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20. その白い花が咲く頃

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 息せききって、アリシアは王室に向かって走る。
 目的のものを手に入れて、それを抱えたままなので、早く走れない。
 急がなくては。
 これを彼女に渡したい。

 角を曲がると、ちょうどレディオスの手から離れたリュシイが、ジャンティに連れられて、王室から離れようとしているところのように見えた。
 これはどうやら、間一髪だったのではないか。

「ああ、間に合った!」

 アリシアは手に白い陶器の植木鉢を持って、リュシイに走り寄る。
 驚いたように目を瞬かせるリュシイの目の前に、肩で息をしながら、その植木鉢を差し出した。

「これ、持って行って」
「これは……」
「半年後に、白い花が咲くのですって」

 庭師がそう言っていたのだ。
 だから慌てて、鉢植えにしてもらったのだ。
 アリシアは枯らしてしまうけれど、彼女なら大丈夫だろう。

「だから、花が咲いたら、また来たらいいわよ」

 半年後に、白い花が、咲く。
 それが、レディオスとリュシイの再会の合図だ。

「ここの中庭に植えられているものなの」
「中庭に?」
「そう。だから陛下も、育っていくのを見守れるわ」

 離れていても。
 同じものを眺めていればいい。
 そう思ったのだ。
 そうしたらきっと、少しは寂しさを紛らわせることができるのではないか。

「あ、ありがとうございます」

 植木鉢を大事そうに受け取って、リュシイは微笑んだ。

「大事に育てます」

 そう言うリュシイを見て、レディオスも微笑んでいた。
 どうやら自分は、いい仕事をしたらしい。
 それがとても誇らしかった。

「では、行きましょう」

 ジャンティがそう言って、リュシイを急かした。
 少女は柔らかく微笑むと、植木鉢を抱えて、そして、歩いていく。
 次に会うときには、少女は、王妃となるのだ。


          ◇

 少女の背中を見送って、王室に帰ろうとくるりと振り返ると、侍女や侍従や衛兵が、さっと廊下の端に寄って、そして目を逸らした。だが、ちらちらと、こちらの様子を伺ってはいる。
 ……この中を歩くのは、なかなかの苦行ではないのか。
 自分がしでかしたこととはいえ、消えてしまいたくなった。
 どうせなら、親衛隊に気配の消し方を学んでおけばよかったのか、などとくだらないことを考えながら、一歩を踏み出す。
 すると。

「おめでとうございます」

 声がした。
 だが、この声は。ここにいる人間のものではない。
 親衛隊の一人だ。
 誰が発した声なのか、皆は気付いていないのだろうが、だがつられたように、その場にいた者たちが、口々に言い始める。

「おめでとうございます」
「お慶び申し上げます」

 嬉しくはあるが、余計に恥ずかしい。
 レディオスは、右手を上げて静かに声に応えつつも、足早に王室に向かった。

          ◇

 皆に祝いの言葉を贈られて、王室に向かうレディオスの背中を見送りながら、アリシアは首を捻る。
 どうも、周りの様子がおかしい。
 にやにやしている者がいたり、顔を赤くしている者がいたり。
 なんだろう。

「何か、あったんですか? 私のいない間に」

 小声で、先輩侍女に訊いてみる。

「あ、ああ……」
「それがね……」

 小さな声で、耳打ちされる。
 だがその驚くべき内容に、目を見開いた。
 あの、陛下が? リュシイに? 口づけ? なんてこと。

「えーっ、私も見たかったあ!」

 思わず、叫んでしまう。
 しーっ! と侍女たちが一斉に口元に指を当てた。
 しまった、と口を押さえるが、もう遅い。
 王室の方を見ると、部屋に入りかけていたレディオスが、こちらに振り向いた。

