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17. 告白

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 一つ深呼吸して、ドアノブに手を掛ける。
 すぐそこにある控えの間から、侍女たちがこちらをじっと眺めているのがわかった。
 ということは、人払いはしてあるということか。
 よし、覚悟は決めた。
 そう思いながら、ノブを回して扉を押す。
 中に入ると、ソファからばっと立ち上がるリュシイが目に入った。

 城にいたときと同じドレスを着て、そこに立つ彼女。
 急激に、あの頃のことを思い出した。
 確かにあの頃。地震の予言を伝えられ、被害を抑えるために動き回っていたあの頃、通じ合っていた、と思う。
 けれど彼女は城から去ってしまった。
 あのとき強く引き留めていれば、今どうなっていたのだろう、と考える。

 彼女はこちらに向かって、深く頭を下げた。
 はっとして、歩き出す。今、意識だけが昔に戻っていたような気がする。
 彼女の前を通り過ぎるとき、楽に、と声を掛けると、彼女は頭を上げた。
 薄く化粧を施された彼女は、いつもにも増して、輝いているように見えた。

 レディオスが着席しても、彼女はそこに立ったままでいる。

「座れ」

 そう言うと、彼女は一礼して、ゆっくりと腰かけた。

「お、お時間をいただきまして、ありがとうございます」
「……ああ」

 彼女はそれだけ言うと、俯いてしまう。
 少し待って見ていたが、彼女は膝の上に重ねて置いた両手の指先を、何度か組み直したりしている。どう話を切り出そうか、考えているように見えた。
 話とは、言いにくいことなのだろうか。

「どうやって、ここまで来た?」

 ひとまず、素朴な疑問をぶつけてみる。

「あ、はい。ライラが護送されてきたので、一緒に」
「ああ、ライラか」

 先に捕縛の報告は来ていた。そうか、護送されてきたのか。

「あの……」
「なんだ?」
「ライラ、どうなるんでしょうか」

 上目遣いに、そう問うてくる。
 ああ、それか。
 小さくため息をついた。
 ライラとは、元々は仲が良かったそうだし、減刑を願いに来たのだろう。

「まだ決まってはいない。三人ともに、いろいろとしゃべってもらわねばならぬこともあるし、どうなるかはその後だ」
「そうなんですか」
「特に、バーダンは兵士を斬り付けての逃走だからな。秘密裏に処理もできぬ。何らかの罰は受けてもらう」
「そう……ですよね」
「被害者であるそなたからの減刑の願いがあるのなら、一考はするが」
「えっ」

 そこでリュシイは顔を上げた。

「そんなこと、できるんですか」

 まさか、考えていなかったのか。

「まあ、理由にもよるが」
「でしたら、ご一考いただけると……。あの、前に少し申し上げましたけど、ライラとバーダンは、ルカっていうライラの息子のために……」
「ああ、いい」

 右の掌を前に差し出して、制する。

「そのあたりは、もう知っている。斬られた兵士の方からも、減刑願いが出るらしい」
「そうなんですか」

 リュシイはほっと息を吐いた。
 考えていなかったとすると、話というのは、それではないらしい。
 では、なぜ王城にやってきたのか。

「よろしくお願いいたします」

 リュシイは頭を下げた。
 実際のところ、占い師は極刑を免れないだろうが、あの姉弟については、多少は考慮してもいいとは考えていた。

「それで?」
「えっ?」

 リュシイは顔を上げて、何度か目を瞬かせた。

「何か話があって来たのではないのか」

 そう言うと、また彼女は俯いた。

「あ、あの……」
「なんだ」

 どうやらこれからが、本題らしい。
 いったい、何の話だ。

「あの……。ありがとうございました、助けていただいて」
「……ああ」
「あのとき、碌にお礼も言えなくて」
「……別に大したことはしていない。礼を言われるほどのことではない」

