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13. 中庭の花壇

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 王城の門の前に着く。ここに入るのは初めてだ。
 前に主人と訪れたのは代々の王が棲まってきた城だった。しかし地震であの城は崩れ去った。これは仮の城だ。新しい王城は今は建設中だが、完成するのはいつになるか分からない。
 しかし仮の城とはいえ、元々は誰か王族が使っていた城だったそうで、なかなか立派な門構えをしている。
 私の背丈の何倍もある大きな木製の門は、私を拒絶するように閉まっていた。

 だが馬から降りて門番に委任状を見せると、あっさり門を開けてくれた。主人の直筆の名が入った委任状の効果は絶大だ。
 中に入ってからも、王に謁見するという重大事なのに、委任状のおかげですんなりと王室まで案内された。
 拍子抜けするほど、順調だ。

 だが、王室の前で関門にぶち当たった。

「陛下は、今は王室におられません」

 王室の侍女が、申し訳なさそうにそう言った。

「ではどこに」
「王城のどこかにはいらっしゃるのですが」

 どこかって! そんな漠然とした話で居場所が分かるわけがない。
 王たるものが、誰にも居場所を告げずに出歩いてもいいものなのか。
 私が苛ついているのが分かったのか、侍女は情報をくれた。

「おそらくは、中庭の花壇のところにおられますわ」
「花壇?」
「ええ。最近は、時間が空いたらそこに行っているように思います」

 にっこりと微笑んで、そう言う。

「分かりました、行ってみます。ありがとうございます」

 一礼すると踵を返して、急ぎ足で中庭に向かう。この城は、以前の城と造りが似ているように思う。たぶん、場所は分かる。

 少々迷いながらもたどり着くと、まさしく探していたその人がそこにいた。
 花壇の脇に置かれたベンチに座って、ぼうっと花を眺めている。

 こんなに大事なときなのに。
 だが、未だ何も知らない王にそれを言うのは理不尽だと気付いて首を振る。

 一歩、近付いた。
 どう声を掛けるべきかと戸惑う。委任状はある。だが、分かってくれるだろうか、まずお前は誰だと詰問されるだろうか、信じてもらえるだろうか。

 だが。
 ふと、こちらに手を伸ばしてきた。手のひらを上に向けている。

「え……」
「何を持ってきた」

 そう言って、首をこちらに向けた。

「あの……大法官からの……」
「それは分かっている」

 そう言って、さらに手を伸ばしてくる。
 言葉で伝えるより、この手にある書類を渡した方が早いのは明確だ。私は求められるまま、差し出された手にそれを乗せた。
 王は、それを受け取るとすぐさま目を通す。

 ここで何か言うべきかどうか迷っているうち、王は声を張った。

「いるか?」
「えっ」

 急に発された声にたじろぐ。私に言ったのだろうか。でもそんな風には聞こえなかった。それに意味が分からない。

「ここに」

 自分の斜め後ろからふいに声がして、身体が震えた。
 いつの間に。誰が。全く気付かなかった。
 振り向くと、一人の男性が膝を折って控えている。

「サイザールという村は知っているか」
「存じ上げております」
「今から一切の出入りを禁ずる。お前たちで出来るか?」

 王に問われた男は、少しだけ口の端を上げた。

「陛下には、我々の力は充分にご理解いただけていると思っておりましたが」

 その答えに満足したのか、王は深く頷き、そして苦笑して言った。

「愚問だったな。では頼む」
「御意」

 その返事を聞くか聞かないか、それくらいで王は身を翻す。
 私はこのやり取りを、呆然として見守るしかできなかった。

「行くぞ。ついて参れ」
「えっ、はい」

 これは私に向けられた言葉だ、というのは分かった。それ以外は訳が分からぬまま、王の背中について歩き出す。

 ふと振り向いてさきほどいた場所を見てみたときには、男はもういなかった。
 国王直属の親衛隊に違いない。精鋭中の精鋭部隊。本当に存在したのか。
 何も言わずに私の前を早足で歩いていく王の背中に、躊躇いつつも声を掛ける。

「あ、あの……」
「なんだ」
「どこに向かわれているのでしょうか」
「いろいろ。道すがら、だな」
「と仰いますと、医師の手配とか」
「まあ、そんなところか」
「でしたら、陛下自ら……」
「いちいち委任状を持って回るつもりか? そんな時間はないだろう」

 言われて言葉に窮する。それは確かにそうだ。
 最初に出会った従者に、馬と馬車の手配を指示した。その次は、大臣らしき人間に、主だった人間だけの招集を頼んでいた。その次に、医師の手配。