「アリシア」
「はっ、はい!」
「そなた、どうも、王室付きには向いていないように思えるが?」

 それは自分でも思わないでもない。

「申し訳ありません……」

 頭を下げる。
 これは本格的に解雇かも、と冷や汗が出た。

「だから、後宮に行け」

 その言葉に顔を上げる。

「王妃付きだ。良いな?」

 そう来たか。
 なかなか粋な計らいをしてくれるではないか。

「かしこまりました。謹んで拝命いたします」

 そう淑やかに言うと、レディオスは小さく笑った。

「力になってやってくれ」
「はい、もちろん」

 そう言って微笑むと、レディオスはうなずいて、そして王室の中へ消えて行った。
 知らず、口元から笑いが洩れる。
 半年後が、本当に楽しみだ。

          ◇

 ジャンティに連れられ、馬車に乗り込む。

「本当は、半年なんかでは全然足りないんです。ですからすぐに屋敷に向かいます」

 そしてジャンティも乗り込んできて、斜め前に座った。
 扉を閉めると、馬車はゆるゆると動き出す。
 一つ大きく息を吐いて、ジャンティはこちらに向いて言った。

「これから、大変ですよ」

 そう言われて、うなずく。

「引き返すなら、今です」

 リュシイをじっと見つめて、問うてくる。

「いいえ」

 首を横に振って応えた。

「お傍にいられるのなら、私、何でもできると思うんです」
「そうですか」

 ジャンティが微笑む。
 ふと、手の中の植木鉢に目を落とす。
 まだ何枚かの緑の葉があるだけの苗木だが、育てば白い花を咲かせる。
 そうしたら、自分が王妃になる。
 この国の最高位にある人の、妃。

「今、少し、現実感が襲ってきているでしょう」

 ふいに声を掛けられて、顔を上げる。
 ジャンティが苦笑しながらこちらを見ていた。

「は、はい」
「大丈夫です。あなたの覚悟さえあれば。我々も手助けします」
「あ、はい。お願いします」

 頭を下げる。

「私は何も持っていない人間なので、何からすればいいのかもわからないから、何でも仰ってください」
「何も持っていない? とんでもない」

 ジャンティは、両手を広げて上に向けて、肩をすくめた。

「あなたの美貌と、その夢見の力は、これ以上ないあなたの武器なんです。誇りに思ってください。どうもあなたはそれらを持つ自分を卑下しているようですが」

 武器。
 それらを持っていても、不幸を招くものにしか思われなかったもの。
 それが、自身の持てる、武器。
 少女の世界が、大きく変わっていく。

「持っていないとしたら、身分ですかね。これはどうしようもないので、私が与えます。私はこれでも公爵の位を保有しておりますので」

 それで、養女にという話が出たのか。
 リュシイに足りないものを補うために。

「生まれがどうのという輩がいたら、私が黙らせます。まあ、この私の養女に対して、何か言える者がいればの話ですがね」

 そう言って、にやりと笑った。
 何と頼もしい味方か。
 そしてふと、何か思いついたように、彼は言う。

「ああ、そうでした。屋敷には、陛下とそう年の変わらない男性の書生がおりますが」
「え? ええ」
「陛下と違って、節操のない人間ではないので安心なさってください」

 節操のない。
 かっと顔が熱くなった。

「す、すみません……」
「いえいえ、間に合ってよかった。本当に肝を冷やしましたよ」

 そう言って、声に出して笑う。
 笑い終わると、じっとこちらを見つめてくる。

「あの……?」
「本当に、この日がやってきました。それは私にとって、何よりの喜びです」

 どこか遠くを見るような目で、ジャンティは語る。

「これで陛下もご安心なされるでしょう……」

 眩しいものを見るかのように、目を細める。幸福そうな微笑みが彼の顔に浮かんでいた。
 彼の言う『陛下』がレディオスではないことが、なんとなく、わかった。
 それ以上何かを言うことが憚られて、視線を落とす。
 手の中の、白い陶器の植木鉢を眺める。
 苗木の葉が馬車の揺れに合わせて揺れていた。

 半年後。
 白い花が咲く。
 そうしたら、また彼に会いにくることができるのだ。
 そのとき少しでも、彼の助けになれる自分になれていたら、と思った。
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