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冷たい石造りの床に座り込んで、窓のない部屋を眺める。壁の一面には格子がはめ込まれていて、その外にはときどき、衛兵らしき男たちが行き交う。
あれから何日、経ったのだろう。
兵士がライラを護送して、そしてこの地下牢に入れられている。
手枷も足枷も外されたし、定期的に食事も与えられる。
石造りの牢は寒いが、毛布が何枚か支給されて、くるまっていれば寒さがしのげなくもない。
快適、とまではいかないが、手荒な扱いは受けていない。
ときどき、事情を聞きにやってくる役人らしき初老の男に、何もかも正直に言っているのが功を奏しているのかもしれない。
特に、オルラーフとの繋がりをやたらと訊かれたが、ルカの治療以外でかの国の人間と接触したことがないので、言えることもない。
役人には、バーダンは大丈夫か、と何度か尋ねた。バーダンもやはり同じように正直に話しているようなので、ほっとした。
男女で入れられる牢の場所が違うようで、まだバーダンの顔を見てはいないが、生きていればきっと会える、とそう自分を励ましている。バーダンと一緒にいつかルカの墓前に行きたいのだ。
毎日ルカに、ごめんね、と言い続けて悔やむことが日課になってしまっている。けれどもし、もう一度人生を繰り返すとしても、同じ罪を犯したのではないかという気がする。
いいお母さんでなかったことが、ルカに申し訳ない。そのことが、気分を重たくする。
リュシイは、あの坊ちゃんと会えたのかしらね、と考える。
怒らせたって言っていたけど、許してもらえたかしら。
あの子、また、私なんか私なんかって、逃げ出したりしなければいいけど。
ふいに牢の外がざわついてきて、そちらに顔を向ける。
「こ、このようなところに」
「よい。内密であるから、そのように頼む」
「はっ」
なんだろう。
いつもの役人じゃなくて、どこかの偉いさんでも来たのかしら、と格子の外に視線を向けてみる。
これ以上、話すことなんてないんだけれど。
そんなことを考えながら、膝を抱えて座ったまま、格子の前に立つ人を見上げる。
「あっ」
横にあの役人の男を侍らせて、立ったままこちらを見下ろしてくる男は。
「あのときの」
「覚えていたのか」
「覚えてるわよ」
リュシイを助けにやってきた、あの坊ちゃんだ。
いったい何をしに来たのだろう。
もしかしたら、リュシイを酷い目に合わせた女を痛めつけようと来たのだろうか。
そうされても仕方ないことをしたけれど、あまり痛くなければいいなあ、などと考える。
這いずって、格子の近くまで行く。
「リュシイと会った? ちゃんと話を聞いてあげた? あの子、逃げたりしなかった?」
そう言うと、男は口の端を上げた。
「開口一番、言うことがそれか」
「あんたに言うこと、それしかないでしょ」
「そうか?」
男はそう言って、小さく笑う。
「無礼な!」
衛兵が横から口を出してくるのを、男は左の手のひらを立てて制した。
「よい、下がれ」
「はっ」
不承不承、といった感じではあったが、衛兵は頭を下げて後ろに下がる。だが男たちを見守るように、すぐそこに控えている。
「……あんた、ずいぶん身分の高い人なんだね」
だからリュシイは臆してしまったのだろうか、と思う。
「まあ、そうだな」
するとその男は、牢の前で跪いて声をひそめた。
「今回のこの事件、生涯、誰にも言わぬと誓えるか?」
「はい?」
「誓えるか?」
「そりゃまあ。わざわざ自分が悪いことしたって言いふらしたくはないよね。あ、でも、もう知っている人もいるけど」
たぶん、ハダルは知っている。細かいことまでは知らないだろうけれど。
となると、村人だって知っているのではないだろうか。
「村の人間か?」
「うん、そう」
「その程度は良しとしよう。もしも今後、……そうだな、たとえば貴族の人間がそなたに接触を図るかもしれぬ。そのとき、黙っていられるか?」
「私、貴族は大っ嫌いなの」
「そうか」
ライラの返事に、男は苦笑している。
「まあ、そこまで期待してはいないが、ひとまず言質は取りたかったのでな」
「はあ?」