 多少、というか、多大に私怨が入っていたことは否めない。
 だから本当に、礼など言われる筋合いのものではないのだ。

「でも、助かりました」
「ああ」

 そしてまた、沈黙が訪れる。
 また彼女は俯いてしまって、自分の指先を弄んでいる。

「あの……私……」
「まさかとは思うが」

 何か言いかけた彼女と、ほぼ同時に言葉が出た。
 リュシイが言葉を引っ込めてしまったので、自分はそのままの勢いで、言葉を連ねた。

「礼を言うためだけに来たのか? もう王城には来たくないと言っていたくせに」
「え……」

 しまった。
 いくら何でも、さすがに、これはない。
 言葉に棘を含んでしまっている。
 どうしてこんな、心ない言葉を言ってしまったのだろう。

「いや……今のは……」

 まずい。どう言い繕えばいいのだろう。
 すると彼女は、ばっと立ち上がった。
 見上げると、その新緑の色の瞳に涙が浮かんできていて、言葉を失ってしまう。

「も、申し訳ありません。お時間を取らせてしまいました。私、帰ります」

 それだけ一気に言って頭を下げると、彼女は身を翻して、小走りで扉に向かっていく。

「ちょっ……」

 レディオスは慌ててソファから立ち上がり、駆け出すと、彼女の前に回り込んだ。
 彼女はつんのめるように立ち止まり、その場に立ち尽くした。

 こんな状態で、帰したくない。わがままだろうが、それでも帰したくなかった。
 俯く彼女のつむじを見下ろして、一つ息を吐く。

「なぜ泣く」

 はたはたと、床の絨毯に水滴が吸い込まれていくのが見えた。

「すみません……」
「謝るな。なぜと訊いている」
「……やっぱり、来るべきではなかったと……」

 その言葉に額に手を当てて、ため息をつく。

「すまない。つい、冷たい物言いをしてしまった。私が悪かった」

 リュシイは俯いたまま、ふるふると首を横に振った。
 だが、彼女の涙は留まることを知らないかのようだった。

「泣かせるつもりはなかった。いや、結果的に泣かせたけれど。すまなかった」

 彼女はやはり首を横に振って、俯いて泣いているだけだ。
 これはいったい、どうしたらいいのだろう。
 どうしたらいいのか、わからない。

「とにかく、もう一度座ってくれ」

 そう言って肩を抱くと、びくりと彼女の身体が揺れた。
 だがそのまま肩を抱いて、ソファの方へ促すと、彼女は泣きながらも足を動かした。

 ゆっくりと座らせると、自分もその横に座った。
 リュシイは顔を手で覆って、しゃくり上げている。

「訊いてもいいか?」

 そう言うと、彼女は小さくうなずいた。
 そして手で、何度も涙を拭っていた。

「どうしてまた来たのだ。もう王城には来たくないのではなかったか」

 ああ、どうしてこう、意地悪な物言いになるのだろう。
 彼女に言いたいことは、こんなことではないはずなのに。
 けれどリュシイは何も言わずに、俯いたままだ。
 質問を変えよう。どうも、上手く喋れない。

「ええと、まず、どうして王城に来たくないなどと言ったのだ? ここにいる間、なにか嫌なことでもあったか?」

 すると彼女はふるふると首を横に振った。そのことに少し安堵する。

「じゃあ、村を離れたくなかったのか?」

 それにも首を横に振る。
 では、いったい何なのだ。
 すると、彼女は絞り出すように、言った。

「……陛下の……お傍にいるのが、つらくて」

 一気に血の気が引いた。
 後頭部を鈍器か何かで殴られたような気分になった。

 私の?
 そこまで嫌われるようなことをしたのだろうか。
 やはり、あの占い師を捕まえたとき、怖がらせてしまったのだろうか。
 それとも、女性たちがよく言っているという、生理的にどうの、という話だろうか?

 まだ泣いている少女を見て思う。
 泣きたいのはこっちなのだが。

「……この国には、お世継ぎがいなくて……」
「え……ああ」

 どこに話が飛んだのだ。
 だが、ようやく彼女がしゃべり出したのだ。いましばらく聞いてみよう、と覚悟を決める。
 嫌われているならいたで、ちゃんと聞いておいたほうが、諦めもつくというものだ。

「だから、早くお妃さまを迎えなければならなくて」
「ああ」

 そうだ。だから、少女を王城に戻したかったのだ。
 けれど、その本人に拒否されると、どうしようもないではないか。

 だからなのか。
 だから、王城に来たくなかったのか。
 無理矢理、妃にされたくなかったから?

 どんどん気分が沈んでいく。最後まで聞いていられるのかどうか、不安になってきた。

 だが、彼女は言う。

「私……そんなの、見たくなくて」
「え?」
「王城に帰ろうって言ってもらえて嬉しかった……。でも、平気でいられる自信がない……」

 そう言って少女は顔を両手で覆って、そしてまた泣き出した。
 これは。
 これは、つまり。
 ばっと顔が熱くなった。自分の口元に右手をやって、息を吐く。
 つまり、レディオスが誰かを王妃に迎えるのを見たくない、ということでいいのだろうか。

 そして彼女は続けた。

「もし、お妃さまの夢を見たら……そのとき自分がどう思うのか……怖い。もし忠告したくない、なんて思ってしまったら……」

 声が震えている。見れば、小さく身体が震えているのだ。

「ごめんなさい、こんな……こんな……醜くて……。きっと、綺麗な心なら、こんなこと、思いつきもしない。だから、私は傍にいては、いけない。忘れなくては、いけない。なのに、来てしまって、ごめんなさい……」

 これは、根が深い。
 好きだ、嫌いだ、とかいう、そういう話で片付けられない。

「それでも、来たのはなぜだ?」

 その言葉に、リュシイは顔を上げた。
 涙に濡れた瞳を、こちらに向ける。

「私に何か言いたくて来たんだろう?」
「それでも……伝えたくて……」
「何を?」

 すると彼女は居住まいを正して、口を開いた。

「私、陛下のこと、お慕いしています」
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