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11 神様にお願い

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「起きろーー!!」
 
 朝っぱらから侑が大声で叫んでいる。どすん、と躊躇なくベッドにダイブした。ちょうど腹部に当たり、健は低い唸り声を上げる。
 
「兄ちゃあん! 起ーきーてー!」
「わ、わかったから……重い……」
「ねーえ! ちゃんと起きて! 初詣連れてってくれる約束でしょ!」
 
 確かにそんな約束をした。普段は滅多に行かないが。
 
「お母さんは……?」
「今日夜勤だから。あと、昨日ちょっと飲み過ぎたって」
「じゃあ、二人きりか」
「そうだよ! だから早く準備して!」
 
 侑に急かされ、やっと起きた。
 
 近所の神社だが、元日だけあって賑わっている。参拝の列に並び、作法に則ってお参りした。コートとマフラーでもこもこしている侑だが、張り切って鈴を振り鳴らす。五円玉を賽銭箱に投げ入れ、二礼二拍手、合掌してお祈りし、最後にまた一礼する。
 
「兄ちゃん、何お願いした?」
「今年も平和に暮らせますようにって」
「えー、何それつまんない」
「侑は何お祈りしたの」
「んとねー、テストで百点取れますようにって。あと、お小遣い増やしてくださいってのと、お年玉いっぱいくださいってのと、お母さんがゲーム買ってくれますようにって」
「そんないっぺんにお願いしたら叶うもんも叶わないんじゃ……」
「いいの! せっかく来たんだから、いっぱいお願いしないともったいないじゃん」
 
 境内には屋台が並び、いい香りを漂わせている。社務所では巫女さんが慌ただしくお守りやお札を売り捌いている。晴れ着姿の女性も目立ち、各々自撮りをしたりして楽しんでいる。その中に一人、知っている女性の姿があった。彼女も健に気づき、こちらへ向かって歩いてくる。
 
「あけましておめでとうございます。奇遇ですね、こんなところで会うなんて」
 
 夏祭りでも出会った、会社の事務員さんだ。前回は夏らしく浴衣で、今日は正月らしく振袖を着ている。
 
「侑くんも、あけましておめでとう。私のこと、覚えてる?」
 
 前回と同じく健の背後に隠れる侑に、彼女は優しく話しかける。侑がまた前のように不機嫌になってしまうんじゃないかと健はひやひやしたのだが、
 
「……覚えてるよ」
 
 と、素っ気ないが一応返事をした。
 
「兄ちゃんの会社の人だよね。お祭りで会った」
「そうよ。覚えててくれて嬉しいわ。そうだ、せっかくだから……」
 
 鞄からポチ袋を取り出す。侑の好きな、白くまのキャラクターが描かれている。
 
「はい、お年玉」
「そんな、悪いですよ」
「いいのいいの。他に渡す相手もいないんだもの」
 
 ありがとう、と小声で言って、侑はポチ袋をネックポーチに仕舞う。
 
「その子、お気に入りなのね」
「……うん」
「もしかして、そのマフラーと手袋も?」
「……そうだよ。どっちも白玉ちゃんなの」
 
 そう言ったかと思うと、いきなり健の腕に抱きついた。ぎゅっと密着して腕を絡める。健は軽く動揺する。
 
「これねぇ、兄ちゃんが買ってくれたの。クリスマスプレゼントにーって。いいでしょ」
 
 侑はなぜか自信に満ち満ちて、勝ち誇っている。一方彼女は困惑したような表情をする。
 
「毎日学校に着けてってるんだよ。白いから汚さないように気を付けてるの。一生大事にするって決めてるし」
「そ、そう。よかったわね……」
「ねー兄ちゃん、おれお腹空いちゃった。屋台行こーよ。おいしそうなのいっぱいあるよ」
 
 甘えるように言って健の腕を引っ張るので、挨拶もそこそこに彼女とは別れた。
 
 屋台は、確かにおいしそうなもので溢れている。たこ焼きやチョコバナナなどの定番に加えて、お雑煮や豚汁など寒さを癒すものも多い。特にお汁粉屋さんは盛況だ。とろとろのこし餡にもちもちの白玉が沈んでいる。侑は慎重にお椀を持ち上げ、汁を啜った。
 
「あったかぁい……」
 
 ほぅ、と白い息を吐いて笑う。
 
「はい、兄ちゃんも飲んで」
 
 お椀を受け取り、一口啜る。優しい甘さで芯から温まる。
 
「お正月の神社って、こんな風になってんだね。おれ初めて」
「僕も子供の時以来かも」
「じゃあ、大人の兄ちゃんと初詣来たのはおれが初めてってことかぁ」
「たぶんね」
 
 実際定かではないが、侑が上機嫌なので良しとする。
 
「そういえば、さっきはなんであんな態度取ったの」
「さっきって?」
「ほらあの、僕の会社のお姉さんにさ」
「なんか変だった?」
「変じゃないけど、なんていうか……」
 
 意地悪というか棘のある感じというか。それでいて、今は別に何ともない。
 
「前と違ってお話もできたし、お年玉だってもらったくせに」
「だってくれるって言うから。あ、早速お願い叶った」
「次会社で会った時気まずくなっちゃうじゃん」
「別にいいもーん」
「他人事だと思って……。それにね、年上の人と話す時は本当は敬語じゃないとだめなんだからね」
 
