初恋相手が子持ちでヤモメでビッチな娼夫になっていた

小貝川リン子

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第十章 極上の男

第十章②

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 微睡みの中、全身を優しく包まれるような心地よさに、肇は目を覚ました。目に入るのは見慣れぬ天井。クリスタルグラスのシャンデリア。全面ガラス張りの窓に朝日が差し込み、肇に腕枕をしながら眠る薫の寝顔を明るく照らす。
 肇や真純の漆黒の髪とは違い、光が差すと金色に輝くようにも見える、薫特有のふわふわの髪の毛が、肇の頬を優しくくすぐった。雪のように白い肌もまた、朝日を浴びて上品な紅を帯びている。
 
「はじめぇ……すきぃ……」
「……」
 
 一体どんな夢を見ているのだろうか。薫の寝言に、肇は躰の熱が上がるのを感じた。
 
 
 この夏、薫は留学先の大学院を無事に卒業した。帰国までの短い期間だが休暇を取ることができたため、この機会に海外旅行でもしようかという話になり、薫は肇を呼び寄せた。
 当初は真純も来るはずだったが、「せっかく久しぶりに会うんだし、二人で楽しんでくれば?」「ぼくはぼくで友達と遊ぶのに忙しいから」なんて大人びたことを言うので――単純に家族旅行が恥ずかしい年頃なのかもしれないが――薫と肇二人きりの旅行になってしまった。
 
「はーじめ」
 
 だから、朝っぱらから素っ裸で乳繰り合っても問題はない。何なら、昼も夜もなく丸一日ベッドで過ごしても構わない。真純がいないというのはそういうことである。それは肇も分かっている。けれど。
 
「いつまでも寝惚けたふりしてんじゃねぇよ」
「え~、ダメ?」
 
 つん、と乳首を突つかれる。布団を被っていて見えないはずだが、薫の指先は極めて正確だ。
 
「勃ってるじゃん」
「知らねぇよ」
 
 甘えてじゃれ付く薫をいなして、肇はベッドを下りた。
 薫が肇と泊まるために予約した、市内で最も格式の高いホテル。そのスイートルーム。大理石のバスルームに、洗練された調度品。夜は宝石箱のような夜景を一望できる。正直、肇にその価値は分からない。薫には分かるのだろうか。華やかな世界に身を置いているだけあって、立派な審美眼を持っているはずだ。
 
「はじめぇ~、したい~」
「しつけぇ。朝だぞ」
「だって、肇がすごく綺麗なんだもん」
「……何言ってんだよ」
 
 薫の審美眼も当てにならない。アラサーを過ぎたおっさん相手に、何を訳の分からないことを言っているのか。
 そもそも、美しさでいえば薫の方が余程そうだ。華麗に光り輝く、玉のような美しさ。それでいて、青年らしい凛々しさ、精悍さをも持ち合わせている。将来に希望しかない、素晴らしく完璧な、眩しすぎる男である。
 そんな男が、長い年月を肇に捧げ、清い眼差しで肇だけを捉え、肇のことだけを追い求めているなんて。にわかには信じ難い話である。
 
「だって、昨日できなかったんだもん。肇、先に寝ちゃうから」
「しょうがねぇだろ。疲れてたんだよ」
 
 薫は当然のようにファーストクラスを手配してくれたが、それでも十時間に及ぶフライトは心身に堪えた。空港に着いた肇は随分と疲れた顔をしていたようで、それを察した薫はそのまま真っ直ぐホテルへ向かい、夜も早めに休んだというわけである。
 
「ねぇ~、肇ってばぁ」
「っせぇな。ガキかよ、お前は」
「ガキだもん」
「んなでけぇガキがいるか。俺ァ腹減ったんだよ。お前、ルームサービスでなんか頼め」
「も~、わがままなんだから」
 
 しょうがないなと言いながら嫌がる素振りは見せず、薫はフロントへ電話を掛ける。肇には分からない、聞き取れても訳すことはできない海外の言語を、薫は母国語のように使いこなす。年単位で留学していたのだから当然といえば当然だが、薫のこういったスマートな側面が、肇の目には新鮮に映った。
 
「すぐ来るって。その前に着替えちゃお」
「別にこのままでいいだろ。面倒くせぇ」
「ダメ! 肇のパジャマ姿とか、誰にも見せたくないから!」
「見るに堪えねぇってか」
「逆だし! エッチすぎてダメってこと」
「……眼科行った方がいいぞ」
 
 やはり、薫の審美眼は狂っている。
 
 
 窓際にテーブルをセッティングしてもらい、優雅な朝食を取った。薫は追加でフレンチトーストを注文した。甘い卵液をたっぷり染み込ませたトーストに、たっぷりのバターと粉砂糖とメープルシロップをかけ、丁寧に一口大に切って頬張る。
 
「うンまっ! やっぱホテルといったらこれだよね~」
 
 薫はうっとりと笑みを零した。ほっぺたが落ちる寸前という表情だ。
 
「肇も食べる? あーんしてあげよっか」
「甘いモンは好みじゃねぇ」
「上品な甘さだよ?」
「シロップでひたひたにしといてよく言うぜ」
「僕はこれくらい甘いのが好きなの」
「歯ァ溶けちまいそ」
 
 一流ホテルの一流シェフが作っているのだから味は確かなのだろうが、肇にはとても食べられそうにない。見ているだけで胸焼けしそうだし、歯も舌もシロップのように溶けてしまいそう。ブラックコーヒーを飲んでいるはずが、薫を見ているだけで口の中が甘くなってくる。
 
「もう一皿頼もっかな。次はバニラアイス添えて」
「まだ食うのかよ。しかもアイスって」
「フレンチトーストにアイスは間違いないからね。肇はデザートいいの?」
「果物とヨーグルトがあったろ」
「あれだけじゃ寂しいじゃん」
 
 薫は重度の甘党だ。真純の前では格好つけているけれど、本来はお子様よりもお子様みたいな味覚をしていて、甘いものに目がない。そんな男が、夜になれば飽きずに肇を食べたがるのだから、おかしな話もあるものだ。甘くもなければ旨くもないというのに。
 
「どうしたの? そんなに見て。やっぱり食べたい?」
「いらねぇよ」
「ほんとにぃ?」
「いらねぇって」
「じゃあ、これは?」
 
 不意に唇を奪われた。一瞬重なって、あっという間に離れていく。真っ白なクロスを敷いたテーブルの向かいで、薫が悪戯成功とばかりに微笑んでいた。
 
「肇の唇も甘いね」
「……っせぇわ」
「照れてる? かわいーの」
「うるせぇ。生意気」
 
 薫の唇も甘かった。メープルシロップの味がした。唇が蕩けてしまいそうで、それを薫に悟られたくなくて、肇は頬杖をついてそっぽを向いた。
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