋に物を増やそうとしない。ミニマリストというのだろうか、必要最低限のものしか置いていない。俺基準で言えば必要最低限すら揃っていない。実家に置いてあった大量の漫画本も、一応引っ越しの際に持ってきたらしいのだが、厳選されて冊数が減っていた。
 
 開けっ放しだった窓を閉め、エアコンをつける。最初は二十六度だけど、そのうちもっと下げることになる。いつもなら来てすぐおっぱじめるのだが、今日はまだ早い。手土産に買ってきたコンビニのケーキをつついて、手持ち無沙汰を紛らわす。
 
「やっぱり甘いものはローソンに限るな。やっとおれの好みがわかってきたか」
 買ってきたのは俺なのに、やたらと得意気である。
「何度も言われちゃ嫌でも覚えるぜ」
 
 シュークリームは生クリームとカスタード両方入っているのが好き。ケーキは断然イチゴのショートケーキが好き。ロールケーキは絶対に外さない。季節限定の変わり種は一度試しておきたい。最近知った桐葉のこだわりである。
 
「うまい?」
「ケーキ屋のケーキには劣る」
「当たり前だ」
 
 桐葉は唇についたクリームを舐め取った。こいつがクリーム系の甘いものを食べているのを見ると、昔イオンへ行った時のことを思い出す。あの頃の俺は万年発情期の猿だったもので、アイスを舐める桐葉を見ただけで昂ってしまって、色々と大変だった。
 今はそこまでの性欲馬鹿ではないのだが、しかしどうも桐葉相手だと我慢が利かなくなるきらいがある。スプーンを咥えたままの桐葉にすり寄った。
 
「なんだ、もうするのか?」
 桐葉は俺を小馬鹿にしたように笑う。
「まだ早ぇだろ。風呂入ってこいよ」
「でもいつもは」
「たまにはいいだろ。綺麗にしてこい」
 
 通常は、来てすぐにおっぱじめるのでシャワーを浴びている暇などない。そのまま眠り、朝になって自分のアパートに帰ってからシャワーを浴びるのだ。冷静に考えるとめちゃくちゃ汗臭いだろうしベッドも汚れてしまっているだろうが、桐葉が文句を言うことはなかった。
 だから桐葉の家の風呂を借りるのは初めてである。うちのようなユニットバスではないので、洗い場が広くて快適だった。湯船もそこそこ広いのだが、あまり使われた形跡はない。
 
 烏の行水のごとく風呂を上がると、仄暗い寝室にて桐葉が待っていた。桐葉は気だるげに頭をもたげ、腰にタオルを巻いただけの俺を見た。パジャマを借りようかと思っていたが、どうせ裸になってしまうのだからこのままで構わないと思い直した。
 淡い髪の香りが鼻を打つ。同じシャンプーを使ったはずなのに、桐葉の髪はしっとりと清爽に匂う。俺は性急に体を重ねた。余分な汚れを流したせいか、桐葉の肌のキメや艶が鋭敏に感じられた。透き通るような肌が薄桃色に上気している。そのうちお互い汗だくになり、冷房を十六度まで下げた。
 
 行為を終え、ぐったりとベッドに横たわる。呼吸を落ち着かせ、水を一杯飲み干した頃には、興奮はすっかり醒めきっていた。
 
「今日は、バイト休みだったのか」
 天井を向いたまま、桐葉が口を開いた。パンツ一枚の姿である。ちなみに俺はタオルを巻いている。パンツを貸すのはさすがの桐葉でも抵抗があるらしい。
「昼勤だけだったんだ。店長が花火大会に行くっていうんで」
 亜夜子ちゃんにせがまれ、必死こいてチケットを取ったらしい。
 
「いいよな、花火。一緒に行ってくれる人がいりゃあ、俺もがんばってチケット取るんだけどさ」
「ああ、そんなもんもあったな。今じゃまるきり縁遠いが」
「もしかして行きたかったとか?」
「まさか」
 
 嘲るみたいに、くっと肩を揺らして笑った。

「どこかの誰かさんの束縛が激しいもんでな。うかうか買い物にも行けやしねぇ」
 
 ぴんと来た。この間のショッピングモールでのことを言っているのだ。一緒にいた男のことを思い出し、どうしようもなく胸がざわついた。きっと、セックス後の憂鬱なタイミングで話し始めたのが間違っていたのだ。さっさと寝ちまえばよかった。
 
「俺が束縛してるって言いたいのかよ。今井さんと約束でもしてたか?」
 キレやすいのはよくない、と思いつつ語気が荒くなってしまった。当然桐葉の声音も険しくなる。
 
「なんで今井さんが出てくるんだ。お前こそ、知らねぇ女連れてたくせに」
「女?」
 
 誰だっけ。女なんか連れていたろうか。記憶を辿り、亜夜子ちゃんのことを言っているのだと思い当たった。俺にとって亜夜子ちゃんは親しいバイト仲間である。かなり年下だし、女だという認識が薄かった。そしてまさか、亜夜子ちゃんと一緒にいるところを見られていたとは思わなかった。
 
