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八月第二週②
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汀に誘われて、俺はまたも部活に参加した。今日は学校の体育館ではなく、ニシの浜で遊ぶらしい。午後の一番暑い時間よりは少し遅い、陽射しが若干和らいできた頃を見計らって海へ行くと、みんな既に集まっており、レトロなスイカ柄のビーチボールをぽんぽん飛ばして遊んでいた。
「汀、遅いよ」
いつものメンバー三人に加えて、今日は女の子が二人いる。長い髪をポニーテールで括った快活そうな女の子が、汀にボールを投げた。
「ごめん、ユキちゃん。この人、うちのお客さんなんだけど、昼寝が長くって」
「俺のせいかよ。お前も寝てただろ」
「あー、あたし、知ってるよ。お兄さん、ドッジボールで汀くんの顔にぶつけて、鼻血出させた人だよね?」
もう一人の女の子は短いお下げ髪で、いくらかおっとりした雰囲気だった。アオイちゃんというらしかった。
「なに、もしかして俺、有名人?」
「ウチらの間じゃね。無職なのに、汀のとこに一か月も泊まってる変人だって」
「いや、一か月はまだ経ってねぇけど」
「今度、あたしとユキちゃんにもアイス奢ってください」
四人の時はテツくんがリーダー格だったが、六人集まるとユキちゃんがリーダーになるようだ。流木で砂浜にコートを描いて、チーム分けをした。俺、ユキちゃん、ケンちゃんで一チーム、汀、テツくん、ダイちゃん、アオイちゃんで一チームだ。なかなかバランスのいいチーム分けだと感心する。
「それじゃ、いくよー」
ユキちゃんが、ビーチボールを天高く飛ばした。ビニールのボールに太陽が透けて、若草色の影が落ちた。
ビーチバレーは良いスポーツだ。ボール一つさえあれば、年齢や人数に関係なく楽しめる。コートのサイズは自由に決められるし、ネットなんてなくても想像で補える。軽いボールを使っているから強いスパイクは打てないし、手足や顔面に当たっても痛くないから初心者にも優しい。
「岳斗さん! ボール行ったよ!」
ポニーテールを揺らしてユキちゃんが叫ぶが、そう言われたからって俺の鈍った足が瞬時に動くわけもない。一生懸命走ったが、俺はボールを取り零した。これで何度目か分からない。転がったボールは波に攫われて、気持ちよさそうにぷかぷか漂った。
「んもー、このお兄さん、全然戦力にならないじゃん。こっちを四人チームにした方がよかった」
ユキちゃんが呆れたように愚痴る。
「まぁ、岳斗さん、普段から運動不足気味だから」
汀が答える。
「でも、もう少しできそうな雰囲気なのになぁ」
「俺だってなぁ、中学高校の頃は、バスケもバレーもサッカーも野球も、人並み程度にはできたよ」
「じゃあ、なんで今はこんな体たらくなの」
「君らも大人になったら分かる。運動しないと、体力はすぐに落ちるんだ。そりゃもう、みるみる落ちるんだぞ」
そんなわけで、俺は早々に休憩に入らせてもらった。俺が抜けた分、汀が代わりにチームに入り、三人対三人で試合を再開した。試合といっても、点数は数えていないし、ルールも最低限だ。ただのボールの打ち合いだ。けれど、それで良いのだった。
広大なニシの浜の片隅で、汀は小鳥のように軽やかに、スイカのビーチボールを追いかける。サーブを打つしなやかな腕、砂を蹴る小鹿のような脚といったら、弾ける若さの象徴だと謳わんばかりだ。
時折、海に入ってしまって足首を濡らす。ボールを受ける際、膝を軽く曲げて腰を落とすので、尻の丸みが強調される。高く跳んで、スパイクの真似事をしてみたりする。天に振り上げた腕と、腋のラインが健康的だ。暑そうに髪を振り乱すと、煌めく汗が星のように舞い散る。
「岳斗さーん」
テツくんが言った。
「暇ならさぁ、点数数えててよ」
「オッケー、任せろ」
俺があんまり暇そうにしているものだから、テツくんが気を遣って役割を与えてくれたが、途中で点数を数え間違えたために、勝敗は結局分からず仕舞いだった。
