汀の島

小貝川リン子

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七月第五週①-①

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 三連休に入ると島の観光客が増え、桃原荘の宿泊客も増えた。汀は家の手伝いに駆り出され、俺と遊んでいる場合ではなくなった。人が増えると宿は一気に賑やかになり、俺は毎晩遅くまで、宿の皆と酒を酌み交わし、おしゃべりをした。こういった触れ合いを、島の言葉でゆんたくというらしい。ドイツ語のような響きだと思った。
 
 連休が明けるとあっという間に夏休みになり、観光客は増減を繰り返しつつ徐々に増えていった。桃原荘も、ほとんど毎日満室だった。汀は学校の宿題をやったり、家の手伝いをしたり、友達と遊んだりと、毎日忙しそうだった。やはり、俺と過ごしている暇はないようだった。
 
「オレ達、これから泳ぎに行くんだけど、岳斗くんも来る?」
 
 ある日、外で昼食をとって宿に戻ると、二日前から宿泊している中田という男に声をかけられた。関東の中核市で居酒屋を経営しているという、三十代半ばのやんちゃそうな男である。ちなみにバツイチらしい。
 
「高峰さんも行きましょーよ」「ウミガメ見れるってー」
 
 さらに、若い女が二人、くっついていた。彼女達は、昨日島にやってきたばかりの、二十一歳の女子大生だ。時期としては少し早いが、卒業旅行として離島巡りをしているらしい。髪は明るい茶色に染め、プリクラを貼り付けた携帯電話を愛用し、嵐やGReeeeNを好んで聞くという、典型的な今時の若者である。
 
「中田さんが、シュノーケリング教えてくれるの。得意なんだって」
 
 シュノーケリングに興味はある。島に来て二週間も経つのに、まだ一度も潜っていない。
 
 俺は、皆を待たせて一旦部屋に戻り、廊下を挟んで隣にある汀の部屋へ向かった。桃原荘は民家を改築して造った民宿であり、家族の居間や寝室なども、同じ家屋の中に存在する。家族のスペースへ繋がる廊下や縁側には衝立が置かれて一応仕切られてはいるが、簡単に行き来することができる。
 
「汀、いる?」
 
 障子を全開にして風を入れている部屋を覗くと、汀はおにぎりを頬張っているところだった。俺を見るなり、目を見開いて咽せた。
 
「何だよ、その反応」
「だって、急に来るから……」
 
 汀は、掌についた米粒を舐め取った。
 
「旨そうだな。何おにぎり?」
「朝の残り……。岳斗さん、なんでおれの部屋知ってんの」
「初日に教えてくれただろ」
「そ、そうだっけ」
「何だよ、忘れちゃったのか? 隣がじぃちゃんとばぁちゃんの寝室で、その向こうが茶の間だって。ちゃんと覚えてんだろ、俺」
 
 汀は、まごまごしながらも、おにぎりを飲み込んだ。
 
「それで、なに。用事?」
「いや、みんながシュノーケリングに行くって言うから、お前も暇ならどうかなと」
 
 汀は、目をぱちくりさせた。
 
 結局、汀を加えた五人で、ニシの浜へ行くことになった。途中、汀の友達の店で、シュノーケリングセットをレンタルした。汀と中田さんは自前のものを持っており、俺と女子大生二人の分だけ借りた。「岳斗さん、まだ泊まってたんだ。長いねぇ」と言って、店の手伝いをしていた友達は笑った。
 
 一通りの使い方と注意点は店で教えてもらったが、ビーチに着いてから改めて中田さんにも教えてもらった。水中マスクを着け、マリンブーツを履いて、いざ潜水する。初めのうちは、シュノーケルのホースに海水が入ったり、口呼吸が難しかったりしたが、慣れてくれば楽に泳げた。
 
「見て、岳斗さん! ヤドカリ!」
 
 汀が小さなヤドカリを摘まみ上げ、俺の手に乗せた。巻貝から顔を出して不器用に歩く姿が愛らしい。真っ白な砂地が続く遠浅の海で、ヤドカリ以外にもカニが歩いていたり、ヒトデが埋まっていたり、エイが砂を掘っていたり、小魚が泳いでいたりした。他の三人はもっと沖の方まで泳いでいって、ウミガメを探しているらしかった。
 
 海の色は、うっとりするほど美しかった。波の上から眺めるより、潜って見た方が格段に美しい。ベルベッドのような砂底に太陽の光が反射して、水中とは思えないほど明るく輝いている。俺は今、生まれて初めて、本物の水色を目の当たりにしているのだ。限りなく透明に近い、鮮やかなアクアブルー。
 
