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九月第一週①-①
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前日はかなり夜更かしをさせてしまったが、汀は二学期の初日から元気に学校へ行った。このところ、昼も夜もなく一緒に過ごしていたから、一人で暇を潰す方法を忘れた。宿の仕事をいつもより余計に手伝って、昼食はポーク卵おにぎりを食べ、午後は海へ行ってぼんやりして、気付けば、学校の方へ足が向いていた。ちょうど、終業の鐘が鳴った。
校門の前まで行くのは気が引け、汀が以前友達と道草を食っていた共同売店で待つことにした。霜だらけのショーケースからアイスキャンデーを一本選んで、軒下のベンチで齧る。歯に沁みるほどひんやりとして、甘い。九月に入っても南国の陽射しは厳しく、俺はもう一本アイスを買った。
「岳斗さん!」
汀の声に目を開けた。清潔なワイシャツを着、黒のスラックスを履き、白のズック鞄を肩に提げた汀が、俺の顔を覗き込んでいた。
「おかえり」
「ただいま。岳斗さん、なんでこんなとこにいるの」
「別に。ただの散歩」
「なんでこんなとこで寝てたの」
「眠かったんだよ。昨日遅かったから」
あくびをしながら言うと、汀は微かに頬を赤らめた。日焼けのせいだけでは決してない。
「久しぶりだね、岳斗さん」
汀の後ろにいた、テツくんが言う。
「久しぶり。お前ら、宿題はちゃんと終わったのか?」
俺が訊くと、「当たり前じゃん」とテツくんは胸を張って答えたが、ダイちゃんとケンちゃんは「数学のワークが……」「プリントが……」と口籠り、「でも一週間は待ってくれるって先生言ったから」と開き直った。
「宿題って言えば汀の絵が」
テツくんが思い出したように言うと、汀はさらに顔を赤くして汗を浮かべた。
「お、おれの絵が、何?」
「何って、先生に褒められてたじゃん。丁寧に描けてますねーって」
「へぇ、よかったな。昨日夜遅くまで頑張った甲斐があったじゃん」
「昨日? そんなギリギリまで宿題残しとくなんて、汀にしては珍しいな」
ダイちゃんに指摘されて、汀はますますあたふたする。
「が、岳斗さんの世話で忙しくって、宿題やる暇なかったの!」
「えー、岳斗さん、汀にお世話されてたの? ペットみたいじゃん」
「いやいや、むしろ俺が汀の世話してたわ」
「そんなことないでしょ! ウソ言わないでっ」
まぁまぁ、とテツくんが汀を宥める。
「そんでさ、絵のタイトルが『夏休みの思い出』っていうから、結局岳斗さんは、夏休みの間ずーっと島にいたんだなーって思って、なんか面白かった」
「面白いか?」
「面白いっていうか、だって、汀が描くのって、いつも海とか植物ばっかりだったからさ。なんか珍しいっていうか、岳斗さんのこと、よっぽど気に入ったんだろうなって」
描いた人間がどんな思いでいたのか、絵を見ただけで分かるわけがないと思っていたが、分かる人には分かるらしい。テツくんは聡明だ。汀は、この空間にはもう耐えられないとばかりに、冷房の効いた店内に逃げ込んだ。
「そうだ。お前ら、アイス一本ずつ買ってやるから、好きなの選べよ」
「マジ? すげー太っ腹!」
「まぁ、このくらいはな」
少年達は、アイスのショーケースに群がった。ジュースの冷蔵棚を開けて涼む汀は、咎めるような目で俺を見る。
「何だよ。お前もアイス買うだろ?」
「岳斗さんのえっち」
ぷくっと頬を膨らませて、皆の方へ駆けていった。
たった百円のアイスキャンデーで島の子供らは大いに喜び、それぞれ帰路に就いた。汀が選んだのは薄い黄緑色のアイスで、舌にのせるとゆっくりと汗を掻いて溶けた。
「またゴーヤか?」
「ううん。シークヮーサー」
「旨いよな、それ」
「……食べる?」
汀は、キャンデーを俺の方へ差し出した。汀の舐めていた部分だけがどろりと溶けて、日の光を浴びてキラキラ照り輝いている。