夕食の後、再びニシの浜へ出向いた。日の入りが近いせいか、観光客が多く集まって、海を眺めていた。俺と汀は、それらを横目にビーチの隅まで歩き、汀が持ってきた子供用のビニールボールで少し遊んだ。真珠のような色味の小さいボールを、適当に投げたり打ったりして、ラリーを続けた。
「! ねぇ、岳斗さん」
汀が目を丸くして俺の後ろを指差すので、振り向いたら後頭部にボールが当たった。
「いてっ」
「あっ、ごめん」
「何だよ。そういうトラップ?」
「違うってば。あそこ、見てよ」
波打ち際に浮かぶボールを拾い、汀の指差す方向を見ると、一組の男女が仲睦まじく寄り添っているのが見えた。
「キスしてるよ」
「マジ?」
「うん」
目を凝らしてみても、距離が遠くてよく分からなかった。
「見えないの? 老眼?」
「んなわけあるか」
汀は俺からボールを受け取り、あのカップルを真似てか、砂浜に腰を下ろした。
「ボール遊びはおしまいか?」
「うん。もう暗くなるよ」
こぶし二つ分の距離で、俺も汀の隣に腰を下ろした。白い砂は柔らかく、座り心地は抜群だった。
夕焼けの空は、東から西へと美しい濃淡を描く。上空はほんのり桃色に、薄くたなびく雲は橙色に滲み、水平線はくっきりとした茜色に染まる。線香花火の最後の光のような、丸く潤んだ太陽が、俺の心拍よりもずっと速いスピードで落ちていく。やがて、その光はすっかり海に溶け込んで、海は鮮やかな光沢を放つ。
金色の海から甘い風が吹いて、汀の黒髪を靡かせた。ふわりとした後れ毛が、陽に透けて銀色に匂う。
一雫の光を残して、太陽は海の底に沈んだ。黄昏の空は、まるで水彩絵の具で塗り重ねたような、あまりにも鮮明な薔薇色をしていた。薔薇色から、徐々に藤色へと変化して、やがて、空一面が透明感のある瑠璃色に染まった。雲は暗い影になっていて、空のうんと高い場所だけが、青く輝いているのだった。
時間の経過と共に、宵闇が迫る。西の空は残照が映えているが、深い藍色の空には三日月が浮かび、一番星が瞬いていた。仄暗い海は、残照の淡い光を篝火のように灯して、静かに揺れていた。波の音だけが、ビーチに響いていた。
「岳斗さん」
汀の声は、どうしてこんなにも甘やかな響きを持って、俺の鼓膜を震わせるのだろう。隣にいたカップルは、いつのまにかいなくなっていた。
「……この前の、さ。あの、白いやつ……」
汀は、もじもじしながら話す。
「……しゃ、射精、って、言うんでしょ。あの……」
汀の頬にだけ、夕焼けがまだ残っているらしい。
「おれ、何にも知らなくて……」
「誰かに教えてもらったのか?」
「ううん。だって、なんか、恥ずかしいもん……」
そう聞いて、俺は内心安堵した。
「保健の教科書、ちゃんと読んだら書いてあったんだ。今まで、あんまり読まなかったけど……」
「自分で調べたのか。偉いな」
「普通だよ。でも……岳斗さん、知ってたなら、あの時にちゃんと教えてくれたらよかったのにさ……」
砂の上で、汀は俺の手を握った。こちらを見つめるその瞳は、空の色に似て吸い込まれそうに黒く、決意の星が小さく煌めいていた。
「もう一回、したい」
強い意志を滲ませて、汀は言った。
「……何を」
「分かってるくせに」
「分かんねぇ」
「……キス」
汀は、つんと唇を窄めた。いい匂いのしそうな、ふっくらとした唇。俺は顔を背けた。
「だめだ」
「なんで」
「そりゃ……お前は、まだ子供だし」
「大人になった証でしょ」
「精通が来たからって大人になったわけじゃねぇだろ」
汀は、むっと口を真一文字に結ぶ。
「……じゃあ、なんでこの前はしたの」
「あれは……あんなのは、ただの気紛れだ」
「うそだ」
「お前を揶揄っただけだよ」
「うそ言わないで!」
汀は俺に掴みかかって、俺は砂の上に倒れた。汀は、俺の上に馬乗りになる。怒りの炎さえ宿した鋭い眼に、溺れそうなほどいっぱいの涙を湛えて。そして、それを零さないように、懸命に唇を噛みしめて。
