螺旋階段

小貝川リン子

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5 閑話休題

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 秋も深まり、涼しいというよりかは肌寒くなってきた今日この頃。こんな晩は熱い燗酒が身に沁みる。
 
「あんたが今飲んでるのはただの白湯だよ」
「いーの、今は休憩中」
 
 今晩はいつもの近所のスナックに一人で来ている。客の入りはそこそこで、程よい場末感が漂う。ママの喜代子の喉は今日もしわがれている。
 
「久しぶりに来たと思ったら長々と居座って、そのくせ酒は進まないんだから困ったものだよ」
「久しぶり……一か月ぶりくらいか。よく覚えてんね」
「あんたみたいのでも貴重な常連客だからね。今日は急いで帰らなくていいのかい。猫が待ってるんだろう?」
「あー、猫。猫ねぇ……」
 
 悠月の顔を思い出し、むふふと変な笑い声が漏れた。喜代子は顔をしかめる。
 
「何だい、気味の悪い顔をして。そんなにかわいいのかい」
「かわいいよぉ? 時々帰ってこねぇけど」
「あんたねぇ、もう野良じゃないんだから、家の中で飼ってあげなきゃかわいそうだよ。家の外に出してはいけないってCMでやってるじゃないか。見てないのかい」
「えー、だって、勝手に出てっちまうんだもん。首輪つけとくわけにもいけないし、しょうがねぇじゃん」
「いや、首輪くらいはいいだろうが。猫なんだから」
 
 首輪もリードもだめだ。あいつは人間だからな。俺達を結びつけるもの、絆という言い方は嫌いだが、そういったものは目には見えない。具体的な形も言葉もない。でも確かにそこに存在している。それだけはわかる。
 
 時々帰ってこないというのは半分嘘で半分本当だ。そもそも会うのは週末だけなので、それ以外の平日はうちには来ない。でも週末には必ず会いに来る。で、日曜の夜には必ず帰ってしまう。喜代子には猫を飼い始めたと言ったが、実際はまだそこまで至っていない。しかしまぁ、気分的には飼ってるも同然だ。
 
「そんなにかわいいなら、あたしも一目見たいねぇ。今度連れてきておくれよ」
「ダメダメ。こんなとこ、危なくて連れてこらんねぇよ」
「酷い言い草だね。じゃあ写真は? どうせスマホでばしゃばしゃ撮ってるんだろう?」
「写真……」
 
 そういえば撮ったことがない。撮りたいと思ったこともない。いや、この間、先々週だったか、一緒に夕ご飯を作った時に記念に撮ったような気がする。俺にばかり家事をさせて悪いから料理の一つでも覚えたいのだとあいつから言ってきたのだ。
 
 ハンバーグがいいと悠月は言ったが、俺が許可するはずもない。初心者はまず米を研ぐところからだ。水が冷たいと嫌がったが、ガス代がもったいないからお湯は使わない。初めてなのもあるだろうが悠月はとにかく不器用で、いくつの米粒が排水溝に消えていったかしれない。炊飯器の使い方も教え、ようやく釜をセットした。
 
 これだけじゃ料理した感がねぇ、と悠月がごねるので、仕方なく味噌汁を作らせてみることにした。まずは豆腐を切ろうかとまな板を用意してやると、先生は手の上で切ってるじゃないかと怒り出す。あれは熟練の業であって初心者がやるには危ないからと言い聞かせてまな板の前に立たせた。
 
 包丁を持ったこともないと言うので握り方から教えてやったが、とにかく不器用なので指を切らないかと気が気でなく、隣で見ている俺にばかり心労が溜まった。豆腐だからよかったが、硬い人参とか大根とか肉なんかは、危なっかしくてしばらく切らせることはできないなと思った。
 
 煮立った鍋に豆腐と乾燥ワカメとだしの素を入れ、最後に味噌を入れる。この味噌の量が難しいのだが――俺は普段目分量で適当に入れる――今回は初めてなので味噌をお玉に掬うところまでは俺がやってやった。火を止めて味噌をといたら出来上がりである。
 
 おかずを作る余力は悠月にはもうなかったし時間もなかったので、中華の合わせ調味料を使って俺が何か作ったような気がする。で、食べる直前にスマホで写真を撮ったような。
 
「写真、ないのかい」
 
 喜代子が急かす。
 
「待てよ今探して……おっ」
「あったかい?」
 
 喜代子が俺の手元を覗き込み、がっかりしたような顔をする。
 
「何だい、これは」
「いや……写真」
「写真って、こりゃあんたの晩飯の写真じゃないのさ」
 
 記念撮影をしたにはしたが、料理しか写さなかったのだ。まぁ、悠月が写っていたところで喜代子には見せられないが。
 
「つまらないねぇ。しかも白米と味噌汁だけって、何がおもしろくてこんなもの撮ったんだい」
「さぁ。なんでだろうな」
 
 スマホをポケットに仕舞う。
 
 あの時、悠月は自分で作った味噌汁を美味そうに飲み、来週はおかずも作りたい、手始めにカレーとかどうだ、と提案してきた。それで俺は、バカ野郎お前、カレーなんてまだ早い、切るもの多くて大変だぞ、と反対した。それでも何か作りたいと言うから、じゃあ単純に肉を焼くだけとかどうだろう、などと色々話したのだった。
 
 しかし翌週はテスト週間に入ってしまい、俺は試験を作るのに忙しく、悠月も家で勉強に専念しなくちゃいけないとかで、学校外では会わなかった。一年の古典は初日に終わり、有能な俺は採点もほぼ終えたので、だから今日はこうしてスナックで飲んでいるわけだ。今週末は久しぶりに悠月がうちに来るだろう。
 
「しかし、あんたみたいに独り身の若い男が猫を飼うなんて、あたしゃやっぱり心配だよ」
「なんで。心配いらねぇって」
「だってあんた、生き物を飼った経験ないんだろう? ちゃんと世話できてるのか気になるよ。さっきだって放し飼いにしてるような口ぶりだったし、病院で予防接種とか、特に避妊はちゃんとしたんだろうね?」
「ひに……」
 
 動揺し、声が裏返った。避妊? してるしてる。面倒でも毎回避妊具着けてしてる。コンドームは性感染症予防にもなるしそりゃもう完璧よ。しかし男同士なのでどうせ妊娠はしないが。
 
「もしかしてオスだったかい。オスなら去勢っていうのかねぇ。どっちにしろ必要だろう。ところ構わず盛って種を撒き散らしちゃあ事だからね」
「あ、避妊ってそっちの……。いやでも、去勢とか避妊とかかわいそうじゃない? 子孫繁栄は生物の悲願でしょ。人間の都合で産めない体にされるなんてさ、残酷だよな」
「そうは言うけどあんた、どうせ育てられないのに子供が増えちまう方がよっぽど残酷だろうよ。増えすぎて飼えなくなったら殺すしかないんだから」
「あぁ、まぁ、それもそうだな……」
 
 飼えなくなったら捨てるか殺すかしかない。それは何も猫やペットに限ったことではない。人間だって同じことだ。産んでも育てられなかったら、捨てるか殺すかしか道はないのだ。せっかくの酒が少々まずくなった。というか味がない。そういやこれは白湯だったな。
 
「ハイボールもらえる?」
「はいよ。これで最後かい?」
「ああ。明日も仕事だし、そろそろ帰らねぇと」
 
 一気に飲み干して帰った。家に帰ってから気持ち悪くなって、早々に寝た。
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