「早くして。溶けちゃう」
「いや、俺は――」
汀を待つ間に三本も食べたので、満腹だ。けれど、汀の目がいやに大きく、期待に輝いて見えて、一口だけ控えめに齧った。汀は満足そうににっこり笑う。
「えへへ、間接キス~」
俺は咽せた。
「おン前……くだらないことではしゃぐなよ」
「くだらない?」
「くだらねぇだろ。んな、中学生みたいなこと」
「中学生だし……」
汀はむっと唇を尖らせて、不安そうに眉を下げた。
「嫌だった? こういうの」
「嫌とかじゃなくてだな」
「……」
「あーもう、そんな顔すんなよ。怒ったわけじゃないから」
頭をわしゃわしゃ撫でると、汀は一瞬首を竦めて、猫がするように自ら頭を押し付けてきた。黒い髪が太陽を含んで熱い。道路脇に広がる、大人の身長を優に超えるほど育ったサトウキビの陰に隠れて、一つキスでもしたい気分だった。
「えへへ……岳斗さん、やっぱりおれのこと――」
「だーから、そういうのを外で匂わすなっての」
「何か匂うの?」
「布団以外でベタベタすんなってこと」
「布団……」
汀は、はっとして赤面した。
「がっ、岳斗さんこそ、外でえっちなこと言わないでっ!」
「バカ、声がでかい」
「そ、それにっ、岳斗さんだって、今日わざわざおれのこと迎えになんか来てさ、寝不足とか何とか、アイス買ってくれたりとかっ――」
「だから、声がでけぇっての」
俺は、よく回る口にアイスキャンデーを突っ込んだ。汀は苦しそうに顔を歪めた。不意に目にしたその表情が、思いがけず煽情的で……
つい、いけないと思いつつも、食指が動いた。キャンデーを奥まで押し込んで、引き戻し、また押し戻す。汀は、何をされているのかまるで分からない様子で、ただ顔を歪め、唇を濡らすばかり。唾液と、溶けたアイスの甘い液体とが、赤い唇の上で混ざり合う。仕舞いには涙が零れて、俺はようやく我に返った。
「悪い。喉痛めたか?」
「ん……だいじょぶ」
汀は乾いた咳をして、再びアイスキャンデーを咥えた。原形を留めないほど、どろどろに溶けてしまった。
「でも、今のって何だったの?」
「……練習?」
「何の?」
「あー……そのうち分かるよ」
練習の成果を生かす時は、案外すぐにやってくる。
校門の前まで行くのは気が引け、汀が以前友達と道草を食っていた共同売店で待つことにした。霜だらけのショーケースからアイスキャンデーを一本選んで、軒下のベンチで齧る。歯に沁みるほどひんやりとして、甘い。九月に入っても南国の陽射しは厳しく、俺はもう一本アイスを買った。
「岳斗さん!」
汀の声に目を開けた。清潔なワイシャツを着、黒のスラックスを履き、白のズック鞄を肩に提げた汀が、俺の顔を覗き込んでいた。
「おかえり」
「ただいま。岳斗さん、なんでこんなとこにいるの」
「別に。ただの散歩」
「なんでこんなとこで寝てたの」
「眠かったんだよ。昨日遅かったから」
あくびをしながら言うと、汀は微かに頬を赤らめた。日焼けのせいだけでは決してない。
「久しぶりだね、岳斗さん」
汀の後ろにいた、テツくんが言う。
「久しぶり。お前ら、宿題はちゃんと終わったのか?」
俺が訊くと、「当たり前じゃん」とテツくんは胸を張って答えたが、ダイちゃんとケンちゃんは「数学のワークが……」「プリントが……」と口籠り、「でも一週間は待ってくれるって先生言ったから」と開き直った。
「宿題って言えば汀の絵が」
テツくんが思い出したように言うと、汀はさらに顔を赤くして汗を浮かべた。
「お、おれの絵が、何?」
「何って、先生に褒められてたじゃん。丁寧に描けてますねーって」
「へぇ、よかったな。昨日夜遅くまで頑張った甲斐があったじゃん」
「昨日? そんなギリギリまで宿題残しとくなんて、汀にしては珍しいな」
ダイちゃんに指摘されて、汀はますますあたふたする。
「が、岳斗さんの世話で忙しくって、宿題やる暇なかったの!」