自ずから、俺は汀を抱きしめていた。震える唇にそっと触れる。涙の味がした。このまま波に攫われてしまいたいと思った。けれど、寄せる波は一層穏やかで、つま先を優しく濡らすだけだった。
「汀、遅いよ」
いつものメンバー三人に加えて、今日は女の子が二人いる。長い髪をポニーテールで括った快活そうな女の子が、汀にボールを投げた。
「ごめん、ユキちゃん。この人、うちのお客さんなんだけど、昼寝が長くって」
「俺のせいかよ。お前も寝てただろ」
「あー、あたし、知ってるよ。お兄さん、ドッジボールで汀くんの顔にぶつけて、鼻血出させた人だよね?」
もう一人の女の子は短いお下げ髪で、いくらかおっとりした雰囲気だった。アオイちゃんというらしかった。
「なに、もしかして俺、有名人?」
「ウチらの間じゃね。無職なのに、汀のとこに一か月も泊まってる変人だって」
「いや、一か月はまだ経ってねぇけど」
「今度、あたしとユキちゃんにもアイス奢ってください」
四人の時はテツくんがリーダー格だったが、六人集まるとユキちゃんがリーダーになるようだ。流木で砂浜にコートを描いて、チーム分けをした。俺、ユキちゃん、ケンちゃんで一チーム、汀、テツくん、ダイちゃん、アオイちゃんで一チームだ。なかなかバランスのいいチーム分けだと感心する。
「それじゃ、いくよー」
ユキちゃんが、ビーチボールを天高く飛ばした。ビニールのボールに太陽が透けて、若草色の影が落ちた。
ビーチバレーは良いスポーツだ。ボール一つさえあれば、年齢や人数に関係なく楽しめる。コートのサイズは自由に決められるし、ネットなんてなくても想像で補える。軽いボールを使っているから強いスパイクは打てないし、手足や顔面に当たっても痛くないから初心者にも優しい。
「岳斗さん! ボール行ったよ!」
ポニーテールを揺らしてユキちゃんが叫ぶが、そう言われたからって俺の鈍った足が瞬時に動くわけもない。一生懸命走ったが、俺はボールを取り零した。これで何度目か分からない。転がったボールは波に攫われて、気持ちよさそうにぷかぷか漂った。
「んもー、このお兄さん、全然戦力にならないじゃん。こっちを四人チームにした方がよかった」
ユキちゃんが呆れたように愚痴る。
「まぁ、岳斗さん、普段から運動不足気味だから」
汀が答える。
「でも、もう少しできそうな雰囲気なのになぁ」
「俺だってなぁ、中学高校の頃は、バスケもバレーもサッカーも野球も、人並み程度にはできたよ」
「じゃあ、なんで今はこんな体たらくなの」
「君らも大人になったら分かる。運動しないと、体力はすぐに落ちるんだ。そりゃもう、みるみる落ちるんだぞ」
そんなわけで、俺は早々に休憩に入らせてもらった。俺が抜けた分、汀が代わりにチームに入り、三人対三人で試合を再開した。試合といっても、点数は数えていないし、ルールも最低限だ。ただのボールの打ち合いだ。けれど、それで良いのだった。
広大なニシの浜の片隅で、汀は小鳥のように軽やかに、スイカのビーチボールを追いかける。サーブを打つしなやかな腕、砂を蹴る小鹿のような脚といったら、弾ける若さの象徴だと謳わんばかりだ。
時折、海に入ってしまって足首を濡らす。ボールを受ける際、膝を軽く曲げて腰を落とすので、尻の丸みが強調される。高く跳んで、スパイクの真似事をしてみたりする。天に振り上げた腕と、腋のラインが健康的だ。暑そうに髪を振り乱すと、煌めく汗が星のように舞い散る。
「岳斗さーん」
テツくんが言った。
「暇ならさぁ、点数数えててよ」
「オッケー、任せろ」
俺があんまり暇そうにしているものだから、テツくんが気を遣って役割を与えてくれたが、途中で点数を数え間違えたために、勝敗は結局分からず仕舞いだった。
夕食の後、再びニシの浜へ出向いた。日の入りが近いせいか、観光客が多く集まって、海を眺めていた。俺と汀は、それらを横目にビーチの隅まで歩き、汀が持ってきた子供用のビニールボールで少し遊んだ。真珠のような色味の小さいボールを、適当に投げたり打ったりして、ラリーを続けた。
