(Imaginary)フレンド。

新道 梨果子

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7 絵の中の声

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 美術部の窓からグラウンドを覗く。陸上部のほうを見てみると、秋穂が、朝持っていたビデオカメラを構えているのが目に入った。

 息を吐く。

 いや、気にしすぎなんだ。秋穂は本当に他意なく、気を遣ってくれたのかもしれない。
 もしかしたら、他の部員の邪魔になったのかもしれないけれど、それは今、気にしても仕方ない。もう行かなければいいことだ。

 私は一つかぶりを振って、それから大きく深呼吸した。

「描かなきゃ」

 私は、デジカメと、さっきざっと構図を描いたスケッチブックを脇に置いて、キャンバスに向き合う。
 昨日、下塗りを済ませたキャンバスが目の前にある。
 私は、家から持ってきたエプロンを着て、そして、先生に習ったように、木製のパレットに絵の具と、油壺にペインティングオイルを用意した。

「これで……いいんだよね」

 今日は先生は職員会議があるようで、遅くなると言っていた。私は昨日習ったことを懸命に思い出す。

 キャンバスに鉛筆かなにかで下書きをしなくていいのかと言ったら、先生はひらひらと手を振った。

「しなくていいよ。どんどん描いて。多少、間違ってもいいから。油絵はね、絵の具を重ねるものなんだよ。描けば描くほど厚みが出て、良い絵になっていくよ」

 そんなものなのか、と思いながら、筆を入れようと茶色の絵の具をつける。けれどもなかなか、最初の線が引けない。
 初めてって怖いものなんだな、と思いながら、えいっと思い切って横に茶色い線を引く。
 これがグラウンドの端。地面と空の境界。

 それだけで酷く疲れた。私は一息つく。
 こんなので本当に完成するのかと思いながら、また線を引いていく。
 クラブハウス、薄く見える向こう側のテニスコート、トラック、マット、バー。グラウンドに散らばる生徒たち。

 描いているうちに、少しずつ楽しくなってきた。初めては怖いものだけれども、楽しいものでもあるのだ。
 先生が、なぜ突然油絵にしようと言い出したのか、少しわかった気がした。
 そして、色を変えようと新しい絵の具を取り出そうとしたとき。

 それは聞こえた。

『……ま……』

 私は顔を上げる。今、確かに声が聞こえた。先生が会議が終わって来たのかな、と振り返る。けれども、誰もいない。
 窓の外を見る。いや、三階の窓の外に誰かいたら、それこそオカルトだ。
 ジョルジュの像を見る。まさか。けれども彼は、いつもと変わらず静かにそこにいるだけだ。

 私はパレットを置いて立ち上がる。先生はいない。ここには私一人きりだ。私は唯一の美術部員なのだから。

『は……』

 また、聞こえた。間違いない。
 けれどもその声を聞いても、なぜだか恐怖は感じなかった。

「……誰?」

 どこから声がしたのだろう。教官室に誰か来たのだろうか。いや違う。もっと近く。もっと私の傍で、声がした。

「……ここ……?」

 私は、今まで自分が描いていた絵を見つめた。そしてまた、イーゼルの前の椅子に座る。

「……今、なにか……言った……?」

 問いかける。すると。

『……し……』

 聞こえた。確かに。この絵から。なんて言っているのかはわからない。
 思わず、立ち上がって絵の裏に回りこむ。先生がいたずらのつもりでスピーカーかなにかを置いているのかもしれない、なんて馬鹿なことを考えたからだ。
 当然、イーゼルの裏には何も置かれていない。
 そうこうしているうち、また、声が聞こえた。

 私はまた絵の正面に回り込み、椅子に腰掛ける。
 間違いない。この絵から声がする。いや、声、と呼んでいいものなのかどうかわからないくらいに、か細い音。

 どこからだろう。私は目を凝らして、自分が描いた絵の隅から隅までを見ていく。
 ここだろうか、と私は視線を止める。
 絵の中に背景として存在している、今は棒のようにしか描かれていない、グラウンドの向こう側にいる誰か、のような気がする。
 絵の中で、小さく小さく存在している、描いた私ですら誰かもわからない、人。

 驚き慄いて叫びだしてもいい場面だったかもしれない。けれどもなぜか、そんな気にはならなかった。

「……こんにちは」

 私はそっと、絵に話しかける。

『……は』

 私の声に応えるように、発される声。
 ジョルジュの怪談を聞いたときには、あんなに怖かったのに、どうして今聞こえるはずのない声を聞いても、怖くないのだろう。
 むしろ、ワクワクしてきている。自分でも、その感情はとても不思議なものだった。

 もっと描こう。そうしたら、なんて言っているのか聞き取れるようになるかもしれない。
 絵の具を乗せるたび、きっと、絵に魂は宿っていくのだ。

「じゃあ、がんばるね」

 話しかけながら、私は筆を動かす。
 たった一人しかいない美術部。放課後はいつも一人。
 けれどもこの日から、私は一人ではなくなったのだ。
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