 まさしく、道すがら。王は一歩たりとも立ち止まることなく、結局は王室に戻ってきた。

「入れ」
「はい」

 言われて王室に足を踏み入れる。これから一体何をすればいいのか、と辺りを見回している間に、王は引き出しを引っかきだし始めた。

「書類を整えねばならぬ。こういうときジャンティがいてくれれば早いのだが」

 そう言って、ばさばさと紙の束を取り出しては机上に投げ出していった。

「内密の話だ。その辺の人間にやらせるわけにはいかぬからな」

 そうごちながら、何枚かの紙をこちらに差し出した。戸惑いつつも、それを受け取る。

「私が署名するだけの状態にして、こちらに回してくれ。確認はするから」
「は、はいっ」
「それから、これ」

 そう言うと、こちらに何かを投げてよこした。慌てて持っていた紙を脇の机上に置いて、投げられたそれを両手で受け取る。
 鍵だ。
 しかも、王族にしか許されていないはずの、女神の肖像が掘り込んである。

「これは……」
「書庫の鍵だ。場所は外にいる侍女に訊け。そこに過去の書類があるから参考にしろ。五年くらい前にも伝染病が流行ったことがあっただろう」
「ああ、はい」

 例文があるなら、かなり楽だ。何を揃えればいいのかもそれで分かる。
 では、と退室しようとした私の背中に、王は言った。

「念のため言うが、失くすなよ」

 振り返ると、私の手のほうを指差している。
 私は手の中の鍵を改めて見た。王族にしか許されていない鍵。
 この鍵をもし失くしたら。当然、私の首一つでは済まないだろう。

「承知しております」

 そうして頭を下げると、さらに追加の言葉が振ってきた。

「それと、父う……いや、先王の時代に、大火事があっただろう」
「セイクガの大火でございますか」

 記憶を探る。あれは何年のことだったか。村一つ消えてなくなった、歴史に残る火事だった。二十年前か、三十年前か。いや、あれは私が生まれる前の話だから、二十年ということはない。
 とっさに年号が出てこない自分を情けなく思う。この非常事態に動揺しているのかもしれない。

「そう。ついでにその書類も頼む」
「はい」

 疫病と火事では、ずいぶん違う気もするが、王城が動くということに関しては共通している。何にしろ、参考にできるものは多いほうがいい。
 王室を出てすぐのところに待機している侍女に話しかける。

「申し訳ないのですが、書庫の場所を教えてくださいますか」
「書庫……ですか?」

 そう言って、私の手に視線を落とす。握られた鍵を見て、ああ、と頷いた。

「そちらの書庫ですね。ご案内いたします」

 そう言うと侍女は、私の斜め前をしずしずと歩き出した。
 歩みが遅くて少し苛つくが、仕方ない。これがたしなみというものだ。

 もしもリュシイなら。おそらく小走りで先に進むのだろう。そして、私かアネットにたしなめられるのだ。
 ふいにそんなことが思い出されて、小さくため息をついた。こんなときに、何を考えているのだろう。

「こちらです、どうぞ」

 目的地は案外近くて、私は言われてはっとして顔を上げた。
 そんな重要書類が詰まっているようには見えない、普通の扉だった。

「では失礼して」

 鍵を鍵穴に指した。鍵はなんの抵抗もなく回り、カチリと音を立てる。
 中に入ると、埃くさくて薄暗かった。部屋は広いのに小さな明かり取りの窓が何個かあるだけだ。
 侍女が壁にかかっているいくつかの蝋燭に火を灯していく。

「外でお待ちしておりますので、終わりましたらお声がけください」
「あ、いえ、時間がかかると思いますし、帰りの道は分かりますから」
「いいえ、お気になさらず。お待ちしております」

 硬い声音だ。そうか、見張りの意味もあるのだ。

「分かりました、お願いします」

 そう言うと、侍女は部屋の外に出て行った。

 扉が閉まるのを見届けたあと、私はずらりと並んだ箱を眺めた。
 地震のとき、この書類たちは無事だったのだな、と思う。城は崩れ去ったが火は上がらなかったという話だから、崩落跡から掘り出したのだろう。

 ずいぶん昔からの書類もある。年代順に並んでいるようだから、見つけるのは容易いと思われた。おそらく書庫は他にもあって、ここは本当に重要な、内密の書類しかないのだろうし、心配するほどの量はなさそうに見えた。

