螺旋階段

小貝川リン子

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14 悠月編②

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 そして約束の日が来る。昼過ぎに会う約束だったが、悠月は午前中の早い時刻に家を出た。啓一には友達と会うからと言っておき、尾行にも細心の注意を払った。彼の家は何度か出入りしたことがあるので知っている。約束の時刻まで、駅前の喫茶店でコーヒーを啜ってぼんやりとしていた。
 
「いらっしゃい。十分遅刻だよ」
 
 エレベーターを備えたマンションの三階。間取りは3LDK。啓一の1Kアパートに慣れ切った悠月にとっては、かなり広々とした家に思えた。
 
 ドアを閉めて鍵を掛けるなり、佐々野は悠月に抱きついて唇を奪う。悠月は咄嗟に男の胸を強く叩くが、そんな抵抗を物ともせずにぬるりと舌が侵入してくる。ぞわりと全身が総毛立つ。こんなにも気味の悪い接吻は久方ぶりである。幼い頃より慣らされてきた行為であるはずなのに、間隔を開けてしまえば初めてされた時と同じ嫌悪感が蘇る。
 
「ん……やっ、やめろ!」
 
 首を捻ってどうにか口を離した。男の唇から銀糸が伝う。見ているだけでもぞっとする。悠月は上着の袖で乱暴に口元を擦った。
 
「そんなに嫌がるなよ。七海先生とは玄関でしてただろ。オレにも同じことしろよ」
「誰がお前なんか――っ」
 
 両手を押さえられ、再び唇を塞がれる。再び舌が侵入してきて口内を蹂躙する。首を振って逃れようとするも顎を掴まれて動かせない。男の舌だけでなく唾液までもが、飲み込めとばかりに侵食してくる。
 
「ぅぅ……ん……ゃ、」
 
 息もできず酸欠になりかけた頃、ようやく唇を解放された。ぜぇぜぇと肩で息を吸う悠月を男は嘲笑う。
 
「意外にキス下手なんだ。なぁ九条、今日何するかわかって来たんだろ? だったら悪足掻きはやめて、大人しくしてくれねぇかな」
「何をするか、だと」
「あの音源、消してほしいんだろ?」
 
 悠月は唇を噛みしめる。
 
「……代償は高くつくぞ」
 
 男を下から睨み付けて言った。
 
 両親は夕方まで帰らないらしい。佐々野の部屋に通され、服を脱ぐよう指示される。文化祭前、ここで何度か歌の練習をした。昼間なら許されるだろうということで、CDに合わせて歌を歌った。
 
「お前、やっぱり私服ちょっとダサいよな」
 
 思い出の全てをこの男はぶち壊していく。一体何がいけなかったのか。そもそも他人に期待したのが愚かだったのだ。啓一のせいで、誰かを信頼するということを覚えてしまった。啓一のせいで、誰かを信頼してみたくなってしまった。それが悪かった。悠月にはまだ早かった。人はそう簡単には変われないものだ。
 
「ダサいっていうか、シンプルイズベストみたいな? 悪かないけど」
「べらべらうるせぇな。いいから早く、さっさとやって終わらせろよ」
「威勢がいいな。じゃあまずは……」
 
 男は全裸でベッドに腰掛ける。
 
「しゃぶって」
 
 悠月は男の足元に跪き、いきり立つそれを咥えた。汗の蒸れた臭いが不快だが、息を止めて口淫するわけにもいかない。悠月は目を閉じ、思考もストップさせ、なるべく無心になって男の性器を舐めた。
 
「はぁ……すっげぇ、夢みたい。あの九条が……誰とも馴れ合わないお前が、オレのチンポしゃぶってるなんて……」
 
 男は感じ入ったような声を漏らす。
 
「男同士って、ケツ使うんだよな。しゃぶりながら自分で準備しといて」
「っ、くそ」
 
 適当にぶん投げられたローションを手に取り、尻に塗りたくる。半ば自棄になりながら、少しずつ解していく。慣らさず突っ込まれたら事なので、仕方ない。
 
「フェラは結構うまいね。七海先生にもやってあげんの? お前の口マンコ気持ちいいって、七海先生も言う? 褒めてくれる? こうやって頭撫でたりとか――」
 
 男はいきなり悠月の髪をむんずと掴んで引き寄せ、無理やり喉奥まで性器を咥えさせた。悠月は衝撃に白目を剥く。
 
「はは、どう? イラマチオ、一回やってみたかったんだよね」
「ん゛ぐっ! う゛っ! む゛ぅう゛っ……」
 
 気道を塞がれ窒息する。口蓋垂を突かれて途轍もない嘔吐感が込み上げる。涙や洟や涎といったものが自然と溢れてくる。
 
「なぁ、七海先生は、こんな酷いことする? お前の苦しそうな顔見て、勃起したりするのかな」
「ふぐっ……う゛っ、う゛ぅっ、おぇっ……」
「苦しい? なぁ、九条」
 
 啓一はこのようなSMプレイはしないが、イラマチオ自体は実は初めてではない。幼い頃は今よりずっと口が小さかったから、容易に喉奥を突かれては我慢できずに嘔吐していた。いくらか経験があるとはいえ、この感覚はいつまでも慣れない。
 
