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7. 手紙

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 久々に屋敷に帰ってきた主人が、彼女の部屋を訪れてきた。

「おや、勉強中でしたか」

 扉から覗いた顔に、慌てて席を立つ。
 リュシイも同じように席を立った。

「おかえりなさいませ」

 頭を下げる。主人は返事の代わりに軽く手を上げ、部屋の中に入ってきた。

「席を外しましょうか」

 この部屋に来たからには、当然彼女に用事があるのだろう。

「ああ、いや、すぐに終わりますから」

 そう言って主人は、懐から何かを取り出した。
 紙……? 封筒……手紙か……?
 そして見上げる彼女に、それを差し出す。

「あなたに」

 彼女はそれを、恐る恐るという風に両手で受け取った。

「一人で御覧なさい。文字は少しは読めるようになったかな?」

 主人にそう言われ、彼女は苦笑しながら返事をする。

「本当に、少しですけれど」
「では、どうしてもわからない言葉だけ、訊くといい」
「これ……」

 彼女は何かを言いかけたが、主人にすばやく制された。

「お楽しみです。読めばわかります」

 彼女はそれを胸に抱いた。そして目を閉じる。
 そうすれば読まずとも、その中身がわかるかのように。

「……はい」

 ひそやかな、か細い声。でも幸福感が詰まっているような声。
 ……なんだ? ただの手紙ではないのか?
 早く中身が見たいのだろう。明らかに彼女はその瞬間から落ち着きを失くした。

「では、きりもいいことですし、休憩しましょう」

 私はそう言って、主人と一緒に部屋を出た。
 扉を閉める瞬間、彼女がいそいそと手紙の封を開けるのが見えた。

          ◇

 部屋を出て食堂に向かう途中、主人に訊いてみる。

「あの……不躾なようですが、あれは何でしょう」
「彼女に渡したものですか?」

 そう言って主人は首を傾げる。私はその言葉にうなずいた。

「見ての通り、手紙、です」
「はあ」

 やはり。
 だが、彼女に手紙? 絵本程度なら読めるようにはなったが、まだ満足とは程遠いほどなのに、いったい誰が。彼女が文字を読めないことを知らない人間だろうか。

「ああ、一応、簡易な言葉を使って書いているようです。まあ、彼女にとっては勉強のようなものですかな」
「手紙のやりとりで、文字を覚えようということですか」

 なるほど、普通に読み書きをするよりも、そうして親しい者との手紙のやりとりのほうが、覚えは早いかもしれない。

 だが、誰と?
 主人が持って帰ってきたということは、王城の中の人間か。いや、そうとも限らないか。たとえば教会などは、主人がしょっちゅう出入りする場所だ。

 食堂に着くと、主人は椅子に座り込んだ。

「ああ、疲れました」

 休むこともせず一杯のお茶を飲むこともなく、彼女の部屋に向かってきたということか。

「なにか軽い食事でも?」

 控えていたアネットが、主人にそう尋ねた。

「ええ、軽くで構いません。まずはお茶を頂けますかな」
「かしこまりました」

 既に用意されていたらしく、アネットはその場で脇にあった配膳台の上のポットを傾け、茶器にお茶を注いだ。

「どうぞ」

 目の前に出されたお茶を一口飲むと、主人は息をついた。

「和みますなあ。王城ではなかなかこうはいかない」

 ということはゆっくりしたいのだろうから、私は退室したほうがいいだろう。
 そして一礼しようとしたときだ。

「ジルベルト、彼女の勉強の進捗状況は?」

 和やかな雰囲気から一転、真剣な口調でそう問われる。

「は……今は絵本を使って文字と、あとは簡単な歴史など。非常に努力家で覚えが早いので、そろそろ芸術などにも目を向けようかとは思っております」

 これは本当だ。寝る間も惜しんで、彼女は努力を続けている。私も舌を巻くほどだ。
 それは助かる。もっと手こずるかと思っていただけに、楽になったと思った。

 だがあまりに早い進歩が、時に妬ましい。だから彼女は主人の養女としてふさわしいと思われたのか。
 そしてそんな風に思う自分が嫌になる。自分を叱咤する。
 ここのところ、その繰り返しだ。
 主人は私のそういう心の動きを知ってか知らずか、のんびりとした口調で言った。

「よろしい。頼みましたよ」
「はい、尽力させていただきます」

 そう応えて部屋を出ようとすると、また呼び止められた。

「これから、いろいろな人が彼女を訪れてくることでしょう。驚かないように」
「……はい」

 驚く? 何に。
 だがそれ以上は主人は口を開かず、お茶を楽しむばかりだった。

          ◇

 自室にでも帰るか、と廊下を歩いていると、彼女が自分の部屋からひょっこりと顔だけを覗かせていた。

「……リュシイ。だから、そのような……」

 ため息と共にそう言うと、彼女はぱっと顔を引っ込めて、そして扉を開けて廊下に出てきた。

「ごめんなさい、お嬢さまらしくなかったわ」
「……ああ。それで、なにか用事でも?」
「ジルベルトを探していたの」
「私? なんでしょう」
「……わからない言葉があって……」

 彼女はさきほどの手紙を胸に抱いている。やはり読めない文字があったのか。

「どれです?」

 私は手を差し出す。
 しかし彼女はふるふると顔を横に振った。

「だめ」

 言われて私ははっとして手を引っ込める。
 それはそうだ。誰かから彼女への手紙なのだ。そんな簡単に他人に見せられるものではない。
 こういうところが配慮が足りないのだな、と心の中で反省する。

「では、何か紙にでも書いてもらえれば」
「じゃあ、お願い」

 彼女はパタパタと部屋に入り、ペンを持った。私も続いて部屋に入る。

「ええとね……こんな感じ……。一つ一つの単語はわかるのだけど……」

 なるほど慣用句か。
 持って回ったような書き方がされているのだろう。
 文では、直接的な言い方を避け、曖昧な表現が美しいとされることが多い。彼女にとっては、難しい表現なのだろう。
 高貴な方々は、それを多用しがちだ。書き言葉は、その傾向が顕著なのだ。その辺りも覚えなくてはいけないな、と新たな課題を思いつく。
 リュシイは手紙が私に見えないように注意深く隠しながら、紙に慣れない手つきで書いてみせた。

 私はその言葉を見て、ため息が漏れそうになる。
 恋文だ。ほぼ間違いなく。

「それは、愛おしい、という意味になります」

 文字を指差しながらそう言うと、彼女はぱっと頬を染めた。

「そ、そうなの」
「はい」

 他人に見られてしまった、という羞恥で頬を赤らめたのではない、ということがすぐにわかった。
 彼女は目を閉じて、手紙をまた胸に抱いた。そして穏やかに微笑んで私に言った。

「ありがとう」
「……どういたしまして」

 なんというか、こちらのほうが恥ずかしくなった。
 ということは、彼女はどこかに思い合う人がいるということか。
 ならばその男がさっさと彼女を迎えに来てやればいいのだ。なぜそうしない。
 文の言い回しの使い方からして、身分違いの恋か? それともまだ女性を娶るには甲斐性がないということか? 半年経てば、問題がどうにかなるということか?
 彼女は虐待を受けていたらしい傷跡がある。ならばその男が彼女に危害を加え、今は頭を冷やしているという可能性もないわけではない。

 とにかく彼女はこの屋敷を出たら、その男の元へ行くのだろう。
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