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54 浦辺先生 その2
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ふと、思う。
俺は、理解しているふりをしていただけだったのかもしれない。心の底では、なにをバカなことをって思っていたのかもしれない。
だから、俺よりも植物を優先したことが、我慢ならなかったのかもしれない。
優しいふりをして、ただ傍にいたいがために、理解した素振りを見せてきたのかもしれない。
実は、信じようともしていなかったのかも、しれない。
「川内だけじゃのうて、ワシも、お前も、たぶん皆、聞こえるのかもしれんぞ。聞く気になれば」
優しい声が耳に入ってくる。
俺は緊張を解いて、ベンチに腰掛ける。なぜか、浦辺先生の言うことを素直に聞けた。心を穏やかにしようと務めてみた。
もしかしたら、俺にもわかるのかもしれない。彼らの気持ち。
「ここに来ると、安心できると思わんか? 川内が丁寧に手入れしてくれるおかげで、そうなんじゃないかと思うがのう」
そうだ。いつもここに来ると、安らげた。それは川内がいたからかもしれないけれど。
でも。
なぜだろう。今日はなんだか落ち着かない。川内がいないからかもしれない。浦辺先生と二人きり、なんて状況だからかもしれない。
でも、それだけじゃないような気がした。
さっきから、なにか、嫌なものが俺に向けられている気がして仕方ない。
……敵意。あるいは、悪意。
そういうものを向けられている。そう感じた。
ゾワッとなにかが身体をすり抜けた。暖かいのに、寒さを感じて二の腕を擦る。
なにが、誰が、それを俺に向けている?
「お前ら、付き合うとるんじゃろ?」
急にそう言われたので、驚いて顔を上げて浦辺先生のほうを見る。けれど、先生はもう俺に背を向けて、水やりを始めていた。
「えーっ……と、あの」
もしかしたら、学生は勉強が本分、なんて怒られるのかと考えて、どう答えようかとしどろもどろしていると、浦辺先生は再び振り向いた。
「別に隠すことでもないじゃろ」
「……はあ、まあ……」
どうやら浦辺先生は、そのあたりには寛容な人らしい。
ちょっと意外だ。
「なんだかな、最近元気がないけえ。喧嘩でもしとるんか?」
「いや……喧嘩っていうか」
「謝っとけ」
「え?」
尾崎と同じことを言うので、思わず聞き返す。浦辺は少し声を大きくして、再び言った。
「謝っとけ。どうせお前のほうが悪いんじゃ」
「ひどっ」
もう苦笑いするしかない。
しかし浦辺先生は少し首を傾げる。
「川内のほうが悪いんか?」
「いや、悪くない……けど」
「ほうじゃろ。じゃけ、謝っとけって。こんな綺麗な花を咲かせる子が悪いわけがなかろうが」
ムチャクチャだ。俺の言い分は聞く気はないらしい。まあだいたい正解なので、それはいいのだが。
ふと視線を上に向けると、あのテーブルヤシがあった。
折れた茎のところに添え木がしてあって、ぐるぐるとテープを巻いている。ちゃんと繋がっているのか、まだ葉は青々としていた。
「あ」
「ん?」
俺の視線の先を追って、先生もそのテーブルヤシを見る。
「ああ、これか? 折れたみたいなけえ、川内が治療しよったぞ」
治療。まるで、人間みたいだ。でも、他に当てる言葉はない気がする。
ぽっきり折れて、もうダメだと思っていたのに、まだちゃんと生きていた。
治療、したから。
「これ、俺が不注意で……」
「ああ、じゃ、踏み台壊してしもうたのお前か」
「……すみません」
思わず謝ると、浦辺先生は古かったからな、とつぶやいた。
「謝っといたほうが……ええよな」
俺が小さく言った言葉に、先生は首を傾げる。
「テーブルヤシにか。それとも川内にか」
俺はちょっとの間考えて、そして言った。
「……どっちも」
「そりゃそうじゃろ」
「……うん」
そうつぶやいて黙り込んでいると、浦辺先生はテーブルヤシを指差して言った。
「こっちはすぐに謝れるじゃろ?」
「えっ」
思わず顔を上げて、先生を見る。
浦辺先生は、まっすぐにこちらに視線を向けている。
「今?」
「今」
冗談かと思ったけれど、浦辺先生は真剣な様子でうなずいた。戸惑っていると、さらに言葉を継いでくる。
「嫌なんか?」
「嫌じゃないけど」
これは、逃れられそうもない感じだ。
人前でそうするのはかなり抵抗があったけれど、俺は立ち上がってテーブルヤシの前に立ち、見上げた。
もう一度浦辺先生のほうへ振り返る。先生は、顎をしゃくって、ほら、と俺をうながした。
こうなったらもうヤケだ。俺は思い切り頭を下げた。
「すみませんでした!」
温室の中に静寂が訪れる。俺は頭を下げたまま、ただ時間が過ぎるのを待った。
すると。
感じた。さっきまで俺に向けられていた敵意が波が引くように去っていく。いつもと変わらない温室に変化していく。
慌てて頭を上げて、きょろきょろと辺りを見渡す。変わった。空気が。
愕然と立ちすくむ。
嘘だろう?