「岳斗さん! はい、またヤドカリ!」
「もういいよ、ヤドカリは。何匹捕った?」
「だって、いっぱいいるからさ。あっ、ほらまた」
 
 汀は、海面に顔をつけてしゃがむ。せっかくシュノーケルを着けているのに、浅瀬で宝探しばかりしてはしゃいでいる。
 
「ヤドカリじゃなくてただの貝殻だった。岳斗さんにあげるね」
 
 棘の飾りが華やかな、真珠のような風合いの大きな巻貝だった。手に持つにしても耳に当てるにしても、ちょうどフィットするサイズ感だ。
 
「なぁ、俺達もそろそろ沖まで行ってみねぇ? みんな、もうあんなとこにいるし」
 
 中田さんと女子大生二人は、浜から大分離れた場所を泳いでいた。汀はちらりとそちらを見ると、あえて別の方向へと泳ぎ出した。俺も、シュノーケルを咥えて泳ぐ。
 
 沖は、豊かな珊瑚礁になっていた。砂地よりは水深が深いが、それでもせいぜい二メートル前後で、その先はその深さのまましばらく続いていた。「はぐれないように」と汀が言うので、手を繋いで水面を浮遊した。
 
 珊瑚礁を住処とする極彩色の熱帯魚が、あちらこちらへと自由自在に泳ぎ回っていた。青や黄色、オレンジや紫、縞模様や斑模様や、半透明の魚もいる。岩陰から全く出てこない臆病なのもいれば、やたらと近寄ってくる人懐こい魚もいる。海底まで太陽の光が射し込んで、ゆらゆらと波の模様を描いていた。
 
 汀が、俺の手を引いた。青い宝石のような小魚が、群れを成して泳いでいた。イソギンチャクに、クマノミの親子が隠れていた。マスクをしていても分かるくらい、汀がにこっと目を細めた。感動を共有できるのは素晴らしいことだ。
 
 今度は、俺が汀の手を引いた。アオウミガメが、すぐそばまでやってきていた。野生のウミガメを間近に見るのなんて初めてで、さすがに少し興奮した。「行ってみようよ」と汀がジェスチャーで言うので、海底近くまで潜った。
 
 人馴れしているらしく、俺達が近付いても、ウミガメは逃げなかった。人間よりも食事が大事らしく、砂地に生える海藻を黙々と食べていた。時々息継ぎのために浮上し、再び潜水して海藻を食べる。その一連の仕草も愛らしく見えた。泳ぐ姿は実に優雅で、宇宙遊泳のごとき雰囲気があった。
 
 海の色は、浅瀬で見えるのとはまた違った趣があった。より深みのある美しい縹色が、どこまでもどこまでも、少し怖くなるくらい遠くまで続いている。ぞっとするほど、海は広い。食事を終えたウミガメは、じきに海の果てへと帰っていった。その小さな影が海の色に飲まれて消えるまで、俺はじっと見守っていた。
 
「はぁ~、結構泳いだね」
 
 珊瑚礁から、浅瀬の砂地に戻ってきた。汀はシュノーケルを外し、濡れた髪を掻き上げた。ショート丈の水着から、小鹿のような脚がすらりと伸びる。日焼け防止のために着ていた半袖の白いシャツが、濡れた肌にぺったり張り付いて、褐色の肌が透けて見えた。
 
「岳斗さん、意外と泳げるじゃん。やったことあるの?」
「意外とは余計だろ。これくらい、ちょっと教えてもらえればすぐできるわ。お前こそ、やっぱ島の子だから慣れてんな」
「ま、学校で毎年教わるしね。他に遊びもないし。でもおれ、海は結構好きなんだ。泳ぐのも好き」
 
 汀は、大きく伸びをする。うんと胸を張ると、白いシャツの胸元に、二つの小さな突起が浮かび上がった。それは、たまたま俺の目に飛び込んできた。俺は、それを見逃すことができなかった。
 
「ウミガメもさ、正直見飽きてはいるんだけど、やっぱ一緒に泳ぐと楽しいし、テンション上がっちゃう」
「ウミガメって、俺にとってはかなりレアな存在なんだけど。たぶん日本人のほとんどがそうだぞ」
「そうなの?」
「そうだよ。島やべぇな」
 
 俺は、たまたま目に入った小さな突起の存在はなかったことにして、会話を続けた。
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