上 下
26 / 38
第九章 湯煙温泉郷

第九章③

しおりを挟む
「おきろーっ!」
 
 どすん、と腹に重たい一発が入る。肇は目を剥いて飛び起きた。
 
「お゛っ……まえ……」
「父ちゃん! 朝風呂の約束! 忘れたの!」
 
 肇は朦朧とした頭で思考を巡らす。昨晩寝る前に、真純とそんな約束をしたのだった。
 
「先入ってろ。すぐ行く……」
「絶対ね! かおるはもう起きて入ってるから!」
「ああ、あいつ……」
 
 昨晩どうやって床に就いたのか、記憶が定かでない。薫がせっせと布団まで運び、浴衣もきちんと着付けたのだが、そのことを肇が覚えているわけもない。
 早朝の山の空気は澄んでいる。清浄な朝日を浴びて、一面に降り積もった雪がダイヤモンドを散りばめたように煌めいている。
 
「さっっっむ!」
 
 肇は身震いし、急いで湯船に飛び込んだ。
 
「あっつ!」
「ね~。きもちーね」
 
 真純はほかほかと湯気を立たせながら、楽しそうにすいすい泳ぐ。真純を見守りながら、一応大人らしく静かに温まっていた薫は、肇にウインクを飛ばした。
 
「おはよ、寝坊助」
「誰のせい……」
「え~? 遠慮しないでいいって言ったじゃん」
 
 薫が小声で茶化すと、肇は苛立ったように舌打ちをした。
 
「あんなにしろとは言ってねぇだろ、クソ」
「なぁに? 真純に無理やり起こされて、ご機嫌斜めなの?」
「だって父ちゃん、全然起きないんだもん! ますみと約束してたのに!」
「だからっていきなり飛び込んでくんのはマジでやめろ。体重いくつだと思ってんだ。内臓潰れたかと思ったわ」
「ますみ、重かった?」
「重いに決まってんだろ。次はもっと優しく起こせよ」
「せっかく真純が起こしてくれたのにねぇ」
「ね~。最初は優しくしたんだよぉ? なのに父ちゃん、全然起きないから」
「あ~、寝坊したのは悪かったって。今ちゃんと入ってんだから、そんでいいだろ」
 
 肇がぶっきらぼうに言うと、真純は遊ぶのをやめて肇の隣に座り、ゆったりと肩まで沈んだ。
 
「うん! 温泉、たのしーもんね。父ちゃんとかおると一緒に来られて、ほんとうれしい!」
「よかったな」
「父ちゃんは? 楽しかった?」
「……そうだな。俺も……」
 
 肇は真純の頭を掻き撫でる。確かな血縁を感じさせる、濡羽色の髪。
 
「楽しかったよ」
「よかったぁ!」
 
 真純は嬉しそうににこにこ笑った。
 
 
 朝食も部屋でゆっくり食べた。出汁巻き玉子や焼き魚、数種類の小鉢がついた、定番の和朝食である。夕食と同様、真純には専用のお子様セットが配膳される。オムレツやハム、ウインナーなど、子供の好きそうな料理がワンプレートに並んでいた。
 
「ますみだけプリンついてる! いいでしょ、ね!」
「ああ、好きなやつな」
「ね~、かおるも見て! ますみのプリン!」
「ヨーグルトと交換する?」
「しないよぉ。プリンはますみの大好物だから!」
 
 子供にはプリン、大人にはヨーグルトがデザートとしてついてくる。正直なところ薫もプリンの方が好きだが、無理に交換してもらうほどお子様ではない。
 
「そうだ。これ、今分けちまうか」
 
 肇はおもむろに立ち上がると、カバンから小さな白い紙袋を取り出した。昨日訪れた神社の名が刻まれている。
 
「父ちゃんもお守り買ったの?」
「薫がくれた。誕生日プレゼントだと」
「わ~、ますみの真似した」
「ま、真似じゃないよ! たまたま被っただけ」
 
 袋を開ければ、色違いのお守りが三つ出てくる。真純はきょとんと目を丸くした。
 
「よくばり?」
「ちげぇよ。三人で分けるらしい」
「みんなでお揃いで持ちたいな~って思って買ったんだ」
「お前、好きなの選べよ」
 
 梅の花が刺繍された錦の小袋が並ぶ。真純はそれをじっと見つめて、くすくす笑った。
 
「ますみが青いのえらぶって、父ちゃんもかおるも分かってたでしょ」
「別に、どれでもいいんだぜ」
「ううん。ますみ、やっぱり青がいい。好きだから。でね~、たぶんだけど、白はかおるで、黒いのは父ちゃんでしょ」
 