 それでもやはり、手こずる。心が焦りだしてしまうから、何度か深呼吸して自分を落ち着かせなければならなかった。
 一通り必要そうなものを手にしたあと、言われたセイクガの大火の書類も捜す。そうだ、あれは二十六年前だ。かなり落ち着いてきたのか、すんなりと思い出せた。慣れてきているからか、案外あっさりと見つけることも出来た。

 書類を検めると、軍が出動したのが分かる。近隣の山からの自然発火。消化のために、周りの山々の木を切って回っているようだ。
 だが、村一つがその業火の巻き添いをくらった。村といっても街と呼んでいいほど栄えていた場所だったはずなのに、今はもうその村は地図にない。
 火事から我が国は水路の確保に力を尽くすようになった。水路が今ほど充実していれば、あそこまで大きな火事にはならなかっただろうと言われている。
 だがどうしても、前例がないことには無防備になってしまうのが人間というものだ。

 私はその書類も重ねて持つと、扉の外で待つ侍女に声を掛けた。
 侍女はもう一度中に入ると、火を消して回り、確実に消えたのを確認するため、じっと蝋燭を眺めて手を添えている。注意してしすぎるということはない。特に、この場所では。

「では王室に参りましょうか」

 にこやかに微笑んで、侍女は言った。外に出てから、また鍵を閉める。息を吐いた。やはり緊張していたようだ。だが、本番はこれからなのだ。

 王室に帰ると、中に三人の初老の男性がいて、こちらを黙って見つめてきた。
 その様子に、少し身を引く。

「ああ、いい。彼は知っているから」

 王がそう言うと、三人は同時に息を吐いた。

「そっちの机を使ってくれ」

 指差されたほうには、王が使っているものより幾分か小さいがそれでも私の自室にあるものより一回り大きな机があった。温かなお茶まで用意してある。至れり尽くせりだ。
 王はその三人とどうやら今回のことについて話し合っているようだったので、私は一礼だけして黙って席についた。
 四人は小声でひそひそと会話していたが、少しすると退室して行った。
 入れ替わりに、さきほど私に書庫の場所を教えてくれた侍女が入室してくる。

「陛下、ソルフィ国の外務卿とのお約束のお時間ですが、いかがいたしましょう?」

 王に小声でそう伝えていた。

「ああ……そうだったか」

 一つため息をついて、王は立ち上がった。

「謁見室のほうに?」
「左様でございます」
「分かった。すぐ向かう」

 そう言うと、上着を羽織りながら王室を出て行った。
 侍女は部屋に残り、私のほうに振り向いた。

「お茶」
「えっ」
「冷めてしまいましたわね。煎れ直しましょうか。別の茶葉もありますし」

 机上の椀を見てみると、手付かずのままで冷めているお茶がそこにあった。

「あっ、いえ、お構いなく。これで充分ですから」
「そうですか?」

 侍女は首を傾げる。しかし、もし煎れ直してもらっても、同じことになるのは目に見えている。
 見た感じ、親近感の沸くような穏やかな表情の侍女だ。私は思い切って、気になっていたことを訊いてみることにした。

「あの……ご存知かどうかは分からないが」
「なんでしょう?」
「ソルフィの大臣とは、前からお約束だったのだろうか」
「ええ、一月ほど前から」

 ということは、緊急の用事ではない。ソルフィ国は国力が我がエイゼン国よりもかなり下だ。単なるご機嫌伺いと思っていいだろう。
 それでも後回しにはできない。なぜ、と余計な追求を避けるのには、そのまま会見したほうがいいに決まっている。今私たちがやっていることは内密の話なのだから、そういうことを避けることはできない。

 それでなくとも、予定が詰まっているだろう。時間が空けば花壇に向かってはいるようだが、基本的には忙しい御身のはずだ。
 では尚更、私が王の手助けをしなければならないのだ。

「じゃあ私も一つ訊きたいのだけれど」

 侍女の言葉に顔を上げる。彼女はにっこりと微笑んで言った。

「リュシイは元気にしているかしら?」

 思いもよらぬ名前を聞いて、身を引いた。

「え、ええ……」

 なぜ彼女を知っている。では彼女は王城にいたということか。侍女として。
 いや、それはありえない。王付きでなくとも、どんな下働きでも王城に勤めるにはそれなりに教養が必要だ。彼女では無理だ。

「そう、元気ならいいの」

 そう言って、その侍女は機嫌の良い様子で王室を出て行った。
 ますますリュシイが何者なのか、分からなくなった。
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