「あ、あー、出そう」
 
 男は悠月の頭を前後させつつ自らも腰を振っていたが、射精直前に口から性器を引き抜き、悠月の顔面目掛けて射精した。悠月は反射的に目を瞑る。男の精液は悠月の唇を穢し、顎から喉へと垂れ、胸元まで飛び散った。
 
「はぁ……はは、顔射も、一回やってみたかったんだよね。七海先生もこういうのする? それともザーメン飲ませてくんの?」
 
 男は嬉しそうに悠月に語りかける。しかし悠月は髪を引っ掴んでいる男の手を叩き落とした。すっくと立ち上がり、飛び散った精液を手の指で拭い去る。
 
「べらべらうるせぇよ。次、どうするんだ。ハメるんだろ」
「もしかして怒ってる? 七海先生のこと思い出した? 困るな、今はオレのことだけ考えててくれなくちゃ」
「てめぇのことなんか、今日限りで記憶から消してやる」
「寂しいこと言うなよ」
 
 立ったままマットレスに手をついて尻を突き出すよう命じられて、悠月は渋々とそれに従う。男はすぐには挿入せず、亀頭を菊門に擦り付けて遊んだ。ローションを足して、ぬるぬるとした感触を楽しんでいる。大きめのソーセージを押し当てられているだけだとでも思い込まなきゃやってられない、と悠月は思った。
 
「お前のケツ、いい形してるよなぁ。旅行ン時に風呂で見た時も思ったけど、女みたいに白いけど女ほどはでかくなくてちょうどいいっていうか……それにこうして触ってみるとすべすべしてて気持ちいいし」
「……うるせぇ」
「早くハメてほしいってこと?」
「違ぇ、早く終わらせ――」
 
 男は悠月の細い腰を掴み直し、強引に自身を押し込んだ。いくら解したとはいえ悠月の蕾は完全には開き切っておらず、侵入してきた異物を追い出そうと収縮する。しかし男はその狭い陰道を無理やりこじ開けて腰を進める。悠月は息もできず、声も出せず、ベッドのシーツに皺を作るだけである。
 
「きっつ……ほんとに準備できてんの、これ」
 
 準備も何も、望まない相手に犯される準備などできるはずもない。どうでもいいから早く終わってくれと悠月は願う。
 
「う゛っ」
 
 とうとう最後まで押し込まれた。衝撃で体が前に浮き上がり、呻き声が漏れる。男は満足そうに深い溜め息を吐く。
 
「はぁっ……すげ……全部入った。九条、わかる? オレの全部、お前ン中入ってんの……お前ン中、すげぇあったかい。柔くて気持ちいい」
 
 男は接合部をなぞってうっとりと言う。
 
「これでオレも、童貞卒業だ」
「は……男のケツで筆下ろしたぁ……」
「男も女もねぇよ。どっちだっていいんだ」
 
 まだ中が馴染んでいないのに、男は性急にピストンを始める。引き攣れるような痛みが走るが、悠月は歯を食い縛って耐える。
 
「ぐっ……う゛っ……」
「っ、すげぇ締まる……名器だな。こりゃあ、七海先生が離さないわけだ」
「だ、まれ……」
「七海先生と穴兄弟かぁ。はは、笑えねぇな」
「だまれ……くっ……ぅう゛」
 
 腹も胸もいっぱいで息ができない。悲しいのか悔しいのか怒っているのか、自分でもよくわからなかった。俯くとショートヘアが顔に流れ、突かれる度に揺れて頬を撫でる。
 
「先生の名前出すと、中締まるよ。気持ちいい? 息上がってる」
「誰がっ、てめぇなんか……」
「オレは気持ちいいけど。すぐ出そう」
「も、さっさとイけ……くそっ」
 
 男は一層激しく腰を打ち付ける。余裕のない、男の湿った息遣いを背中に感じる。己の中を行ったり来たり、出たり入ったりしている肉棒に意識を向けたくなくて、悠月は啓一の顔を思い浮かべる。するとどうしようもなく胸が切なくなって泣きそうになる。だからもう無心になるしかない。
 
「あーっ……出る出る、中に出すぞ」
 
 男は低く唸り、白濁した大量の体液を勢いよく吐き出した。粘液の飛び出る感触、腹を満たす液体の質量、湿り気、生温い温度、何もかもに嫌悪感を覚えたが、悠月は黙ってそれを迎え入れた。
 
「はっ……はぁ……中出しサイコーだな、気持ちいい……」
 
 精を出し切った後も男は細かく腰を揺すり、種を染み込ませようとする。粘ついた水音が耳障りで、悠月は耳を塞ぎたくなるのをどうにか堪えた。
 
「中に出されて、今どんな気持ち? お前が女なら孕むまで犯し続けてやるんだけどなぁ、残念」
「……喋ってないで、さっさと抜けよ」
「七海先生ともナマでやってんの?」
「っ、てめっ、調子に乗んなよ」
 