 真純は得意満面の笑みを浮かべた。薫と肇はちらりと顔を見合わせて、それぞれのお守りを手に取った。
 
「真純、大正解。こうなるつもりで色選んだんだ。分かっちゃった?」
「うん! だって、いっつもこんな感じだもんね。父ちゃんは黒っぽい方が好きだし、かおるは明るい色好きだもん」
 
 真純はにこにこと花が綻ぶように笑う。案外、子供には全てお見通しなのかもしれない。お揃いのお守りは、各々カバンにぶら下げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ひとりで生きたいわけじゃない

秋野小窓
BL
『誰が君のことをこの世からいらないって言っても、俺には君が必要だよーー』 スパダリ系社会人×自己肯定感ゼロ大学生。 溺愛されてじわじわ攻略されていくお話です。完結しました。 8章まで→R18ページ少なめ。タイトル末尾に「*」を付けるので苦手な方は目印にしてください。 飛ばしてもストーリーに支障なくお読みいただけます。 9章から→予告なくいちゃつきます。

女装趣味がバレてイケメン優等生のオモチャになりました

都茉莉
BL
仁科幸成15歳、趣味−−女装。 うっかり女装バレし、クラスメイト・宮下秀次に脅されて、オモチャと称され振り回される日々が始まった。

【完結】私立秀麗学園高校ホスト科⭐︎

亜沙美多郎
BL
本編完結!番外編も無事完結しました♡ 「私立秀麗学園高校ホスト科」とは、通常の必須科目に加え、顔面偏差値やスタイルまでもが受験合格の要因となる。芸能界を目指す(もしくは既に芸能活動をしている)人が多く在籍している男子校。 そんな煌びやかな高校に、中学生まで虐められっ子だった僕が何故か合格! 更にいきなり生徒会に入るわ、両思いになるわ……一体何が起こってるんでしょう……。 これまでとは真逆の生活を送る事に戸惑いながらも、好きな人の為、自分の為に強くなろうと奮闘する毎日。 友達や恋人に守られながらも、無自覚に周りをキュンキュンさせる二階堂椿に周りもどんどん魅力されていき…… 椿の恋と友情の1年間を追ったストーリーです。 .₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇ ※R-18バージョンはムーンライトノベルズさんに投稿しています。アルファポリスは全年齢対象となっております。 ※お気に入り登録、しおり、ありがとうございます!投稿の励みになります。 楽しんで頂けると幸いです(^^) 今後ともどうぞ宜しくお願いします♪ ※誤字脱字、見つけ次第コッソリ直しております。すみません(T ^ T)

僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした

なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。 「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」 高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。 そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに… その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。 ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。 かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで… ハッピーエンドです。 R18の場面には※をつけます。

少年ペット契約

眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。 ↑上記作品を知らなくても読めます。  小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。  趣味は布団でゴロゴロする事。  ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。  文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。  文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。  文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。  三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。  文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。 ※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。 ※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。

こんな僕の想いの行き場は~裏切られた愛と敵対心の狭間~

ちろる
BL
椎名葵晴(しいな あおは)の元に、六年付き合ったけれど 女と浮気されて別れたノンケの元カレ、日高暖人(ひだか はると)が 三ヶ月経って突然やり直そうと家に押し掛けてきた。 しかし、葵晴にはもう好きな人がいて──。 ノンケな二人×マイノリティな主人公。 表紙画はミカスケ様のフリーイラストを 拝借させて頂いています。

たとえ性別が変わっても

てと
BL
ある日。親友の性別が変わって──。 ※TS要素を含むBL作品です。

友達が僕の股間を枕にしてくるので困る

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
僕の股間枕、キンタマクラ。なんか人をダメにする枕で気持ちいいらしい。

処理中です...