「しらばっくれるなよ。一緒にいただろ。まだ若い、高校生くらいの――」
「あの子はただの友達だ。お前こそ、妬いてんのかよ」
「妬いてねぇ」
 
 ぶっきらぼうに呟いたかと思うと、顔を背け、背中を丸めた。
 
「外で会ってもいちいち突っかかってくんな。とやかく口を出すな。彼氏でもねぇくせに」
 
 いよいよカチンとくる。脳が正常に働いていれば、なぜ急に機嫌を損ねたのだろうかと考えられようが、頭に血が上った状態で冷静な判断を下すのは難しいものだ。
 
「そうだな。俺らは所詮、セフレだもんな」
 
 強いトーンで言い切った。桐葉の小さい背中がかすかに震えた気がした。
 
「そうだ。てめえなんかどうせ……」
 
 喉の奥から絞り出したようなくぐもった声。感情を押し殺したような平坦な声だった。
 
「何人かいるうちの一人でしかねぇんだからな」
「……なんだよ、それ」
 
 聞き捨てならない話だ。他にも男がいるのかよ。俺はお前だけだってのに。
 
「何かおかしいか? セフレなんて、何人いたって構わねぇだろ。おれの勝手だ」
 
 やっぱり、俺の知らないところで開発されていやがったのか。今まで気づかないふりをしてきたが、残念ながら最初からわかっていたことだ。だって昔は、トコロテンもメスイキも、一度だってできたことがなかったのだから。必ずちんこを擦ってイッてたんだ。ちんこを触らなきゃイケなかったはずなのに。
 
「……お前と別れてからな、色んな男を試したぜ。セックスの相手に困ったことはねぇ。金払ってでもおれを抱きたい、なんてやつもいるくらいだ。今だってお前の他に――」
 
 黙して聞いていられるわけがない。
 気づけば、桐葉の体に乗り上げ、頬を張っていた。乾いた音が空虚に響く。掌が痺れる。
 
「今度その話をしたらぶっ殺してやる」
 
 ぞっとするくらい重々しく、凍みるように冷たい声であった。本当に俺の喉がこんな音を出したのかと、自分で自分を疑うほどであった。
 桐葉は頬を押さえ、俺を見上げた。今にも泣き出しそうな、烈火のごとく怒っているような、それでいて滅法傷付いたとでも言うような表情だったが、うっすら笑っているようにも見えた。
 
 俺は激情に駆られたのだ。腕ずくで、もう一度桐葉を抱いた。衝動のままに手酷く抱いた。小鹿を食らう獰猛なヒグマのように、爪を立てて背後から取り押さえ、喉笛に噛み付いた。牙が生えていれば噛み切ってしまえるのにと思った。
 桐葉は多少暴れたがすぐに大人しくなった。苦しそうに身をよじって、挑発的な眼差しを向ける。
 
「は、そんなんじゃ、何時間かかったって、イケやしねぇ」
「てめえ、煽ってるつもりか」
 
 力任せに乳首をつねると、痛がりながらも悩ましげに腰をくねらす。
 
「ッい」
「痛ぇのが好きなんだろ」
 
 ぎゅうっと押し潰し、ぐいぐい引っ張った。男のくせに、女の乳首みたいに真っ赤に膨れ上がっている。昔は胸に触れてもくすぐったがるだけだったのに、いつのまに性感帯になっていたんだ。誰かが熱心に開発したに違いない。そう思うだけで気が狂いそうになる。するとますます我慢なんてできなくなる。
 
「ぃ、だい……いたい……すぎもと」
「うるせぇ。ビッチのくせに」
「ッあ゛、んん゛……アぁあ!」
 
 乳首を捻りつつ前立腺を抉られるとたまらないらしい。髪を振り乱して善がった。濁った嬌声がとめどなく響いていた。
 
「ゥあ、アぁ゛ッ……だめ、いぐ、イッ……やぁア゛!」
 
 射精せずに達した。ふにゃふにゃのちんこは力なく揺れているだけだ。ドライオーガズムは連続で達することができる分、際限ない絶頂感に襲われるらしい。そうと知っていてあえて休ませはしなかった。間隙なく突き上げると、桐葉の泣き叫ぶ悲鳴が耳をつんざいた。
 
「……クソ」
 
 桐葉が激しく乱れば乱れるほど、内に秘めた凶暴性に抗えなくなる。この感情はきっと憎悪だ。そうでなければ他に言い表せない。どす黒い感情が胸に渦巻き、盛んに燃え滾っていた。
 
 干からびるまで抱き続けた。桐葉は途中何度か失神したが、その度に叩き起こした。叩いた頬や尻が赤く腫れ、鼻や口に血がこびり付き、目はぼんやりと虚ろになる。その痛ましい姿が余計に俺を焚き付ける。まるで無理やり手籠めにしているかのような錯覚に陥った。陵辱したいなんて欲望は元々持ち合わせていなかったはずなのに、尋常でなく興奮した。
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