 今更になって注意すると、侑は口を尖らせる。
 
「だってぇ……おれあの人好きじゃないんだもん」
「……そうなの?」
「だって、なんかやなんだもん」
「悪い人じゃないと思うけど」
「そーいうんじゃなくて……いやなもんはいやなの」
「じゃあ、しょうがないか……」
 
 しょうがなくはないだろうが、絆された。侑は残りのお汁粉を一気に飲み干す。白玉のせいで、ほっぺたがリスのように膨らむ。
 
「次、おみくじ引こうよ」
 
 社務所へ行って六角柱の箱をがらがらと振り、出てきた棒と同じ番号の紙片を受け取った。それを紐解けば、今年の運勢が書いてある。
 
「見て兄ちゃん! おれ大吉!」
 
 侑は興奮気味に鼻息を荒くした。
 
「すっごー! 意外と当たるんだ。元旦からこんななら、今年はいい一年になるかも! 兄ちゃんは?」
「小吉……」
「やったぁ、おれの勝ち」
「いや、こういうのは勝ち負けじゃなくてね」
「でも凶じゃなくてよかったね。なんか色々書いてあるんだけど、読んで」
 
 侑の大吉のおみくじには、大成功の兆しあり、と書かれている。
 
「えーと、望みは叶う。待ち人は来る」
「待ち人って?」
「待っている人のことかな。いい意味だよ」
「別に待っている人なんていないけど。あとは?」
「学問、安心して励め。病気、心配なし。失物……失くしたものは意外なところから出てくる。金運よし、旅行もよし。あと、恋愛……」
「それ一番気になる」
「……今の人が最上。迷わず積極的に行動すれば幸福を掴める」
 
 書かれた文章を読んだだけなのに、妙な空気に包まれる。侑は仄かに赤らんで俯き、おみくじを元通りに小さく折り畳む。
 
「……じゃ、じゃあ、今のままでいい、ってことだよね。えへ、よかったぁ……」
 
 健も自分の小吉のおみくじを読む。初めは悪いが後に良くなる、時機を待てば好転する、とある。とはいっても、こんなものはそもそもあまり信じておらず、一通り読んだら細く折って結んでしまった。
 
「なんで縛るの?」
「まぁ、そういうものだからね。神様と縁を結ぶって意味で縁起がいいし」
「え、そうなの……」
「でも、持ち帰ってもいいみたいだよ。どっちでも好きな方でいいんだって」
「じゃあおれ持って帰る!」
 
 元気に言ってネックポーチに仕舞った。せっかくだからお守りか何か買いたい、と言うので、再び社務所を物色する。所謂普通のお守りや、神棚に飾るようなお札、正月らしく破魔矢や熊手も売られている。
 
「ねー兄ちゃん、見てこれ」
 
 何か見つけたらしい侑が声を上げる。
 
「鈴うさぎだってー。かわいいね」
「ほしいの」
「んー……」
 
 照れたように口をもにゅもにゅさせる。
 
「にーちゃんとおそろいでほしい」
「そういうことね。いいよ。何色がいい?」
「ほんと! やったぁ」
 
 本体は古風な感じの白うさぎだが、根付の色は複数ある。
 
「じゃあねぇ、おれは黄色。にーちゃんは青にして!」
「あ、僕の色も決まってるんだ」
「おそろいなんだから、ちゃんと毎日使ってよね。おれはランドセルに付けるから」
 
 鈴の音は淡く軽やかで、侑は大事そうにネックポーチに仕舞った。今日だけで色々なものがこの中に仕舞われている。
 
 最後に絵馬を奉納することにした。表にはうさぎの絵が描かれ、裏面に願い事を書く。健はさらっと書き終えて、指定の場所に引っ掛けた。
 
「兄ちゃん、もう書いたの」
「うん。まだ悩んでるの?」
「だって、これに書けるのって一個だけなんでしょ。選ぶの難しい」
 
 そういえば、さっき参拝した時は一度に多くの願い事を叶えてもらおうとしていた。
 
「これだけは絶対叶えてほしいっていう、一番大事なお願いはないの」
「一番?」
「おみくじも大吉だったし、今なら何でも叶うんじゃない?」
「そっかぁ。うーん……」
 
 侑は少し悩んでから、ようやくペンを取る。しかしペン先が触れる寸前で、また躊躇い始める。
 
「……ちょっとぉ、あんまり見ないで」
「えっ、あ、ごめん」
「いいから、あっち向いてて!」
 
 左手で絵馬を覆い隠し、健に背を向けてペンを走らせる。さっき健が書いていた時は手元を覗き込んでいたくせに、理不尽極まりない。しかし仕方ない。書き上がったものを見せてもくれず、目に入りにくい最下段にこそこそと引っ掛けていた。何て書いたの? と訊いても、教えないの一点張りだ。
 
「人に言えないくらい恥ずかしいこと?」
「べつに。恥ずかしくないけど」
「隠されると余計気になる」
「んもぉー、にーちゃんに知られたら一生叶わなくなっちゃいそうだからやなの! 絶対絶対、教えないったら」
 
 ぷりぷり怒るので、ごめんごめんと謝って頭を撫でた。
 
 神社から駅まで続く商店街は、これから参拝に向かう客と既に参拝を終えた人々とでごった返している。はぐれないようにしっかりと手を繋いで歩いた。毛糸のミトンがふかふか柔らかかった。
 
 この日の侑のお願いは近い将来叶うことになるのだが、二人ともまだ知らない。
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