「それと、そなたの人となりを自分の目で確かめたかったのもある」
「はあ……」
いったい何の話なんだろう。
男は更に声をひそめて言った。
「いいか。そなたらは、兵士から窃盗しようとした。咎められた弟は、兵士を斬り付けて逃げた。そういう話になる」
「へ……?」
「半年ばかり、新しい王城の建設にでも携わってもらおうか。辛い部署に回されるだろうが、僅かながら給金も出る。そこに文句は言うな」
「バーダンも一緒?」
「ああ」
「それならいいや。何でもやるよ」
「潔いな」
笑いながら男は立ち上がる。
「一つ、礼を言っておこう」
「礼?」
「リュシイの背を押してくれたことには感謝する」
「ああ……」
王城に一緒に来たことか。礼を言われるようなことでもないのだが。
「減刑は、彼女よりのたっての願いだ。あと、お前の弟が斬り付けた兵士からも。良い人間に恵まれたな。二度と道を 違うな」
「そう……なの……」
「さきほどの話、覚えておけ。我が妃の悪評は、なるべく立てたくない」
ああ、そうか。略奪されたことで、変な噂が立つかもしれない、ということか。
それで、口止め。あの事件のことはなるべく隠しておこうと。そのために、ライラとバーダンの罪の内容も変えられた。
いや。
今、何か、聞き捨てならないことを聞いたような。
……妃?
「陛下、そろそろ」
「ああ」
ばっと顔を上げると、男たちは立ち去るところだった。
「えっ、ちょっと……!」
すると初老の男の方が振り返って、人差し指を口元に当てた。
慌てて口を閉ざす。
二人が立ち去ってから、呆然とその場に座り込んだ。
妃。陛下。
なるほど、あの坊ちゃん、王さまだったんだ……。
え、じゃあ何、リュシイ、お妃さまになるの?
そりゃ、信じられない、とか言うわ。
無責任に、バーンと飛び込め、なんて言って悪かったかなあ。
などと考える。
はーっと、大きく息を吐いて、天井を見上げる。
悪いことをして、いろんなものを失って。
何か少しでも残ったら救いになる、とリュシイに言った。
どうやら、彼女の幸せが残ったらしい。
良かったわね、と思う。
そして。
ありがとう、と心の中で呼び掛けた。
了
あれから何日、経ったのだろう。
兵士がライラを護送して、そしてこの地下牢に入れられている。
手枷も足枷も外されたし、定期的に食事も与えられる。
石造りの牢は寒いが、毛布が何枚か支給されて、くるまっていれば寒さがしのげなくもない。
快適、とまではいかないが、手荒な扱いは受けていない。
ときどき、事情を聞きにやってくる役人らしき初老の男に、何もかも正直に言っているのが功を奏しているのかもしれない。
特に、オルラーフとの繋がりをやたらと訊かれたが、ルカの治療以外でかの国の人間と接触したことがないので、言えることもない。
役人には、バーダンは大丈夫か、と何度か尋ねた。バーダンもやはり同じように正直に話しているようなので、ほっとした。
男女で入れられる牢の場所が違うようで、まだバーダンの顔を見てはいないが、生きていればきっと会える、とそう自分を励ましている。バーダンと一緒にいつかルカの墓前に行きたいのだ。
毎日ルカに、ごめんね、と言い続けて悔やむことが日課になってしまっている。けれどもし、もう一度人生を繰り返すとしても、同じ罪を犯したのではないかという気がする。
いいお母さんでなかったことが、ルカに申し訳ない。そのことが、気分を重たくする。
リュシイは、あの坊ちゃんと会えたのかしらね、と考える。
怒らせたって言っていたけど、許してもらえたかしら。
あの子、また、私なんか私なんかって、逃げ出したりしなければいいけど。
ふいに牢の外がざわついてきて、そちらに顔を向ける。
「こ、このようなところに」
「よい。内密であるから、そのように頼む」
「はっ」
なんだろう。
いつもの役人じゃなくて、どこかの偉いさんでも来たのかしら、と格子の外に視線を向けてみる。
これ以上、話すことなんてないんだけれど。
そんなことを考えながら、膝を抱えて座ったまま、格子の前に立つ人を見上げる。
「あっ」
横にあの役人の男を侍らせて、立ったままこちらを見下ろしてくる男は。
「あのときの」