「! ねぇ、岳斗さん」
汀が目を丸くして俺の後ろを指差すので、振り向いたら後頭部にボールが当たった。
「いてっ」
「あっ、ごめん」
「何だよ。そういうトラップ?」
「違うってば。あそこ、見てよ」
波打ち際に浮かぶボールを拾い、汀の指差す方向を見ると、一組の男女が仲睦まじく寄り添っているのが見えた。
「キスしてるよ」
「マジ?」
「うん」
目を凝らしてみても、距離が遠くてよく分からなかった。
「見えないの? 老眼?」
「んなわけあるか」
汀は俺からボールを受け取り、あのカップルを真似てか、砂浜に腰を下ろした。
「ボール遊びはおしまいか?」
「うん。もう暗くなるよ」
こぶし二つ分の距離で、俺も汀の隣に腰を下ろした。白い砂は柔らかく、座り心地は抜群だった。
夕焼けの空は、東から西へと美しい濃淡を描く。上空はほんのり桃色に、薄くたなびく雲は橙色に滲み、水平線はくっきりとした茜色に染まる。線香花火の最後の光のような、丸く潤んだ太陽が、俺の心拍よりもずっと速いスピードで落ちていく。やがて、その光はすっかり海に溶け込んで、海は鮮やかな光沢を放つ。
金色の海から甘い風が吹いて、汀の黒髪を靡かせた。ふわりとした後れ毛が、陽に透けて銀色に匂う。
一雫の光を残して、太陽は海の底に沈んだ。黄昏の空は、まるで水彩絵の具で塗り重ねたような、あまりにも鮮明な薔薇色をしていた。薔薇色から、徐々に藤色へと変化して、やがて、空一面が透明感のある瑠璃色に染まった。雲は暗い影になっていて、空のうんと高い場所だけが、青く輝いているのだった。
時間の経過と共に、宵闇が迫る。西の空は残照が映えているが、深い藍色の空には三日月が浮かび、一番星が瞬いていた。仄暗い海は、残照の淡い光を篝火のように灯して、静かに揺れていた。波の音だけが、ビーチに響いていた。
「岳斗さん」
汀の声は、どうしてこんなにも甘やかな響きを持って、俺の鼓膜を震わせるのだろう。隣にいたカップルは、いつのまにかいなくなっていた。
「……この前の、さ。あの、白いやつ……」
汀は、もじもじしながら話す。
「……しゃ、射精、って、言うんでしょ。あの……」
汀の頬にだけ、夕焼けがまだ残っているらしい。
「おれ、何にも知らなくて……」
「誰かに教えてもらったのか?」
「ううん。だって、なんか、恥ずかしいもん……」
そう聞いて、俺は内心安堵した。
「保健の教科書、ちゃんと読んだら書いてあったんだ。今まで、あんまり読まなかったけど……」
「自分で調べたのか。偉いな」
「普通だよ。でも……岳斗さん、知ってたなら、あの時にちゃんと教えてくれたらよかったのにさ……」
砂の上で、汀は俺の手を握った。こちらを見つめるその瞳は、空の色に似て吸い込まれそうに黒く、決意の星が小さく煌めいていた。
「もう一回、したい」
強い意志を滲ませて、汀は言った。
「……何を」
「分かってるくせに」
「分かんねぇ」
「……キス」
汀は、つんと唇を窄めた。いい匂いのしそうな、ふっくらとした唇。俺は顔を背けた。
「だめだ」
「なんで」
「そりゃ……お前は、まだ子供だし」
「大人になった証でしょ」
「精通が来たからって大人になったわけじゃねぇだろ」
汀は、むっと口を真一文字に結ぶ。
「……じゃあ、なんでこの前はしたの」
「あれは……あんなのは、ただの気紛れだ」
「うそだ」
「お前を揶揄っただけだよ」
「うそ言わないで!」
汀は俺に掴みかかって、俺は砂の上に倒れた。汀は、俺の上に馬乗りになる。怒りの炎さえ宿した鋭い眼に、溺れそうなほどいっぱいの涙を湛えて。そして、それを零さないように、懸命に唇を噛みしめて。
自ずから、俺は汀を抱きしめていた。震える唇にそっと触れる。涙の味がした。このまま波に攫われてしまいたいと思った。けれど、寄せる波は一層穏やかで、つま先を優しく濡らすだけだった。
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