螺旋階段

小貝川リン子

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1 迷い猫③

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 これ以上関わり合いになるまいと思っていたのに、俺はまた九条を家に上げてしまった。
 
 梅雨の真っ只中で、朝からしとしと雨が降っていた。空はどんよりとした灰色の雲に覆われ、雨は深夜まで降り続いた。
 
 金曜だったので近所のスナックで一人飲み、いい気分で帰宅すると、玄関先にうずくまる影がある。濡れ鼠になった九条だった。制服姿のまま、荷物も持たず、ドアの前でぐったり座り込んでいる。濡れたワイシャツがべったり張り付いて、肌の色が透けて見える。
 
「こんなとこで何やってんだ」
 
 俺が言うと、九条は重そうに頭をもたげた。
 
「ああ、先生……おれ、待ってたんだぜ」
「待ってたっぽいのは見りゃわかる。何しに来たんだって訊いてんの」
「は、は……冷たいな、先生。一夜を共にした仲なのに」
 
 意識が朦朧としているのか冗談を言っているだけなのか、見分けがつかない。腕を引っ張って立ち上がらせると、九条はずぶ濡れのまま俺に抱きついた。
 
「一晩でいいからさ、おれを買ってよ」
 
 かわいそうに、やっぱり意識が朦朧としているんだな。だって体が燃えるように熱い。こんな状態で放っておくわけにもいかず、とりあえず部屋に入れてやる。仕方ない。不可抗力だ。暖房をつけ、服を脱がし、タオルで体を拭いてやる。九条はうわ言のように、一晩買ってよと繰り返す。
 
「馬鹿言うな。警察呼んで保護してもらうか?」
 
 九条は大袈裟なほど肩をビクつかせて拒む。
 
「け、けーさつはいやだ、絶対だめだ」
「じゃあ、家まで送ってやろうか? タクシー代はお前持ちで」
 
 それでも首を横に振る。
 
「家はもっといやだ……ねぇ、一晩でいいからさ、せんせ……」
「だからさぁ、俺はガキも男も興味ねぇの。わかったら黙ってそこ座れ」
 
 ドライヤーで髪を乾かしてやる。俺と違って、濡れ羽色のストレートヘアだ。指に髪を絡めて丁寧に乾かし、最後に櫛を入れて梳かしてやる。
 
「俺の部屋着貸してやる。それ着てさっさと寝ろ」
「……いいの?」
「いいも何も、しょうがねぇだろ。警察は嫌、家も帰りたくねぇんじゃあ。夜遅いし、雨だし、熱も出てるし、うちに泊まるしかねぇだろうが」
 
 九条は目を丸くした後、愉快そうに笑った。
 
「ふ……はは、あんた、やっぱチョロいな」
「おい、大人をあんま馬鹿にすんな。一晩だけだからな」
「うん……でも、ありがとう」
 
 九条は微笑んで呟く。その笑みが、見ているこっちが切なくなるような下手くそな笑みだったので、俺はむかっ腹が立った。どうせ笑うならもっと嬉しそうに笑え。お礼を言うのならもっと嬉しそうに言えよと思った。
 
 シャワーを終えて戻ってみると九条は布団に潜っていたが、俺が寝ようとするとぱちりと目を開けて体を起こした。
 
「なんでまだ起きてんだよ」
「せんせぇ、ほんとにしねぇの?」
「しねぇよ。さっさと寝ろ」
「なんで? おれ、ちゃんとできるんだぜ」
 
 起き上がって俺の上へ覆い被さってこようとするので、肩を押して無理やり寝かせた。布団を掛け、宥めるように胸を撫でる。
 
「ねぇ、なんで? おれにできるのはそれくらいしか……。タダで寝かせてもらうなんて悪いし」
「別に迷惑だとか思ってねぇから。悪いと思うならさっさと寝て治して帰れよな」
「先生、あんた付け込まれるタイプだな。対価はきっちり払わせなくちゃあ」
「お前もう黙れよ。大体なぁ、一晩ケツ貸すから泊めてくれなんて、そんなんで寄ってくるやつぁろくでもねぇぞ。お前こそ気を付けろよ」
 
 気づくと眠っていて、目が覚めたら朝になっていた。同じ布団で眠っていたはずの九条の姿はなく、テーブルの上にメモ書きが一枚置いてあった。いわく、昨日のお礼はまた今度、とのことだ。ああ全く勘弁してくれ。面倒事には巻き込まれたくないんだ。
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