「覚えていたのか」
「覚えてるわよ」
リュシイを助けにやってきた、あの坊ちゃんだ。
いったい何をしに来たのだろう。
もしかしたら、リュシイを酷い目に合わせた女を痛めつけようと来たのだろうか。
そうされても仕方ないことをしたけれど、あまり痛くなければいいなあ、などと考える。
這いずって、格子の近くまで行く。
「リュシイと会った? ちゃんと話を聞いてあげた? あの子、逃げたりしなかった?」
そう言うと、男は口の端を上げた。
「開口一番、言うことがそれか」
「あんたに言うこと、それしかないでしょ」
「そうか?」
男はそう言って、小さく笑う。
「無礼な!」
衛兵が横から口を出してくるのを、男は左の手のひらを立てて制した。
「よい、下がれ」
「はっ」
不承不承、といった感じではあったが、衛兵は頭を下げて後ろに下がる。だが男たちを見守るように、すぐそこに控えている。
「……あんた、ずいぶん身分の高い人なんだね」
だからリュシイは臆してしまったのだろうか、と思う。
「まあ、そうだな」
するとその男は、牢の前で跪いて声をひそめた。
「今回のこの事件、生涯、誰にも言わぬと誓えるか?」
「はい?」
「誓えるか?」
「そりゃまあ。わざわざ自分が悪いことしたって言いふらしたくはないよね。あ、でも、もう知っている人もいるけど」
たぶん、ハダルは知っている。細かいことまでは知らないだろうけれど。
となると、村人だって知っているのではないだろうか。
「村の人間か?」
「うん、そう」
「その程度は良しとしよう。もしも今後、……そうだな、たとえば貴族の人間がそなたに接触を図るかもしれぬ。そのとき、黙っていられるか?」
「私、貴族は大っ嫌いなの」
「そうか」
ライラの返事に、男は苦笑している。
「まあ、そこまで期待してはいないが、ひとまず言質は取りたかったのでな」
「はあ?」
「それと、そなたの人となりを自分の目で確かめたかったのもある」
「はあ……」
いったい何の話なんだろう。
男は更に声をひそめて言った。
「いいか。そなたらは、兵士から窃盗しようとした。咎められた弟は、兵士を斬り付けて逃げた。そういう話になる」
「へ……?」
「半年ばかり、新しい王城の建設にでも携わってもらおうか。辛い部署に回されるだろうが、僅かながら給金も出る。そこに文句は言うな」
「バーダンも一緒?」
「ああ」
「それならいいや。何でもやるよ」
「潔いな」
笑いながら男は立ち上がる。
「一つ、礼を言っておこう」
「礼?」
「リュシイの背を押してくれたことには感謝する」
「ああ……」
王城に一緒に来たことか。礼を言われるようなことでもないのだが。
「減刑は、彼女よりのたっての願いだ。あと、お前の弟が斬り付けた兵士からも。良い人間に恵まれたな。二度と道を 違うな」
「そう……なの……」
「さきほどの話、覚えておけ。我が妃の悪評は、なるべく立てたくない」
ああ、そうか。略奪されたことで、変な噂が立つかもしれない、ということか。
それで、口止め。あの事件のことはなるべく隠しておこうと。そのために、ライラとバーダンの罪の内容も変えられた。
いや。
今、何か、聞き捨てならないことを聞いたような。
……妃?
「陛下、そろそろ」
「ああ」
ばっと顔を上げると、男たちは立ち去るところだった。
「えっ、ちょっと……!」
すると初老の男の方が振り返って、人差し指を口元に当てた。
慌てて口を閉ざす。
二人が立ち去ってから、呆然とその場に座り込んだ。
妃。陛下。
なるほど、あの坊ちゃん、王さまだったんだ……。
え、じゃあ何、リュシイ、お妃さまになるの?
そりゃ、信じられない、とか言うわ。
無責任に、バーンと飛び込め、なんて言って悪かったかなあ。
などと考える。
はーっと、大きく息を吐いて、天井を見上げる。
悪いことをして、いろんなものを失って。
何か少しでも残ったら救いになる、とリュシイに言った。
どうやら、彼女の幸せが残ったらしい。
良かったわね、と思う。
そして。
ありがとう、と心の中で呼び掛けた。
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