 幾度もしつこく啓一の名を出され、いよいよ頭に来た。振り返って殴り付けてやろうとしたが、逆にベッドへ捩じ伏せられてしまう。しかも繋がったまま、更なる高みを目指して無理やり奥まで押し入ってくる。
 
「い゛っ……ぁ、まっ……」
「待てと言われて待つ馬鹿がいるか」
「ぐっ……だって、も、終わったのに」
「誰が一回だけって言った? 金玉枯れるまで付き合ってもらうからな」
「う゛……くっ……」
 
 嫌だ、という言葉が喉元まで出かかったが呑み込んだ。そんなことを言って泣き喚いたらそれこそ敗北だ。今は耐え忍ぶしかない。今だけ、ちょっとだけ、我慢すればいいだけなのだから。
 
 背後から組み敷かれ、頭や肩を強く押さえ付けられる姿勢で、何度も何度も犯された。他に行き場のない指先はただただシーツの海を掻く。絶頂間際には背中にぴったりと密着され、その肌の湿った感触と耳元に吹く荒い鼻息に鳥肌が立った。
 
 再び体内に精を注がれる。腹がずっしりと重く、苦しくなる。涙が出そうになるのを、歯を食い縛って堪えた。
 
「ふぅっ……はぁっ……やっぱりナマはいいな、またすぐ出ちまった」
「っ……も、おわり……」
「何言ってんの、まだまだ」
「ひっ……」
 
 足を目一杯開かされて体が反転し、一旦抜けていったものが再び押し込まれる。恥ずかしいところが丸見えになり、悠月は羞恥に目を背けた。
 
「なぁっ、もういいだろ」
「いや、お前まだイッてねぇだろ。イキ顔見せろよ」
「イクわけねぇ。てめぇなんか、下手くそで」
「やっぱこっち弄ってあげなきゃだめなのか?」
 
 そう言って男は、悠月のわずかな反応すら示していないそこを握る。悠月は抵抗して身を捩るが、男の手は離れない。
 
「きっ……汚ぇ手で触んな、離せ」
「ここ嫌なの? それとも気持ちいいから嫌なの?」
「やめろ、やめっ……」
「小ぶりでかわいいけど、扱けば勃つな。インポではねぇんだ」
「くっ、くそ……やだ、はなせ、離せよぉ」
 
 何がそんなに嫌なのか、悠月は自分でもよくわからなかった。とにかく聖域を荒らされる気がして恐ろしい。
 
「そこはいやだ、はなせ、いやだぁっ」
「何が嫌なわけ。ケツ掘られてんのに、チンポ弄られるくらい今更だろ。七海先生にも触らせねぇの?」
「せんせぇだけは特別だ! せんせぇだけ、」
 
 小学校何年の頃だったか忘れたが、母の彼氏にいたずらされて精通を迎えた。何が起きたのかわからないまま、母にも、母の彼氏にも、嘲笑され、愚弄され、罵倒され、床を汚した罰として零した精液を舐め取るよう強要された。この時から二度目の射精までは数年以上もの空白がある。
 
「そこはせんせぇだけなんだ……触んな、てめぇなんか――」
 
 バシ、といきなり派手な破裂音が響く。同時に、悠月の頬に鋭い痛みが走る。数拍遅れて、頬を張られたのだとわかった。
 
「先生先生って、うるせぇんだよ。ムカつくんだよ。今お前を抱いてるのはオレなのに、オレだってずっとお前のことを見てきたのに、そんなに七海先生がいいのかよ!」
「佐々……」
「七海先生の何がそんなにいいんだよ。オレと何が違うんだよ。ただの親戚をお前はどうしてそんなに好きなんだよ。七海先生の何がお前をそんなに惹き付けるんだよ!」
 
 何がそんなに惹き付けるか、なんて、そんなこと決まっている。
 
「お前は……今すぐ親と縁を切れと言われて、はいそうですかと従えるか?」
「はぁ? んだよ、その例えは……お前と七海先生は、そんなんじゃねぇだろ」
「同じだよ。おれと先生の関係は、それくらい濃いんだ。だから誰にも引き裂けない」
 
 たとえ古今東西老若男女が人類の禁忌だと後ろ指を指そうとも。
 
「おれには先生しかいないんだ。わかってくれなくてもいいけど、これが事実だ」
 
 男は何とも言えない複雑な表情で、少し泣きそうな、ともすれば恐れをなしているとも取れるような表情で、じっと悠月を見る。
 
「……父親なのか……? いや、でも、まさか……」
「さぁな」
 
 悠月は妖しく微笑む。男はそれきり黙った。悠月は自身の前を両手で覆い隠したが、男は二度とそこに触れようとはしなかった。
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