「えー、岳斗さん、汀にお世話されてたの? ペットみたいじゃん」
「いやいや、むしろ俺が汀の世話してたわ」
「そんなことないでしょ! ウソ言わないでっ」
まぁまぁ、とテツくんが汀を宥める。
「そんでさ、絵のタイトルが『夏休みの思い出』っていうから、結局岳斗さんは、夏休みの間ずーっと島にいたんだなーって思って、なんか面白かった」
「面白いか?」
「面白いっていうか、だって、汀が描くのって、いつも海とか植物ばっかりだったからさ。なんか珍しいっていうか、岳斗さんのこと、よっぽど気に入ったんだろうなって」
描いた人間がどんな思いでいたのか、絵を見ただけで分かるわけがないと思っていたが、分かる人には分かるらしい。テツくんは聡明だ。汀は、この空間にはもう耐えられないとばかりに、冷房の効いた店内に逃げ込んだ。
「そうだ。お前ら、アイス一本ずつ買ってやるから、好きなの選べよ」
「マジ? すげー太っ腹!」
「まぁ、このくらいはな」
少年達は、アイスのショーケースに群がった。ジュースの冷蔵棚を開けて涼む汀は、咎めるような目で俺を見る。
「何だよ。お前もアイス買うだろ?」
「岳斗さんのえっち」
ぷくっと頬を膨らませて、皆の方へ駆けていった。
たった百円のアイスキャンデーで島の子供らは大いに喜び、それぞれ帰路に就いた。汀が選んだのは薄い黄緑色のアイスで、舌にのせるとゆっくりと汗を掻いて溶けた。
「またゴーヤか?」
「ううん。シークヮーサー」
「旨いよな、それ」
「……食べる?」
汀は、キャンデーを俺の方へ差し出した。汀の舐めていた部分だけがどろりと溶けて、日の光を浴びてキラキラ照り輝いている。
「早くして。溶けちゃう」
「いや、俺は――」
汀を待つ間に三本も食べたので、満腹だ。けれど、汀の目がいやに大きく、期待に輝いて見えて、一口だけ控えめに齧った。汀は満足そうににっこり笑う。
「えへへ、間接キス~」
俺は咽せた。
「おン前……くだらないことではしゃぐなよ」
「くだらない?」
「くだらねぇだろ。んな、中学生みたいなこと」
「中学生だし……」
汀はむっと唇を尖らせて、不安そうに眉を下げた。
「嫌だった? こういうの」
「嫌とかじゃなくてだな」
「……」
「あーもう、そんな顔すんなよ。怒ったわけじゃないから」
頭をわしゃわしゃ撫でると、汀は一瞬首を竦めて、猫がするように自ら頭を押し付けてきた。黒い髪が太陽を含んで熱い。道路脇に広がる、大人の身長を優に超えるほど育ったサトウキビの陰に隠れて、一つキスでもしたい気分だった。
「えへへ……岳斗さん、やっぱりおれのこと――」
「だーから、そういうのを外で匂わすなっての」
「何か匂うの?」
「布団以外でベタベタすんなってこと」
「布団……」
汀は、はっとして赤面した。
「がっ、岳斗さんこそ、外でえっちなこと言わないでっ!」
「バカ、声がでかい」
「そ、それにっ、岳斗さんだって、今日わざわざおれのこと迎えになんか来てさ、寝不足とか何とか、アイス買ってくれたりとかっ――」
「だから、声がでけぇっての」
俺は、よく回る口にアイスキャンデーを突っ込んだ。汀は苦しそうに顔を歪めた。不意に目にしたその表情が、思いがけず煽情的で……
つい、いけないと思いつつも、食指が動いた。キャンデーを奥まで押し込んで、引き戻し、また押し戻す。汀は、何をされているのかまるで分からない様子で、ただ顔を歪め、唇を濡らすばかり。唾液と、溶けたアイスの甘い液体とが、赤い唇の上で混ざり合う。仕舞いには涙が零れて、俺はようやく我に返った。
「悪い。喉痛めたか?」
「ん……だいじょぶ」
汀は乾いた咳をして、再びアイスキャンデーを咥えた。原形を留めないほど、どろどろに溶けてしまった。
「でも、今のって何だったの?」
「……練習?」
「何の?」
「あー……そのうち分かるよ」
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