「どうかしたんか?」
先生が首を傾げている。
「いや……」
確かに、感じられた。俺にも。
川内のようには受け止めてはいないのだろうけれど、確かに感じた。
呆然としている俺に、浦辺先生が声を掛けてくる。
「どうした?」
「俺」
慌てて、ドアに向かって駆け出した。
「謝らないと」
「おい、神崎!」
呼び止められて、振り向く。浦辺先生が苦笑しながら、言った。
「お前ええ加減、卒業までには敬語を使えるように、ちっとは気を付けとけ」
俺は、理解しているふりをしていただけだったのかもしれない。心の底では、なにをバカなことをって思っていたのかもしれない。
だから、俺よりも植物を優先したことが、我慢ならなかったのかもしれない。
優しいふりをして、ただ傍にいたいがために、理解した素振りを見せてきたのかもしれない。
実は、信じようともしていなかったのかも、しれない。
「川内だけじゃのうて、ワシも、お前も、たぶん皆、聞こえるのかもしれんぞ。聞く気になれば」
優しい声が耳に入ってくる。
俺は緊張を解いて、ベンチに腰掛ける。なぜか、浦辺先生の言うことを素直に聞けた。心を穏やかにしようと務めてみた。
もしかしたら、俺にもわかるのかもしれない。彼らの気持ち。
「ここに来ると、安心できると思わんか? 川内が丁寧に手入れしてくれるおかげで、そうなんじゃないかと思うがのう」
そうだ。いつもここに来ると、安らげた。それは川内がいたからかもしれないけれど。
でも。
なぜだろう。今日はなんだか落ち着かない。川内がいないからかもしれない。浦辺先生と二人きり、なんて状況だからかもしれない。
でも、それだけじゃないような気がした。
さっきから、なにか、嫌なものが俺に向けられている気がして仕方ない。
……敵意。あるいは、悪意。
そういうものを向けられている。そう感じた。
ゾワッとなにかが身体をすり抜けた。暖かいのに、寒さを感じて二の腕を擦る。
なにが、誰が、それを俺に向けている?
「お前ら、付き合うとるんじゃろ?」
急にそう言われたので、驚いて顔を上げて浦辺先生のほうを見る。けれど、先生はもう俺に背を向けて、水やりを始めていた。
「えーっ……と、あの」
もしかしたら、学生は勉強が本分、なんて怒られるのかと考えて、どう答えようかとしどろもどろしていると、浦辺先生は再び振り向いた。
「別に隠すことでもないじゃろ」
「……はあ、まあ……」
どうやら浦辺先生は、そのあたりには寛容な人らしい。
ちょっと意外だ。
「なんだかな、最近元気がないけえ。喧嘩でもしとるんか?」
「いや……喧嘩っていうか」
「謝っとけ」
「え?」
尾崎と同じことを言うので、思わず聞き返す。浦辺は少し声を大きくして、再び言った。
「謝っとけ。どうせお前のほうが悪いんじゃ」
「ひどっ」
もう苦笑いするしかない。
しかし浦辺先生は少し首を傾げる。
「川内のほうが悪いんか?」
「いや、悪くない……けど」
「ほうじゃろ。じゃけ、謝っとけって。こんな綺麗な花を咲かせる子が悪いわけがなかろうが」
ムチャクチャだ。俺の言い分は聞く気はないらしい。まあだいたい正解なので、それはいいのだが。
ふと視線を上に向けると、あのテーブルヤシがあった。
折れた茎のところに添え木がしてあって、ぐるぐるとテープを巻いている。ちゃんと繋がっているのか、まだ葉は青々としていた。
「あ」
「ん?」
俺の視線の先を追って、先生もそのテーブルヤシを見る。
「ああ、これか? 折れたみたいなけえ、川内が治療しよったぞ」
治療。まるで、人間みたいだ。でも、他に当てる言葉はない気がする。
ぽっきり折れて、もうダメだと思っていたのに、まだちゃんと生きていた。
治療、したから。
「これ、俺が不注意で……」
「ああ、じゃ、踏み台壊してしもうたのお前か」
「……すみません」
思わず謝ると、浦辺先生は古かったからな、とつぶやいた。
「謝っといたほうが……ええよな」
俺が小さく言った言葉に、先生は首を傾げる。
「テーブルヤシにか。それとも川内にか」
俺はちょっとの間考えて、そして言った。
「……どっちも」
「そりゃそうじゃろ」
「……うん」
そうつぶやいて黙り込んでいると、浦辺先生はテーブルヤシを指差して言った。
「こっちはすぐに謝れるじゃろ?」
「えっ」
思わず顔を上げて、先生を見る。
浦辺先生は、まっすぐにこちらに視線を向けている。
「今?」
「今」
冗談かと思ったけれど、浦辺先生は真剣な様子でうなずいた。戸惑っていると、さらに言葉を継いでくる。
「嫌なんか?」
「嫌じゃないけど」
これは、逃れられそうもない感じだ。
人前でそうするのはかなり抵抗があったけれど、俺は立ち上がってテーブルヤシの前に立ち、見上げた。
もう一度浦辺先生のほうへ振り返る。先生は、顎をしゃくって、ほら、と俺をうながした。
こうなったらもうヤケだ。俺は思い切り頭を下げた。
「すみませんでした!」
温室の中に静寂が訪れる。俺は頭を下げたまま、ただ時間が過ぎるのを待った。
すると。
感じた。さっきまで俺に向けられていた敵意が波が引くように去っていく。いつもと変わらない温室に変化していく。
慌てて頭を上げて、きょろきょろと辺りを見渡す。変わった。空気が。
愕然と立ちすくむ。
嘘だろう?
「どうかしたんか?」
先生が首を傾げている。
「いや……」
確かに、感じられた。俺にも。
川内のようには受け止めてはいないのだろうけれど、確かに感じた。
呆然としている俺に、浦辺先生が声を掛けてくる。
「どうした?」
「俺」
慌てて、ドアに向かって駆け出した。
「謝らないと」
「おい、神崎!」
呼び止められて、振り向く。浦辺先生が苦笑しながら、言った。
「お前ええ加減、卒業までには敬語を使えるように、ちっとは気を付けとけ」
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